第42話 開演
「皆さん!もっと速く走って!」
11人は演劇場であるオペラ・エリュシオンに向かって全力疾走していた。
何故こうなったかと言うと本来なら余裕を持って演劇場へ向かうはずだったのだが、負けず嫌いなライオネルが幾度もグレイシアに勝負を挑んでいる内に開場時間が過ぎ、開演時間も迫っていた。
「おいライオネル!置いてくぞ!」
11人の中で最も走るのが遅かったのがライオネル。どうやらバスケットボールで体力を使い果たしたようだ。
「無茶……言うなよ……シド……」
珍しくライオネルが弱音を洩らすが、一緒にやっていたグレイシアは疲れた様子を見せず一番先頭を走っていた。
「それにしてもグレイシアさんがブティックに行った時、俺たちの服買ってきてくれて助かったぜ〜。まさかこうなることを予知してたのか?」
アーロンが有り難がるように言うとグレイシアはフンと鼻を鳴らした。
「たまたまだ。お前たちがみすぼらしい服しか持っていないと思ったからな」
バスケットボールに熱中した結果、男子勢は当然汗だくになり、このまま紳士淑女の集う演劇場に向かうわけにはいかないとグレイシアが着替えさせたのだ。
「酷え言われ様だな……」
そう洩らしたもののそれは真実であると感じている節があったのでグレンは何も言い返せなかった。
………………………………………
その後、全力疾走したおかげで無事開演時間までにはオペラ・エリュシオンに到着した。
会場は舞台を中心として扇状に席が設けられており、約2000人を収容出来るほどに規模は大きく、グレイシア達の席は歌劇が観やすい上階に作られた個別の特等席であった。
「凄い豪華な造りですね……」
そうジョバンニが息を呑むのも無理はない。
そこは席というよりは最早ホテルの個室のようでソファのような調度品から酒や軽食にオペラグラスとなにからなにまで揃えられており、ここで暮らしても構わないと思えるほどの快適な環境だった。
遊撃部隊の面子が部屋の中を物色する中、グレイシアは歌劇を一望出来るバルコニーへ向かうと入り口で手渡されたパンフレットを見た。
パンフレットには今回の作品のタイトル、あらすじ、主要人物一覧などが書かれており、原作に明るくない客でも楽しめるような配慮がなされていた。
作品のタイトルは「貴方に溺れるような死を」。
あらすじは孤児として育った少女が誰の力も借りず、独力で国を混乱に陥れる元凶たる男の暗殺を目指すという英雄劇だが、主人公の少女と主要人物の1人である心優しい青年との恋愛劇という側面も持っており、絶大な人気を得ているものの権力者に反旗を翻すという内容のため一度、禁書指定されたこともある。
主人公である少女の役を務めるのはジュリエット・ダルモン。その役に入り込む圧倒的な演技力とその宝石のような可憐な容姿から今、フランソワ中の男を虜にしている現在24歳の人気女優だ。
大人気女優出演の大人気作品とあって席を取るのは大変だったがグレイシアは持ち前の財力とコネを利用し、何とか11人でも座れるこの席を手に入れたのだ。
グレイシアがここまでしたのには大きな理由がある。
「伯爵様!」
そこへエデがグレイシアの腕に抱きついてきた。
グレイシアがその頭を優しく撫でるとエデは嬉しげな笑みを浮かべた。
「楽しみか?」
「はい!グレイシア様と歌劇を見るこの日を待ち遠しく思ってました」
どうやらエデにとって歌劇は二の次でグレイシアと見るかの方が重要らしい。
しかし、グレイシアがエデと何処かに出かけるのは久しぶりだったため、どんな理由であれそう言ってくれるのであれば骨を折った甲斐があるというものだ。
「ところで今回の主演の方はとてもご人気があるようですが……伯爵様はご存知なのですか?」
「ああ、知ってるよ。前にも一度、彼女の演技を見たことがあってね。その際、彼女に興味を持ったんだ」
それがグレイシアがこの歌劇の席を取った最大の理由だった。
以前、グレイシアはジュリエットの演技を見た時、2つの感想を抱いた。
1つは感嘆。彼女の演技は登場人物の感情を完全に体現しており、まるで1人の人間の人生を見せつけているようだった。
グレイシアも暗殺者という立場故、様々な人物を演じることがあるがあそこまで役に入り切ることは出来ない。
あの容貌と演技力ならどんな男の懐に入り込み、寝首をかくことも出来るだろう。
是非、暗殺者に転身してもらい自分の部下になってもらいたいものだ。
そんな馬鹿げたことを1人考え、グレイシアは肩を竦めた。
話が逸れたが2つ目の理由は疑念だ。
グレイシアは彼女の演技を素晴らしいと感じると同時にそこに影のようなものも感じ取ったのだ。
彼女の演技は他の役者のように一辺倒なものではなく、普通の人間と同じようにその台詞の裏に何かしらの感情が宿っており、雑念などではなく、本当の気持ちだったようにグレイシアは感じた。
どんな感情かは分からないが、グレイシアはそれを知りたかった。
彼女が何を思って演技をしているのか。
「伯爵様はその女優さんが好きなのですか?」
「……何でだ?」
「いえ、伯爵様が人に興味を持つのは珍しいと思ったので」
確かにグレイシアは知る必要があると感じた相手以外には無関心を貫く傾向がある。
つまり自然と誰かに興味を持つことが少ないのだ。
そういう意味ではエデの言う通り珍しいと言えるだろう。
「……好きかどうかは分からないが、彼女に興味があるのは確かだな」
グレイシアがそう言うとエデは不満げに頰を膨らませ、胸を押しつけるように密着度を高めた。
「伯爵様はそうやっていつも本心をはぐらかされます。仮にも婚約者である私に対しても『愛してる』の一言も仰られません」
「気恥ずかしいだけだよ」
「とてもそう思ってるようには見えないのですが……」
エデがジト目でグレイシアを見ていると後ろからディオンが肩を叩いてきた。
「少し、いいか?」
「ああ、構わない」
「あっ!逃げるつもりですかーー?」
ディオンを利用しその場を去ろうとするグレイシアにエデは不満げな声を洩らすが、その声はすぐに静まった。
「頼む。少し待っててくれ」
グレイシアがエデの額にキスをしたのだ。
エデは勿論、見ていた一同が固まり、赤面した。
そして、グレイシアはディオンを連れると部屋の外に出た。
「さて、おおよそ見当は付いているが話とは何だ?」
「おおおおお前はいつもあんなことをしていゆのかっ!?」
言葉がおかしい上に声を震わせたディオンが調子を狂わされたように訊いてくる。
「いや?そんなことはないが早く話を進めてくれ。もうすぐで開演時間だぞ」
グレイシアの少しの照れも見せない態度にディオンは自分が慌てているのが馬鹿らしくなり、次第に落ち着いていった。
「はぁ……分かった……話というのは無論、暗殺の天使の刺客ついてだ」
ディオンは溜息とともに邪念を吐き捨てると真剣な目でグレイシアを見据えた。
「奴らはお前達がバスケットボールに興じている時も私達を尾けていた。恐らくこの劇場にも既に侵入しているだろう」
「ああ、分かっている」
グレイシアは冷静に言い放った。
「どうするつもりだ?ここには大勢の観客がいる。巻き込むつもりではないだろうな?」
「その心配はない。奴らは十中八九部屋の前の通路に潜んでいる。客席に隠れる場所などないからな。そして、暗殺というのは当然ながら直前まで作戦が露見してはならないからな。行動を起こすとすれば皆が舞台に釘付けになっている時だ。その時に俺も連中を殺す」
事前にグレイシア達の予定を知っていたとしても今回の席の倍率はとてつもなく高い。わざわざ席を取っているような面倒な真似はせずに勝手に劇場へ忍び込んだと考えるのが自然だ。
つまり、下の客席に刺客がいる可能性は低い。
警備員に紛れてることもあるかもしれないがそれなら警備員を警戒すればいいだけだ。
つまり隠れる場所はほぼ通路に限定される。
そして、連中が姿を現すとすれば誰も通路を通らない公演中だ。
だが、誰もいない方が巻き込むも必要がないため、グレイシア達もやりやすい。
「そうか。だが、どうやって連中倒すのだ。まさか連中が襲いにくるまで待っているのか?」
「まさか。後手に回るつもりはない。先手必勝だ」
グレイシアはそう言うとピンと人差し指を立てて言った。
「餌を撒いてやるのさ」
「餌?……まさか!」
………………………………………
いよいよ舞台が開演する。
開演が作戦開始の合図だ。
我々は必ず作戦を成功させてみせる。
それが復讐の第一歩となるのだから。
そして、開演のブザーが鳴り響き劇場は闇に包まれた。
「私は私の仕事をするだけだ」
そう言うと"私"は自身の仕事に取り掛かるため、歩き出す。
「さあ、開演の時間だ」




