第16話:惚れさせフレーズ
ワタさんが放った煙が薄れていき、怨レミが意識を取り戻した。
うなだれていた頭をゆっくりと上げると、眼は相変らず闇のように黒い。
血のツタをぐっと握りしめ直し、前後に激しく揺らし始めた。
レミさんには言えないが、その姿は動物園の興奮したゴリラのようだ。
「ポチさん」
「はい?」
ワタさんはいきなり俺の肩を掴むとぐいっと俺を自分に引き寄せた。
そして、俺の耳元に囁きかける。
「レミさんの中の怨霊が興奮状態のうちに処理してください。怨霊が冷静になって笛を使って怨霊の子を増やす事態は絶対に避けなければいけません」
「憑依していない怨霊なら、俺の魔術で昇天できますけど」
「退治できるかどうかではないです。今、あの怨霊はポチさんから奪った魔力で稼働しています。でも、手下を生み出すのにポチさんから奪った魔力だけでこと足りるのかはわかりません。下手をするとレミさんの体から魔力を奪おうとするかもしれない」
「! レミさんはもともと魔力が少ないから……」
「そうです。少ない魔力を奪われたら命に関わります。ですから……」
「状況は把握しました」
俺が頷くと、ワタさんは俺の耳元に寄せていた顔を戻した。
この会話を怨レミに聞かせたくなかったのだろう。
いや、もしかしたら、ソラちゃんが動揺しないように気を使ったのかもしれない。
事態は急を要することはわかった。
とはいえ……。
「惚れさせるって、どうやればいいんですか?」
俺はただそこにいても恋愛対象になるような美貌ではない。
助けを求めるようにワタさんを見つめた。
きっと、今の俺はすごい情けない表情をしていることだろう。
「まずはお話をしてみてはいかがですか?」
ワタさんは笑顔で即答したが、眉毛がいくぶん下がり気味。
ダメだ。
この人、特に妙案があるわけではないようだ。
俺たちのやり取りにしびれを切らしたのか、怨レミがさらに激しく血のツタを揺らした。
「ポチさん! 急いでください」
「……わかりました」
こうなったら、イチかバチかだ。
何か気の利いたことを言おう。
「あの……リコーダーを舐められるほど男の子に好かれてたわけだから……悲しまなくていいと思うよ」
俺の言葉を聞いた怨レミはぴくっと体を震わせると俺を見つめてきた。
じーっと俺を見ている。
効果があったのか?
「なんで! なんで! なんでお前が知ってるんだ! お前たち、私の秘密を覗き見たのか!」
怨レミが人間とは思えないほどの怨霊で、突然叫んだ。
その声に、部屋の棚に陳列している聖異物がガタガタと揺れる。
どうやら失敗したようだ。
「古傷に塩を塗るようなことを言ってどうするんですか!」
「えーと。慰めの言葉のつもりだったんですけど」
「女の子にひどいこと言っちゃダメです」
「ああ、ソラちゃんまで!」
「もっと、女性の気持ちを考えてあげてください」
怨レミは「許さない!」と連呼しながら、血のツタをブチブチと引きちぎり始めた。
「結界が!」
「大丈夫です。この結界は自己修復しますので。それよりもポチさん、どうにか彼女の気を惹いてください。ここには男性はあなたしかいないのですよ」
「あーもー! わかりました! 伊達に学生の頃に妹の少女漫画を読んでいたわけじゃないです! 女子を惚れさせる定番フレーズは覚えています!」
腹を決めた。
明確に覚えているわけではないが、少女漫画に出てくる惚れさせフレーズは知っている。
ただ、実際に言うのはすごく恥ずかしいのでさっきは言わなかったのだ。
もう恥も外聞もない!
言うぞ! 言っちゃうぞ!
俺はすーっと息を吸い込んだ。
「お嬢さん!」
まずは怨レミの注意を俺に向ける。
名前を知らないので「お嬢さん」と呼んだが、どうやら自分のことだと怨レミは思ってくれたようだ。
「お前といると、調子が狂っちまうぜ」
怨レミの動きが一瞬止まる。
これはうまくいったか。
「うがー! 私が悪いの!」
ダメだ。
次!
「お前は俺の女だ。誰にも渡さねーよ」
「うがー!」
「あんな男より、俺の方がお前を幸せにしてやれる」
「うがー!」
「ふぅ。お前、おもしれーな」
「うがー!」
「一度だってフラれたことない俺が……絶対に振り向かせてやる!」
「うがー!」
「お前、面白いな」
「うがー!」
「俺の周りをちょろちょろ動き回るめんどくせー女だと思ってたのに……」
「うがー!」
「俺を好きになればいいだろ?」
「うがー!」
「かりんとう、眉間に張り付いてるぜ」
「うがー!」
俺がキメ台詞を言うたびに、怨レミが激しくツタを揺さぶる。
この後もいくつか惚れさせフレーズを試したみたが、どれも不発だった。
「なかなか手ごわいですね」
「あの……ポチさん」
「ソラちゃん、どうしたの?」
「ポチさんの言ってること、どれも心に響かないんですけど」
「そんな! これ、少女漫画のあるあるフレーズですよ。どれかは心に刺さったのがあったでしょ? ねえ、ワタさん?」
俺はワタさんに同意を求めた。
「自分本位というか、女性を所有物扱いというか。自己陶酔している感じで不快です。女性をなんだと思ってるんですか」
いつも優しいワタさんが冷めた表情で抑揚なく答えた。
「怨霊の子とは初対面だし、そもそも男性を憎んでいるわけだし、いきなり胸キュンさせるなんて無理な話ですよ!」
「胸キュンとは? ポチさんの世界の言葉ですか?」
「恋愛漫画でよくあるやつです。相手を惚れさせるような言葉とか、仕草とか……」
そうか。そうだよ!
俺には相手を胸キュンさせることができるじゃないか。
別にモテたことのない俺自身で勝負する必要なんてなかったんだ。
「ポチさん?」
急に黙り込んで不敵に笑う俺を警戒するようにワタさんが声をかけてきた。
「ワタさん。次は大丈夫です! でも、少し時間がほしいので怨霊の気を引いてください」
「何か妙案があるようですね。わかりました。でも、あまり時間をかけないでください。すでにレミさんの体にダメージが出ています」
ワタさんが怨レミを指さす。
ツタを力いっぱい握って揺さぶり続けているので、指の皮が剥がれて出血している。
人差し指の爪も剥がれかけていた。
「わかりました」
俺はJUピー!を手に取った。




