1.あおり運転
六月一日。午後十二時。
埼玉県深谷市、関越自動車道、花園IC付近。東京方面に向かう高速道路で、一台の軽自動車が猛スピードで走っていた。
「もっとスピード出せよ!」
「これ以上はヤバいって!」
乗っている若い男性三人が中で大騒ぎして笑っている。大学生くらいの彼らは夜になって車通りが少なくなってから高速道路を猛スピードで走るのが楽しみだった。
「あの教授本当うぜーよな」
「あんなに言わなくてもいいのにな」
「めっちゃムカつくよな。・・・でも俺たちにはいい発散法があるじゃん?」
三人は笑うと前を走る黒のセダンを見つける。法定速度をしっかり守っているようで、猛スピードで走る彼らにはとても遅く感じた。
すると、彼らは黒のセダンに距離を詰めたり、追い抜いたり、急ブレーキをかけたりし始めた。あおり運転である。
「ぶつかるぶつかる!」
「ビビってるって後ろのクルマw」
これが彼らの発散法。人を陥れ、下手すれば大事故になりかねない大変危険な行為だ。道路交通法が改正されてあおり運転が厳格に取り締まられる様になり、ドライブレコーダーも普及し始めても、この様な輩は減らない。
しばらくあおると彼らはセダンから離れる。
「そろそろ帰るかー。うち、見つかると親父がうるせーんだよな」
「じゃ花園インターで降りるか」
花園ICで降りようと左車線により、「あと一キロ」の看板が見える。
すると、後方からライトが猛スピードで近づいてくる。そのライトはスピードを緩めず、男三人が乗る軽自動車に急接近してきた。
「うぉ!なんだ後ろの車!」
「やべぇって!早く降りろよ!」
「わかってるって!」
減速車線に入り、減速するが後ろの車は一向にスピードを緩めない。それどころか距離を詰め続け、後ろに車がぶつかる音がする。
「やりやがった!」
ICの料金所を抜けて人気のない道を走る。まだ追ってくる。
そして何度も横からぶつかってきたり、追い抜いては急ブレーキしてぶつかってくる。車体など気にしてないようだった。
「やり返せよ!車ボロボロにされてんだぞ!」
「わかってるって!・・・この野郎、ふざけんなよ!」
軽自動車も負けじとあおり返す。普通は逃げるべきだが、あおる側の彼らにはそんな選択肢はなかった。
そして、次の瞬間。ライトが車を照らす。それは先程あおっていた黒のセダンだった。
気を逸らすと黒のセダンが思い切り横からぶつかる。軽自動車がバランスを崩す。そして、
「やばい!!!」
軽自動車が勢いよく横転する。何回転もしてから止まる。
横転した車から命からがら出てくる男三人をセダンのライトが明るく照らす。エンジン音が高く鳴り響いた。
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六月二日。午後八時。
「はぁ、疲れた・・・」
渚坂悠斗は紺の車を運転しながらため息をつく。さいたま市の会社に勤め、上尾市に彼女と同棲する渚坂は車を自宅に向けて走らせる。さいたま市なら電車の方が楽な気がするが、駅から離れた場所にあるため、車通勤にしている。
「取引先の人、無茶言いやがって・・・おかげで残業だよ・・・・・・」
イライラしながら運転する。自然に足に力が入り、スピードが出る。とっくに法定速度は超えているが、気にしなかった。
しばらく走ると、前に車が見える。赤のSUVが見える。法定速度を守っているようだ。しかし今の渚坂にとっては遅いとしか感じなかった。
「おっせーな・・・・・・早く行けよ」
自然と距離を詰めてしまう。そしてバッシング。車線はオレンジなので追い越し禁止だが、渚坂は追い越してしまう。
「ノロノロ走ってんじゃねぇよ!」
イライラしてて頭が回らなかったのか、普段の渚坂なら言わない暴言すら吐いて赤のSUVから去る。
追い抜かれた赤のSUVの車内。運転手は、スマホを取り出すと、追い抜いた車のナンバーと車体を写真に収めた。
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六月二日 午前六時。
埼玉県警捜査第一課の刑事、有明健三は深谷市の道にに来ていた。その道は高速道路に繋がる比較的大きな道だった。
「あ、有明さん、お疲れ様です」
「おう、朝から元気だな」
「若いですから!」
周りの捜査員たちがやば、みたいな顔をするが、有明は笑って「頼もしいな」と肩を叩く。その刑事は三橋遼といい、新人刑事だった。
道路の真ん中にかけられたブルーシートをくぐると、その惨状を目にする。
「こりゃひどいなー」
「お疲れ様です。有明警部補」
挨拶をしてきたのは里見瑠奈。こちらも新人刑事だが、眼鏡をかけて髪を結って、といかにもインテリっぽい刑事だった。本当にインテリらしい。
「先に来てたのか。・・・・・・状況は・・・見てわかるか」
「えぇ。大破した車。そして・・・」
道路に部品が飛び散り、車が大破していた。そしてそこにあったのは大量の血痕、轢死体が転がっていた。
「若い男が三人、車が事故ってって訳じゃなさそうだな」
「えぇ、車だけ見ればそうですが、遺体の方は明らかに事故では無いと思います。車の破損具合から見てもここまで遺体が損傷する事はないと思います」
「つまり、殺人と」
遺体に目をやる。車はせいぜい横が大きく凹んでるくらいの損傷だ。しかし、遺体は外に放り出され、明らかにタイヤに踏まれた様な凹みがある。一人は頭が潰れている。
「有明さん!近くの防犯カメラを調べたところ、事故を起こした車ともう一台の車が確認できました」
「よし、詳しいことは捜査会議ってところだな。行くぞ」
三橋からの報告を受け、有明は三橋と里見を連れて現場を後にする。
「これより捜査会議を始める。まずは遺体の身元」
捜査本部が設置された警察署の会議室に本庁捜査一課の係長の声が響く。
「遺体の身元は、金田将大、柴田淳平、小峰悟でした。全員東松山の大学に通う大学生です。免許証が残されており、住所も熊谷市の住まいだと判明しています」
「死因は?」
「車体の激闘による打撲、圧搾、内臓破裂と考えられます。しかし、遺体の損傷が激しく、まだ特定には至ってません」
資料に目をやる。遺体の写真を見て里見は少し顔をしかめ、三橋は「おえっ」と声を漏らす。有明も今まで担当してきた事件の中でも一番に凄惨な現場だと感じる。一人は身体を押し潰され、一人は頭を潰されて眼球が飛び出しまっている。
係長も少し顔をしかめて続ける。
「何か殺人だという証拠は見つかったか?」
「はい、近くの防犯カメラに被害者達が乗っていたと思われる車と犯人と思われる車が映ってました」
有明がそう言って合図を送るとプロジェクターから映像が映し出される。
横転する軽自動車、そこから出てくる三人の人影。そしてそこに躊躇なく突っ込む黒のセダン。
「車内を調べましたが、ドライブレコーダーはありませんでした。しかし、この映像からも分かるようにこの黒のセダンが三人を轢き殺したと考えるべきだと思います」
「ふむ、確かに・・・・・・」
係長が低く唸ると隣に座っていた管理官が立ち上がる。
「まずは被害者の交流関係、恨んでいたものがいないかなどを調べ、過去についても調べてください。また、犯人が乗っていたと思われる車の特定を急いでください。以上!」
管理官が大きな声で言うと、捜査員たちが一斉に動き出す。
「有明さん、まずはどうしますか?」
「被害者の交流関係だな。それしかないだろ」
「三橋さん、あまり勝手な行動はしないでくださいね」
里見が眼鏡に手をかけながら三橋に言う。一応同じ新人刑事なのだがどうしても里見の方が上からになってしまう。
有明達は捜査本部を後にする。
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六月三日。午前八時。
上尾市のマンションの一室で渚坂は眠そうに起きていた。
「おはよー・・・」
「あ、起きた?今日はゆっくりなんだね」
渚坂の挨拶に返したのは結島茜だ。さいたま市の病院で看護師をしている。二人は一応付き合っている。セミロングの黒髪に整った顔立ち。普通に美人の類に分類される。
「今日は休みだからね・・・昨日は疲れたー!」
「昨日残業大変だったんだって?お疲れ様ー」
渚坂がテーブルの前に座ると味噌汁と納豆とご飯を出すとせっせと着替え始める。
「あれ?仕事?」
「うん、人手が足らなくてさ。そんなに遅くはならないからさ。悪いけど家の事頼んでいい?」
「いいよ、任せて。・・・あまり無理するなよ?倒れちゃったら元も子もないからな」
「わかってる、行ってきます!」
結島が仕事に行くともそもそと朝ごはんを食べ始める。帰ってきて気絶するように寝落ちした渚坂は昨日のことを思い出して、やば、と思う。
「イライラしてて考えなかったけど、昨日のあれってあおり運転だよな・・・警察に行った方がいいのか?」
ようやく自覚をする。被害届とか出されて警察の人が家に来たらどうしよう、と思ったがよく考えたら別に車とかぶつけてないし、ちょっと追い越しただけだから大丈夫か、と思う。
「ま、大丈夫だろ・・・」
朝ごはんを食べ終わり、支度をして頼まれた買い物に出かける。玄関を出て、マンションの駐車場に出る。端の方に見慣れない黒の車があったが、特に気にはしなかった。