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二言目 コトバノアメガフルマチ(1)

 睦月さんに手を引かれて法廷を出たものの、肝心のあの人が忽然と姿を消した。


 ふと目を離した隙にというか、何か言われたと思って顔を上げた時にはいなくて。


 下手に探しに行くのもよくないと思うから、大人しくここで待つことにしたけれど。


 なんと言われたのかと、聞いた言葉と思いつくセリフを当てはめてみて、違う違うと悩むばかり。


 カチカチ。悪い癖が鳴らす音。

 わかっているけどやめられない。


 不安だったり、悩んだり……とにかく爪を噛むと紛れる。


 噛んでギザギザになった爪で肌を引っ掻くと、なんだかホッと不安が消えていくんだ。

 自傷行為なのだろうが、いくら注意されてもやめられない。


 ぼんやりとした記憶の中に、汚いとか、子供だとか、注意された台詞は今だに残っているんだ。

 

 廊下にいれば誰かに見られてもおかしくない。現に足音が聞こえても、姿が見えないからと左手の親指を咥えたままだ。


 だらりと親指に唾液が伝う。じゅるっと啜ると、軽快な笑い声が正気に戻してくる。


「君は爪を噛む癖があるようだね」


「……! し、失礼、しました……あ……え……」


「なんだい。そんなに驚いて……あぁ、見た目が違うからか」


「裁判、長?」


「名前で呼んでってば」


 声は聞き馴染みがあるのに、見た目が別人へと変わってる。

 

 一度見たら忘れられない赤髪と赤目はどこへやら。反射してしまうほどの美しい、肩にかかるほどの黒髪と、潤んだ黒目。


 服装も変わり、桜色で控えめに、しかしそこに佇む一輪のような着物を纏う。


 その姿があんまりに綺麗で、思わず見惚れてしまう。


「おーい。大丈夫かい?」


 裁判長……いや、睦月さんが目の前で両手を振る。見た目はいくら可愛らしくても、中身はあの人だ。


 一つの失言も許されない。気を引き締めなくては。


「突然いなくなられたので驚きました。ですが、何故……それは俗に言う、いめちぇん……でしょうか?」


 見た目をガラッと変える理由が見当たらない。普段の裁判長スタイルは見る影もないわけで。


「君は鬘、目はカラーコンタクトさ。どちらも取れば、元の私だよ」


 質問を受けた睦月さんは、得意げに一回回って全身を見せてくれたけど。暗い理由では、なさそう。


「君はろくにムサシノを歩いたことがないもんね。普段の服装。つまり、君が今着ているそれは、裁判所に勤めている事を表す正装なんだ。この街は観光資源としても価値がある。そこに司法が混ざれば、楽しいものもつまらないよ」


「なら僕も着替えた方が」


「君はいい。見るからに害が無さそうだし。研修札をぶら下げておけば、なんともないよ」


 睦月さんは悪戯めいた笑顔で「研修中」と書かれた札を首にかけてくれた。


 何も知りませんを周りに見せつけるようで、恥ずかしいな。


「睦月さんも首から下げてくださいよ! 僕も着替えたいです!」


「やぁだね。君、着の身着のままでムサシノに来たんだから、ろくに私服がないじゃないか」


「そう、でした……」


 確かに私物がほとんどない。街を歩けるような服も……持ち合わせてないな。

 

 睦月さんにそこまで見透かされているとは。なんとも複雑で、不安になるのだけど。


「それにね、私はこの姿じゃないと街を歩けないんだよ。君みたいに無害なフリも出来ないしねぇ。あ、理由は街を歩けばわかるからね」


 質問をするより言い出されては、ついていくしかない。


 観光資源の価値もある街、か。


 資料で見た程度だけど、この街には言葉の雨が降るという。


 それはつまり、天気を知らないのと一緒。この裁判所の中に籠りきりで、ある意味監獄にいるのと変わらないかもしれない。


 それくらい、僕はムサシノを知らないというわけだ。

 この研修札が妙に似合ってしまうのも納得がいく。


「はぁ……」


 がじりと親指を噛む。初めての外への不安を紛らわそうとすると、睦月さんに癖を注意された。


 けれど、母親に叱られるような厳しさはない。


「街にいる時は素直に楽しんでくれていいよ。私が君に名前呼びを強制したのも、きっとわかってもらってるだろうから。すまないね。ストレスをかけてしまって」


 寂しげに口元だけ笑い、偽の髪を翻す。


 そんな表情されたら言葉に詰まってしまうじゃないですか。

 とか言って、本当は僕をまた揶揄うのかもしれない。


 どちらとも取れない睦月さんの表情に戸惑いながら、とにかくついて行くしかなかった。

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