第46話
また……記憶が無くなった……。
由貴は呆然としながら、テレビの前に立ち尽くす。番組はニュースから天気予報に変わっている。気象予報士の若い女性がこの世に苦しみなんて存在しないと言うかのような笑みを浮かべながら、「週初めの今日は、晴天の一日となる見込みです」と由貴に向かってしゃべっていた。
由貴は必死になって昨日のことを思い出そうとする。
だけど思い出されるのは、土曜日に行った部屋の掃除やスーパーへの買い出しのことばかりだった。そして昨夜、寝る前にベッドの上で、「今日は革のハンドメイドバッグを買いに行こう。その後は見るのを楽しみにしていた『月光に沈む街』を見に行こう」と、とりとめもなく考えていたことだった。この二つについては本当に寝る直前に考えていたことだったので、今の由貴にとってはほんの少し前の出来事のように頭に思い浮かんでいた。
これが二十六日、土曜日の記憶だった。
その記憶の中の光景は、今朝に、つまり二十八日、月曜日の朝に直接つながっていた。その間にあるはずの二十七日の記憶はどこにもなかった。自分に四月二十七日という一日があったということが信じられなかった。楽しみにしていた日曜日がすでに過去として自分の目の前から過ぎ去ってしまっているということが未だに信じられなかった。
またなの……。
また、起こってしまったの……。
一回目は四月十七日。
そして二回目は、その十日後の四月二十七日。
頭の中は混乱し、目の前は真っ白になる。その白い世界の中で由貴は、「そうだ……。今日が月曜日なら、会社に行かないと……」と自分の中の何かを吐き出すようにぽつりと呟いていた。
外出着を取り出すために、ふらふらとクローゼットに歩み寄る。机の上にはまだ食べかけの朝食が置かれたままになっていたが、そのときの由貴はただ、「会社に行かないと……」とだけ考えていた。
クローゼットの扉を開け、白いブラウスと黒いロングスカートが掛けられたハンガーを手に取る。ふと、クローゼットの隅の小物置き場に、見慣れない革のバッグが置かれていることに気づいた。ハンドメイドのような作りになっている小さなバッグで、由貴は今までそのようなバッグをこのクローゼットで見たことはなかった。当然、そのバッグを買った覚えもなかった。バッグはまるで新品であるかのように、ひどく真新しかった。
何かこの世ならざるものを見るような目でそのバッグを見つめる。何も考えることもできずに、ただ身体を強張らせたままそのバッグを見つめ続けていた。
背後で、テレビの中の誰かが、「ただいま、午前七時半を回りました……」と言うのが聞こえた。
「そうだ……。会社……」
なんとか気を取り直して、会社に出社するための準備を続ける。
クローゼットから取り出したブラウスとスカートを一旦、ベッドの上に置いておいて、メイクを始める。作業机の上に置かれたままになっているシリアルが入った器を脇に寄せ、メイク道具入れから鏡を取り出して、自分の目の前に置く。鏡の向こう側には、記憶を失ったとは思えないくらい、いつもと変わらない自分の姿が映っていた。
メイクを終えると外出着に着替え、髪にブラシを当てながら髪型を整えていく。八時前にはなんとか家を出る準備を終えることができそうだった。この時間に家を出られれば、いつもの平日と変わらないくらいの時間にライトメディアの居室に着くことができる。由貴は安堵と困惑が混ざったような小さなため息を吐いた。
よし、行こう。
由貴は机の横に置いてある、いつも出勤用に使っている白いショルダーバッグに手を伸ばす。そのバッグを肩に掛けようとしたときに、バッグがいつもより少し膨らんでいるように見えてその手を途中で止めた。いつもは入っていない大きな冊子のような物が入っている。なんだろうと思い、バッグの口を開く。黒っぽいA4サイズくらいの一冊の冊子がバッグの中に入っていた。由貴は右手をバッグの中に差し入れ、その冊子を恐る恐る取り出す。
冊子の表紙は、どこかの夜の街の写真だった。
色鮮やかな街の夜景が、霞のようなものに包まれて怪しく揺らいでいる。上には、街を冷たく見下ろしている真っ赤な月がかかっている。
その街の夜景を背景にして、「月光に沈む街」という白い文字が幻想的に浮かび上がっていた。




