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悪役絶好調再び

 ──遊ぶなら、迷路は広い方がいい。


 ある日のことだ。ぐっすり眠って目が覚めると、アズマイラ男爵夫人はそんなことを考えた。

 というより、言葉が唐突に沸いてきたという方が正しい。


 アズマイラは、おや、と思う。

 昨日まではそんなこと、考えてもいなかったのに。


「──着替えを。すぐに」


 コッコッコッコッ。

 高いヒールの音が白大理石を敷き詰めた後宮の廊下に響く。


 今日の彼女は目のまわりを黒と緑でふちどりし、輝くように赤い唇で、いつもより三割増しに攻撃的な化粧をしている。

 朝からですかと戸惑う侍女をひとにらみして、そう指示したのはもちろん彼女だ。


 コッコッコッコッ。


 彼女は城の女官が止めるのも聞かずに、後宮と本宮をつなぐ渡り廊下をぐいぐい突っ切り、通い慣れた王の寝室にかつてない早さでたどり着いた。

 そして、その扉を一気にばぁんと開け放った。


 ──不安とは、受け身の時になるものですよ。


 記憶のどこか遠いところで誰かがそう言った気がしたが、今はそれどころではないため、さっさと忘れる。


 両開きの扉には左右ひとりずつ護衛が立っていたけれど、彼らもアズマイラの顔はいやと言うほど知っていたし、その性格も熟知していたため、とばっちりをおそれて口を出せずにいる。


(あら、あら)


 王と一緒に寝台に横たわっている女を見た瞬間、頭で考えるよりも先に笑みが浮かんできた。


(勝った、勝ってる、たいしたことない)


 目を丸くして言葉も出ないでいるふたりに、アズマイラはにっこり笑った。


「あらごめんなさいませ。わたくしったら、寝ぼけてしまって」


 そのドレス、その髪、その化粧。

 どれをとってもそんなわけないのは明らかだったが、彼女はしれっと言い切った。


「お邪魔しましたわ」


 氷のような声ではなく、むしろ晴れやかな言い方だったので、聞いていたほうは余計に怖かった。


 王の寝室からの帰り道、アズマイラは足取りも軽くさっきの女のことを思い出していた。


(社交界デビューしたばかりだもの、年齢は若いはずよね)


 すわ、新しい寵姫候補かと噂されている彼女だった。

 夜会で顔を合わせたことはまだない。だが豊かな曲線美だと聞いていた体は、見た限りやけにむっちりしていた。

 重たげな腰回りがしらじらと朝日に照らされていたのを思い出して、アズマイラはにんまりする。


(顔だちも、一見して普通だった)


 醜女とまでは言わないが、正直あの程度の顔立ちなら女官にも珍しくない。


(──下がり眉の女)


 心の中で勝手にそう呼ぶ。

 なんだ、ここ最近の自分の鬱屈はあんなものだったのか。

 実際目にしてしまえば、全然なんてことないではないか。


(白でぶ下がり眉の女に、このわたくしが負けるわけないじゃないの?)


 くすくす笑いながらアズマイラは廊下を戻っていく。

 廊下は長いしなにやら気が楽になったので、もうひとつ、ついでに考えてみた。

 思いだすのも嫌だったあの娘のことだ。


(わたくしは、友達が欲しいのかしら)


 ──いいえ。


 よどみなく答えは出る。

 だって、女の友情など信じていない。男はもっと信じていないが。


(確かなものは利害と力。それだけよ)


 あの娘が紫の冠をかぶって見せつけるというなら、わたくしは紫の石でできたドレスを着てみせる。

 誰かにもらうのではなくて、己の力と才覚で。


 そう考え始めると、王が違う女にうつつを抜かしているのはむしろよい機会だった。

 この隙に、各方面へ根回しを進められる。


(そうよ、やるべきことはいくらでもあるのだわ)


 目の前が急に明るくひらけた気がした。

 今となってはもう、どうしてあんなに心が滅入っていたのか、思い出すのも難しい。

 さっきよりも早足で通り過ぎる彼女を、城の女官たちが唖然として見ていた。


「戻ったわよっ」


 自室の扉も負けず劣らずの勢いで開けると、驚いた表情の侍女に向かって早口で指示した。

 なんだかこの部屋、辛気くさい。換気して。あと少し模様替えもしたいから他の娘たちも呼んできてちょうだい。


「あの……」

「なにをぼさっとしているの。早く動きなさいな。さっさと」

「はいっ」


 当番の娘が慌てて出ていくと、残されたのはジャジャひとりだ。

 前置きなしにアズマイラは切り出した。


「最近、なにかと面倒くさくて」

「はい」

「なにかを考えるのも、他のことも」

「はい」

「ついにわたくしもいろいろ面倒なお年頃に突入したのかと思ったけど、そんなこともなかったわ」


 これは、彼女にしては珍しく軽口を叩いてみたのだったが、ジャジャは真顔で返すではないか。


「でしょうね、あなたはまだ、そこまではかどった年齢でもありませんし」

「! お前はいつも一言多い男ね!」

「えっ、反応するということは、もしかして気にしていたんですか」


 アズマイラはほんの一瞬、詰まる。


「いくら僕でも、本当にその年齢の女性にはそういうことを言いませんよ。けどまあ、気をつけます」

「いちいちむかつく!」

「他にどう言えばいいんですか。あなたが年を気にしているとは夢にも思わなかったんですよ」

「うるさい、うるさい! ……ところで、侍女たちはまだ?」


 ジャジャは視線をそらして答えにくそうな顔をした。


 彼女が覇気をなくしているのをよいことに、侍女たちが気ままにさぼっているのは知っている。

 だがそれを口にすることもできずに沈黙していたのだが、アズマイラはジャジャをじっと見つめている。まばたきはない。


 無言の圧力に耐えかねて、ついにジャジャはこう言った。


「呼んで……きましょうか?」

「そうしてよ」


 アズマイラ男爵夫人は狩人の目をして笑みを浮かべた。


◇◇◇


 申し訳ございませんと侍女たちの先頭に立った娘は頭を下げた。


 頭を下げているので表情は見えないが、どうにも真剣みの薄い、上辺だけの謝罪という気配がありありとする。


 アズマイラが黙っていると、娘は淡々と言い訳をした。

 髪をまとめるのに時間がかかったこと。仮にも男爵家の侍女がだらしない姿で出歩くことはできないこと。それはひいてはアズマイラ本人の恥になることなどを。


「へえ、そう。髪がねえ」


 アズマイラはまともに聞いてはいなかった。


 ちょっとこっちへいらっしゃいと手招きすると、怪訝そうに寄ってきた娘の髪を片手でわしづかみにして、手元の鋏で娘の髪をザク切りにする。


「きゃあああああああ」

「なにを騒ぐの。暴れると皮膚まで切ってしまってよ」


 歌うように軽やかにアズマイラは言った。

 それは侍女の耳にはこう聞こえたに違いなかった。暴れたらもっと違うところまで切ると。


「あ……あ」


 長い髪が残らず床に落ちてしまうと、震える侍女を突き放して、アズマイラはこう言った。


「よかったこと。これで髪に時間をかけなくて済むわね」


 髪を切られた侍女は泣いていたが、それ以来、侍女たちの動きは格段に引き締まったので彼女は満足している。


 この日のことはあっという間に城中に知れ渡り、気に入らぬ侍女の髪を切った、いやおしゃべりな侍女の舌も切ったらしいという噂が流れたが、もとより悪評を気にするアズマイラではなかったので、むしろ活き活きと流れる噂を楽しんでいた。


 人にどう思われようと気にしない。

 それが、この暗黒の宮廷を生き抜くすべだ。


 さて次は、と彼女は瞳をきらめかせる。

 攻撃は次々にするのが彼女のやり方で、次に標的になったのは典薬寮を束ねる高官だった。


 すべての段取りと根回しを終えてから、ある日のこと、アズマイラは典薬寮へと足を向けた。

 表向きは、あの黒い丸薬がなんとか手に入らないか自ら頼みに来たというものだ。

 果たして典薬寮は見たこともない騒ぎになっていた。


「まあ、どうしたことでしょう」


 ぬけぬけとアズマイラは言う。


「わたくし、お邪魔でしたかしら」


 下働きの少年が焦った顔で教えてくれた。

 長年の直轄地で作っていた高価な薬草が、誰かに火をつけられたせいで壊滅状態なのだと。


「あらあらひどいわ」


 そこに血相を変えて責任者である高官がやってきたので、アズマイラはひたとその目を見返して、言ってやった。


「お話は伺いましたわ。あのお薬が欲しかったのですけれど……そんなお願いができる状況ではなさそうですわね」

「あ……あなたという人は」

「薬をわけていただけず残念ですわ。けどまぁ、原料がなくてはどうにもなりませんものね?」


 相手が何も言えずにいる目の前で、ドレスの裾を翻す。

 ああ楽しい。なんて楽しいのかしらとアズマイラは思った。


 もちろん偶然などではない。


 すべては、彼女が下町時代の顔なじみに金を積んでやらせたものだ。畑に生えているものはお前たちがとっていい、と意味深な言葉を添えて。


 これまで幾度もアズマイラから金をせびろうとしてきた彼らは言われた通り火をつけたが、当然のように見つかって斬り捨てられた。


 男たちが現場でなんと言ったがアズマイラは知らない。

 だが、食い詰めた男たちが盗みに入り、見つかって逃げようとする際に火をつけたと結論されたのは知っている。

 彼女が地方官吏に鼻薬をかがせたからだ。


 彼女は畑が焼けた翌日には紋章付きの馬車で乗り付けて、しおらしく涙をにじませたのだ。


「わたくしあの薬がないと本当につらいんですの」

「原料が足りていないと聞いて、それが本当か確かめたかったのですわ」

「──ええ、盗もうだなんて、もちろんそんな」

「わたくしの雇った人間がおかしな気を起こしてしまい、本当に申し訳なく思っておりますのよ。どうか個人的な寄付を受け取って下さいまして?」


 男たちが自分に限らず誰の名前も口にしなかったと書類に記してもらえれば、個人的にその三倍出すとほのめかし、実際に金貨を握らせると、痩せて顔色の悪い官吏の目の色が変わった。

 もちろん、地方官吏の給金の低さを知ったうえでのことだ。


 かかる費用は夫の財産から出した。

 費用をねだる理由など、どのようにでもつけられる。そう、たとえば侍女が自分の言うことを聞かないとか。


(そう……わたくしには夫がいるのよ。ドルパンティス男爵という夫が。たまに忘れそうになるけれど)


 静かに、速やかに自分の願いを叶えてしまうと、アズマイラは王宮にとってかえした。

帰りの馬車の中でも目まぐるしく頭を働かせる。さて次は誰に報復をしよう。


(楽しい……)


 うっとりと高揚する気持ちでアズマイラはそう思う。


 侍女には罰を、足元を見てくる高官には報復を。

 日和見な貴族たちにはきっちりと釘を刺し、場合によっては脅しをかける。

 ライバルになりそうな女を牽制するのも忘れてはならない。なぜなら攻撃は最大の防御だからだ。


(報復、報復、また報復……自己顕示をしてまた報復……)


 次から次へやりたいことが浮かんできて、時間が足りないと思いながら夜更かししているアズマイラのもとに、静かにジャジャが入ってきた。

 アズマイラは一瞥して顔をしかめる。


「もうそのくそまずいリキュールはいらないわよ」

「くそまずくてけっこう、お陰でよく眠れたでしょうが」

「だから、眠れたからもういらないのよ!」


 ジャジャは盆に乗ったグラスをぐい、と差し出す。


「飲まないってば」

「一体何時だと思ってるんですか? 悪だくみをするなとは言いませんけど、さすがにもう寝たほうが」

「この手紙書き終わったら寝るわよ」

「もうどこの侍従も起きてやしませんよ。明日でいいじゃないですか」

「うるさいわねー」


 人の都合など知ったことか。ていうか悪だくみってなによ。やられたらやり返すことのどこがいけないわけ。

 そう言い返すアズマイラに、ジャジャはさらにグラスを近づける。


「その味嫌いだって言ってるでしょ!」

「好き嫌いじゃなくて、効き目があるから飲むんでしょう」

「しつこいわね、もう飲まないから持ってこないで!」

「いいえ、あなたの場合は毎日飲んでも足りないくらいです」

「ああもうっ」


 なにをどう言っても引こうとしないジャジャに、アズマイラ男爵夫人はついに、かんしゃくを起こしてこう怒鳴った。

 こんなにも食い下がり、根気強く世話を焼かれるのは初めてだと思いながら。


「お前って、ほんとに、口うるさい!」

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