#001 『おはようファンタジー』
俺は起きて、二秒で把握した。ここは俺のいつもの寝室じゃない。
食べかけだったコンビニ弁当のカツ丼ソースの匂いもしないし、瞼を通して伝わってくる光の強さが違う。今は目を閉じているが、それは簡単に分かることだった。
「うう…ん…?」
目を開いて最初に視界に入ってきたのは、白の眩い輝きだった。通りで明るいわけだ。
柔らかな枕の感覚。暖かい掛け布団が肩の部分まで掛けられているのが分かる。
ここはどこだ。そして俺の隣で寝ている美女は誰だ。
───そう、今俺の隣には金髪の美女が心地よさそうに眠っている。透き通るような白い肌、整った顔つき。身体を覆うクリーム色のブラウス。見るもの全て、彼女の容姿に思わず見惚れてしまう。
「ドッキリ……とかじゃ無いよな」
一見、部屋にカメラやそれらしきものは無い。というか俺まず芸人でもタレントでもないんだが?
状況が飲み込めないままとりあえず上体を起こし、辺りを見回す。
ベッドの隣には見慣れない金属製ランタンに、小さめのデスクと椅子。無機質な木製の壁には風景画、何語かも分からない本が並ぶ本棚。その横には大きめの十字窓がありこの部屋は二階にあるのだろうか、向かいの家の屋根が見える。
一見ドラマなどで見るバーの様な雰囲気の部屋だ。全体的に金属製品が目に付く。
視認できるのはそれらのインテリアと───この人だけ。彼女をじっと見つめても、雰囲気的には夢じゃない様だ。
「ん……」
俺の視線に気付いたのか?薄っすらと彼女の瞼が開く。
「ご主人様……?」
「はい?今なんと?」
上体を起こし、緑色の綺麗な瞳をこちらに向ける。
「おはようございます───ご主人様」
「マジかよ。なんか知らんが夢なら覚めないでほしい」
なんだご主人様って。寝起きでそんなこと言われたらテンション上がっちまうだろ。
というかこの子は誰だ。なぜ俺と一緒に寝ている?
「……まさか、一夜を共にしたとかじゃないだろうな」
「どうかなさいましたか、ご主人様」
良かった。俺の下らない妄想に対する呟きは聞こえていなかったようだ。俺の頭にはそういった類の記憶もないし、彼女のその様子からそういった如何わしい事態が起きていたと言う事も無さそうに思える。
「ご主人様?」
「あぁいや、ゴメン。何でもない。ただちょっと聞きたいんだが」
「はい。何でも仰ってください」
「貴方は、俺の事を知ってるんですかね」
「いえ、私はご主人様の事は一切存じ上げていません」
「それでも俺はご主人様なんだ?」
「はい。魔力が繋がっておりますので、間違いないかと」
「……なるほど」
何だそのファンタジーっぽい設定。とにかく、その魔力とやらによって俺と彼女は結ばれているらしい。こんな美少女と一緒になれるんなら別に良いかな〜と内心思いつつ、彼女に適当な返事を返す。
「……じゃあつまりこういう事? 君は俺と主従関係であり俺の命令は絶対だと」
「正式には、主人と奴隷という事になります」
「え、奴隷?」
「奴隷です」
「どっ……奴隷?」
思わず二度訊きしてしまう。そんな物騒な単語がこの会話中に紛れ込んでくるとは思ってもみなかったからだ。にも関わらず彼女は平然としている。
「はい。奴隷です」
もうなんかめっちゃサラッと言ってくるから感覚が麻痺してきそうだ。
「え、じゃあ俺の命令何でも聞いてくれたりするの?」
「もちろんです。私は、ご主人様に対し常に従順であるべきモノなのですから」
……うーん、なんか思ってたんと違う。俺は自分の意思で従い動いてくれる人の方が好きだ。
「ふ〜ん……じゃあ命令」
「はい。何なりとお申し付けください」
「あぁ、これから先俺の命令に従う必要は無い。自分の意思で、やりたいようにしろ。以上」
何を言われたのか分からないとばかりにキョトンとしている。いや、だってさぁ。
「それはつまり……解雇ということでしょうか……」
ここで予想外。目に涙を浮かべ今にも泣きそうだ。
「いやいやいや、ちょっと待ってマジで待って。分かった、分かったから辞めないで。辞めないでください」
「えっ……。でも私には身寄りが……」
「そうか、居場所がないならアレだな……」
「……」
「てか、俺自身ここがどこなのか全く分かってないんですが」
「え? ご主人様のお部屋ではないのですか?」
「いや、俺はそれ以前にこの世界の事を何一つ理解してないんすよ」
そうだ。俺はここがどういった世界線なのか分かっていない。彼女の素ぶりから彼女自身こちらの世界の住人である事が推測できるので、ここは彼女に頼るしかない。
───というか、その『彼女』の名前をまだ聞いていなかった。
「そうだ。名前だけ教えてもらっても?」
「私には名前というものはありません。ご主人様のお好きな様に命名を」
「あ、マジで?俺が勝手に付けちゃえる感じ?」
「はい。ご主人様にお任せ致します」
「そうすか。じゃあ…」
名前すらも決められるのか。やりたい放題だなご主人様って。
それはさておきRPGでプレイヤーの名前を入力するシーンがあるが、それとは違い生身の人間に名前を付けるのだから、彼女の失礼にならないよう慎重に決めたいところだ。
付けるのなら何があるだろうか。金髪だからキン、ゴールド……違うな。金色の……月みたいだからムーン?安直過ぎるだろうか。
「そうだな……じゃあ、ルナはどう?月って言う意味で」
しばらく考えた結果、この二文字が頭に浮かんだ。正確には月の女神の名前だった気がするが、彼女自身疑問に思っていない様だし、それにいきなり初対面の人に『君は月の女神だ』とか言われても困らせるだけだろうしな。
「ルナ……」
「そう。“月”の意味で、ルナだ。……どうかな」
「……とても響の良い綺麗な名前です。ご命名、ありがとうございます」
ルナは笑顔を浮かべ言う。それはぎこちないものだったが、その初々しさも麗しく感じられた。
「僭越ながら、ご主人様のお名前もお伺いしたいのですが……」
「お、そうだったな。俺はシドウ=ユウスケだ。よろしく」
「よろしくお願い致します、ご主人様」
お辞儀をする文化があるのか彼女は優雅に頭を下げる。その動作ひとつ取っても綺麗だなこの人。
「じゃあルナ。聞きたいんだけど」
「はい」
「ここはどういう世界線なんですかね?」
「───ご主人様とっての異世界、と言ったところでしょうか」
「やっぱそうなるよな、となると俺は……異世界人?」
「はい。そう言うことになります」
異世界。
映画やアニメの中で見た事はあるが、まさかその世界に自分が来る事になるとは。プラス俺異世界人なの?まぁ、俺からしたらこの世界の人間全員異世界人だけど。
俺は彼女にシチュエーションに沿った質問を投げかけていく。
「異世界って言うと……魔法は使えるの?」
「いえ。こちらは魔法世界では無くスチームパンク───、いわば『産業革命によるスペキュレイティブ社会』の世界です。ご主人様の世界では魔法は使えたんですか?」
「いや。それにしても……」
訳分からん。スチームパンクと言うのは聞いた事があるが、『すぺきゅれいてぃぶ』とは……?
イマイチ理解不能である。というか、魔法が使えないなら彼女の『魔力が繋がっている』というセリフの真意は一体なんだ? 多分機械の世界なんだろうけど。
しかしこの状況を引きずって彼女に結局迷惑をかけるんじゃしょうがない。先に言っておいた方がいいだろう。
「えぇ、その何たら社会が俺には全く理解出来ませんで」
「そ、そうですか……異世界から来られる方は珍しいですね」
珍しいということはなくはないのか。流石異世界といったところ。
「異世界から来られる方は特別な能力をお持ちだと聞きます。有望なご主人様で私も大変嬉しゅうございます」
「……そのご主人様は今現在何をしたらいいのか理解出来ていないようですが」
「それではご主人様、なんなりとご命令くださいませ。私はご主人様の命令なしでは動けません故」
「いや、あのね?」
ガイドになってくれると思ったらむしろ俺がご主人様かよ。彼女はちょっと融通がきかないところがあるようだ。戸惑いながらも俺はルナに訊く。
「……まずは何だ、金か?この世界にも貨幣の概念ってあるよね?」
「はい。ご主人様自ら動くおつもりですか」
「そりゃそうだろ」
「金なら私が調達することも出来ますが……」
「いや。それこそご主人様の仕事なんじゃないの、メイドはそれを助けてくれるだけでいいんだよ」
ルナは俺のその言葉に「うぅ……」と不満げな模様。この人、根っからのメイド気質の様だ。
「───まぁいいや。ルナ、とにかく街を案内してくれ。いくら引きこもりとは言え流石に仕事を探さないと格好がつかない」
「職探し……ですか。それならまず城門で手続きをする必要があります」
「城門?」
「えぇ。そちらでビザを発行して仮の身分証明書を作らなければなりません」
「なりませんって……俺今どういう立ち位置なん?」
「不法入国者です」
「マジか!?」
よく不法入国者と平然と会話してられんなこの人。ご主人様なら何でもアリなの?
「そうと決まったら急ごうぜ。異世界で犯罪者になるなんて最悪だ」
「あっ、少々お待ちください。私の方も準備がございます故」
そう言ってルナは静かに立ち上がり、ベッドの下の引き出しからメイド服を取り出す。
───まさか。
俺がそう思うと同時に、彼女はおもむろに着ているブラウスを脱ぎ始めた。
「おいおいおいおい!ちょっと待てちょっと待て」
古いリズムネタを彷彿とさせる俺のドクターストップ発言にルナは動作を一時停止させる。
「な、何でしょう?」
「何でしょう? じゃねえって! 普通別の場所で着替えるだろ!」
「はぁ……では私はどこで着替えればよろしいのでしょうか……」
「えぇ〜隣の部屋とか? とりあえず俺の目に付かない所でやってくれ」
「は……はい、なるほど。それでは失礼致します」
そう言うと彼女は慌てて脱ぎかけた服を戻し、部屋から出ていった。少しだけだが服の隙間から彼女の白い美しいくびれが見えてしまった気がしたが、多分気のせいだろ。
「はぁ……何だよ全く」
そう呟き俺はベッドを降り、部屋の様子を見やる。
ベッドからは見えなかったが、クローゼットに壁掛け時計、歯車のインテリアなどが飾られている。シンプルだがいかにもスチームパンクの世界といった感じだ。
しばらくするとルナが戻ってきた。一定のリズムで戸が叩かれる度に金属の硬い音がする。
「おっ……お待たせ致しました」
そこには、黒と白のみのフォーマルなメイド服に身を包んだルナが恥ずかしそうに佇んでいた。しかしそれは美しく可憐で、ハートを撃ち抜かれるのには容易いものだった。