死なずのラジオ
なるほど。貴方がライターさんなんですな。
面白可笑しく
『大富豪Aの館の奥深くには美女の遺体が陳列してあり、主人は夜な夜なそのコレクションを愛玩している』
などと書いた。
中傷記事には正直迷惑していますが、反面、私自身は貴方の書いたものが完全に虚偽とは言えないのも承知しています。
ですから都市伝説的な噂話としてではなく、その真相を貴方自身の目で確かめていただこうと立ち寄らせていただいた次第です。
どうぞあのリムジンに御同乗いただきたく。
行先は私の別荘――今はむしろ本宅と言う方が正しいのでしょう――が在る長野県です。
こんな事を言っては失礼に当たるかも知れませんが、日当だって言い値でお支払いさせていただきますよ。現金でも小切手でも。
なに、身の安全を案ずる必要はありません。
スマートフォンはもちろん、GPSだろうと盗聴器だろうと何をお持ちになっていただいても結構。
警察や弁護士、あるいは信頼できる友人に連絡をとりたければ、どうぞご自由に。
準備がお済みになったら出発しましょう。
道中では――そうですね時間は充分にありますから――あのような噂が生ずるに至った経緯でもお話しさせていただくとしますか。
◆ ◆ ◆
塹壕ラジオってご存知ですか?
あるいはフォックスホールラジオ。
フォックスホールってのは狐の巣穴のことで、日本軍で言うところの蛸壺壕のことです。
第二次大戦のときに、タコツボ壕に籠った連合軍兵士が退屈を紛らわせるために作ったのが始まりと言われています。
連合軍の大陸反攻、たしかイタリア戦線のアインツィオ攻略時での発明が始まりだったと記憶してるんですが、太平洋戦線で無人島に不時着した米軍戦闘機パイロットが孤独を紛らわせるために作ったというのも読んだことが有るもので、正確なところは私も知りませんけれどね。
もしかすると21時57分のベオグラード放送。
あの、今でも伝説となっているララ・アンデルセンの『リリー・マルレーン』を受信するために生み出されたのかも知れません。
塹壕ラジオ自体は退屈しのぎに相応しく、凝った構造ではありません。
鉱石ラジオの一種でコイル状に巻いた銅線と、錆びた安全カミソリの刃か錆びた釘、鉛筆の芯に加えてイヤホンが有ったら作れてしまうのです。
カミソリの刃や錆び釘が、鉱石ラジオでいうところの鉱石検波器に相当するわけですね。
だから有りあわせの材料で作れるといってもヘッドホンだけは不可欠に近く、それが無いと工夫が難しい。
壊れたか不要になったヘッドホンを二つにバラして、片方はイヤホンとしてそのまま使い、もう一方は銅線取りに使います。
逆に言えば、それ以外の材料は工夫次第でどうとでもなる。
戦場では錆びた金属の調達は難しくないだろうし、チューナーにする鉛筆の芯はクリップみたいな物で代用が利きます。
そうそう。捕虜になったパイロットの事例では、救急キットに含まれていたカミソリの刃をわざと海水に浸して酸化鉄を作ったのでした。
電池や発電機のような特に独立した電源は要りません。
アンテナ線として伸ばした銅線が、空中を飛んでいる電波をキャッチして電源の役割をも併せて果たすためです。
市販の携帯ラジオに電池を入れるのは、受信した音源をスピーカーで増幅させるために電源が必要だからであって、イヤホンで聞くだけならば鉱石ラジオに電池は必要無いんですよ。
このように電波というモノは電源が無くとも本来簡単にキャッチ可能な物でしてね。
電池を交換しても音が出ない壊れたはずのラジオが、なにかの弾みで急に鳴り出したとかいうのは不思議でも何でもないのです。
単にスピーカー部品のトラブルか、あるいはそこに通電させるための電気回路の不具合が不調の原因だったのでしょう。
鉱石検波器として考えるなら、意図して物理的に徹底して粉砕されない限り『ラジオ』は死なない。
電池を抜いて不燃ゴミとして捨てられていても、ゴミ置き場の中で常に電波を受信し続けているのです。
いわば不滅の存在です。
おや? まだお分かりにならない?
それでは、もっと極端なハナシをしましょうか。
たとえば、そうですね……
『誰もいない場所で人の声が聞こえる』系の都市伝説について。
『どこからともなく人の笑い声が聞こえる』とか『女の歌声がする』という場合で、かつ『本人には現に聞こえているのにも関わらず、本人以外の周りの誰もがそんな声は聞こえないと反論する』というような場合です。
そのような時だと――精神が病んでいる以外の原因として――声が聞こえると主張している人物自身が、ラジオに成っている場合が有り得るわけです。
人間の身体は電気を通しますでしょう?
水分と塩分を含んでいますからね。塩水が電気を通すのと一緒だ。
言わば『生理食塩水の詰まった袋』が人体なのです。
だから感電なんてことが起きる。
人間が電気を通さない絶縁体ならば、感電事故は起こらないはずですよね。
そう考えれば塹壕ラジオの銅線と同じで、人体は空中を飛び交う無限の電波を受信するアンテナ線かつ電源の役割を果たし得る。
……ああ、妙な顔はされなくとも結構。
「悪い電波から脳を守るために頭にアルミ箔を巻け」なんて、非常識なことは言い出しませんから。
当然と言えば当然ですが、導電体であるだけならば鉱石ラジオとして不十分。
機能はしません。
そう。検波器として機能するには『鉱石』が必要なのです。
加えてチューニングするために別種の導電体が。
ま、それらが『何かの偶然で全て揃ってしまった時』には――非常に珍しいケースであることは否定しませんが――人間は生きたままでラジオとしての機能を有し得るというわけです。
その珍しい偶然というヤツが起こった事例の一つが『入れ歯が原因だった』というものでしてね。
ええ、その通り。金属歯が鉱石検波器になってしまう事があるんですな。
嘘でない証拠に、そうですね……スマートフォンをお持ちですか?
そうそう。検索サイトを立ち上げて『入れ歯』と『ラジオ』のキーワードで調べてみて下さい。
ほら。ズラズラと結果が出てきましたね。
有るんですよ。この通りに。
しかも義歯が検波器になった場合には、イヤホンが無くても音を聴き取ることが可能です。
頭蓋骨を通じて振動を伝播する骨伝導で音を聴き取れますからね。
いわば自分の頭そのものが、自分専用のスピーカーってわけです。
ただ残念なことに、義歯を入れたからといって世の中の誰もが塹壕ラジオになれるわけではない。
私も奥歯に詰め物をしていますが、今まで一度たりとも電波を感知できたことはありません。
今この瞬間にも無数の電波が私の身体を貫き、細胞を振るわせているのだとしてもね。
それが聴覚器官にまで伝わらないんだなあ!
それは貴方も一緒でしょう?
人間がラジオに成れるのだというのを、今の今まで御存知なかったわけだから。
貴方の身体がラジオ番組を受信していたのは間違いないのに、楽しむためには別途にラジオを用意しなければならなかったはずだ。
なんて不便なんでしょうね?
ま、技術の進歩には目覚ましいものがありますから、その内には高性能チップ式ラジオが頭蓋に皮下装着できるようになるでしょうけれど。
いや変な事を言いました。
その位にまで技術が進歩するのだとしたら、ラジオ番組以外のものまで受信できるようにならなくてはね。
更に受信だけでなく、送受信のどちらもができるようになって欲しいものです。ネット接続が可能になってね。
サイエンス・フィクションだと良くある設定ですが、SFの世界で考案されたものは”そのうち”実現されるものですから、そう遠くない将来には皆がその能力を獲得することになるのでしょうな。
まあ未来のことは脇に置いておきましょう。ここでは鉱石検波器式のラジオの話です。
ヒトはラジオを持っていなくとも偶然の悪戯が重なればラジオ番組を聴取し得るが、ただし現在ではまだ、それが出来るのは非常にレアな人物のみに限られる、という事実はお分かりいただけたと思います。
自慢するようで悪いのですが、私の妻は皆に先駆けて『検波器』になる幸運に恵まれた人間なのです。
選ばれた人間、と称えてよい。
奇跡的な偶然の落とし子なのですから。
ただ初めて出会った時から、彼女は”その特権”を非常に気にしていました。
なにかの弾みで、ふと漏らしてくれたのです。
「たまに居ないはずの誰かの話し声が聞こえる」とか「かけてもいない音楽が流れている」などと。
私は心霊現象の種明かしとして、既にその知見に触れていましたから
「それは不思議でもなんでもなく、物理的に説明が付く現象なのですよ。」
と彼女に伝えることが出来ました。
すると彼女は非常に関心を示し、実は歯科矯正や美容整形なら今までに何回も受けた事が有るのだ、と教えてくれました。
そしてコッソリと”今の顔になる前”の写真を見せてくれたのです。
丸顔の愛くるしい可愛らしい顔立ちでね、歯科矯正や美容整形が必要だとは思えなかった。
けれども彼女には納得がいっていなかったのですな。
「誰からも愛される顔に生まれたかった。」
彼女はそう言いました。
私は『人にはそれぞれ好みがあるのだから、誰からも愛される顔など有り得ない』と思いましたが、彼女には「なるほど。今やその顔を手に入れたというわけですね。」と応じました。
けれど彼女は浮かない顔で
「初めは鼻を少し高く、目を少し大きくしたいだけだったのに。」
と言いました。
けれど一度顔にメスを入れると、次は頬をシャープにしたい、メリハリのない顎を尖らせたいと欲求が止まらなくなってしまった。
一応の満足が得られる顔へと辿り着いたときには、気付けば元の面影は皆無に近かったのだとか。
繰り返し”処置”や”施術”を受け、そのときどこかで金属部品が頭部に埋入されたのでしょう。
それがたまたま彼女をラジオへと導いたのです。
私は『彼女がせっかくの特権を失うのは残念なことだが』と内心は考えましたが
「それならば原因となっている金属の除去手術をすれば、電波受信の悩みからは解放されますよ。なに、私は自由に使える金を少々蓄えています。よかったら力になります。」
と再び手術を受けるよう説得するふりをしました。
けれど彼女は「ようやく満足できる顔になったのに、今のバランスを壊したくはないから。」と拒みました。
私が密かに安堵の吐息を漏らしたのは言うまでもありません。
今考えてみれば、私はそもそも彼女が生きながらラジオと化したのを羨んでいたのだから、彼女がそれを放棄するのを望んではいなかった。
説得に使った言葉が弱弱しかったのは、私の秘めた内心のなせる業だったのかも知れません。
私と彼女との距離は狭まりましたが、彼女の憂鬱は深くなっていく一方でした。
原因が偶然の鉱石ラジオであったとしても、頭蓋の中で他人の声が響くのを止めることが出来ないのですからね。
彼女は万に一つの可能性を求めて、怪しい拝み屋に足を運んだり、神社でお祓いを受けたりしていたようです。
けれども心霊的な、いわゆる霊障というヤツではなく単なる物理的要因なんだから、効果が有ろうはずがありません。
また彼女は心療内科にも通い、カウセリングも受けていたようです。
睡眠導入剤も服用していました。
でも夢の中でも彼女は、頭の中で響く声に悩まされ続けました。
「悪夢を見ているのか、実際に受信しているのを夢うつつで聞いているのかも分からなくなった。」
彼女はよくそう溢していました。
そして或る日、彼女は私に
「電波が飛んで無い土地に連れて行って欲しい。どこか遠くへ。何も聞こえない静かな場所へ。」
と頼んできました。
私は二つ返事で承知し、念のために信州の別荘の地下に鉛張りの核シェルターを建設するようゴーサインを出してから、彼女と一緒に電波が届かない場所を探して旅立ちました。
アフリカのサバンナ。
アマゾンのジャングル。
南洋の孤島。
北極圏。
カタコンブ・ド・パリの闇の奥。
ドイツの岩塩鉱山跡やヒマラヤのトレッキング・ルートまでね。
まる一年ほどかけて、世界中を彷徨いました。
結婚式を挙げたのも、その旅の途中でのことです。
けれども彼女が鉱石検波器として類を見ないまでに優秀だったのか、あるいは既に譫妄状態であったのか、電波はどこまでも追って来ました。
地上にはどこにも、彼女にとっての安住の地は無かったのです。
疲れ果てた彼女はついに音を上げ、頭に埋まっている金属を取り出すことに同意しました。
私は彼女を信州の別荘に匿うと、束の間の安息の場として地下の核シェルターへと誘いました。
理論上は全ての電波を遮断し、そこでなら彼女は音を感じない生活が送れるはずだったからです。
彼女を電波遮蔽した部屋で静養させている間、私は金に物を言わせて優秀な外科医を探しました。
彼女が気に入っている現在の顔を変えることなく、頭部に埋入されている金属全てを除去もしくは非金属に置換できる腕の持ち主をです。
何人かの候補者がピックアップされました。
私はそのうちの一人に直接あって人物を確かめ、病院の手術設備を見学しました。
けれどそのことを伝える前に、別荘の使用人から怖ろしい連絡が入りました。
彼女が自ら命を絶った、というのです。
彼女を一人にしたのが間違いでした。
私は医者の手配など誰かに任せ、ずっと彼女に寄り添っているべきだった。
私が全てを放り出して駆け付けた時には、既に検死が終わったあとでした。
彼女はシェルターを出て、槍ヶ岳の眺めが美しいバルコニーで、首を吊っていたということです。
原因は……判りません。
再び顔にメスを入れるのが嫌だったのか。
シェルターの中の静寂と孤独が、逆に彼女を苛んだのか。
あるいは電波遮蔽した部屋の中までも、声が彼女を追って来たのか。
厳寒期でしたから彼女の骸は腐敗することなく、生前の美しさを保ったまま冷たく凍り付いていました。
私は恥も外聞もなく泣きじゃくり、霊安室で彼女の身体に縋り付きました。
彼女の額に自らの額を押し当て、涙を流しました。
もしかすると――まるでおとぎ話にように――私の涙で彼女が蘇るかも知れない。
そんな奇跡でも起きないと、この世はあまりに辛いことばかりが多すぎる。
しかし惑乱した私の脳に、不意に歌が流れ込んできました。
呟くようなメゾソプラノ・ボイスですが、乱れ切った心に染み入るような美しい癒しの歌声です。
驚いた私が上半身を起こすと同時に歌声は途切れ、霊安室の中に彼女と二人きりである現実に引き戻されました。
が、私は悟ったのです。
彼女は人としてなら検死医が言うように、死んでしまって最早戻っては来ない。
けれどもラジオとしては『生きて』いるのだ、と。
額と額を押し付け合ったことにより、骨伝導を通じて私は彼女が受信している歌を聴くことが出来たのでした。
いえ、骨伝導によって『まだ生きている』彼女の呟きを聴く幸運に恵まれたのです。
嘆いている暇など無い、と私は悟りました。
迫り来る死穢から、彼女に残された――彼女が私に残した――機能を守らなければ、と。
江戸川乱歩に『蟲』という悍ましくもリリカルな短編小説がありますよね。
手にかけてしまった愛する女性の屍を、美しいままに保とうと孤軍奮闘する哀れにも滑稽な男の話です。
男は女性を塩漬けにしようとか、氷漬けにして保存しようなどと考えますが結局は上手くいかず、腐敗した女性の屍肉に顔を突っ込んだまま身罷ります。
私は妻の屍と共に朽ち果てるのを、怖いと思ったわけではありませんし嫌悪したわけでもありません。
むしろ妻と出逢うまで、ずっと孤独を感じ続けていた身には望むところでした。
けれど腐敗はラジオ機能の『物理的破壊』に繋がってしまうでしょう。
私には屍穢や屍毒よりも、この世界一美しいラジオを毀損することの方が怖かった。
ですから、まずは別荘に彼女と一緒に液体窒素を運ばせ、-196℃のタンクの中で彼女の凍結が解けないよう手配しました。
次に遺体衛生保全の名手を探しました。
今では国内でもエンバーミングは行われるようになってきています。
けれども日本で行われているものは、葬儀を出すまでの間、故人を美しく保つための処置です。
期間は最長でも50日間ほど。
私が欲したのは、共産圏の独裁者が死後に施されるような半永久的な処置です。
それには国外にあたるしかありませんでした。
けれども半永久的処理を行なおうと思えば、少なくとも血液を始めとして体液全部をポンプで抜き取り、完全に――たとえばホルムアルデヒドのような――防腐剤と置換する必要がありました。
その事をエンバーマーから説明され、私は彼女を防腐剤漬けにするのを諦めました。
彼女が『機能している』のは、彼女が導電体であるからなのです。
その基となっている導電性の体液を抜き取り、有機溶剤と置き換えてしまったのなら『機能』は変わらず保持されるのでしょうか?
彼女から『機能』を失わせてしまうくらいなら、いっそ火葬して一緒の骨壺に収めてもらう方が私には潔く思われました。
ですから彼女はまだ、元の美しい姿のまま液体窒素の中に居ます。
保存容器には覗き窓をつけ、彼女の顔を眺めることが出来るよう改造は施しましたが。
加えて彼女の頭骨にピンを刺し、彼女が受信した番組を聴き取れるようアンプと接続してあります。
私は夜になると彼女の横に佇み、彼女の顔を飽かず眺め、彼女の声に耳を傾けます。
いつか私が彼女と同じ世界へと旅立つまで。
ですから貴方の書いた記事が全くの出鱈目だとは言いません。
私が毎夜、死美人と逢引しているのは事実だと認めましょう。
惚気て申し訳ないが、自慢の妻ですからね。
◆ ◆ ◆
さて、もう少しで目的地です。
家内が貴方をもてなしてくれると良いですな。
なぜだか彼女は、私以外の人間には囁きかけることが殆ど有りません。
少し気難しいだけでなく、恥ずかしがり屋なのですよ。
今日は機嫌が良いといいのですがね。