第62話
午後の昼下がり、簡単な昼食を食べたあとに少し休んでから、私は目的地も決めずに家を出た。
太陽の光は穏やかに街を照らしており、絶好の行楽日和だった。街に住む人々は皆どこかに出かけているのか、住宅街は光の中で不気味に沈黙していた。
とりあえず、太陽を背にして歩き出す。
太陽を背にしているから、おそらく北側なのだろう。そのようなことを漠然と考えながら、私は黙々と歩いた。
ぎりぎり二台の車がすれ違うことができるような細い道路が続いていく。道路の脇には等間隔に電信柱が立ち並び、道路に描かれた白線が、道路側の空間と歩行者側の空間を隔てている。道は遠くまで続いていた。遠くまでずっと似たような光景が続いていた。時々思い出したように車が現れる。そのたびに私は端に寄って車を避けた。車はそんな私のことなんて全く気にすることもなく、大きな音を立てて通り過ぎていった。
しばらく歩いていると、私の周りの世界は全く見慣れない世界に変わっていく。それでも私は気にせずに歩き続けた。
小学生の頃の私は、それでも家に帰れなくなると困るので帰り道は憶えながら歩いていた。だけど今の私には『スマホ』という便利な道具がある。スマホを起動させて地図アプリを開けば、スマホに内蔵されているGPSが、今私がいる場所を教えてくれる。今自分がどこにいるかなんて一瞬で分かる。スマホなんて持っていなかった小学生の頃の私とは違って、何も考えずに歩いても自分がどこにいるのかは分かるし、自分の家に戻ることもできる。便利な時代になったものだ。
街はまるで私のためだけに作られた迷路のようだった。私は目の前の道をひたすら真っ直ぐ進み、時々気まぐれで十字路を左や右に曲がりながらその迷路の中を歩いていた。
黙々と歩いていると、空っぽだった頭の中に、私の意志とは別に様々な思いや考えが顔を覗かせ始める。私は見知らぬ街を歩きながら、そのようなとりとめのない考えに耽るのが好きだった。様々なイメージに彩られた私のためだけに作られた空間。小学生の頃の私はその空虚な空間の中に、自分の存在意義や居場所を見出していたのかもしれない。
見知らぬ街を一人黙々と歩きながら、私はいつの間にか四月十七日と二十七日のことを考えていた。
なぜ、私はこの二日間の記憶が思い出せなくなってしまったのだろうか。本当に私は、仕事が忙しくて自分でも気づかないうちにうつ状態になってしまっていたのだろうか。そのうつ状態による一時的な記憶障害なのだろうか。
精神医学の専門家が言うことなので、おそらくそれが正しいのだろうと思う自分と、いや、何かが違っている、とその意見に反発する二人の自分が私の中にはいた。二人の自分が、私の頭の中で好き勝手に自分の意見を述べている。私は歩きながら、その二人の自分の言葉に耳を澄ませていた。
T字路にぶつかった。
私は左に行くか右に行くか少し迷ってから、右に行くことに決めた。なぜ右にしたのか、そこには何の理由もなかった。ただの思い付き。
すると、突然目の前に大きな建物が現れた。四階建ての白い建物がコの字型に立ち並び、敷地はちょっとした生け垣で覆われている。少し先に赤いレンガで作られた門のようなものが見えた。近づいて行きその門に書かれた文字を読むと『S区立K中学校』と書かれていた。
このようなところに中学校なんてあるんだ。
私は敷地の中に視線を送る。ゴールデンウィーク真っ只中の校舎の中は、人一人の影すら見出すことはできなかった。
私は特に気にすることもなく、その門の前を歩いていく。
ふと、K中央病院での田口先生の問診の中で、自分の過去について振り返ったときのことを思い出した。今までの自分はどのような性格だったのか。それを問われたときに、私は小学生の頃の自分から、今のライトメディアでの自分までの過去を振り返った。だけど、中学生の頃の自分をうまく思い出すことができなかった。その時の私は、何の特徴もない平凡な中学生活だったから記憶に残るような印象的な出来事もなかったのだろうと無理やり自分に言い聞かせていたのだけど、『記憶の喪失』という点では、四月十七日、二十七日の記憶と同じだった。
この二つの記憶喪失には何か関係はあるのだろうか。
午後の休日の街を一人歩きながら、私は考え続ける。だけど、その答えは自分の中からは見つけ出すことはできなかったし、目の前の空間のどこにも見出すこともできなかった。




