1人分のパピコ
ある日、パピコを買った。
2つに割ることが可能なものを一人で食べる。この満足感を得られるのは、パピコだけだ。
けれど、その日のパピコは3つに割れた。
より正確に言うと、見慣れた2つに分かれた氷菓と――そのあいだに落ちていた、非定型の“何か”。
中身じゃないか。そう思うのは当然だと思うが、違うのだ。
それは冷たくなかった。
水滴もなければ、溶けた様子もない。ただそこに、挟まっていた。
まるで最初から、そう設計されていたかのように。
紙のような、でも少し弾力のある質感。恐る恐るそれを持ち上げると、裏面に文字が書かれていた。
「たすけてください。次はあなたの番です。」
印刷ではなかった。
黒いペンのような、にじんだインクの文字。そして、日付がこう記されていた。
2037年8月3日。
未来の日付だった。
ふと視線を落とすと、左手に残ったパピコが、わずかに――鼓動していた。
自分が何をしているのか、わからなくなってきた。
というより、向き合うのが怖くなってきた。
「あー!紅茶でも淹れようかな!」
誰に聞こえるでもなく、震えた声で叫ぶようにして部屋を離れる。
そのあいだに溶けてしまってくれれば、と願いながら。
キッチンに立って、ポットに水を注ぐ。蛇口の音が、異様に響く。
「アールグレイ……でいいか。香り強いし……」
独り言でごまかす。だが、足元にじわじわと冷気が這い寄ってくる感覚があった。
ふと、リビングの方が気になって、振り返る。
――テーブルの上のパピコが、消えていた。
代わりに、床に何かを引きずったような跡。
そして玄関へと続く、細く冷たい線。水滴ではない。まるで、這いずる何かの痕跡。
そのとき、玄関のドアの向こうからノック音がした。
コン、コン、コン。
三回、等間隔。
音が止んだ。代わりに、すぐ外から聞こえてきた。
ちゅう…ちゅう…
……ストローを吸う音だった。
その音以外、世界から消えた。
自分が立っているかどうかもわからない。足の感覚もない。ぐるぐると回っているような錯覚。
そして、ひとつの問いが頭をよぎった。
――なぜ、家の中にいたのに、一度外に出てノックをしているのだ?
気づいてはいけないことに気づいてしまったような感覚。
背後から、音がした。
誰かの、呼吸音のような気配。
振り返れない。
振り返ったら、何かが終わる気がした。
だが、視界の端に“それ”は見えた。
もう一人の自分。
同じ背丈、同じ輪郭。
だが顔が、ない。
口の位置に、ストローの先だけが突き刺さっていた。
ぐしゅっ、ちゅうううう……
音が再び、始まる。
そうだ。
あのパピコは、僕が食べるためのものではなかった。
“何か”が、こちらに出てくるための、吸い口だったのだ。
気がつくと、床に倒れていた。
身体は鉛のように重く、頭には靄がかかっていた。
――ずちゅう……ずずず……コポコポ……
背筋が凍る。
意識が覚醒する。あの音が、まだ聞こえる。逃げなくては。けれど、どこへ?
……おかしい。音が、とても近い。
いや――僕の口から、聞こえている。
舌が動かない。
いや、違う。舌が動かされている。
自分の意志ではなく、どこか別の命令で、喉の奥をうごめいている。
ストローがある。
唇の間から、細く冷たいチューブのようなものが伸びている。
そこを通って、何かが吸っているのだ。
体の中心から、じわじわと冷たい液体が引き出されていく。
これが、報いか。
頭の中で、声がした。
女の声。低くて、静かで、絶対的な。
「あなた、ひとりで飲んだでしょう。わたしの分まで。」
パピコは、ふたりで分け合うもの。
そう、最初から――そうだったはずなのに。
そして今、冷凍庫の中には――
もうひとりの“誰か”のぶんが、静かに眠っている。