プロローグ
冒険者協会にいつものように足を踏み入れると、ヒロは受付で手招くテリーの姿を確認した。
自分のことか、と一瞬迷って振り向いてみるが誰もおらず、ヒロは受付まで早足で向かった。
「お久しぶりですキリュウ様」
「お久しぶりです。……あの、俺なにかしましたか?」
不安そうな声で尋ねるヒロに、テリーは慌ててそれを否定する。
「こちらの都合で呼び止めただけです! この後、何かお急ぎのご予定はありますか?」
その言葉を否定すると、テリーは安心したように笑った。
「では、少し2階へ来ていただけませんでしょうか? あ、キリュウ様が何か問題を起こされたわけではないのでご安心ください」
「はあ……わかりました」
テリーが示す方向を見ると、2階へ続く階段があった。
彼女の半歩後ろを歩きながら、ヒロはため息を吐く。
面倒ごとの匂いがしたからだ。
階段を上り切ると、1階からは想像もつかないような綺麗で静かな作りの2階に驚く。
扉がいくつかあったが、テリーに案内されたのは奥から2番目の扉の、応接室だった。
「私はここまでですので……では、失礼致します」
「案内ありがとうございます」
恭しく頭を下げるテリーに同じように礼を返して、ヒロは扉を3、4回ノックする。
向こうから「どうぞ」との声があって、ヒロは扉を開けた。
「お久しぶりですね」
ソファに座る人物を確認して、ヒロは目を見開く。
「副支部長……」
「どうぞお座りください。紅茶でよろしいですか」
「あ……はい」
半年ぶりだった。
冒険者協会ヒネク支部の副支部長、クロード・イームズ。
先のスタンピードでヒロが死にかけたときも、療養していた部屋に訪ねてきた人物だ。
「突然お呼び立てして申し訳ない」
ヒロの目の前に湯気がたったティーカップを置いて、クロードは表情を変えずに言った。
「いえ。それより……もしかして、俺に頼みたいことでも?」
「……どうしてそう思われたんです?」
「あ、いや……先ほど、ジェファーソンさんから、嫌な話ではないと聞いたので……それ以外に、あり得そうな理由を考えてみただけです」
「お若いのに理解が早くて素晴らしい」
にこりと笑ったクロードが、白い封筒を差し出した。
「開けて構いません」
5センチほどもある分厚いそれを開け、ヒロは中身を確認する。
「これは……?」
「冒険者協会では、ダンジョンの管理を主にしていますことはご存じですね? それは今年に入って発生したダンジョンの詳細が記されたものです」
「はあ……」
「キリュウさんにはこれを届けていただきたい」
どこへ、とヒロが問いかける前に、クロードは1枚の小さな紙を渡す。
そこには『急行馬車 ヒネク→王都行き』と書かれていた。
「王都、ですか?」
「はい。行ったことは?」
「ありません。どんなところかさえ……」
「普通の都会ですよ」
そう言って笑うクロードに、ヒロは「いつ出発ですか?」と問いかける。
「明日です。明後日に届けば構いませんので道中はご自由に。ああ、王都へ行かれた後はご自由に。戻られるのでしたら、あとで連絡をくだされば馬車代は経費で落とせますし」
「俺に務まるでしょうか」
「届けば問題ありません。あちらにいたままでも大丈夫です」
「……ちなみに、俺が選ばれた理由を聞いても?」
ヒロの言葉に、クロードは紅茶で口を湿らせ、少し間を置いてから話し始めた。
「協会からの、貴方への期待です」
「期待?」
「先日、登録から半年が経ちました。昇級をお願いしたようですね。私の不在時の出来事でしたので立ち会えませんでしたが……鑑定士によれば、来月からアイアン級になると聞きました」
「はい。ですが、俺よりも強くなるスピードが早い人なんて山ほどいるはずですよね?」
「並の冒険者であれば、アイアン級に昇級するのは1年かかるかなからないかほどです。とはいえ、言い方は悪いですが、貴方の成長速度は一般人に毛が生えた程度だ……。
しかし、貴方には一般人とは一線を画したものがある。それを私たちは、期待と呼ぶのです」
「……というと?」
「この半年間で、他の誰かとダンジョンに潜ったことはありますか」
「いえ、1度も」
「ふむ……」
ヒロはパーティを組むだけでなく、同業者である冒険者たちとは必要最低限以上の会話すらせず、この半年間を過ごしていた。
「ここヒネク支部のトップ冒険者。それがプラチナ級のモーリス・クルーガーです」
「はあ……?」
クロードの意図を掴めずに、ヒロは首を傾げる。
「彼率いるギルド『オーガ』は王都でも名の知れたギルドですよ」
誇らしげに言うクロードに、曖昧に頷く。
(そもそも、ギルドってなんだ)
後で教えてもらおうと、ヒロは冒険者のことについてならほとんど何でも知っている少女を思い浮かべた。
「モーリス・クルーガーは13歳から冒険者として活動を始めました」
「俺より若いですね」
「才能のある者は、何故か冒険者活動を開始するのが早い傾向にあるんです。貴方を助けたシャノン・ワイマンは2年前、つまり12歳の頃に活動を始めたんですよ」
「……早いですね」
そんなに若かったのか、と驚く。
今までイメージしていたアラサーの女剣士の風貌を消し、ヒロは新たに幼い少女が剣を持つ姿を想像した。
「まさか、俺が冒険者になるのが早かったから、なんて言いませんよね?」
「もちろんそんなことはありませんよ。15歳から始める方はちらほらいらっしゃいます」
特筆すべきは、と続けるクロードの、感情が読み取れない目を見つめる。
「モーリス・クルーガーが武器を使い潰したのは、冒険者になってからたった1週間のことでした」
「はあ……」
「毎日ダンジョンに潜る前提で……まあ、普通であれば2、3ヶ月は保つでしょうね」
クロードの目が細められる。
「おかしいんですよ……。その腰に携えた短剣。私の記憶が正しければそれはかなりの安物で、壊れやすい。……貴方の討伐数は日に日に増えていっている。なのに、なぜこの半年間壊れずにいるのか?」
思わずネックレスに手をやる。
床で伏せていたシルバーが顔を上げた気配がした。
ヒロはアリスに強くなると約束した日から、それを実現するために努力して来た。
毎日欠かさず筋肉トレーニングにも勤しみ、ダンジョンではモンスターを倒すことができるようになった。
しかし、この半年でヒロが倒したモンスターの数は10匹にいくかいかないか、その程度。
ほとんどのモンスターは、今はシルバー含め5匹となった使役獣が討伐をしていた。
安物とはいえ、対モンスター用に作られている短剣だ。
乱暴に扱っているわけでもなく、となればその程度で壊れるほど耐久性は低くはない。
「他にも違和感はあります。ですが、詳しく聞くつもりはありません。私どもとしては、モンスターを討伐してくれさえいればいいのです。そこに虚偽がなければ、それで良い。……紅茶、冷めてしまいましたね。新しくいれ直しましょうか」
「……いえ、これで大丈夫です」
ヒロは緊張を隠せずに、少し震えた声でそう答えた。クロードの言葉通り冷えてしまった紅茶で、乾いた口の中を潤す。
(バレるのは面倒だ。コアや魔石があれば、はるかに強い力を手に入れられる人間を……放っておくわけがない)
怪しまれているのは、この半年でひしひしと感じていた。
それでも、今の弱い状態でそのことがバレてしまうのは、1番避けたい状況だった。
「キリュウさん。貴方には、期待しています」
(……なるほど、これは牽制ってわけか)
期待という言葉の裏に隠れた意図にい気づき、ヒロはため息を噛み殺す。
協会は、ヒロの未だ測りきれない未知の能力を恐れていた。
「俺は模範的な冒険者ですよ。今も、これからも、ずっと」
「……それが聞けて安心しました。不愉快な思いをさせて申し訳ありません。協会も人々を守るために必死なのです」
「ええ、理解してます」
「何度でも言います。今回の件をキリュウさんに頼むのは、貴方への期待です。……お忘れなきよう」
立ち上がったクロードに、ヒロも立ち上がる。
「その短剣は買い替えた方がよろしいでしょう。普通の冒険者であればすでに使い潰しているはずですから」
「ご助言、ありがとうございます」
最後に礼だけして、ヒロは白い封筒を持ち、その場を後にした。