プロローグ
「もう私、姉さんの言うことなんて聞かない!!」
「待ちなさい、マイ!!」
古い商店街に響く少女二人の声。
壊れかけた看板。まばらに立ち並ぶ木造建築。
昔ながらのゲームセンターのネオンサインが鮮やかな色彩を添えている。
一見のどかな景色に似合わない絶叫。異様な光景だった。
「他の人に迷惑をかけてしまったじゃない!! マイ、戻ってきて謝りなさいよ!!」
一人の少女が声を荒げるが、もう一人の少女――――『マイ』と呼ばれたその少女は脇目もふらずに走り去っていく。
艶やかな黒い髪が揺れている、その後ろ姿を怒鳴った少女は引き止めない。ただ静かに見ている。
「……ごめんなさい、妹が迷惑をかけてしまって。この姉・田中アサが謹んでお詫びいたします。」
怒鳴った少女――――田中アサはくるりと道ゆく人々に体を向けると、こくりと頭を下げた。
道ゆく人々は少し怪訝そうな顔をしているが、なるべく素知らぬふりをして去っていく。
ほとんどの者が観光客のようだ。リュックを背負ったり異国の服を着たりといったといった出立。
田中アサは「はあ……」とため息をつき、胸を抑えた。
「ちゃんとした娘にならないと……お父様のために。」
街からほんの数分だけ歩いたところにある、二階建ての黒い家。
玄関にある背の高い植物とシンプルな噴水が、洗練された印象を与えている。
「ただいま」
アサはポケットから鍵を取り出す。そしてそれを家の扉に差し込んだ。
「お父様、なんとか資格の取得もできました。どうか見守ってくださいまし。」
家に入ってすぐの和室。掃除の行き届いた部屋の中央に、大きな仏壇がある。
窓から光が入ってくる。辺りをまばらに漂うほこりが、鈍く光を反射した。
「マイは本当にろくでなしです。しかしご安心ください、必ずや私が矯正しますから。」
アサは胸に手をやった。
仏壇には朗らかな表情をした男の写真が飾られている。
丁寧に整えられたスーツ。ワックスで固められた黒髪。その男性の澄んだ瞳は、写真の前にいるアサを静かに見つめていた。
「まったく、あれしろこうしろ優秀な娘になれ、もううんざり!!」
マイは荒れ狂っていた。
少し街から外れたところにある石の橋。そこでマイは、転がっていた小石を乱暴に蹴る。
と、そのとき。
《プルルルルルル》
マイのポケットから鳴り響く電子音。誰かが電話をかけているらしい。
「あ、はい。もしもし。――――その声は……詩音!! 元気にしてた? うん、それがあのクソ姉がずっとうるさくて。え? 一週間後に会えるの? あんな姉は置いといて、またホテルにでも行きましょ。」
マイは電話を握りしめると、橋の下を流れる川に目を向ける。
「姉さん……あんたには恋人もいなかったよね。いつか黙らせてやるから。」
ニヤリと笑うマイ。
彼女の口角は限界まで上がっていた。