二言目 コトバノアメガフルマチ(2)
いよいよ外だという時、重く閉ざされた木の扉の前で立ち止まる。
扉の前には将校姿の警備隊が左右に1人ずつ立ち、外と此処の境を護っているようだ。
お疲れ様ですと小声で会釈すると、彼らは敬礼と丁寧な挨拶を返してくれた。
「この扉、手動で開くんですか?」
睦月さんに聞く。
「開きませんわ。警備隊の方がいつも開けてくださるんです。ねっ」
誰……?
口調も表情もさっきと別人なんですが。困惑して声も出ない。
僕の戸惑った表情が露骨だからか、手の甲をつねられた。どうやら、普通にしろと言われているようだ。
僕はそんなに器用じゃない。だからできる限り、愛想笑いでその場を凌ぐ。
「そ、それにしても、この扉はどうやって開くんですか? 僕はまだ、その……」
研修中の札に視線をやる。警備隊はすぐに察してくれたみたいで、「ご案内します」と警備室に案内してくれた。
この札に守られることもあるんだな。
警備室のことを隈なく説明してくれる2人の声に耳を傾け、漏れがないようにメモをする。
「……こちらでご説明は以上となります。ところでヨウ様。本日はおでかけになられるご予定ですか?」
「はい。夕方には戻りますので……裁判長に外出届は出してありますわ。こちらはその写しです」
「……確かに受け取りました。文月様もご一緒ですね」
「は、はい。むつ……」
横腹を肘でド突かれた。睦月さんと呼ぶのはいけないらしい。
「ヨウさんが、誘ってくださって」
「文月様はこちらに来られてまだ日が浅いと伺っております。ムサシノの街に詳しいヨウ様に案内して頂けるなら、すぐに慣れますよ」
「そう、なんです?」
「外のムサシノは楽しいですから」
この扉の向こうには自由がありそうだ。
別に隔離されてるわけじゃないけれど、ここは決まりだらけで息がつまるからそう思うのかも。
僕はここに来るのも2度目のことで、手動で開きそうにもない大きな扉に唾を飲む。
大きく軋みながら開く重厚な扉。
陽の光は柔らかで、その明るさに合わない雨音が聞こえる。
「あ、そうだ。外に出る時は傘を持ってくださいまし」
睦月さん……いや、今はヨウさんか。ヨウさんは傘立てから和傘を2本取り、そのうちの1本を渡してくれた。
「天気雨でしょうか? こんなに明るいなら、そのうち晴れるんじゃ」
「何言ってるの?」
ガタンと扉が開き切る音がしたら、ヨウさんは傘もささずに空を仰ぐ。
「言葉の雨だよ!」
外へ出て、頭や肩に跳ねる雨粒を手に掬う。手には「お腹すいた」のポップ文字が落ちてきた。
もう片方も掬えば「お金がないよぉ」のゴシック体。
「言葉が、手に取れる……!?」
見上げれば、無数の言葉が空から降り落ちてきた。それは雨のように地面に溶けて、また落ちて、また溶ける。
まさに言葉の雨だ。
非科学的な天候に、興奮を抑えるられる訳がない。
すごい。そう何度も連呼した。
「今、君の手にある言葉はどこかの誰かが吐いた言葉さ。裁判所の検査室へ持っていけば、その言葉が吐かれた詳細がわかる。私達にとっては判決を下す材料だね。浴びすぎると精神を蝕まれる者もいる」
ヨウさんの顔つきも話し方も、睦月さんに戻っている。裁判所を出たからだろうか。
傘を差し、僕に言葉の雨が当たらないようにしてくれた。
「なら、僕の言葉も?」
「もちろん。この街のどこかに降っている。この無数に降る雨から、大切な誰かの言葉を探す人が遠方から来るくらいだからね。ほら、手に取れば次々別の言葉が手に入る。面白いだろう? むしろこれこそがムサシノの財源の元と言っていいくらいだ」
「この雨に人が集まるわけですか……」
どこよりも高い場所にあるここから眺める景色には息を呑む。
裁判所からはムサシノの街が見え、雨音を立てながら言葉が降る街を綺麗だと思うのは必然。
ひとつひとつが新鮮で、興味深くて……閉鎖的だと思っていた裁判所の中にいるよりも、ずっと息がしやすい。
僕もムサシノの街を知りたいと、心から思った。いや……本音は遊びたいだけかもしれないけれど。
「さて、君は傘をさすんだ。ムサシノを案内するけど、歩きながらのメモは危険だからやめること。いいね」
「あ、はい! えっと……一つ質問が」
「なんだい?」
僕は答える前に、まず傘を開いた。そして睦月さんのカラーコンタクトで黒くなった目をしっかりと捉えて質問を投げかける。
「睦月さん、一体何者なんですか?」
裁判長であることを隠して裁判所から出てきた。なんて呼んでいいのかも定まらなくて困惑するし。
睦月さんは顔が真面目すぎると手を叩きながら大笑い。
そんなに面白いことじゃないと思うけど。
ちょっと、ムッとする。
「ごめんごめん。表向きはムサシノの観光ガイドのヨウさん。そして裏はムサシノの睦月裁判長。世間は裁判長が赤髪赤目の睦月陽であることを知ってるんだ。だから、私がそのまま街に出れば人々は純粋に楽しめなくなる。でも、観光ガイドのヨウであればそれは防げる」
「あ……」
安易に良くないことを聞いたと思った。
しかし、睦月さんは傘から僕の顔を覗きながら続ける。
「それにね、ヨウであれば街の治安を見て回れるんだ。扉番の警備隊のような彼らが街にもいるけどね、人を裁く立場として、人の温度感というものは感じておきたいし。一石二鳥なわけさ」
「そう、ですか……」
「というわけで。それも含めた研修だ。君には私の足になってもらわなくちゃならない。しょっちゅうヨウの装いで裁判所を出入りするのも心象がよくないんでね」
睦月さんは仕事めいて話してくれた。
さあ行こうと、傘をご機嫌に回転させながら歩き出す。
僕は、多分余計な事を聞いたんだ。いずれは知る事だったのだろうけど、それはつまり……。
「睦月さんである以上、みんなに怯えられるってことじゃないですか……」
思わず声に出してしまった。
この言葉もどこかに降るだろう。雨音のおかげで彼女には聞こえていない。
ご機嫌に振る舞いすぎる睦月さんの傘を見ると、なんだかえらく気の毒になる。
自分を偽らないと外に出られないなんて、あんまりにも寂しい気がするんだ。




