第11話
5
久しぶりに乗る電車は空いていた。
午後の上り電車。向かいを走る下り電車には、学校帰りの制服を着た高校生がちらほらと見える。普段は曜日感覚なんてほとんど無いような生活を送っているのだけど、このような学生服の集団を見ると、突然現実に引き戻されたようにその日が平日であることを思い出させた。
電車は空いていて、私は座席の端に座って本を読んでいた。
「上原さん」
突然名前を呼ばれた。
何事かと目を上げると、智恵が立っていた。黒いTシャツにジーンズというラフな格好をしていて、肩には大きなスクール鞄を下げている。私は突然の姿に驚きながらも軽く頭を下げた。
智恵は私の隣の空いている席を見て少し考えるような素振りを見せてから、「隣り、いいですか?」と口にした。
私は正直一人になりたかった。だけど無理に断るのも変だと思い、「いいですよ」と小さな声で答えた。特に彼女に話しかけるような話しも持ち合わせていなかったので、また手元の本に視線を落とす。しばらくそのような時間が続いた。
「一つ、聞いてもいいですか?」
智恵の言葉に私は視線を本から上げて、横目で彼女を見る。智恵は正面の車窓の外をぼんやりと眺めていた。
「何?」
「上原さんの夢って何ですか?」
「え?」
私は、突然の質問に一瞬言葉を失った。
「突然、何?」
「あ、ごめんなさい。ただ、興味があって。人はどのような夢や目標をもって生きているのかって……。だから知り合いにはふと聞いてしまうんです。その人の人生における目標って何なのだろうって」
「……少なくとも、今の俺には夢は無いよ」
「そうなんですか……」
二人は少し言葉を失ったかのように黙った。隅の座席に座った女子高生たちの、その会話の間に挟み込まれる無邪気な笑い声が遠くで聞こえた。
夢か……。
私にそんなものがあったのはいつ頃までだったのだろう。
今となっては本当に思い出せない。小学生の頃も時々「将来の夢」というような題で作文を書かされたけど、私は「サラリーマン」と書いていた。その言葉に続いて、
『父のようなサラリーマンになりたいです。そうすれば父と同じような幸福な人生を生きられると思うからです』
とその頃の私は書いていた。だけど、そんなことはほんの欠片も思ったことはなかった。ただ他に何も書くことがなかったから、原稿用紙を埋めるという目的だけでそれらの言葉を綴っていた。その作文を授業参観で読まされたのだけど、その言葉を聞いた母はどんな思いを抱いたのだろうか。そのことが少し気になったけど、すぐにどうでもよくなった。私にとっての未来は本当に白紙だった。その虚無感が怖かったから、そのことを直視しようとはしなかったし、深く考えようともしなかった。そしてその日々は今の私まで続いていたのだ。
「夢を持つことって、そんなに簡単なことなのかな?」
私は、自分自身に答えるようにボソリと呟いていた。
「え?」
智恵はその言葉に反応するようにこちらに視線を向ける。今度は私がじっと車窓の外を見ていた。
「小学生のころもよく『将来の夢』なんて題で作文を書かされたけど、いつも不思議だった。『どうして夢を持つことが当たり前のように自分に聞いてくるんだろう』って」
私は今度は右隣に座る智恵に顔を向けて、その視線を真っ直ぐに見て、
「夢を持つことって、そんなに簡単なことなのかな?」
と同じ言葉を繰り返した。




