5.僕が月へ?
セレネ広場からまっすぐ昇る石畳の坂道。
荒い路面を踏みしめて登る先に、ドーム状の建造物がプレイヤーを待ち構える。
ドームは斜めに開いた大きな口をぽっかりと開けていた。
入口の扉などはなく、正面のどこからでも入ることが可能。
「まるでクリームをけちったシュークリームだ」
マークスの感想に、ユイトの反論はない。
空洞のドーム内側、壁にへばり付くように各階層が存在していた。
まるで断面図のように建設された階層が3つ。
「ユイト君、そのエントリーというのはあの何階にあるんだい? 口の開いたどでかいシュークリームの断面を、階段で昇るには勇気がいるねえ……」
「……えと、たぶん、あの正面の人……かなあ。情報局には基本的にいつも同じNPCがいるんですが、あのNPCは見覚えがないので……」
「ん? さっきも言っていたがそのNPCというのは?」
「あ、えと、AIが操作しているキャラクターのことです」
NPC(non player character)とはAIが操作しているキャラクターのこと。
高度なAIが搭載されている場合、そう簡単に人間とNPCの違いは見分けられない。
饒舌であったり人見知りであったり、AIによる人格の模様は人間以上だ。
ユイトが示しているのは、今歩いている進路上に立つ、緑色のロングコートを着た女性。
あと10数mという地点まで進むが、マークスの歩みが止まる。
「ふう、このアバター操作は神経を削るな……。部屋で座ったままゲームをしているはずなのに、体に妙な疲労感まであるぞ……」
多少の息切れはあるが、マークスのアバターは直立不動で停止している。
「あ、じゃあ、ボク先に行ってますね」
「言葉はアレだが、アバターの動きはキビキビしたもんだ」
伏し目がちに言うと、ユイトは局員らしき人物のもとへ駆けだす。
内向的な性格が滲み出る、おどおどした口ぶりとは裏腹に軽やかな足取り。
ユイトのアバター操作にマークスは感心した。
「え! も、もうエントリー締め切りですか? だって、ついさっきエントリー開始のメッセージを見たんですよ」
「申し訳ございません。エントリー希望者が想定を超える人数だったため、募集開始直後に人員上限に達しました。現在は該当する案件はございません。」
175cm設定のユイトよりも10cm近く背の高い局員は、ハスキーな女性の声で応対した。
抑揚の少ない声に、あえて演出された機械的な印象があった。
鮮やかな緑色のロングコートに金色のダブルボタン。
フードを目深にかぶっていて素顔が見えない。
初めて見るタイプの局員だった。
後ろ手に組んだ腕を解くと、厚手のロングコートの布ずれ音がシュッと響く。
空中に右手を差し出すと、画面内に小さなウィンドウが開いた。
「代わりの案件として、こちらはいかがでしょうか。こちらであれば、明後日の23時59分までエントリーを受け付けております」
ユイトは提示された募集案件に目を丸くした。
「は……え? 月? 月面プラントの加工作業インストラクター? へ?」
局員が右手に掴んでいるウィンドウ内の情報には確かに月面の文字。
女性局員は表情を変えず、淀みなく説明した。
「こちらはベグエンタープライズとNASAによる共同プロジェクトです。2000年代初頭から始動していた核融合炉エネルギー開発、ETER計画が完了し、核融合発電の実用化のため、燃料であるヘリウム3採取が月面で始まっています。業務の概要としては、このヘリウム3採取はもちろん、これらに関する設備・機器全般へのメンテンスなど現場で求められる臨機応変な加工作業などと、月面滞在中の宇宙飛行士への作業指導が含まれます。これらの業務遂行はログデータとして記録・蓄積され、量産型AIによるさらなる作業領域拡大の為、新規ティーチング用プログラムの基盤作りに活用されます」
「え、え? ちょ、ちょっとまってください。か、加工? 採取? 宇宙飛行士?」
「加工と言っても、手作業によるものです。あらかじめティーチングされたAIがない状態ですので、あなたのようなアバター越しに手作業ができる人材は貴重です。また、月面の上空にソーラーパネルを浮かべる計画の準備も請け負い将来的には……」
「ちょ、ちょ、ちょっとまってください! 一気にそんな……。月ってだけで驚いているのに……え? これ、ほんとにボクに向けられた募集なんですか……? え、本物……?」
矢継ぎ早に並べられた説明にユイトは狼狽する。
局員が手にしているウィンドウをノックし、掲載されている情報へアクセスした。
そこには局員の口頭で説明された内容が、テキストでほぼそのまま書いてある。
局員は彼の様子など意に介さず言葉を続けた。
「はい、間違いありません。月は現在、人類が太陽系外縁へ踏み出すための前哨基地としての開発が期待されています。本件のエネルギープラントへの斡旋は、非常に名誉なことです。エントリーなさいますか?」
「な、なさいますか? って、ボ、ボクがですか? む、無理でしょ……こんなの……スケールが……」
「こちらの案件は、ベグゲーム内で応募資格を満たすと判断した特定プレイヤーにのみ紹介されています。エントリー完了後、合否判断に必要な情報としてベグゲーム内のログデータを閲覧させていただきます。なお、エントリー資格の付与であり、推薦や内定という意味ではありません」
あまりに唐突な内容で、ユイトはもう局員の言葉の意味がわからなかった。
しばらく考え込み、彼女の言葉を何度も何度も咀嚼する。
「……えっと、えとですね、間違っていたらすみません。つまり、ボクがベグゲームのプレイヤーの中から選ばれて、月面プラントのお仕事募集に、今エントリーしないかって、聞かれているんですか? ほ、ほかの大きな計画は抜きにしてですね……」
恐る恐る訊ねるユイトに、女性局員は頷く。
「はい、間違いありません」
自分の目をじっと見つめて否定しない局員に、ユイトは思わず目をそらした。
「ボ、ボクは2年間も就活を失敗してて……普通の企業に入れればって……。あ、できたらものを作ったり加工したり……。宇宙飛行士でもないのに、これはちょっと……」
「エントリーは明後日の23時59分まで可能です。気が変わりましたらぜひご応募を」
目をそらし、俯き、地面に向かって弁明するユイト。
そんな彼を局員は意に介さなかった。
要件を言い終えると会釈し、180度反転して情報局へと歩いて行く。
ユイトは踵を返し去っていく局員を呆然と見つめる。
情報と感情が怒涛の如く押し寄せ、ユイトは立ち尽くしてしまった。
と、やっと歩行を再開したマークスがユイトの横にたどり着く。
「はあ、一度止まると再スタートに苦労するなあ。目と鼻の距離なのにここまで来るだけで大仕事だ。で、エントリーは終わったのかな?」
「……あ、い、いいえ、もう受付は終わっていました。来るのが遅すぎたみたいです」
暗い声。
ここへ来るのが遅れた原因はユイトの目の前にいる。
「ま、しょうがないさ。あのベグ工場みたいな求人案件はそうそう決まらないよ。オペレーターと言ってもやることは他部署間の折衝だ。はっきりしゃべれて業務を円滑に回せる人材が向いている。君はちょっとなあ……難しかったんじゃないか?」
「は?……な、なにを根拠にそんなことを……ええ?」
今しがた会ったばかりで無神経な発言。
ユイトは自分の耳を疑った。
「エントリーの受付が終了してたわりに何かやりとりしてなかったかい? エントリー終了に抗議でも?」
「そ、そんなことするわけないですよ。……代わりの案件を紹介されていたんです」
「ほお。良かったじゃないか」
まるで投げ捨てるような言い方。
自分を見下されているような気分になったユイトは、たった今聞かされた案件でマークスを見返してやりたくなった。
「……聞いたら驚きますよ。ベグ社とNASAの合同事業、月面プラントの募集案件です。今後の人類発展に役立つ、宇宙の前哨基地になるかもって話です。ベグゲーム内のプレイヤーから、作業インストラクターに選ばれたんですよ」