エピローグ
魔石を見るのは初めてのことだった。
棘があるひし形の魔石と、つるつるとした手触りの楕円形の魔石。
共通点があるとすれば、どちらもヒロの手のひらほどはあることと、読み取れない文字が真ん中に描かれていることだろうか。
「動かしても見え方が変わらないって、どういう原理なんだろう?……シルバー、これ、見える?」
「いえ……主君は、何かお見えになるのですか? 私にはただの魔石に見えます」
「ってことは、俺しか見えてない可能性が高いかな。これは象形文字……? Dが反転してるだけ? 昔、ギリシャ文字は興味があってかじったことがあったけど……見たことはあるような気もする。だけどわからないな」
記憶を辿ってみたが、やはりそれが何を意味するのかは、全くわからなかった。
「主君、さっそく使役魔法を使ってみてはいかがでしょう?」
シルバーの提案に、ヒロは思考を切り替える。
「それもそうだね」
魔石を2つともベッドに置く。
ふぅ、と息を吐き出し、体の中で魔力を練り上げた。
「――従属せよ」
シルバーのときと同様だった。
あの時はコアだったが、今は魔石の周りをヒロの糸のような魔力が覆い、形づくり始める。
しばらくすると、ヒロの目の前にモンスターが現れた。
『魔爪シロギツネ』
『魔術師ゴブリン』
モンスターの頭の上に種族名が白で浮かんでいた。
ヒロはそれに触れてみようと手を伸ばすが、まるでホログラムのように、実体はなかった。
「なんだこれ……」
『使役獣に名前をつけてください。』
「名前? 名前か……」
シルバーの時のように見た目で安直につけようとして、ヒロは唸った。
魔爪シロギツネならわかりやすいが、魔術師ゴブリンとなると難しいことに気づいたからだ。
「……よし。シロギツネの方はイチローで、ゴブリンの方はジローだ」
『使役獣に名前が与えられました。』
『使役獣のステータスが上昇します。』
『イチローのレベルがアップしました。』
『イチローのレベルがアップしました。』
『イチローのレベルがアップしました。』
…………。
『ジローのレベルがアップしました。』
『ジローのレベルがアップしました。』
『ジローのレベルがアップしました。』
…………。
(う、わ……すごい量だ。前が見えない)
重ねられたシステムの表示に、ヒロは顔を顰める。
なんとかして視界から消せないかとそれに手を伸ばすと、今度は何かに触れた感覚がした。
「? これは触れるのか?」
しかし動かせはしないようで、もう一度確かめる前にシステムは消えてしまう。
「……そうだ。ステータス」
――――――――――――――――――――
名前:桐生ヒロ Level:4
年齢:15
職業:なし
称号:なし
――――――――――
HP:350
MP:5250
――――――――――
物理攻撃力:20 俊敏力:15
物理防御力:20 精神力:15
魔法攻撃力:10
魔法防御力:20
――――――――――
ステータスポイント:150
――――――――――――――――――――
「あ……やっぱり触れる」
何かに触れているという感覚ではなく、ホログラムに触れているのだとわかる不思議な感覚だった。
(じゃあもしかして、このポイントっていうのは……)
ステータスポイントという文字に触れると、目の前にシステムの表示が現れる。
『分配可能なステータスポイントが150ポイントあります。』
『システムによる自動分配が利用できます。』
『利用しますか?』
『YES/NO』
ヒロは少し悩むようなそぶりをして、『YES』に触れた。
『ステータスが上昇します。』
『…………』
『ステータスポイントが0になりました。』
分配が終わり、ヒロはステータスに目を移した。
――――――――――――――――――――
名前:桐生ヒロ Level:4
年齢:15
職業:なし
称号:なし
――――――――――
HP:350
MP:5250
――――――――――
物理攻撃力:65 俊敏力:45
物理防御力:35 精神力:45
魔法攻撃力:25
魔法防御力:35
――――――――――
ステータスポイント:0
――――――――――――――――――――
(物理攻撃力がかなり上がったな)
そう思って物理攻撃力に触れると、『物理攻撃力:20(+45)』と表示が変わる。
どれだけ上昇したかも見れるようだった。
「これ、再分配とかはできないのか?」
何回かステータスの部分をタップしてみるが、表示が変わるだけで何も起こらない。
「まあそりゃそうか」
ヒロは諦めて、魔爪シロギツネのイチローと魔術師ゴブリンのジローをネックレスに入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
傷が完全に癒えてから数日が経った。
今日は商人協会に足を運び、お金を下ろした後に防具を調達し、ダンジョンへ行こうかと考えていた。
昼を過ぎた頃、ヒロが部屋を出ると、それを待っていたかのように受付から2人の男女、宿の店主夫妻がやってきて、ヒロを呼び止めた。
「どうされたんですか? 何かありましたか?」
「キリュウ様、あの時は娘に付き合って酷い目に……本当に申し訳ありませんでした」
開口一番そう頭を下げる夫妻に、慌てて頭を上げさせる。
「逆に、娘さんを危険な目にあわせて申し訳ありません」
そう言って、アリスを思い浮かべる。
あの元気な少女とは、あれ以来会っていなかった。
「そういえば、アリスちゃんは?」
「娘は……」
暗い顔で俯く夫妻はヒロは表情を曇らせる。
「アリスちゃんに何かあったんですか?」
「実はあの日以来、家の外でさえ怖いようで……」
「部屋からやっと出たと思っても、宿の庭に行くくらいで、元気がないようなんです」
(そりゃそうだ。あんなことがあったんだから、当然のことだろう)
「キリュウ様さえ良ければなんですが、アリスの、娘の話を聞いてやってくれませんか……?」
「娘も、キリュウ様には話すような気がするんです」
「……わかりました。俺にできることがあれば協力しますよ」
「本当ですか!」
「もちろん。ですが、あくまで俺ができる範囲のことです。そこまで責任は持てないかもしれません」
「構いません!……むしろ、申し訳ない。巻き込んでしまった身で、また迷惑をかけるなんて……」
「ですから、あれは俺も悪いといっているでしょう? それに、もうお礼はいただいていますし……」
ヒロは夫妻から必死にお願いされ、宿の料金を支払わなくて良いことになっていた。
ヒロが宿泊している期間の宿泊代は決して安いものではない。
「過分に頂いていますから。これくらいならお安い御用です」
にこりと笑って快諾し、ヒロは夫妻にアリスのもとへの案内を頼んだ。
コンコン、と扉をノックしてから、ヒロは名前を名乗り、部屋に入る。
部屋は昼だというのに、どこか暗かった。
「……アリスちゃん、少し話をしないか?」
ベッドの上のシーツの塊が、びくりと震える。ヒロは地べたに座って、アリスが出てくるのを待った。
「……けが、なおったの?」
沈黙を破ったのはアリスだった。
「ああ、治った。少し前にね」
「本当に? 痕とか、残った?」
「少し。だけど、怪我は男の勲章って言うでしょ? 俺も少しはカッコよくなったと思う。筋肉もついて来たし」
茶化すようにそう言うと、アリスは控えめな笑い声を漏らす。
アリスは少し安心したのか、ベッドの上でシーツから顔を出し、体を起こした。
「……ヒロさん、ごめんなさい」
「なにが?」
「怪我、痛かったでしょ。すごい怪我で運ばれてきたんだよ。何日も目を覚さなかったから、すごく不安だったの」
アリスの落ち込んだ声に、黙って頷く。
「私のわがままで、外に行って、あんな怪我もして……」
「もう治ったよ。大丈夫」
「……ヒロさん、本当に、本当に大丈夫なの?」
「……ああ、大丈夫」
安心させるように、落ち着いて言う。
アリスは、ぽろぽろと涙を溢れさせていた。
「ごめ、なさ……ごめんなさい……っ」
「うん」
「ヒロさ、ごめんなさ、ごめんなさいぃ……っ!」
顔をくしゃくしゃにして泣くアリスを抱きしめる。
「ごめんな。俺、もっと強くなるよ。……もっと、強くなるから。今度あんな目に遭っても、俺が絶対に、守れるようになるから……」
ヒロはそう言ったっきり、黙ってアリスを抱きしめる力を強めた。