第9話:大型犬との散歩は命がけ
「朝の鍛錬は気持ちが良いでござるな! ポチ殿!」
俺の前方数メートル先を走るミケが楽しそうな声で語り掛けてくる。
が、こちらはそれどころではない。
両足を無理やり動かして転倒しないようにするのに必死だ。
こんな状況になったのは、10日くらい前。
ミケとの試合にどうにか勝利した俺は、なぜかミケの主になった。
そのおかげでジュウゾウ捕獲にミケも協力してくれることで話はついた。
これで状況も進展するかと思ったが、なぜかレミさんが作戦を練り直すので当分は待機と言い出したのだ。
その間は特にすることもないのでゆっくり過ごせると思っていたのだが、試合の翌日からミケの鍛錬に付き合わされている。
日の出前に起こされ、ジョギングに連れ出されるのだ。
俺とミケの身体能力は明らかに違う、違い過ぎるので並走することはできない。
初日は開始数十秒でミケは前方遥か彼方へと消えていった。
ミケはそれが不服だったようで、次の日には俺の腰にまあまあ太い鎖を巻き付け、伸ばした鎖をミケ自身の腰にも巻き付けた。俺たちは数メートルの鎖で繋がれた状態になった。
そして、ミケが引っ張る形で強制的なジョギングが始まったのだ。
「家臣より弱い主では他者の笑いものにされてしまうでござるよ!」
ミケは息も切らさずに爆走しながら、俺に呼びかける。
俺は転倒しないようにガムシャラに足を繰り出す。
ただ、上半身は慣性の法則に従って後方へとエビ反りになり、両手をだらしなくたなびかせている。大型犬の散歩で引きずられている飼い主のようだ。
かなりみっともない体勢だが、これでもかなりマシになった。
鎖で繋がれた当初はまともに走ることもできず、転倒したまま引きずられていた。
まさに市中引き回し状態。
貴族や商家のお坊ちゃん、お嬢ちゃんに指をさされて笑われていた。
3日目からはミケが速度を少し落としてくれたこともあって、どうにか転倒せずに走れるようになった。引っ張られる体勢はどうにもならないけど。
「ミ、ミ……」
「どうしたでござるか?」
「ミケ……そ、そろそろ…」
「え? よく聞こえないでござる。まだ走り足りぬか?」
いや、もうギブです。
息があがっていて、うまく喋れない。
ミケの体力はいったいどうなっているのだろうか?
同じ人間とは思えない。いや、この世界の人間の上限がわからないのでなんとも言えないけど。
エビぞり状態で前方の景色も見えないので、都市のどの辺りを走っているのか全く把握できていない。決まったコースを何周か走っているそうだが、現在何周目なのかもよくわかっていない。
「お、レミ殿! もう朝食の時間でござるか!」
ミケはそう言うとピタッとその場に停止した。
この子に慣性の法則はないのだろうか?
俺は急停止することができないので、そのままミケに突っ込んでいく。
ぶつかる寸前でミケはひょいっと俺をかわし、自身の腰の鎖を手綱のようにぐいっと引いた。
俺はいきなり後方に引っ張られ、くの字の体勢のまま、地面に倒れた。
……これって主に対する正しい扱いなのか?
「ミケ、お疲れさん。朝食は注文してあるから、いつものようにカウンターのおじさんに声かけて」
「レミ殿、いつもかたじけない」
ミケは腰の鎖を外すと、そのまま俺たちが定宿にしている建物に入っていった。
「ポチ君もお疲れ。主殿は大変だねぇ」
宿屋の1階にある食堂のオープンテラスで紅茶を飲みながら、レミさんは俺をからかうように見ている。
俺は足に力が入らないので、ほふく前進でレミさんのもとへと進んで行く。
「レ、レミさん……み、水を……」
「はいはい。ちょっと待って」
レミさんはウエイターを呼び、何やら注文をしている。
俺はどうにか彼女の向かいに座ると、荒い呼吸を落ち着かせるのに集中した。
ほどなくすると、ウエイターがジョッキにミルクを入れて持ってきた。
親切にもストロー付きだ。今の俺にジョッキを持つ体力はない。
「毎朝の鍛錬はどう?」
必死にストローでミルクを吸っている俺に、肩肘ついてレミさんが訪ねてきた。
「ど、どうも、こうも、ないですよ。ミケの体力は、非常識にも、ほどがあります」
「でも、ここ数日でポチ君もどうにかミケについていけるようになったみたいだね」
「平均よりちょっと上の身体能力じゃなくて、もっと強い体にしてくれたら良かったのに」
そう、この世界での俺は18歳の肉体で、身体能力はこの世界では平均よりやや上になっている。レミさんとソラちゃんとの召喚契約による効果だ。
「ポチ君の言う平均はかなり認識違いがあるんだけどね」
「どういうことですか?」
「ポチ君の世界の平均っていうのは、この世界ではかなり低い値だね。考えてもみなよ。ミケやナーガスみたいなのが普通にいるのがこの世界。そこでの平均値だからね。ポチ君の身体能力は今の情けない状態になるほど劣っていないはずだよ」
「え……じゃあ、なんでこんな状態になってるんですか?」
「たぶん、ポチ君の魂や意識がポチ君の限界を自分の世界の基準で捉えているからだと思うよ。この世界の常識で捉えることができれば、もっと体を動かせるし、疲れにくくなるんじゃないかな」
「そんな精神論みたいなことでどうにかなるんですか?」
「ミケとのジョギングだけど、実は日ごとにちょっとずつ速度が上がってたのは気づいてた?」
「いえ、わかりませんでした」
「つまり、いつもと変わらないと思っていたからついて行けていたわけ。気の持ちようでどうにかなるほど身体能力的にまだ余裕があるってことだよ」
「……もしかして、このジョギングってレミさんの策略だったんじゃ?」
「まさか! 言い出したのはミケだよ。そこに私がちょっとアドバイスをしただけだよ」
「それが策略なんですよ! でも、まあ、体が鍛えられたから良かったですけど。このままだとジュウゾウ捕獲も難しいでしょうから」
「ポチ君、それはちょっと違うよ。君の体は契約時に設定したものから変わることはない。つまりどんなに筋トレしても今よりも筋肉がつくことはないよ。君ができることはポテンシャルを最大限引き出す意識改革ってところかな」
「やっぱり精神論じゃないですか! それより、いつまで待機してるんですか? 作戦の練り直しって言われて10日は経つんですけど」
ジョッキのミルクを飲み干して、俺は悪態をついた。
「私とソラで頑張って準備しているから。もうちょっと待って」
「そういえば、ここ数日、ソラちゃんを見ていないんですけど」
「部屋に籠って術具を作ってるからね。おかげで私もクタクタだよ」
軽く伸びをするレミさんをよく見ると、その目の下にくっきりと隈が見て取れた。
「術具ってどんなものを?」
「ミケを見てジュウゾウが想定以上に強いとわかったからね。ポチ君の魔術だけでずっと捕縛するのは難しいから、長時間捕縛できるアイテムを作ることにしたんだ」
「それってどんなものですか?」
俺がレミさんに聞き返したところで、俺はこちらに近づく何かに気が付いた。




