第3話 煙立つ場所
一日遅れてしまいました。
では続きをどうぞ。
「……あれは」
男が放浪……いや彷徨して五時間ほど経っただろうか、歩く、休憩しながら水分補給して水を練成、そしてまた歩くのサイクルを延々繰り返してやっと何かを見つけたようだ。
「煙か!?」
男の見る先には確かに細く白い線が空へと立ち昇っていた。突然緑の世界で目を覚まし、なぜか錬金術などというものを使用できて、何も食べずに半日近く歩き集中力も途切れかけているであろう中、数km先の細い煙を見つけられたことは驚嘆に値するだろう。今日が快晴で遠くが見やすいというのも味方をしていたかもしれない。何はともあれ火の無い所に煙は立たず、男の知識では火を扱う生物は人類だけのはずだということで、おそらく集落か何かがあるのだろう。男は少し気分を軽くしながら煙に向かって歩き出した。
その集落に住んでいるのが人間だといいのだが……。
「っち……なんで俺が奴隷の世話なんかしなくちゃならねぇんだ!」
一人の男が愚痴を言いながら近くに置いてあった木の桶を蹴り飛ばす。男の言葉からも解るが、どうやらここは市場や競売に出される奴隷達を一時的に収容する場所のようだ。おそらく先の白煙は奴隷達に食べさせる食事か何かを作る際に出たものだろう。その証拠に作業が終わったのか、煙はすでに消えてしまっている。
「おいっ!奴隷共、エサだぞ」
一通り愚痴を言った男は近くの建物から直径2mはある大きな鍋を荷車に載せて出てくると、牢屋のような建物が立ち並ぶ場所の中心で大声を出して言った。すると牢屋に張ってある格子から数多の皿を持った手が伸びた。そもそも皿といえるのか分からないほど粗末な物だが、奴隷達はそれを手に持ち叫んだ。
「早く飯を!」
「それよりも水をくれ!」
「こっちが先だ!」
「いえこっちよ!」
「早く!」「早く!」「早く!」
奴隷達は我先にと醜く男を呼ぶ。食事は当然三食出るはずがなく、一日一回、悪いときは三日ほど食事が来ないなんていうこともあるようだ。今日はその悪い日だったのか、奴隷達の中にはやつれているものも多く、酷い者に至っては叫ぶ気力すらないのか牢屋の隅で静かに食事が来るのを待っている。いや、既に動く気力すらないのかもしれない。ただ彼らに共通しているのは、皆一様に瞳の奥に絶望や諦観の光があるということだ。ある者は住処を追われ、ある者は家が没落し、ある者は賊に捕まり、またあるものは家族に売られ、様々な理由はあるものの今いる場所は最底辺であり、それは変わらない。貴族に買われようが何しようが待っているのは底辺の暮らしだけだ。給金のない肉体労働を強いられる者もいるだろう、金持ちの玩具として性処理をさせられることもあろう。気まぐれに買われて気まぐれに殺される者もいるかもしれない。多少待遇の違いはあるにせよ、奴隷の行き着く先などそんなものだ。そんな彼らに希望などあるだろうか?いや無いだろう。その事が分かっているからか、彼らは半ば生を諦めているのかもしれない。
「うるせーぞ奴隷共!動く元気も無いような奴等から先だ!次は女とガキ共だ!一人ずつちゃんと回ってやるから待ってろ!」
もしかするとこの男、口は悪いがあまり性根の悪い人間ではないのかもしれない。
「すいませーん!誰かいませんか?」
その時男の耳に入ってきたのは奴隷ではない第三者の声だった。
「誰もいないのか?すいません!」
やっとのことで目的地である場所に着いた男は、とりあえず門の入り口から声を上げて人を呼んでいた。おそらく勝手に入るのは気が引けたのだろう。もしくは門の横に掛けてあった『―三――容所』とほとんど掠れて読めない看板に何かを感じたのか。どちらかは分からないが、多少なり警戒しているのは確かだ。
「誰だよこんな所に何の用……だ?」
声を聞きつけてやって来た世話係の男は面倒くさそうに喋っていたが男の身形を見ると言葉を少し止めた。
(ヤバいな……すげー良い服着てやがるじゃねーか。どっかの貴族か?)
スーツを見て貴族と勘違いしたのか、次の罵声を覚悟して目の前の男を見た。男が見たことがある貴族は皆このようなピシッとした服装であったし、男の着るそれはその中でも上位に入るほどきちっとした物だったからだ。確かに歩いていただけなためそれ程汚れておらず、スーツは小奇麗な服に見える。
「突然来てすいません。何か食べ物を分けてもらえませんか?」
「…………ええ、食べ物ですね?奴隷が食べるようなものしかありませんが……」
世話係の男は丁寧な言葉で喋る貴族らしき男に驚き少し疑問を抱くが、申し訳なさそうにここにある物を言う。
(は?奴隷?まさか本当に異世界とか言う所じゃないだろうな……)
次に驚いたのはこちらの男だ。当然男はニュース等ですら奴隷などという言葉を聞いたことは無かったし、見たことなどあるはずが無かった。そしてあの白い世界を体験した男はここが異世界なのではないかとほぼ認めた。
「奴隷……がいるんですか?」
俺は先ほどの言葉が聞き間違いないし冗談か何かであると信じ、目の前の男に聞き返す。
「はい、それをご存知で来られたんでは?」
そんなわけがあるかと心の中で思いながら、もう一度男を見る。少し冷静に見ればこの男もおかしい。服はボロボロだし髪もぼさぼさでお世辞にも衛生的とは言えない。こんな服装を紛争地域のニュースなどで見たことはあるが、男は別段飢えている様でもない。まるでコレが普通だと言わんばかりだ。それに初対面の俺に凄くへりくだった態度で接してくる。敬語で喋る人はいるが、これは明らかに格上の者に対する話し方だ。これは多分スーツのおかげで高い身分の人間に見えているのかもしれない。
「いえ、草原を歩いていたら煙が見えたもので」
白い世界と、気付いたら草原にいたなどと言ったら疑われるのは確実なので、その辺りをぼかして話す。
「分かりました。貴族様に食べさせるようなものではないですが……よければ奴隷も見ていってください」
「ありがとうございます」
奴隷云々は抜きにしてとりあえず腹が減っているため、男に案内してもらう。
(これは……)
案内された先にはたくさんの牢屋があり、その中にはヒトがいた。
「すいません、あの耳が長いヒトは何なんでしょう?」
ゲームでよく見るエルフと姿形が一致するんだけどと思いながら男に聞く。
「あれはエルフ族ですね。見るのは初めてですか?」
「ええ、僕の住んでいたところにはいなかったもので……」
どうやらココは俺がいた世界とは別物らしいと少しパニックになりそうなのを抑えて男に答える。ボロを出さないように無難な回答と短い言葉ではあるが……。
「それで、旦那のことはなんとお呼びすれば?」
そう聞かれて初めて気付く。
俺はダレだ?
自分の名前がいくら考えても出てこないのだ。
だがなぜか取り乱すことがない、あの白の世界で俺に何かあったのだろうか?そもそもいきなり草原でパニックにならないほうがおかしい。そしてエルフを見て取り乱さない。極め付けに記憶喪失だ。あの世界で俺に何が起きたかは分からないが、発狂するよりは良いと頭を振って誤魔化すことにする。
「旦那、どうかされたので?」
「いや、僕は記憶が無くて、『ナナシ』とでも呼んでくれればいいです」
「はぁ……」
男はあまり納得してなさそうだったが、それ以降は何か聞いて来ることもなく粗末な皿に入ったシチューみたいな物を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
俺は器を受け取り、スプーンなどはなかったので器に口をつけてそのまま飲む。すると今まで味わったことのない酷い味を、俺の舌が感知した。片栗粉を水で煮てとろみを付けたところに塩かなんかを少量入れて味を整えたような酷いもの。言うなれば煮過ぎてベタベタになったお粥に一つまみの塩を入れたものだろうか。危うく吐き戻すところだったが折角の好意を無駄にするわけにはいかないので、気合で飲み込んだ。だが胃には優しいのか飲み込めば不快感は無くなった。
「申し訳ございやせん。こんなものしか用意できず」
男の心中はそれはもう酷いものだった。こんなもの貴族に食わせて斬られたくねーぞというのが大半であったが。
「ご馳走様です。ありがとうございました」
あの後味の無いお粥と意識して食べることでなんとか食べきり、お礼を言って器を返す。
「それで旦那どうされますか?」
一瞬何のことか分からなかったが、男がちらちらと牢屋のほうに目を向けているのを見て奴隷のことを思い出す。奴隷か、この世界の金は持ってないが一応どんな種族がいるのかは見ておいたほうがいいだろう。前の世界にも戻れるか分からないし……な。
「それでは、案内してもらえますか?色々見ておきたいので」
「色々ということは亜人などがよろしいですか?」
亜人というと獣人とかか?
「その辺りはお任せします」
そう言って男に付いて牢屋のある方へ向かった。
今回は主人公がココは異世界だと気付くお話。
そして今回もナナシ君です。
白の世界で記憶と一緒に何か色々なくなったということでご容赦を、そのせいかここのナナシ君は少し感情が淡白です。