01
突然体が動くようになって、ヒロはそれと同時に少し体が軽くなっているのを自覚した。
(そうか、本当に体が若くなったんだな……)
仕事で負った傷痕がない腕を見つめて、拳を握る。
「ああ、そうだ。『マニュアル』」
着いたら口に出せと言われていたことを思い出して、脳裏に眩い少年を思い浮かべながら呟いた。
『――……っと、聞こえるかな、ヒロ?』
「ああ、聞こえる」
『よし、繋がった。じゃあまずは、おめでとう。体に違和感はない?』
「違和感はあるが……悪い意味じゃないから大丈夫だ」
声もしゃがれたものじゃなく、若い男の声だった。肌にもハリがあり、ヒロが恐る恐る頭を触ると頭髪もしっかり生えており、思わず胸の奥が暖かくなるのを感じた。
「ありがとうアレク、久しぶりにワクワクしてるよ」
『それなら良かった。じゃあ、さっそく使役魔法の使い方を説明するよ』
こくりと頷く。
『使い方は簡単、魔力を込めて、呪文を口に出すだけ。まあ、魔力の使い方がちょっと難しいんだけど……とりあえず魔力の使い方からやってみよう』
「わかった。どうすればいい?」
『魔力を動かしてみようか。丹田、へその下の方に集中して』
目を閉じ、呼吸で膨らむお腹に集中する。じわっと暖かいものが滲んだ気がして、ヒロは驚いて集中を緩めた。
「今のが……」
『あ、わかった? それが魔力というやつだよ。じゃあ次の段階に移ろう。その魔力を、そこから動かす感じ』
(動かす……)
先程と同じように、へその下に集中する。またじわじわと暖かくなってきて、ヒロはそれにさらに集中して、動け、動け、と心の中でつぶやいた。
ゆっくり、ゆっくりと動き始める。ジリジリとお腹の右側にきた時点で、ヒロは目を開けてもそれができるようになったことに気づいた。
『熟れてきたね。それを全身に巡らせるイメージをして』
暖かいものを動かす。ただ塊のままでは動かしづらいことに気づいて、ふと、糸を思い浮かべた。
(そうだ、糸だ。糸のように動かせば、もっと早いんじゃないか?)
糸、糸……とイメージを固めるように心の中で何度もつぶやく。
じわじわ暖かかったそれはするする動き始め、徐々に細くなっていく。
そうしてヒロは、魔力を全身に巡らせることに成功した。
「出来た……」
『いいね、覚えが早い。じゃあ次だ。まずこれとこれを君にあげよう』
アレクのその言葉と同時に、ヒロの足元にサッカーボールくらいの真っ黒な球体が現れ、首には勝手にネックレスのようなものがかかった。
「これは?」
『首のやつは、これから君が使役していくであろう者たちを保管しておくものさ。それに入れる時に魂だけになるから、何匹でもどんな大きさでも入れておける。ただ、今から使役してもらう存在は魂が大きすぎてそれには保管して置くことはできないんだけれどね。
そして黒い球体の方は心臓だよ。この世界ではコアともいう。上位の存在のみが持っているもう一つの心臓。君の使役魔法はこの黒い球体、コアと、もしくは下位の存在が稀に体内に生成する魔石をもとにしなければ使役できないことにしたんだ』
「へえ……」
そこまで聞いて思い至り、ヒロはアレクに「殺さないと取れないの?」と問いかけた。するとアレクはあっさりと頷く。
『これはあげるけれど、残念ながら次から使役魔法を使う時は、上位の存在を討伐して得たコアか、下位の存在を討伐して得た魔石を使わなきゃいけないんだ』
「その場合はやっぱり、生前の肉体と同じような……」
『その通りだよ。ちなみにこれは、フェンリルのコアだ。フェンリルっていうのは幻獣でね、世界に数えられるほどしか存在しないんだ。それは鳥だったり猫だったりドラゴンだったりするんだけれど、最近死んでしまったのがフェンリルしかいなくて』
「ああ……なるほど」
(フェンリルか。昔やったRPGでいたな……そんな名前ののオオカミが)
懐かしむように目を細めていると、アレクは思い出したように話し始める。
『それと、君の魔力量を伝えておくね。魔力量は5000。単位はMP。この世界の魔法使いの中でも多い方だけど、特別に多いってわけじゃないくらいだよ。魔力量は成長するからそれも楽しむと良いよ!』
まさしくゲームのような世界だと笑う。
「俺はさしずめゲームのプレイヤーってわけだ」
『使役魔法を使うには基本的にMPは必要ないんだけど、フェンリルクラスになると500MPは減るはずだよ。この世界にはダンジョンというものが存在するんだけど、そのボスクラスで100MPくらいかな。
ちなみに使役したもの、つまり使い魔をそのネックレスから召喚するにはMPは消費しないんだ。注意が必要なのは、使い魔が敵に倒されて消滅してしまった時、それを回復させるには50MP必要だってところだけど、まあ5000MPもあれば大丈夫だとは思うよ』
「へえ……使い魔は倒されても、MPがあれば無限に復活するってわけか」
『そういうこと。使役魔法についてはインターバルはないんだけど……ごめんね、他のスキルを習得する機会はあると思うけど、それに関してはインターバルはそのスキルの表示の通りにしてほしい』
「スキル?」
『ああ……ごめん、その説明がまだだったかな?』
頷くと、アレクはひとつ咳払いをして話し始めた。
『スキルっていうのは、君がいま使える使役魔法のようなものを指す言葉で、それは火魔法だったり水魔法だったり、剣が扱いやすくなるものだったり、色々ある。その人の潜在的な才能によるものが多くて、スキルを手にした人のほとんどは冒険者という職業を選ぶんだ。冒険者はランク分けされていて、強いスキルを持っているほど高いランクになるよ』
「へえ……」
(現代でいう学歴みたいなものか?)
とはいえ今の時代、学歴だけじゃ語れないことも多いのだが。つまり、高学歴であれば大手企業に入り易くなるのと同じように、強いスキルを持っていれば、優遇されるというわけである。
『使役魔法はスキル扱いだけど、他の人からは見れないようになっている。大体の人間が神殿で自分のスキルについて知るんだけれど、使役魔法に至っては神殿にもわからないようになっているから注意してね』
「バレると面倒、ってこと?」
『うん、そういうことだよ』
理解したヒロが頷いた。
「ところで……さっき、スキルの表示と言っていたが、表示っていうのは?」
『ステータス、と呟いてみてくれるかい?』
言われた通り、ステータス、とつぶやく。
すると、ヒロの目の前に音もなく半透明の四角いものが現れて、そこには彼の名前や年齢などが表示されていた。
――――――――――――――――――――
名前:桐生ヒロ Level:1
年齢:15
職業:なし
称号:なし
――――――――――
HP:200
MP:5100
――――――――――
物理攻撃力:20 俊敏力:15
物理防御力:20 精神力:15
魔法攻撃力:10
魔法防御力:20
――――――――――
ステータスポイント:0
――――――――――――――――――――
(これは……凄いな。本当にゲームじゃないか)
『それがステータスだ。ちなみに他の人からはどうやっても見えないようになっているよ』
「この職業っていうのは、冒険者になれば冒険者に?」
『うーんとね……現実で職業を冒険者にしても、料理人にしても、その職業欄はなしと表示されるよ。そこに何か表示されるとしたら、それは何かの条件を満たして転職クエストが現れた時だね』
「クエスト? それはまた……ほんとにゲームって感じだな」
『言ったでしょ、この世界を作ったのがゲーム好きだって。他にも条件を満たせば色々なクエストが現れると思う。稀にペナルティがあるやつもあるから気をつけて……っていっても、気をつけようがないんだけれどね』
「ペナルティは厄介だね」
『そしてスキルの表示だけど……それに関しては、ステータスの下辺りにスキルっていう項目はない?』
「あー……これかな?」
ヒロがその文字に触れると、『スキル一覧』という文字の下に『使役魔法』という文字が浮かび上がる。
――――――――――――――――――――
スキル一覧
――――――――――
【使役魔法】専用スキル
『従属せよ』
コア、もしくは魔石を使い確率で眷属にすることができる。
【使役獣召喚】専用スキル
使役している眷属を呼び出すことができる。
――――――――――――――――――――
「専用スキル……っていうのは?」
『君専用ってことだよ。使役魔法はしっかり確認できた?』
「できたよ。低い確率で眷属になるって書いてある」
言いながら、ヒロは黒い球体を手に持つ。重さを感じさせないそれは、まさしく『魂』だった。
「で……このコアをどうすれば?」
そう問いかけると、アレクは思い出したように「ああ!」と言って、説明を始めた。
『まず魔力を練って、それをコアに放出するんだ。その時に、呪文を唱える』
「この、『従属せよ』っていう言葉が呪文っていうことか」
身体の中で、糸のような魔力を動かす。
(……なるほど、魔力の糸を編むようなイメージだな)
糸のようにする前の魔力は荒々しく、重かった。しかしそれでは扱いづらい。
それを一度解いたのが、先ほどの糸の状態だ。
そして更に、その糸を使い易いように編み上げていく。
『今だよ! 呪文を!』
「――従属せよ」
黒い球体に粒子が集まる。それは段々と糸を紡ぎ出し、今度はその糸で、形を作り出した。
「……出来た……」
『凄い! さすが僕の見込んだ人だ! 一発で使役魔法を成功させるなんて……!』
感激する声がヒロの頭に響く。目の前の綺麗な顔をしたフェンリルを少し見つめて、ハッと我に帰った。
「……名前をつけよう。何か、希望はある?」
「……ありません」
「毛並みが銀色だから……よし、決めた。君の名前はシルバー。……ちょっと安直かな」
「シルバー――……良い名です、主君」
ふわっと風が吹く。森がキラキラと輝いて、ヒロは思わず驚きの声を漏らした。
『凄いよ、本当に凄い。ヒロ、まさかこんなことが……』
「? どうしたんだアレク?」
『今、フェンリルに名をつけた事で、世界の運命が変わった。間違いなく良い方向にね。やっぱり君のような魂を持つ人物を選んでよかった……』
切実な声に、ヒロは微笑む。役に立てたことが、心の底から嬉しかったのだ。
「……アレク、ありがとう。俺を選んでくれて」
『僕の方こそだ。……ヒロ、その世界では辛いこともあるだろう。悲しいこともあるだろう。けど、きっと乗り越えて。君ならできるよ。困ったことがあれば、システムが助けてくれるはずだ』
悲しそうな、寂しそうな声色。しばらくお別れなのだろうと悟る。
『Good luck! 人生を楽しみたまえ!』
その言葉を最後に、ぷつっと何か通じていたものが切れたような感覚がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
空を見上げる。地球よりも青く、キラキラした綺麗な空だった。太陽の位置を考えても、おそらく昼頃であることがわかった。
「あ……そうだ。シルバーは、この世界のことについてどれくらい知ってるの?」
「ある程度、人間の営みくらいは。生きていた頃には人間の里に降りて、その暮らしを観察していましたので……」
「それは助かる。俺はこの世界の常識を全く知らないんだ。実はお腹が空いてきてさ……果物とかで、食べれる物はわかる?」
「匂いは覚えておりますので、案内いたします。主君、私の背中に」
「乗せてくれるの?」
「もちろんです」
「助かるよ」
伏せたシルバーの背中に跨る。
「じゃあ、行ってくれ」
「かしこまりました」
ヒロを乗せて立ち上がったシルバーが歩き出す。
(……昔、乗馬ならしたことはあるけど……)
自分が乗せて歩いている大きなオオカミを見下ろし、ヒロは人生何があるかわからないな、と笑った。