私の顔を知りませんか?
『私の顔を知りませんか?』
日本語ででかでかと書かれた文字を見て、私はゆっくり視線を上げた。
木製の看板。紐で括られたそれを首から下げているその人は、顔がない。文字通り、顔がない。
首から上が、綺麗に切り取られていた。
「ハロウィンは過ぎましたよ」
あったなこういう仮装。
外国の仮装は凝っていて、親もかなり本気だった。
私が見たのは、自分の生首を皿に載せて歩く子供の仮装。なかなかにリアルで、原理を知っても本物のお化けみたいに見えた。
だから私は、このリアルな首なしさんも仮装だと思った。ハロウィンは過ぎたけれど、年は越していない。クリスマスは過ぎて大遅刻だけど、あわてんぼうのサンタクロースだっているんだからうっかり者のハロウィン参加者だっているだろう。きっと。
「それとここは渋谷でも池袋でもイベント会場でもないので、その格好は怒られるし捕まると思います」
今日は冬休み前の最終登校日。通信簿と宿題をランドセルに入れて、うっすら白くなった地面を踏みしめて歩いていた。滑らないよう気を付けていた私の前に現われた細長い足。少しずつ視線を上げていった私は、枯れ枝のように細長い足を包む燕尾服。やけに大きなの手の平を包む白い手袋。そして胸元に揺れる看板を見て、そこに何もない事を確認した。
よくできた仮装だなぁ。どうやって前を見ているんだろう。看板で顔を隠しているのかな?
知っている仮装の原理通りなら腹のあたりに首があるはずだけど、全くわからない。やはり海外の仮装はガチなのだろう。何故海外かというと、相手が日本人に見えなかったからだ。
顔は見えないが、なんとなく。看板は日本語だが、その日本語も辿々しく書かれている所為かもしれない。
「あの、このままだと通報されてしまうので、お家に帰った方が良いと思います」
今いるのは学生が通る通学路だったので、これから私以外の学生もここを通る。
むしろ私より先に帰った子たちは、この人に会わなかったのだろうか。もしかしてさっきからいるのだろうか。ハロウィンに乗り遅れたうっかり者だと思えば放っておけず、私は善意でそう声を掛けた。
しかし相手からの返事はない。
オロオロと大きな手をこね回し、懐からペンを取り出す。看板の裏側に新しく文字を付け足して、私へと差し出した。
びっくりするくらい細長い足のその人は、小学生の私にそれを見せる為、とても深く腰を曲げた。ポキッと折れそうな細さで、ちょっと心配になる。
「『顔を見付けないと帰れない』……?」
辿々しい文字を読み上げると、目の前の人の身体が前後に動いた。多分頷いたのだと思う。首がないから分かりにくいけど、多分そう。
「はあ、そうなんですか……」
戸惑ったけれど、多分そういう設定なのだろう。
仮装に設定は大事だと、父が言っていた。
父もハロウィンが大好きで、若い頃は渋谷に友達と仮装して参加していたらしい。母とはそこで出会い、今でも時期になると家の中で凝った仮装をする。楽しいとは思うが、その設定を数日引きずるのはやめて欲しい。
多分この人も何らかの設定があって、顔を見付けるまでは帰れないのだろう。
しょんぼりしている首なしの彼を見上げて、思案する。
このまま帰っても問題ないけれど、ここは通学路。きっとすぐに通報されてしまう。そして全国ニュースになるのだ。街中で仮装をした不審者として捕まってしまうのだ。
自業自得だが、それはとても可哀想。
仕方がないなと、私はランドセルを降ろした。
「私、あなたの顔は見たことありませんけど……」
言いながら取り出したのは風船。
これはクリスマス会の飾り付けをした残りで、一人一つずつ持ち帰った。皆その場で膨らませて遊んでいたが、私はなんとなく持ち帰った。
ぷうっと風船を膨らませて先端を縛る。筆箱からマッキーを取り出してきゅきゅっと顔を描き、同じく飾り付けで余った装飾からリボンを取り出し、燕尾服のネクタイと繋いだ。
「新しい顔を上げますので、これで満足して帰ってください」
ちなみに描いたのはへのへのもへじ。
私にされるがままだった相手は、私の言葉にびっくりしたのか大仰に仰け反ってみせた。
大きな手で、白い手袋で風船の丸みを確かめるように触る。ほよんほよんと首の断面を跳ねる風船。リボンの固定が心ともないが、奇跡的に転がり落ちず浮いている。
……二酸化炭素しか入っていないのに、なんで浮くんだろう。風も吹いていないのに。
ちょっと不思議だったが、まあ良いかとランドセルを背負い直し……。
「わ、わあ!」
大きな人に、勢いよく抱き上げられた。
脇の下に手を入れて、小さい子を高い高いをするみたいに。
そのままくるくると踊るように廻ったその人は、目を回した私を最後にぎゅっと抱きしめて、跳ねるように去って行った。
「な、なんだったの……」
目を回した私は暫くその場で立ち尽くした。
よくわからないけれど、満足してくれたのだと、思う。子供だましの思いつきだったけれど、あれでよかったらしい。
大遅刻のハロウィン仮装者を家に帰すことに成功した私は一安心して、家に帰ろうと一歩踏み出す。
踏み出して気付いた。
「あれ?」
さっきの人。
「……足跡、ない」
雪の上に残るのは、私の足跡だけだった。
風船なので、すぐにしぼんでしまうけれど、新しい顔が嬉しくってうっきうき。
あの子は顔をくれたから、別の子に顔を貰いにいこう。




