勇者、魔王に身体を奪われる
その日、ひとつの悪がこの世に生まれた。
異形と謗られ、愚劣と貶され、醜悪と罵られた彼は、
酷く自分の境遇を嘆き、より酷く世界を恨んだ。
故に、彼が悪意の矛先を世界に向けたのは、
避けられぬ運命だったのだと、思わざるを得ない。
ーー或いは、世界の方が、彼を唆したと感じられるほどに……。
とろけるような光を放つ、大理石に囲まれた部屋の奥に彼女は鎮座していた。清純なる白を基調とした高貴な衣服を纏い、左右に屈強な護衛を従える彼女は、それでいて、何者をも安堵させる優しい笑みをたたえていた。
「よく来てくれましたね、勇者カルテラよ」
「貴方様のお呼びであれば、どこへなりとも参ります。教皇猊下」
勇者と呼ばれた青年は、壇上に座る彼女に傅いて答える。
やや癖がかった金髪に、水面のように澄んだ碧眼。教団より下賜された剣と鎧は、かつては綺羅びやかな白銀の光を帯びていたが、今や鈍く淡い光を放つのみである。それは、彼が度重なる過酷な戦いを潜り抜けてきた証左でもあった。
「それで、今回のお呼び立てはいったい……」
勇者が尋ねると、教皇はとたんに笑みを崩し物憂げに顔を強張らせる。
嫌な予感がする、と勇者は思った。これまで幾度となく教皇様から呼び出されたが、今日ほど深刻な顔を見たことがなかったからである。
「……魔族領辺境の街、ガルージャが『魔王』を名乗る何者かに制圧されました」
「なんですって……!」
思わぬ単語を耳にして、勇者は思わず声を荒げる。
魔王。かつて、人族と魔族が争っていた時代に大きく人族に仇なした者。それこそが魔王であり、今や歴史書の中でのみ畏怖とともに綴られる存在だ。
「お言葉ですが何かの間違い……ということは? 魔族の街を『魔王』が襲っただなんて……」
「間違いであれば朗報といえるでしょう……」
沈痛な面持ちを崩さずに、教皇は答える。
しまった、と勇者は思った。彼女も魔王の報を聞いて疑わしく思ったに違いない。けれど、今、俺に直々にその話を振るということは、確認の段階はとうに過ぎたということ。
その事実に、彼は遅ればせながら気付いたのだ。「失礼しました」と謝罪する勇者に「いいのよ」と教皇は優しく許す。
「そう思うのも無理ないことだから。……『魔王』はガルージャだけでなく、すぐ近くの人間領の街、サルカディアにも侵攻してきています。サルカディア領主からの救援要請によると、『魔王』は病魔の呪いを街全体にかけ、今もなお苦しんでいる人が大勢居るようです」
「なんて酷い……」
勇者は顔を歪ませ、苦渋を顕にする。
「勇者カルテラよ。聖女セリアと共にサルカディアに向かいなさい。病魔に苦しむ人々を癒やし、『魔王』の侵攻を食い止めるのです。あなた達は先遣隊ーー、準備を整えた部隊をすぐに送ります。くれぐれも無理はしないように」
「承知しました、教皇猊下。必ずや『魔王』の侵攻を食い止めてみせます」
「……ガルージャの領主はそうとう腕の立つ御方です。彼が太刀打ちできないのであれば、『魔王』はそれほどの強者。……くれぐれも無理はしないように。」
「ご心配いただき感謝いたします。ですが、私も『勇者』の称号を賜りし者。必ずや、その『魔王』とやらを打倒してみせます。それでは失礼します」
勇者は一礼すると、物憂げな教皇に見守られながら、謁見の間より退出する。勇者は一刻も早く出発しようと、急いで聖女セリアの元へ向かった。
十数日後、勇者カルテラと聖女セリアは人間領辺境の街サルカディアの、さらに向こうにある魔族領辺境の街、ガルージャへと到着していた。
「勇者様、本当によいのですか? 後続の部隊を待たなくて……」
そう勇者に尋ねるのは心配そうな顔をした聖女セリアであった。少女と見紛うほどの身長だが、実年齢は勇者のひとつか2つ下。長い黒髪を後ろでひとつに括り、教皇と同じく白を基調とした、それでいて動きやすい衣服に身を包んでいる。その手には教団から渡された神杖が握られており、彼女は勇者の後を警戒しながら、ガルージャの街を歩いていた。
「大丈夫だ、無理はしないよ。それより病魔の呪いで今も苦しんでいる人達のほうが心配だ。幸い君の治癒魔法で皆を小康状態にまで落ち着かせることはできたけど、根本は解決できていない」
「そうですね。私も初めて見る類の呪いでした。だから、病魔の呪いの術者である『魔王』を倒そうとしているのは分かりますけど……」
そう言って、勇者の後ろを歩く聖女はため息をつく。
「『分かりますけど……』、なんだい?」
「……なんでもありません。それより、本当におかしいですね。ガルージャの街に誰も見当たりません。『魔王』とやらに制圧されたとお聞きしましたが……」
聖女は辺りを警戒する。
制圧されたなら、もう少し『魔王』の部下なり軍隊なりが居てもよさそうだと彼女は思っているのだろう。それは勇者も疑問に思っていたことだ。
サルカディアからここまで、『魔王』の部下を呼称する魔族や魔獣達が何体か姿を見せた。彼らは簡単に追っ払うことができたが、それにしても連中は根性なしというかなんというか、勇者が斬りかかるとすぐに逃げ出してしまうのだ。本当に、彼らがこのガルージャの街を制圧できたのだろうか。それに、制圧された街の住民がどこにも居ないのもおかしい。どこかひとつの場所に幽閉されているのであれば、その場所も突き止めなければならない。
「そうだね。でも、できるだけ調査を進めよう。その分、後続部隊の負担が軽くなるはずだ」
「本当に、勇者様は真面目ですね……。っと! 勇者様、右の路地から魔獣です!」
「分かった! 任せろ!」
路地から現れた魔獣はポイズン・スライム。ヘドロ状の刺激臭を発する魔獣だが、中心にある核を破壊すれば容易に倒すことができる。勇者は魔獣に詰め寄ると、思い切り剣を振ろうとする。
「ブッ!? ブブッーー!」
だが、ポイズン・スライムは勇者が近づいたのを察知すると、すぐさま泡を吐いて逃げ出し、道の奥にある大きな屋敷に入り込んでしまった。
「……本当に、なんだというんだ?」
「さあ……。実は『魔王』に使役されてなかったりとか?」
「それならそれで人に仇なす魔獣あることに変わりはない。行くよ、セリア」
「あ、待ってください、勇者様!」
二人はスライムを追って屋敷の前へと進む。重厚な両開きの屋敷の扉は、片側がわずかに開いていた。どうやら、スライムはその隙間から侵入したらしい。勇者と聖女は顔を見合わせて頷くと、スライムを追って屋敷の中へと入った。
「ここは……?」
「やけに豪華な造りですね……」
そこはやたらと広い玄関ホールであった。横どころか縦にも広い。三階を貫いて天上まで見渡せる。聖女の言う通り、教会本部に匹敵するほどの豪華な屋敷である。
「教皇様の仰っていた領主の屋敷だろうか。彼も強者だと言っていたが……」
「その可能性は高そうですね。人間領と違って、魔族領は未だ実力……いえ、腕力主義という話ですし。うーん、街と同じく誰もいないみたいですね。にしては、やけに掃除が行き届いているような……。あ! 勇者様、さっきのスライムあそこにいますよ!」
「本当か!? 待て!」
聖女の指さした先には先程のポイズン・スライムがおり、スライムは地下へと続く螺旋階段へと消えた。勇者と聖女はその後を追うが、階段を落ちるように下っていくスライムに中々近づくことができない。追いつけないまま、二人は地下の最下層まで到達する。
「……どこだ?」
「薄暗くてよく分かりませんね……」
「ブブ……」
「む、そこか!」
泡音のほうを見ると、松明の光に揺らめくスライムが居た。スライムはさらに地下通路の先にある、これまた僅かに開いていた扉の隙間からするりと中へ入り込む。通路は一本道で、そこ以外に逃げ場がないのだろう。
「そこか!」
勇者は扉を勢いよく開け、中へと進む。部屋の中は薄暗く、扉から差し込む光だけでは周囲の様子がよく分からない。
「セリア。光だ」
「はい。光魔……え?」
光魔法を唱えようとしていたセリアの声が止まる。彼女が唱えるまでもなく、周囲に青白い光が灯ったからだ。その光に呼応するように、二人が入ってきた扉が音を立てて閉まる。
「セリア、なぜ扉を閉めた?」
「え、私じゃありませんよ? それに、扉からは結構離れてますし……」
青白い光の部屋で、困惑したように二人は沈黙する。
「わーはっはっは! 待っていたぞ、勇者よ!!」
その沈黙を破ったのは、くぐもった、野太い声だった。勇者が声のしたほうを見ると、石造りの壇上に設置された玉座に座り、こちらを睥睨する何者かがいた。頭部まで黒い全身鎧に覆われているため顔はよく分からないが、かなり大きな横幅の体格だ。
有り体に言うと、デブが椅子に座ってこちらを見ていた。
「誰だ、お前は!」
「ふ……。よくぞ聞いてくれた。我こそは『魔王』なり!」
「お前が、『魔王』だと……!? じゃあ、サルカディアの街に病魔を振りまいたのも……!」
「いかにも! 我である! ぐふふ。お前がここに来るのを、今か今かと待っていたぞ、勇者よ!」
「勇者様! 逃げましょう!」
危機を感じた聖女が撤退を提案してくるが、二人の先手を打つように『魔王』が腕を広げる。
「はっはー! お前らの逃げ道なぞ、とうに無いわ! 周りを見よ、勇者よ!」
「何だと!?」
勇者は『魔王』を視界に捉えつつ、目端で周囲の様子を探る。乏しい光では分かりづらかったが、よく見ると自分たちが数多の魔族や魔獣に取り囲まれていることが分かった。その中には先程まで追いかけていたポイズン・スライムの姿もある。つまり、これは……。
「罠だったか……」
勇者は奥歯を噛みしめる。自分が先走ったせいで聖女まで危険な目に合わせてしまった。彼女の言う通り、後続部隊を待てば良かったと後悔する。
「……周りは完全に取り囲まれてますね」
「扉付近の敵がもっとも多いな。だが、道中で追っ払ってきた連中ばかりだ。強行突破できないわけじゃなさそうだ」
「はぁ、仕方ありませんね……。防御魔法。風の加護。膂力増加。ひとまず、いつもの強化魔法をかけました。脱出しましょう」
「世話をかける」
「いつものことです」
数十の魔族と魔獣の群れに囲まれていても、二人は冷静に状況を見極めていた。魔獣の群れに囲まれるのはこれまで何度も経験していたし、手強いと思えそうな魔族や魔獣が一体も居なかったからである。それは『魔王』を含めての判断であり、たとえ『魔王』と周囲の連中が一度に襲いかかってこようと、切り抜けられる自信が二人にはあった。
しかし、自信があるからこそ、二人は気づかない。
あるいは、ピンチと思いきや、切り抜けられる算段がつきそうだと安堵した分、気づくのが遅れた。
なぜ、ろくに戦いもせずに逃げ出してきた連中が、今回ばかりは逃げないのかーー。
なぜ、周りの連中は、不意打ちをせず『魔王』の名乗りを待っていたのかーー。
なぜ、相当な強者と評される領主が、弱そうな『魔王』達にやられたのかーー。
そしてなぜ、戦力差があると分かった上で、『魔王』はここで二人を待っていたのかーー。
それらの疑問が二人の脳裏をよぎる前に、『魔王』は新たな一手を打つ。
「逃げ道など無いと言ったであろうが。見よ、勇者! この極大魔石を!」
魔王はそう言って、傍らにある自信の身の丈の倍はありそうな2つの魔石を指し示す。そのうち、1つの魔石が怪しげな赤紫色の光を放ち始め、徐々にその輝きは増し始めた。
「!? なんだ、あの魔石の大きさは……?」
「あれが、魔石……? あんな大きいの、見たことない。いったいどれだけの魔素を内包して……。いけない! 聖魔法の盾! 勇者様、私の後ろに!」
聖女はそう叫び、勇者を自分の後ろに引っ張り込んだ。
彼女の神杖より放たれた六つの青光が、形状を変えて『魔王』と二人の間に壁のように立ち塞がる。
「はっはー! 準備は整った! これで、俺、いや俺達の野望が叶う! いくぞ、勇者よ! チェエエエーーーンジ!!」
魔王の叫びとともに、極大魔石の光が一段と強くなる。そのあまりに強い光に景色がかき消されるその直前、勇者は魔王が懐から何かを取り出すのを見た。
そして、勇者の視界は赤紫色の光に塗りつぶされーー。
塗りつぶされーー。
……。
眩んでいた眼が、ようやく元に戻り始める。何も見えない分、勇者は耳で周囲を警戒していが、取り囲んだ連中がこちらに近づいてくる気配はない。目眩ましに乗じて攻めてくる、というわけでもないらしい。
「セリア……。無事か……?」
そう彼女に呼びかけるが、返事はない。
「セリア……?」
再び彼女の名を呼び、勇者ははたと気づく。自身の声が、いつもとまったく違う声色をしていることに。
(なんだ、このくぐもった声は……?)
思わず顔に手を当てると、何やら固い感触が伝わってきた。
(なんだ、これ? マスク……、いや、兜か? いつ、俺はそんなものを被ったんだ?)
疑問に思いつつ、勇者は顔面まで覆われた兜を脱ぎ捨てる。カツン、カツンと。少し高い場所から放られた兜は、石床を転がり、ややして止まった。
「セリア、無事……か?」
兜を外し、視界がクリアになった勇者が見たのはーー。
「セリ、ア……?」
聖魔法の盾の向こうで目元を抑えているセリアと、彼女の前で何かを拾う仕草を見せる、自分自身の姿であった。
「え、え、……。あれは、俺……なの、……か?」
自分の目が信じられない。目をこすり、勇者はもう一度、目をよく凝らす。
やや癖がかった金髪。水面のように澄んだ碧眼。教団より下賜された淡い光を放つ剣と鎧。それらを身に着けた、自分ではない自分は、じっと俺の方を見て、頬が引きつるほど歪んだ笑みを浮かべた。
「クックック……。フッ、ハハ、ハハハハハ! ハーッハッハッハ!! 成功だ! 成功したぞ! 俺は、俺はついに勇者の身体を手に入れたんだ!!」
勇者の眼下で、勇者の姿をした何かは、狂ったように笑っていた。
「ゆ、勇者様……?」
目が見えるようになったセリアが、困惑気に俺の姿をした何かを勇者と呼ぶ。
「な、何だこれは! いったい、何が、どうなっている!」
「……入れ替わったのさ」
混乱し、まくし立てる勇者に向かって、何かは意気揚々と語りだす。
「入れ替わった、だって?」
「そうとも。俺とお前の、魔王と勇者の心と身体が入れ替わったんだ」
「そんなの、信じられるわけーー」
「疑うんなら俺の言葉より、自分の目を疑うんだな。ほら、椅子の横に置いてあるそれ。その棚の扉を開けてみろよ、鏡が置いてあるからよ」
「ふざけるのも大概に……」
首を横にひねると、そこには何かの言ったとおり、観音開きの棚があった。開くと鏡が光を反射し、その存在を主張する。恐る恐る鏡を覗き込むと、その、鏡の中にはーー。
「な、なんだこれは……」
酷く醜い、驚愕したトロルの顔が、映っていた。




