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第1話 招集

 1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝・国王の継承者フランツ・フェルディナントがサラエボを視察中、ボスニア出身のセルビア人青年によって暗殺される。いわゆるサラエボ事件である。

 この出来事は、人類が未だかつて経験した事のない未曾有の大戦、後に『第一次世界大戦』と呼ばれる戦争の引き金となった。












 騒々しくドアが開かれ、軍服の男たちが部屋に押し入ってきた時、オシッチはまだベッドに寝そべっていた。

 ベッドから飛び起き、白いシャツと下着だけという格好で不意の闖入者たちを眺め、まず最初に考えたのは『また戦争が始まったのか』という事だった。


 時あたかも1914年春、セルビアではオーストリア・ハンガリー帝国への反感から民族主義が興り、周辺諸国や大国の思惑もあって戦争の気配がヨーロッパ中に広まっている。

 もういつ戦争が始まってもおかしくない。そんな時期だった。


 それもオシッチや、彼らが所属する“組織”にしてみれば悪い事ではない。

 セルビア人にとっては、帝国に今までの恨みつらみをぶつけるには、またとない機会だ。


 しかし奇妙なことに思えるかもしれないが、戦争に際してまず心配したのが、ヒゲのことだった。

 一昨日の夜に剃り落とした口ひげが伸びるには、少なくとも一週間はかかるだろう。

 オシッチは先のブルガリアとの戦争、その前のオスマン帝国との戦争に曹長として従軍し、まずまずの功績を挙げている。今は軍籍を離れているが、戦争が再開すればまた復員することになるだろう。

 しかしヒゲのない下士官の命令を聞く兵卒などいるだろうか?


 入ってきた軍服は三人、その内二人はセルビア軍の下士官の制服を着ており、もう一人は将校の制服を着ている。そしてその将校の顔を、オシッチは知っていた。


「イヴェリッチ中尉、こんな朝早くから何事だ?」


 中尉は傲然と部屋の中を見回す。

 軍人としては当然の警戒行動なのだろうが、そもそもこの部屋には注目の的になるような物は一つだってない。激安のアパートの狭い部屋は、木製の脚が腐りかけたベッドと、戦争中にかっぱらってきたストーブでいっぱいになってしまう。

 壁に立てかけたままの銃剣付きライフルを除けばだが、弾は込められていないし、銃剣部分には鞘がついている。それでも相手にとっては脅威なのだろうが、オシッチにはそれを使って侵入者を撃退しようなどという考えはない。

 今のところは。


「ミハイル・オシッチ曹長、一緒に来てもらおうか」中尉は居丈高に言う。

 普段から尊大な態度で知られる男ではあるが、今の言葉の響きにはこちらに対する敵意のようなものが感じられる。

 その推測を裏付けるかのように彼の部下の一人が、オシッチとライフルの間に割り込むように、のしのしと踏み込んできた。


「“元”曹長だ、間違えないでくれ」


 オシッチは自分の立場を明確にするように、はっきりと言う。

 最早彼は軍人として、命令に服する立場ではないのだ。


 とはいえ民間人と言えど、軍人の命令を無視するのは利口なやり方ではない。

 ゆっくりと時間をかけてベッドから立ち上がると、もみくちゃになって床に積まれた、汚れ切った布の塊に近づいてそれを身に付ける。

 茶色のズボン、陸軍にいたころ支給されたセルビア軍の長外套、ブーツ。これだけ着れば王様に会ったって恥ずかしい事はない。


「一体どこへ連れて行こうっていうんだ?」


 中尉はオシッチが大人しく指示に従う様子なのを見て、満足そうな笑みを浮かべる。しかしオシッチには、それが緊張が緩んだ反動のように思えた。

 彼がオシッチの事をよほど恐れていた、と考えることは、無意味ではあるが愉快だ。


「タンコシチ大佐の邸宅だ」

 中尉はオシッチが服を着るのを眺めながら(彼にはそういう趣味があるのだろうか?)背筋を伸ばして言った。


 という事は“組織”の要件だという事だ。

 しかもかなり重要な案件ということになる。


 タンコシチ大佐はセルビア軍の軍人ではあるが、オシッチらが所属する秘密組織の幹部でもあり、彼の自宅は組織の秘密の会議などで使用されることがある。

 しかし組織の者なら誰でも使うというような場所ではなく、ベオグラードに住む組織の人間の中でもそこに入った事のある者は稀なはずだ。


 着替えを終えたオシッチを見ると、中尉はタンコシチ大佐の威を借りたように、いつもに増して尊大な表情をとり、先ほど乱暴に開けたドアをくぐりながら言った。


「“アピス”が呼んでいる。ついて来い」


 

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