Switch blade & metal kid
僕は自分がロボットであることを最初から知っていた。そのことに違和感をもったことも無かったはずだった。
最初に目を開けたとき、僕は誇りっぽい部屋にいた。立方体の部屋の三方は本棚に囲まれていて、残る面に窓があり机がある。窓から差し込む日差しは、部屋の奥までは流れてこない。夏だった。部屋の真ん中のベッドの上に寝ていて何本もの線が体から延びていた。隣に髭の生えた四十くらいの男がいて、険しい顔で僕を眺めていた。彼は篠島潤という名前だった。僕が話しかけると、彼はほっとしたように息をつき、顔を緩め、久という名前をつけた。
篠島潤は僕の父親を名乗った。彼は僕のデータベースによると元大学教授で今は何をして食べているか分からない無職の男で、僕を作った人だった。父親とはある人をつくり育てる人だというので、彼が僕の父であることは理に適っている。実際、彼は僕に人間社会の常識とか知識とか、ほとんど僕が一人で生きていけるくらいまで様々なことを教え込んでくれた。彼は笑わない人で、僕もしゃべらない笑わないロボットだったから、篠島家は静かだった。それでも楽しかった。
一ヶ月ほど経ったある日、彼は僕に一つ提案した。外の世界を見てみないかと。彼は僕に特別何かを禁じているわけではなかったが、外出は控えてほしいと、一番最初に頼んできた。考えるまでもなく承諾して、今だって、僕は外に出るなど考えもしない。僕はどうしてと聞いた。研究のため、お前のためと彼は言った。僕は自分の境遇を考えた。ロボットが人と歩みを共にするようになって十数年。社会にはもうすんなり溶け込んだと言って過言じゃない。でも、感情を持つロボットはいない。僕が最初だ。そういうロボットが外に出ることにはどんな意味があるのか。また、外出を許可されなかったのはどうしてなのか。今更ながら、僕は初めて自分で考えるということをした。
「外の世界を見るって、具体的にどういうことですか?」
「……高校に入学してみないか?」
「はい?」
彼は初めて機械から、人間と遜色ない知能を作った。彼はその作り上げた人工知能が、実際に人間の中に溶け込むことができるのかを見てみたいらしい。唐突な彼の申し出に僕は困り果てるしかなかった。しかし、このとき僕にはもう選択権はなかった。僕が返事に窮しているのを彼は眺めながら、一週間の執行猶予と制服、教科書、かばん、その他もろもろを僕に手渡し、楽しんで来いと僕の肩を叩いた。いい笑顔だった。
僕は高校生になった。夏休みの終わった九月一日。県立N高校の二年八組に突如現れた転校生だ。自分で言うものではないが、僕の顔は整っているほうだった。後にクラスメイトたちに聞いた言葉を総合すると、鼻筋が通っていて目はシュッと切れ長で、輪郭がくっきりしている。中性的とも言われた。表情が薄いのが玉に傷だとも、ミステリアスだとも言われた。とにかく、そういう「不思議な雰囲気を放つ美青年」という属性を帯びた転校生は、すぐに質問攻めにあい、人気者になった。おかげで、僕の知らないことは誰かが教えてくれたし、暇を持て余すこともなかった。
鳴海結という人物と出会ったのはこのときだった。彼女はちやほやされる僕を遠巻きに見ていた。綺麗な髪の女の子だった。腰まで伸ばしているように見える。身長は僕より頭一つ分小さく、リスみたいだなと思った。僕のほうをちらちらと伺うその様子も、彼女のリスらしさを増していた。目が合った。笑いかけてみると彼女もおずおずと笑い返した。僕の貴重な笑顔だった。すぐに彼女は逃げて言ってしまった。少し悲しくなった。
鳴海結は少し変わった人だった。クラスの他の女子としゃべっているときは快活に笑って冗談を言い合って、楽しそうなのだが、男子と話すと途端に笑顔がなくなり目を合わせられなくなる。彼女は美人だったので、言い寄る男は多かった。しかし、、その全てにおいて逃げてしまうので、「今世紀最難関の女」という不名誉な渾名まで付いた。彼女を観察していると、男子連中に茶化された。「お目が高いね久クン。でも難攻不落だぜ」そんなことより、彼女への好奇心は尽きない。
父は僕へ毎日日記を書くことを要請した。その日記は父も見るらしく、僕の心の状況をはかるファクターにしたいらしい。それとは別に機械によって心の状態をはかりはするものの、どうしてもアナログな手段も用いたいとしつこく迫った。僕は答えに窮したが、やはり選択肢はなく、日記帳を手渡され、肩をポンと叩かれた。いい笑顔だった。日記に書き記す僕の日常は、シンプルなものだった。毎日新しい発見はあるものの、その行程自体は似たようなもので、代わり映えのしない日々を送っていた。それでもとても楽しかった。級友たちは優しく馬鹿で阿呆だ。鳴海結の観察は、彼女に接触してその反応をみる実験へと変わっていた。僕の日々が、様々な色で彩られていく。
それでも、僕はやはりロボットでみんなとは違うのだと思っていた。人との違いが自分の心の歪みになって滞積していくのが胸の痛みから判別できた。
一年経っても高校生活はまだ続いていた。卒業するまでは続けるらしい。鳴海結は僕に気を許すようになった。彼女は僕を好きになったらしい。そのころ、僕はもう正常ではなかった。自分の中に乖離した自分がいた。それは常に腹のそこでとぐろを巻いて人を睨み唸りを上げているのだが、不思議と、誰も気づくことはなかった。
僕は人とは違う。人とは違う。その思いが、何もかもを狂わせる。鳴海結が、僕を呼び出して、その頬を赤らめ、愛を囁いたとき、僕は彼女の首を絞めた。頭の奥のほうで何かが弾ける音がした。きっと篠島潤がかけたストッパーだろうと思った。憎くてたまらないのに冷静で、彼女の首が、僕の握力に耐えられず折れて拉げるのをじっと見ていた。彼女が死んだあとも僕はそこにいた。そこから動くことができなかった。何も考えられなくなって、自分がしたことや、鳴海結の顔がずっと頭の中で繰り返していた。誰かに声をかけられて、やっと、僕の心は動きはじめた。既に自分が人間であったことも、やっと分かった。