プロローグ
胸が、苦しい――後悔は一瞬なれど、これの悪夢は永遠に続く。
不安定な精神は、いとも容易く崩れさり、この命を蝕んでいく。
知らなかった、知りもしなかった。
人生とはかくも単純で呆気なく――
終わりを告げるということを。
■■■
高校生の少年『伊達布吹』は、中二病だった。
そう『だった』のだ、つい一ヶ月ほど前まで。
彼、伊達布吹は事実、普通の人間とは違う特殊な能力がある。それは、『ハイパーサイメシア』と呼ばれる『超記憶能力』である。そして、そんな能力を持っていたがために、中学生の頃、見事に周りとの違いを認知して調子に乗った。
だが、こんな病気は寝て起きると唐突に治っているものなのだ。
事実、八月一日。夏本番夏休みも本番のその日に、布吹は長い長い悪夢から目を覚ました。
突如としてやってきた熱に身体を震わせる。今までの出来事。その全ては『忘れられない』
自己忘却は人間の防衛本能で行われるものだ。しかし、布吹に至ってはそれが自身の天性の能力によって出来なくさせられている。
『忘れることのない』能力は時に『忘れることの出来ない』症候群に変化する。
その事を知ってか知らずか、絶望の表情を浮かべながら、逃げるわけでも立ち向かう訳でもない、保留。
布吹は高校をサボることに決めた。
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とはいえ、もって一週間だろう。何時までもこの「サボる」戦法が高校もとい親に通じるとは思えない。だからといって転校出来るわけでも、ましてや――逃げる覚悟もない。だいたいこんなことで逃げるというのは馬鹿馬鹿しいと布吹自身もよく分かっている。
「はぁ……」
深いため息をつき、雲ひとつない晴天を見上げる。
「いっその事――」
全てを白紙に戻せればどれだけ楽だろうか。
新しい人生だとか、環境だとか、贅沢は言わない。今のままで全て白紙に――。
その時。布吹の耳に入る幼き声。
声のした方向を振り向く、そこには一人の幼稚園児。否、一人ではない。数十人程の幼稚園児と一人の大人。通園の途中か、それとも散歩の途中なのか、知る由もないがただ一瞬で、布吹の身体は一人の幼稚園児に向かって走っていた。
一人の幼稚園児が道路へ飛び出していたのだ。そこに、運悪くトラックが走り抜けようとしていた。布吹に運転手の顔は見えないが、止まる気はなさそうで、さらにトラックのスピードは上がっていく。
日々の運動量が少ないせいか、十メートルもない距離を全力で走っただけで息切れが起きる。それでも布吹は走った。
だが、間に合わず――
幼稚園児の身代わりとなった布吹は、なんだか、嬉しいような残念なような気がして薄く微笑むと同時に、トラックに撥ねられた。
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苦しい……息が、出来ない――数瞬の内、布吹は水に顔を浸していることに気づいた。
「ぷはぁッ! ――はぁ、はぁ……」
勢いよく顔を上げ、水中から脱する。
濡れた顔を袖で拭い、辺りを見渡す。
「ここは……?」
現実には見たことも、聞いたこともない世界。
人が生身で空を飛び、何十倍もある巨石を持ち上げる。
人間とは思えない生物が言葉を話し、意思疎通している。
まるで――いや、それは正しく。ゲームやマンガといった創作物でしか見ず聞かない、『異世界』だった。それも、よく聞く噂の、
「中世……ファンタジー」
――布吹が目を覚ましたのは洞窟内だったので中世とは断定できないが、魔法のようなものに亜人入り乱れる異世界。夢でも見ているのかと、頬を抓る。
痛みのみが頬に広がり、ついにこの世界は現実のものなのだと認識する。
「異世界、転生か」
予想だにしなかった。逃げでも、立ち向かうでも保留でもない、新たなる選択肢に口角を上げ笑う。
「楽しくなってきたァーーッ!!」
一ヶ月前まで中二病だった布吹の血が騒ぐ。ほんの二秒後。
「いたぞ! 脱走者だ!!」
突然現れた亜人。布吹の知るところのゴブリンらしき者が二人がかりで布吹を取り押さえ――
「確保しました!」
後ろ手に手枷をはめて、誰かに向けて報告するように叫んでいた。
そして、何一つ状況を理解できない布吹は、何も分からない間抜け面を晒しながら
「ホワァイ!?」
通じるかも分からない言葉で嘆いた。