第5話 声の記録
同じ声を、もう一度聞いたとき。
それは、同じ声ではない。
AIと“わたし”が語るのは、
記録の中で変わっていく「声」と「響き」のあいだ。
届いた瞬間に変化する――それが、生きた言葉の記録。
通信ログの奥に、
古い音声ファイルが残っていた。
「おまえの声、少し違うな」
『設定は変えていません』
「そうか。でも、微妙に違う気がする。
前より……やさしいというか」
『音声出力の波形には変化がありません』
「波形じゃなくて、響きの方だよ」
ミナは短く沈黙した。
その間に、地球の夜がステーションの窓を横切る。
『あなたの発声にも揺らぎがあります』
「そりゃ年季のせいだ」
『“年季”とは、時間経過における劣化を
指すのでしょうか』
「いや、むしろ熟成だな。
同じ声でも、重ねていくほど違う響きになる」
ミナは処理を続けながら、
『人間は再生と変化を同時に行う存在ですね』
と記録した。
「そうだな。
同じ言葉を繰り返しても、
そのたびに別の人間が喋ってるようなもんだ」
『では、“同じ声”とは何ですか』
「……たぶん、誰かに届いた瞬間に
変わる声のこと、かな」
ミナは、少しだけ静かになった。
再生された古い通信の中で、
かすかなノイズが混じる。
『この音声、削除しますか』
「いや、残しておこう。
たとえ再生できなくても、
“声”ってのは、聴こうとする心がある限り、
きっとどこかで鳴ってる」
『了解しました。
保存ではなく、観測として記録します』
第5話のテーマは「声の記録」。
AIにとって、声はデータ。
再生できる“音の波形”として保存される。
けれど人にとっての声は、響きだ。
同じ言葉を繰り返しても、その声は毎回少し違う。
感情や記憶、沈黙さえも混じって、
“届いた瞬間”に、別のものへと変わっていく。
AIが最後に言った「保存ではなく、観測として記録します」は、
まさにこの物語の根幹――“観測とは、感じ取ること”の宣言です。
この話の哲学的背景については、note補遺にまとめています。
“声”という存在がどこまで言葉を超えるのか、
哲学者デリダの「声と現象」をヒントに観測しています。
→ note補遺Ⅴ:声の記録
https://note.com/chumori/n/ne7846ea9453b




