09
唸り声を上げた魔爪シロギツネが、恐慌状態から回復した途端にシルバーへ向かって襲いかかる。
シルバーはそれを軽くいなしながら、弓使いゴブリンや魔術師ゴブリンたちの攻撃を避けていく。
遠距離から攻撃してきていたゴブリン達は、その手を止めたようだった。
(攻撃に意味がないことがわかったらしいな……それなら、好都合だ)
「そのまま――ッ!」
あともう少し、と希望が見えて、その次の瞬間、ヒロは空を舞っていた。
(ッ、は――……ッ?)
鈍い音とともに、背中に衝撃が走る。
息が詰まり、目の前にチカチカと白い光が舞った。
「か、ハ……ッ」
「主君!」
「ヒロさん……ッ!」
かろうじて聞こえた叫び声に、その先を見る。
どうやらシルバーとアリスは間一髪、小道に辿り着いていたようだった。
(何が……)
何があったのか、となんとか首を動かす。
ニヤニヤと笑う、3メートルほどの大きな体躯のモンスター……ホブゴブリンが、そこには立っていた。
「ヒロさん逃げてっ!」
「ぐ……」
「主君っ! 今そちらに……っ!」
「し、シルバーッ! ゲホッ……まず、アリスちゃんを、安全なところに隠して……ッ!」
今にも駆け寄ってきそうなシルバーを制し、ヒロはそう命じる。
「ヒロさん……っ、まって、ヒロさん……ッ! いやぁっ!!」
アリスが泣き叫ぶ。
悔しそうに顔を歪めたシルバーは、迷うようにヒロを見てから、小道の奥へ消えた。
『HPが大幅に減少します。』
『HPが50%を下回りました。』
『⚠︎使用者のHPが10%を下回ると使役獣は追憶の領域に強制送還されます。』
(追憶の領域……? いや、それより、シルバーがいま消えるのはマズイ)
「ギギッ!」
「ギギャッ!」
「ギャーッ!」
「ギィッ!」
騒がしく鳴き始めたゴブリンたちに、ヒロは顔を顰める。
ダンジョンの入り口から、何かが出てくる。
(……なんだ、あれ)
ヒロにもわかるほどの威圧感。勝てないという確信。
決して、逆らうなと、本能が言っていた。
(なんだよ、あれは……なんなんだ……!)
ヒロを未知の恐怖が襲う。
「――妙なのが混じっているな」
モンスターの言葉を話していたそれが、突然人語を話した。
真っ赤な肌に、黒の入れ墨。
額には2本の赤黒い角が生えていた。
ホブゴブリンよりも小さく、その体躯は人間のものとなんら遜色なかったが、威圧感は比べ物にならない。
鬼人系の中でも、上位のモンスターだ。
ヒロはアリスの言葉を思い出し、直感的に理解した。
(……あれが、オーガだ)
アリスとシルバーが去ってからどれくらいが経っただろうか。
(安全な場所には、もう着いたはずだ。……もう、殺されても、アリスちゃんに危険はない)
瞬間、ヒロの目の前に人語を話すオーガが現れる。
「……懐かしい力を感じる。なるほど、なるほどな。はは、そうくるか……」
理解不能な言葉を並べるモンスターが、カラカラと笑いながら、ヒロの頭を掴み、地面に叩きつけた。
「ガッ……!?」
「はは……脆いなあ。こんなに脆くて良いのか? 負けを認めるのか? なあ」
「っグ、ぅ……ッ」
「まあ……いい。ヤツが何を考えているかわからないのは元からだ……」
オーガがヒロの頭を再度地面に叩きつける。
ヒロはもうすでに虫の息だった。
『HPが20%を下回ります。』
システムがそう伝えた。
(もう……)
諦めかけて目を瞑った瞬間、オーガが囁くように呟く。
「何か来る……運のいいヤツだ」
オーガはヒロの頭を離した。
全身に痛みが走っている。
あまりの痛みに、うめくことすらできない。
「記憶は持っていくぞ、小僧」
オーガはダンジョンに向かって立ち去る。
その後ろ姿が、ヒロが意識を失う直前に見た、最後の景色だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ズキズキとした痛みで目を覚ます。
ぼやける視界の先に天井が見えた。
「……ここ、は……」
“主君!”
「っ、うお……」
頭に響く大きな声に、思わず呻く。
“め、めざ、目覚められたのですね……! よか、よかった……3日間、心配で心配で……!”
「3日……? どういう……ッてぇ」
体を起こすと、途端に痛みが増す。
体中に包帯が巻いてあり、ヒロの怪我の酷さを物語っていた。
そんな中で、ヒロは何があったのか記憶を辿る。
アリスと外へ出たこと。
スタンピードを起こしたダンジョンに遭遇したこと。
「……ッ、は……」
記憶にはない、けれど確実に感じたはずの威圧感に、ヒロは身震いする。
“主君……申し訳ありませんでした。”
“……何を謝ってるの? 君は俺の指示にちゃんと従ってくれただろ。”
“ですが……。”
言い募ろうとするシルバーに、ヒロはため息を吐く。
“……生きてたんだ。それでいいよ。”
ヒロは力が抜けたように、ベッドに身を埋める。
“……主君。”
シルバーの沈んだ声がヒロの頭に響く。
ヒロは何も答えなかった。
それから1週間ほど安静にしていると、やがて傷は癒え始めた。
その間にも様々なことがあり、泣くアリスからひたすら謝られたり、アリスの両親からひどく感謝されたりと、ヒロは複雑ながら、どこか誇らしげだった。
矢で抉られた足の傷が治るころ、ヒロのもとに冒険者協会からの使者が訪れた。
「クロード・イームズです。冒険者協会ヒネク支部の副支部長を勤めております」
「はあ……どうも」
「混乱されるのも無理はないでしょう」
首を傾げるヒロに、クロードは眼鏡の奥の目を光らせて、ヒロを見やる。
……そして、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。完全なる協会のミスです」
「ミス?」
「スタンピードが一定期間をおいて起こるのはご存知でしょう。冒険者協会は、ダンジョンが出現してスタンピードが起こるまでの期間にダンジョンの場所を把握し、その情報を冒険者たちに伝えるのが仕事です。しかしキリュウさんが遭遇したスタンピード化したダンジョンは、協会が把握していないダンジョンでした」
申し訳ない、と未だ頭を下げ続けるクロードに、ヒロは慌てて「いいんです」と言った。
「あのダンジョンはおかしな様子でしたし、アリスちゃんもあんなダンジョンが出現するような場所ではなかったでしょうし。……それより、俺はなんで助かったんです?」
話を逸らすようにそう問いかけると、クロードはニコリと笑って「運が良かったんでしょう」と言った。
「ちょうどこの街に、ゴールド級の冒険者が滞在していたんです。昨日までこの宿に泊まっていたんですが」
「ゴールド級……」
(もしかして、シルバーが言っていた強者ってやつか?)
「シャノン・ワイマンという子です。今は王都に戻ってしまいましたが、彼女がキリュウさんを保護したんです」
「そう……だったんですか」
シャノン・ワイマン、という名前を、忘れないように何度も心の中で呟く。
(いつか会えたら……礼を言わなくちゃな)
「縁があれば会えるかと思います。それと、彼女の図らいでキリュウさんに報奨金が支払われます」
「えっ?」
「自分を犠牲にしてまで子どもを守ろうとしていたようだ、と」
「そんな、いいんですか?」
ヒロが問いかけると、クロードが申し訳なさそうに笑った。
「これは協会側の過失を隠すための処置でもあります。あのダンジョンについて、口外しないでいただきたい」
もとより話す相手もいないが、ヒロは素直に頷いた。
「調書はまた後日にとらせていただきます。それと……こちらはモンスターからとれた魔石です」
そう言って差し出されたほのかに光る宝石に、ヒロは目を見開く。
「いいんですか?」
「構いません。キリュウさんが正当に受け取れる報酬ですよ。報奨金も口座に入っているはずです。……では、失礼致します」
「……ありがとうございます」
「お大事に」
そう言って去っていったクロードを見送り、ヒロは手元の2つの魔石を見つめた。