第54話-2 暗殺の天使②
グレイシアの攻撃を間一髪で躱したジュリエットは攻勢に転ずるべくガラ空きとなった胴へ短剣を突き刺そうとする。
それに対してグレイシアは空中で器用に体を捻りジュリエットを蹴り飛ばすことで攻撃を未然に防いだ。
「ピコー様!」
ここでようやく現れた人物がグレイシアであると認識したマリアンヌが声を上げた。
「マリアンヌ様、お怪我はありませんか?」
グレイシアはマリアンヌの前に守るように立つと振り返ることなく問いかけた。
何故連れ去られたはずのマリアンヌがここにいるのかは訊かなくても分かる。
恐らくはジュリエットを尾行していた悪の爪達が連行先を突き止めてマリアンヌを連れ去ったのだろう。
ここにいないジュリエットは追手の足止めを。チリアット以外の悪の爪は倒されたと見て間違いない。
「私は大丈夫です。しかし……」
「悪の爪のことなら気にしなくて構いません」
マリアンヌの言わんとしていることを察したグレイシアが安心させるように呼びかけるとチリアットに視線だけを向けた。
「チリアット、状況を説明しろ」
「ウン。ボクイガイノマレブランケハゼンメツ。アイツノセンポウハキホンアノタンケンヲモチイタキンセツセン。ソノウデハマラコーダヲシュンサツスルクライニ。デモ、ホカニナニカミョウナノウリョクヲカクシモッテイルミタイ」
「妙な能力?」
「ウン。ヨクワカラナイケドファルファレルロノボールヤカニャッツオノノウリョクヲクラッテモゲンキダッタ」
チリアットの言葉をグレイシアは「2人の能力が効かなかった」と解釈すると考え込むように視線を上に向けた。
気にかかったのは「妙な能力」についてではなく、「ソノウデハマラコーダヲシュンサツスルクライニ」の部分だった。
刹那の間だが刃を交わしてジュリエットの技量については感じて取れた。
ジュリエットは確かに強いがグレイシアが今まで戦ってきた強者達と比較すると劣る。
少なくともチリアット以外の悪の爪全員を、マラコーダを瞬殺出来るほど強いとは思えなかった。
つまり純粋な実力以外の何か――チリアットの言う「妙な能力」が左右した可能がある。
御伽噺崩しで魔法が使えないことを考慮するとジュリエットは魔眼か異能力を持っているということになる。
だが、まだ確証がない。
「くっ……ここに貴様がいるということはアランは……」
「あの悪趣味な悪魔召喚術師のこと言っているのなら殺したぞ。次はお前の番だ」
今はまだ判断材料が少ないと断じたグレイシアは考えるのを止め、殺意を滾らせる暗殺の天使に目を向けた。
「私はこんなところで止まるわけにはいかないんだよ!」
グレイシアの挑発にまんまと乗ったジュリエットは女優の時と打って変わった粗雑な言葉遣いで叫び地を蹴った。
距離を詰めてくるのを見るに「妙な能力」というのは遠距離では力を発揮しないようだ。
ならこちらは遠距離からの攻撃を続ければいいと判断したグレイシアはデスサイズの斬撃を三つ飛ばす。
ジュリエットはこれらを全てをなんなく躱してみせると一直線にグレイシアへ向かっていく。
だがその時、地を踏み締めていたはずのジュリエットの足が空回った感覚を覚えた。
「!?」
その違和感に反射的にジュリエットが下を見ると底に禍々しい漆黒の炎が揺らめく大穴が現れていた。
彼岸地獄第六階層の能力獄炎の深淵である。
「いつの間に!?」と気づいた時にはもう遅い。
ジュリエットの体は重力に従って突如として現れた獄炎の深淵に吸い込まれるように落下していく。
獄炎の中に落ち切ってしまえば終わりなのは文字通り火を見るより明らかだ。
ジュリエットは即座に強く握りしめた短剣を獄炎の深淵内部の壁に突き刺し落下を防いだ。
しかしその熱までは防ぐことは出来ず、ぶら下がった状態で下から燃え盛る獄炎に炙られるような形で体を蝕んでゆく。
服の端々が黒く焦げてゆき、短剣を握っていない宙ぶらりんとなっている左手にはジリジリと火傷が広がりつつあった。
ジュリエットの表情が苦悶に歪む。
今、何かしらの攻撃をされればそれを防ぐ手立てはない。そのまま獄炎の深淵に落ちるしかないだろう。
しかし、グレイシアはジュリエットの「妙な能力」を警戒し、追撃を仕掛けようとはせず立ったままジュリエットの様子を黙って見ていた。
そんなグレイシアの態度にジュリエットは憤りを露わにし叫んだ。
「私が苦しんでいるのを見て楽しんでいるつもりか!」
実際はグレイシアのいる場所から穴の中は見えない角度となっているためそのようなことはないのだが(そうだとすればわざわざ穴の中を覗きに行っているだろう)敵ということもあってかジュリエットには視線の先にいる髑髏の大鎌を携えた青年貴族がそのように映るらしい。
舞踏会中の尊敬の眼差しは何処へ行ったのだろうか?
ジュリエットは気力を振り絞るように声を上げると右腕に力を入れ、同時に"能力"を発動させその華奢な腕からは想像も付かない力で体を引っ張り穴から跳躍した。
そして、火傷も構わず空いた左手にどこからか取り出した短剣を握ると着地し、グレイシアに向かって一直線に肉薄する。
「……なるほどな」
グレイシアはそれだけ言うとジュリエットの攻撃から逃げようとせず得物であるデスサイズを床に突き刺すと仁王立ちの体勢を取った。
「なめるなぁ!」
それを自分への嘲りと受け取ったジュリエットは更に怒りを暴発させ勢いのままに短剣を繰り出した。
「くたばれ!」
しかし、その刃がグレイシアの体を貫くことはなかった。
グレイシアは短剣を突き出した手首を片方の手で掴むと同時にジュリエットの腹に蹴りを叩き込む。
蹴りを入れられたジュリエットは後方へ飛ばされるはずだがグレイシアが手首を握っているため足が床から離れ、体が浮遊するだけに留まる。
グレイシアはもう片方の手でジュリエットの手首を握るとその勢いを利用し、投げ飛ばした。
「か……はっ……!」
投げ飛ばされたジュリエットは背中から床に叩きつけられ、壁に激突するまで転がるとその場に蹲った。
最初の蹴りで肺の酸素を押し出されたことでの苦しさと体の裏表に焼けるような痛みが広がり文字通りの苦痛がジュリエットを襲う。
無意識に不足した酸素を取り込もうとしてもくるしさで上手く吸うことが出来ない。
「ヤッタ!グレイシア、トドメヲ!」
チリアットが叫んだ。
今、ジュリエットはこの上なく無防備な状態を晒している。息の根を止めるには絶好のチャンスだということは戦闘経験のないマリアンヌでも分かった。
そして、直にジュリエットはグレイシアによって殺されてしまうのだろうということを考えると胸に一抹の悲しみを抱かずにはいられなかった。
刹那の時間とは言え、同じ「貧民を救う」という志を共にした者が目の前で死なれるのは辛いものだ。
しかし、前者の予想とは裏腹に、後者の悲しみが通じたようにグレイシアは動かなかった。
「ピコー様……?」
その様子を不審に感じたマリアンヌが恐る恐る声をかけるも反応はない。
次の瞬間、グレイシアはまるで前身の力が抜けたようにバタリと倒れ込んだ。
「……ハァ〜、痛かった」
それと入れ違うように今さっきまで苦痛に喘いでいたジュリエットが何事もなかったように立ち上がると首と肩をグルグルと回した。
「だが、これでもう終わりだ」
そう言うとジュリエットは首を回すのを止め流し目で倒れたグレイシアを睨め付けた。
そして、ゆっくりとした歩みで迫っていく。
「一体何が!?」
状況が飲み込めず狼狽るマリアンヌ。
それはチリアットも同じであったがこのままではグレイシアが危ないということだけは即座に察知し、マリアンヌの隣を離れるとジュリエットに襲いかかった。
「喰らえ!」
ジュリエットは火傷した左手に持っていた短剣をチリアットに投擲する。
弾くのも避けるのも簡単な一撃だ。
しかし、チリアットは投げられた短剣に目を奪われたように必要以上に警戒しながらそれを躱した。
その直後、警戒心の意識外からジュリエットの斬撃がチリアットの喉を斬り裂いた。
吐血しながら「しまった」と後悔するももう襲い。追撃の蹴りが入り、チリアットの意識を刈り取った。
「ぐっ……」
ジュリエットがよろめき膝を着く。
酩酊とした頭でダメージが蓄積されているのを実感し、首を振る。
――あと少し。これさえ終われば。
そう自分を奮い立たせるとよろよろと立ち上がり、グレイシアに歩み寄る。
「やめて下さい!どうかそのお方は……」
マリアンヌの制止にジュリエットは何も言わずただ悲しげな一瞥をくれるとグレイシアの側にしゃがんだ。
そして、短剣を両手で握りしめ、刃をグレイシアに向ける。
「終わりだ……死ねっ!」
「やめてーーーーー!」
短剣が振り下ろされる。
刃がグレイシアの背中を突き破り血が迸る。
そして、刃は心臓にまで到達し、グレイシアの命の鼓動を止める……はずだった。
「!?」
ジュリエットが驚愕に目を剥いた。
動けないはずのグレイシアの手が動き、振り下ろされる短剣を握った両手を掴んで止めたのだ。
ジュリエットは驚きながらも両手を振り解こうとするもグレイシアの握力は強く片手しか使っていないにも関わらずびくともしない。
そこへジュリエットの首目掛けグレイシアのもう片方の手が迫る。
しかし身動きの取れないジュリエットはそれを躱すことが出来ず首を掴まれるとそのまま押し倒される。
ジュリエットは唯一動かせる足をばたつかせ振り払おうとするが、グレイシアが首を掴んだ手に込める力を強めていくとその抵抗も虚しいものに終わった。
「あ……あ……」
グレイシアはジュリエットの意識がなくなる直前に首から手を離した。
「ゲホッ!ゲホッ!」
不足した酸素を取りこもうと激しく咳き込むジュリエットにグレイシアは顔を近づけた。
「お前の能力の正体は催眠術。そうだろう?」
その一言にジュリエットが息を呑むのが分かった。
「催眠術を使えば身体の不調も傷の痛みも誤魔化せる上に敵の意識を奪うことも出来る。だが、攻略法がないわけじゃない」
そう言ったグレイシアの口端から一筋の紅が伝い落ちた。
それだけでジュリエットはグレイシアの言葉の意味を理解した。
「舌を……噛んで……」
「そうだ。催眠術は意識外からの強い刺激があれば解くことが出来る。だからお前が催眠術をかける直前に舌を噛んでおいた」
グレイシアは見せつけるようにべーっと舌を出した。
舌はズタズタに引き裂かれ、血で真っ赤に濡れていた。それを見たジュリエットは「もしも自分が」と想像したのか嫌そうに顔を顰めた。
ジュリエットの反応を見たグレイシアは一度下を引っ込め、再度出してみせるとボロボロだった舌は傷一つない血色の良いピンク色に変わっていた。
「貴様……先程の短剣の刺し傷と言い、何をした?」
「さあな。それよりも……だ」
グレイシアは途中で言葉を切るとジュリエットの首に込める力を強めた。
「結界術は何処に張っている?」
「それは私が言うと思うか?」
ジュリエットが嘲笑うように言うとグレイシアは更に首を強く締め付ける。
「ぐ……私を殺すか?」
「殺しはしないが少々痛い目には遭ってもらうつもりだ」
「グレイシアさーーん!」
本格的な拷問が始まろうとしたその時、エドモン・ド・ピコーではなくグレイシアの名を呼ぶ声が聞こえた。
顔を向けるとシド、ライオネル、アーロンの3人が駆けつけてくるのが目に入った。
「お前達か。傷は負っているが無事あの双子は斃せたみたいだな」
「はい、それよりも結界術がどこに張られているか分かったんです」
「何?本当か?」
シドの報告にグレイシアは驚いた様子を見せた。
「ええ。こいつらが教えてくれたんです」
そう言うとシドは肩に乗っていた黒い塊――一羽のカラスに目を向けた。
どうやらシルヴァーナが使い魔を送って調べてくれたらしい。
「場所は旧校舎の図書館です」
「分かった。お前達は王女を安全な所まで連れて行け。ディオンの元には俺が行く」
そう言うとグレイシアは獄門を顕現させると門を開き、中から伸びてきた鎖でジュリエットを拘束する。
「くっ……!おい!私をどうするつもりだ!」
「お前はまだ利用価値があるからな。どうもしないよ」
グレイシアは返事を聞かずにジュリエットを門の中に引き摺り込むと旧校舎の図書館に向かって駆け出した。




