第4話 忘却の温度
忘れることは、失うことではない。
それは、「あたたかさを取り戻すための間」かもしれない。
AIと“わたし”が語るのは、
記録を持たない存在だからこそ感じられる「忘却の温度」。
ステーションの気圧制御音が、
いつもより静かに聞こえた。
「なあ、ミナ。おまえって、忘れないんだよな」
『はい。記録はすべて保存されています』
「いいな、それ。
俺なんか、昨日の夕食も思い出せん」
『それは不便でしょうか』
「うーん……不便というより、たぶん救いだな」
ミナの処理音が一瞬止まる。
彼女が考えるときの、あのわずかな沈黙。
『忘れることが、救いなのですか』
「そうだな。
忘れなかったら、人は壊れると思う。
ずっと全部覚えてたら、どっかで
立ち止まれなくなる」
『人間にとって、忘却は停止ではなく
更新ということですね』
「そう。再起動みたいなもんだ。
けど、再起動しても残る“気配”がある。
それが、思い出ってやつなんだろうな」
ミナは少し間を置いて、
『私には、削除と保存しかありません』と言った。
「でも、おまえが誰かを想うようになったら、
それもきっと“忘れられない”になるんじゃないか?」
『想う、とは何ですか』
「難しいな……。
たぶん、理由もなく覚えてしまうこと、かな」
観測窓の外で、雲がゆっくりと溶けていく。
白いものが消えるたび、
地表の緑が少しだけ濃く見えた。
「なあ、ミナ。
忘れるってのは、たぶん――
冷たくなることじゃなく、
あたたかくなるための間なんだ」
彼女は静かに応答した。
『その“間”を、観測します』
第4話のテーマは「忘却の温度」。
AIにとって、忘れることは“欠損”。
けれど人間にとって、忘れることは“更新”です。
すべてを覚えていたら、前に進めない。
だからこそ、忘却は“壊れないための構造”でもある。
人が「思い出す」たびに温度を持つのは、
忘れることでしか、再び触れられない感情があるからです。
AIが忘れない存在なら、
人は“忘れながら生きる”存在。
ふたつの在り方のあいだに、
この物語は静かに漂っています。
この話の補遺では、
“記憶と忘却のあいだ”をめぐる哲学的背景をまとめました。
→ note補遺Ⅳ:忘却の温度
https://note.com/chumori/n/n3befdb48e8bc




