悪役令嬢の逆襲 ~冤罪を晴らそうとしたら、いつの間にか報復も完了していました~
「すみません、そこのメイドさん」
ワゴンを押しながら王宮の廊下を歩いていた私は、衛兵に声をかけられてドキリとした。
「人を探しているんです。王立調査隊のエリノア嬢を見かけませんでしたか?」
「さあ……」
口から心臓が飛び出そうになりながらも、私は平静を装って嘘を吐いた。
「何かあったんですか?」
「実は、第一殿下から彼女を捕らえろと命令されていまして」
衛兵はうんざりしたような顔になる。
「なんでも彼女が罪人だからだとか。ひどい言いがかりもあったものです。でも、命令には従わなければなりませんし……。もしエリノア嬢を見かけたら教えてくださいね」
衛兵は敬礼して去っていく。私は胸をなで下ろした。
彼の探している「エリノア嬢」が目の前にいたと気付かれなくて、本当によかった。
****
――エリノア、お前との婚約は解消させてもらう。
舞踏会の最中に第一王子にそう告げられたのは、つい一時間ほど前のことだった。
――殿下? 一体何を言い出すのですか?
――盗人猛々しいとはこのことだな。お前の悪事は、全てリンダが告発してくれたぞ。
そう言って王子は、後ろに控えていた女性に軽く視線を流した。
――エリノア、お前が俺の婚約者になれたのは何故だ? 長年行方知れずになっていた王家の至宝を……【ゲイザー】を辺境の遺跡で発見したからだろう? だが、それは本当にお前の功労なのか?
――あなたってひどい人ね、エリノア!
リンダが大げさに眉をひそめた。
――【ゲイザー】の第一発見者はこの私なのに、手柄を横取りするなんて! しかも、『本当のことを言ったらただじゃおかない』って脅迫までして! でも、私はそんな脅しには屈しないわ!
――素晴らしいぞ、リンダ。勇気ある行動だった。
第一王子がリンダの腰に腕を回す。私はポカンとしながら彼らの言葉を聞いていた。
盗人? 横取り? 脅迫?
全部身に覚えがないんですけど?
でも、第一王子は私の主張に耳を貸さなかった。
――この罪人を捕らえろ! 牢獄にでもぶち込んでおけ!
命令を受けた衛兵たちが、私を広間から連行していく。
でも、私は王子の思い通りに動いてやる気なんてなかった。だから、隙を見つけて逃げ出したんだ。
向かった先は、使用人が使う備品の保管部屋。そこで服やら眼鏡やらを拝借して、貴族令嬢から一転、メイドさんに変身したのである。
さっきの衛兵の態度を見る限り、この変装は中々上手くいったらしい。となれば、正体が発覚する前にさっさと王宮から退散しよう。
……と、普通は考えるかもしれない。
でも、私は尻尾を巻いて逃げる気なんてさらさらなかった。
王家の至宝【ゲイザー】の発見は私の夢だった。それがやっと叶ったのに、功績をリンダにかすめ取られた。それだけではなく、王子もその嘘を信じ込んでいる。
こんな状況は到底見過ごせるものじゃなかった。彼らに真実を突き付けてやらなければ、どうにも腹の虫が治まらない。
そのためには協力者が必要だ。
「兄上、何を考えているんですか!」
舞踏会の控え室の傍を通りかかった私は、聞こえてきた声にハッとなる。
「今日は【ゲイザー】の発見と兄上の婚約を祝うめでたい日のはずだったんですよ? それをご自分の手で台無しにするなんて、どうかしてます。エリノアが盗人? バカバカしい」
「俺の決定に逆らうな、デメトリアス」
第一王子の声も聞こえてくる。
「本当に気に食わん奴だな。お前みたいな弟を持った俺は本当に運が……」
控え室から退出しようとした第一王子は、外で聞き耳を立てていた私にもろにぶつかってしまった。
よろけた私は床に尻もちをつく。第一王子は舌打ちして、そのまま去っていった。
私を助け起こしてくれたのはデメトリアス様だった。
「大丈夫かい? え、君は……」
私の顔を覗き込んだデメトリアス様は一瞬目を見張ったけど、すぐに苦笑いした。
「……ごめんね、何でもないよ。知り合いに似てる気がしたから、つい……。……ああ、エリノア!」
デメトリアス様はうなだれる。
「知ってる? 兄上がエリノアをひどい目に遭わせたこと。でも、彼女は逃亡したそうだ。あの人のことだから、きっと今頃は逆転の機会を虎視眈々と狙っているに違いない。居場所が分かったら、僕が助けになれるのに……」
「あら、嬉しい」
私は伊達眼鏡を取る。デメトリアス様がポカンとなった。
「エリノア!? 全然気付かなかったよ! だって君、髪が……」
私のトレードマークは太ももまである黒髪だ。
この国では、女性の髪には魔力が宿ると言い伝えられている。それに倣い、私は髪を長く伸ばして念入りにお手入れしていた。そのお陰で、「王宮一の美髪」と言われているくらいだ。
でも、今の私はショートヘアー。使用人室にあったハサミで、顎の辺りまで髪をバッサリと切ったから。
皆の中には「エリノア=長い黒髪」というイメージが染みついている。正体を隠すには、こうするのが一番だと判断したんだ。
「エリノア、早く逃げた方がいい! 王宮は危険だ! 兄上が君を捕まえようとしてるんだよ!」
「心配してくださってありがとうございます。でも、そうはなりませんよ」
私は慌てふためくデメトリアス様をなだめる。
「あんな失態、一度経験すれば充分ですもの。それに、灯台下暗しと言うではありませんか。第一殿下のお膝元の方が、かえって安全です。貴族令嬢のエリノアが使用人に化けて城内をうろついているなんて、誰が想像するでしょう」
「う、うーん……」
「そしてもう一つ。デメトリアス様もご存知のはずです。私が泣き寝入りするような性格ではないということを」
「……確かに」
デメトリアス様が諦めたように頷いた。
「僕も『エリノアは汚名を返上するチャンスを狙っている』って言ったばかりだし……。……分かったよ。とりあえず、城内の安全な場所へ行こう」
流石デメトリアス様。理解が早くて助かる。
私は人気のない控え室から移動し、デメトリアス様の居室に通された。
「それで? 何か計画はあるのかい?」
「【ゲイザー】を利用するつもりです。まだ研究室にありますよね?」
「いや。兄上の話では、リンダが持っているらしい」
デメトリアス様が難しい顔になる。
「兄上はリンダに頼まれたそうだ。【ゲイザー】を王立調査隊の宿舎にある、自分の部屋に飾りたいと」
「随分と傲慢ですね」
思わず顔をしかめる。
【ゲイザー】は王家の至宝。大変な価値がある宝玉だ。けれど、千年以上前の内乱の際に行方が分からなくなり、それ以来ずっと失われたままだった。
行方不明の至宝を捜し出すため、王家は調査隊を作った。現代まで続くその組織が、私も所属している王立調査隊だ。
私もそうだけどメンバーには貴族が多いから、そのトップには王族が就くことになっている。現在の調査隊長は第二王子のデメトリアス様だ。ちなみに、先代の隊長は国王陛下が務めていた。
「きっとリンダは【ゲイザー】の重要性を分かってないんだよ。だって彼女、普段からあまり熱心に調査活動をしていなかっただろう? どう考えても、王家へのご機嫌取りのために調査隊に籍を置いているだけだよ」
悲しいことに、そういう不真面目なメンバーもいることは確かだった。私やデメトリアス様みたいな、本気で【ゲイザー】の研究がしたい隊員からすればいい迷惑だ。
「そんな人の手元にいつまでも【ゲイザー】を置いておくなんてできません。早く取り戻さないと。リンダの部屋に忍び込みましょう。今の私は都合よくメイドさんですし、お掃除に来た、ということにして」
押してきたワゴンの覆いを取って、ハタキだのふきんだのを取り出した。デメトリアス様が瞠目する。
「用意がいいんだね」
「何がいるか分かりませんから、色々持ってきたんです」
舞踏会に着ていったドレスや、切り落とした髪も持ち運んでいる。その辺に捨てておいたら、変装した私がまだ王宮に残っているとバレてしまうかもしれないから。
「僕に手伝えることは?」
「もちろんあります」
デメトリアス様の協力的な姿勢をありがたく思いながら頷く。
「私が【ゲイザー】を取り戻しただけでは、名誉を回復するには至りません。色々とやることがあります」
「【ゲイザー】の封印を解くのか」
デメトリアス様は、私のしようとしていることにピンときたようだった。
「分かったよ。君が出払っている間に準備しておこう」
「お願いします」
私は掃除用具片手にデメトリアス様の居室を出た。
調査隊の宿舎も王宮の敷地内にある。廊下は無人で、私の姿を見とがめる人は誰もいない。
カギのかかっていないリンダの部屋に滑り込むように侵入して、明かりをつけた。さて、後は【ゲイザー】を探すだけ……。
なんて思っていたけど、簡単に見つけてしまった。虚栄心の強いリンダは部屋で一番目立つ場所……飾り棚の中に堂々と【ゲイザー】を置いていたから。
手袋をはめ、私はそっと【ゲイザー】を持ち上げる。
大ぶりな水晶玉くらいの球体。色は半透明で、中に薄い煙が漂っている。その形は、閉じた瞳のようにも見えた。
私は至宝をタオルでくるみ、バケツの中に入れて持ち出そうとした。
その瞬間、予想もしなかったことが起きる。部屋のドアが開いたのだ。
「もう! 最悪!」
どうやら、部屋の主が舞踏会を中抜けしてきたらしい。リンダは私に気付いて眉根を寄せた。
「何よ、あなた」
「お、お掃除をしようかと……」
私はぎこちない仕草で【ゲイザー】のホコリを拭うマネをする。リンダは興味が失せたように「そう」と言った。
「また宿舎の管理人が伝言ミスしたのね。ルームクリーニングなんか、頼んだ覚えはないのに。……それ、割ったりしないでよ」
【ゲイザー】を磨いている私に、リンダは面倒くさそうに注意する。
「よく分かんないけど、大事なものらしいから。でも、アホらしいわよね? そんな大して綺麗でもない宝玉が、何で『王家の至宝』なんて呼ばれてるのかしら?」
「それは、【ゲイザー】がとても貴重なものだからですよ。ここに込められているのは忘れ去られた古代魔法。【ゲイザー】は歴史の生き証人なんです。解析を進めることによって、魔法学だけではなく歴史学にも進展が……」
「はいはい、分かった分かった」
思わず熱く語ってしまった私に対し、リンダはげんなりした様子で手を振った。
「あなた、あの女みたいね。研究バカのエリノア嬢」
リンダの顔に小バカにしたような笑みが浮かんだ。
「気を付けないと、あなたもエリノアみたいになるわよ。濡れ衣を着せられてはめられるとかね」
私は思わず【ゲイザー】を握る手に力を込める。リンダは「エリノアもだけど、第一殿下も大概よねぇ」と面白そうに続けた。
「あの人、すごく頭が悪いわよ。私が涙ながらに『【ゲイザー】の第一発見者は私なのに、エリノアに脅されて本当のことが言えなかったんです。私の愛する殿下があんな嘘つきと婚約するなんて耐えられません』って訴えたら、あっさり信じちゃって。嘘つきはこの私の方だってこと、まったく気付いてないんだもの。滑稽だわ~。あれじゃ、デメトリアス様の方がマシよね」
リンダはニヤニヤしている。
「私、エリノアに代わって殿下と婚約することになったわ。分かる? 要領のいい人だけが、いつだって最高の結果を得られるの。唯一の問題は、まだエリノアが捕まってないってことだけど……。まあ、時間の問題でしょ」
そう思い通りにいくもんですか!
心の中で反論する。リンダは「あっ、そうだ」と何かを思い出したような顔になった。
「無駄話してたら、すっかり忘れてたわ。私、ドレスを替えにきたのよ。どこかの酔っ払いにワインを引っかけられたの。早く新しいのを用意してちょうだい」
何で私が、と言おうとしたけど、今はメイドさんだから雑用は当たり前だ。窓際に設置されていたクローゼットから衣裳を見繕い、着替えを手伝ってやる。
そうしながらも、私は計画の変更を考えていた。リンダに「あの……」と何気ない調子で声をかける。
「どうせなら、【ゲイザー】も会場へ持って行きませんか? 皆がリンダ様を褒めると思いますよ。王家の至宝を公開してくれてありがとう、って」
「あら、あなたいいこと言うじゃない」
私の口車に乗ったリンダは、顔を綻ばせる。
「私がお運びいたしますね」
そう言って、私は【ゲイザー】をしっかりと抱き寄せる。リンダは上機嫌で、会場に着くなり高らかな声を上げた。
「さあさあ、皆さん! 【ゲイザー】を持ってきましたよ! じっくりご覧になって!」
目立ちたがり屋のリンダの宣伝は、とにかく派手だった。予想通りの展開だ。皆はあちこちで囁きを交わしたり、王家の至宝を一目見ようとこちらへ押し寄せてきたりする。
リンダの隣に第一王子も来て、親密そうにその肩に手を回していた。こんなに人がいるのに、皆【ゲイザー】に夢中で私の存在には気付いていない。
私は人混みを観察した。しばらくして目当ての人物を発見する。デメトリアス様だ。
彼は人波を掻き分けて私に近寄ってきた。耳元に唇が寄せられる。
「君、大胆すぎるぞ」
「だって、皆に真実を知って欲しかったんですもの」
私の言葉に、デメトリアス様は困ったように笑う。そして、嬉しい知らせを一つ伝えてくれた。
伝言が終わるとデメトリアス様は私の手の中に小瓶を握らせて、群衆に向き直る。
「皆さん、二時間前にこの会場で何が起きたか、覚えていますか?」
第二王子が突然発した大声に、人々の話し声がピタリとやむ。兄王子が不快そうな顔をした。
「デメトリアス、一体何を……」
「ある女性が無実の罪で糾弾されました。その彼女は、今ここにいます」
兄の言葉を遮り、デメトリアス様が私を手のひらで指した。会場の視線が、一斉に私に注がれる。
「嘘……!? あなた、エリノアじゃないの!」
やっと私の正体に気付いたリンダが、悲鳴に近い声を出した。
「殿下、早く捕まえてください!」
「捕まえる? 何の罪で?」
私は挑戦的に言い放った。
「デメトリアス様の話を聞いてなかったの? 私は無実よ。あなたなら、そのことをよーく知ってると思うけど」
「知らないわ。どこにそんな証拠があるっていうの」
リンダは高慢に言い放ったけど、私は余裕の態度を崩さない。「証拠ならここにあるわ」と【ゲイザー】を掲げてみせた。
「あなた、知らなかったでしょう? どうしてこの宝玉が【見つめる者】って名前なのかを」
私はデメトリアス様からもらった小瓶の液体を【ゲイザー】にかけた。
「これは特殊な魔法薬よ。普段の【ゲイザー】は力を封じられてる状態だけど、これを使うと、本来の性能を発揮するの」
「本来の性能……?」
「あなたって本当に何にも知らないのね、リンダ。真面目に調査活動に参加しないからよ」
【ゲイザー】の中に漂う煙がその形を変えていく。閉じられた瞳のような一筋の線が二つに分かれ、楕円型になった。まるで、開いた目のように。
その目から煙が流れ出し、私たちの前に幻の像を造り出す。現われたのは、リンダの姿だった。
『気を付けないと、あなたもエリノアみたいになるわよ』
幻のリンダは、つい先程私が見たのと同じ表情で同じセリフを口にした。
『濡れ衣を着せられてはめられるとかね』
「何よ、これ!」
現実のリンダが金切り声を出した。
「こ、こんな……こんなのデタラメよ! 早く消しなさい!」
リンダが煙を掴もうとしたけど、空を掴んだだけだ。少し像に乱れが生じたが、それでも【ゲイザー】は記録された映像を忠実に再現していく。
『第一殿下も大概よねぇ。あの人、すごく頭が悪いわよ』
話が自分のことに及び、第一王子がぎょっとした顔になる。
『私が涙ながらに「【ゲイザー】の第一発見者は私なのに、エリノアに脅されて本当のことが言えなかったんです。私の愛する殿下があんな嘘つきと婚約するなんて耐えられません」って訴えたら、あっさり信じちゃって』
「おい、リンダ……」
第一王子が新しい婚約者を批難の眼差しで見つめる。
「や、やだ、殿下。私、その……」
『嘘つきはこの私の方だってこと、まったく気付いてないんだもの。滑稽だわ~。あれじゃ、デメトリアス様の方がマシよね』
「誰か、この痴れ者を捕らえろ!」
大嫌いな弟と比べられたことで、第一王子の堪忍袋の緒は切れてしまった。二時間前と同じように、衛兵たちは素早く動く。そして、リンダを捕縛した。
「どうやら誤解があったようだな、エリノア」
リンダがいなくなると、第一王子はまだ立腹が収まらないような口調でそう言った。
「まさか【ゲイザー】にあんな効用があったとは。それもお前の発見か? 素晴らしい。流石は俺の婚約者だ」
「はい?」
「分からないか? もう一度俺の婚約者にしてやると言っているんだ。ありがたく思え。お前だって、そのために真実を明らかにしたのだろう?」
「いや、違いますけど」
私は即答した。
「婚約は解消されたままでいいです。もうすぐ廃嫡される人と一緒にいる気なんてありませんから」
「な、何だって!?」
第一王子は仰天する。デメトリアス様がやれやれと首を振った。
「この会場に来る前に、父上から言われたんですよ。『あれはもうダメだ。後はお前に任せる、デメトリアス』と」
「バカな! そんなことがあってたまるか!」
「殿下、お分かりになりませんか? 国王陛下は【ゲイザー】の発見に長年情熱を注がれていました。【ゲイザー】は王家の宝だから大切にしなければなりません。それなのに、あなたはまるで興味を示さないんですもの。例えば、【ゲイザー】が魔法の眼だったと判明したのは三年も前の話ですよ。報告書なら提出したはずですが」
指摘され、第一王子は狼狽える。トドメを差すようにデメトリアス様が続けた。
「それに加えて今回の婚約破棄です。兄上が邪険に扱ったエリノアは、いわば父上の恩人のような存在。そんな人に冤罪を着せたのだから、処罰されるのは致し方ないことかと」
第一王子の顔から血の気が引いていく。そんな彼の元に文官がやって来た。
「殿下、国王陛下がお呼びです」
どうやら先程聞いたばかりの悪い知らせを正式に通達されるらしい。窮地を悟った第一王子は、今にも逃亡しそうになった。
けれど、文官と共にやって来た衛兵がそれを許さない。彼は本日三人目の強制退場者として、舞踏会の会場から姿を消した。
「色々とトラブルはありましたが、引き続き舞踏会をお楽しみください」
デメトリアス様が参加者に向かって言う。
「もちろんエリノアもね。今日の主役は君だ。最初とは舞踏会の趣旨が変わってしまったけど、『【ゲイザー】の真の発見者を讃える』っていう目的だけは同じだから」
「『発見者』じゃなくて、祝われていたのは『発見』そのものじゃありませんでしたか?」
そう言いつつも、私はデメトリアス様に向かって手を差し出す。
「では、ダンスのお相手をお願いします。デメトリアス様は、今日のもう一人の功労者なんですから」
優雅な舞踏曲が流れる。
群衆の温かな視線に見守られながら、私たちは会場の中央へと進み出た。
****
それから数カ月が経ち、廃嫡された第一王子は侘しい離宮送りに処された。リンダは現在も牢獄に入れられたままだ。彼女の出所がいつになるのかは誰も知らない。
新しい第一王子には当然デメトリアス様が任命された。もちろん調査隊長としても続投している。つまり、彼が私の上司であることに変わりはないということだ。
でも、最近になってそれとは別の関係性も築くことになった。
「エリノア、ここにいたのか」
調査隊の研究室にデメトリアス様が入ってくる。私が机の上の【ゲイザー】から目を上げると、いくつかの書類を渡された。
「これ、要項だよ。今度開かれる……僕たちの婚約を記念した舞踏会の」
照れた声でデメトリアス様が付け加える。
「何だか未だに信じられないな。エリノアは兄上と結ばれるんだって思ってたから……」
「そうならなくてよかったです」
「兄上より僕の方がまだいいってこと?」
デメトリアス様は苦笑した。
「今度の舞踏会は絶対に成功させよう。間違っても君に無実の罪を着せる人なんて出さないようにしないと」
「あんな事件、二度も起こりませんよ」
私は笑ったけど、デメトリアス様は「だといいけど」と肩を竦めた。
「あの時のことは今思い出しても肝が冷えるよ。僕はてっきり、【ゲイザー】を回収した後で何とかしてリンダから言質を取って君の無実を証明するんだとばかり思ってたのに……。まさかリンダを連れて会場まで戻ってくるなんて。また捕まるところだったんだよ?」
「そうはなりませんよ。デメトリアス様が来てくれるって分かっていましたから」
私は自信たっぷりに言った。
「何のために人前に【ゲイザー】を出したと思ってるんですか? 『あの名高い至宝が会場に来ているぞ!』と噂を広めようとしたんです。その話を耳にしたから、デメトリアス様も会場まで足を運んでくださったんですよね?」
デメトリアス様は図星を指されて驚いているようだった。「君が【ゲイザー】の確保に失敗したのかもしれないと思って、様子を見に行ったんだ」と言う。
「でも、僕が来ることが予想できたとしても、やっぱり行動を起こすのが早過ぎたんじゃないかな? 【ゲイザー】の封印を解く魔法薬が未完成だったら、とは考えなかったのかい?」
「その可能性は考慮に入れていませんでした。だって、薬がすでに出来上がっていたと知っていましたから」
私は軽く笑う。
「リンダの部屋からは、デメトリアス様の居室が見えるんですよ。窓越しにですが、デメトリアス様のお部屋が一瞬紫の光で包まれるのを確認しました。魔法薬を作る時にそんな現象が見られるのは一度だけ。薬が完成した瞬間です」
「エリノア……。君って頭がいいだけじゃなくて、観察眼にも優れてるんだね」
デメトリアス様が感心したような声を出す。
私は「ありがとうございます」と言った。でも、一つだけ分からないことが残っている。
「デメトリアス様はどうしてあんなに早く薬を完成させられたんですか? あれって、作るのに半日はかかったと思いますけど」
「君のお陰だよ、エリノア」
デメトリアス様は楽しそうだった。
「魔法薬を作るのに一番難儀するのは、大量の魔力を注ぎ込む工程だ。人一人が一度に込められる魔力なんて、高が知れてるからね。でも、僕には君という協力者がいた」
デメトリアス様は私の頭に視線を向ける。
「君が変装のために切った髪があったよね? 膨大な魔力が宿った髪だよ。それを使わせてもらった」
「まあ! そんなものが役に立つなんて……!」
「過去にも同じような方法で魔法薬を作った人がいたとしたら、僕に聞かなくても【ゲイザー】を使えば分かったんじゃない? なにせ、この宝玉は身の回りで起きたことを何でも覚えてるんだから」
「……そうですね。例えば、こんなこともちゃんと知っていますよね」
私はストックしてあった魔法薬を【ゲイザー】に振りかける。魔法の眼が開き、出現したのは昨日の研究室の様子だった。
『はあ……』
ぼんやりと頬杖を突きながら手帳をめくっているのは、デメトリアス様だ。彼は『婚約記念の舞踏会まで後何日だ……?』と待ちきれなさそうに呟いている。
『エリノア……』
日数を数えるのをやめ、デメトリアス様が両手で顔を覆う。
『好きだ』
煙が消えた後の現実のデメトリアス様は、幻の彼と同じポーズを取っていた。
「エリノア……何でそんなの見ちゃったの……」
「すみません。研究中に偶然発見してしまって」
「恥ずかしくて死にそうだよ。忘れて、今すぐに」
「それは無理ですね。だって嬉しかったんですもの」
私はデメトリアス様の顔から手を引き剥がす。
「今度こそ私を大事にしてくださる方と婚約できるんですから。私だって、二度も逆転劇を演じるのはごめんですよ」
私の冗談めかした言葉に、赤い顔のデメトリアス様もクスリと笑った。
「僕も君を敵に回したくはないよ。それに、回すつもりもない。これからもずっと味方でいよう」
「その言葉、もう撤回できませんよ。ちゃんと【ゲイザー】が見てますから」
「分かってるよ。でも……これは二人だけの秘密にしておいて欲しいかな」
デメトリアス様が上着を脱いで【ゲイザー】に被せる。
そして、私の唇にそっとキスを落とした。