第三話
月は既に沈みかけていた。
藍色の空の下、湖の冷水で体を清める。
洞窟の中から湖を伝って外に出ていたらしい。
湖の周りには背の高い木々が連なっていた。
『呪いとは何だ?』
蛇はタルの周りをゆっくりと泳ぎながら訊ねる。
「何かのきっかけで精神の一点が臨界に達したときに、一定の確率で発現する超常的な性質……と言われているが、詳しいことは分かっていない。
そういう能力が発現した奴らは、呪病者と呼ばれてる。
’神に呪われし者’、という意味だ」
タルは岸に上がり、髪に付いた水滴を払った。
『お前は私と同じ、と言ったな。私もその’神に呪われし者’だと?』
「どうみても呪病者だ。それより聞きたいことがある」
タルは蛇の、紅色に光る眼を覗き込む。
「村人を殺さなくてはならない、とはどういうことだ?」
『あの村には古くからの掟がある。月夜の晩、蛇神に贄として若い娘を差し出す、それを十八年ごとに行わなければ村は蛇神に襲われ破滅するという』
蛇の眼からは何の感情も伺えない。
『私は十八年ごとに贄を殺し、喰らわなくてはならない。さもなければ、村を襲わなくてはならなくなるからだ」
蛇は至極当たり前のことのように言う。
「お前は何者かに強制され、十八年ごとに贄を殺さなければ村を襲うように仕向けられているのか?」
タルは蛇と意識を共有している。だからこの蛇の異常性に、最初から気づいていた。
『強制?そんなことはされていない。だが村の掟は絶対だ。私は贄を喰らわなければ、一人残らず、村の者を殺さなくてはならなかった』
蛇は沈み行く月を見ながら嘆く。
『だが、それも今日で終わりのようだ。村の者たちは贄を差し出すことを拒否した。私は今から村に生き、村人全員を殺さなくてはならない』
「……」
朝焼けが湖面に反射し、露に濡れた草木を照らす。
タルは蛇とともにニーナのいる村へと戻る。
『お前も災難だったな。このような面倒な村に行きつくとは』
先を行く蛇がタルに語りかけた。
「ああ。一宿一飯の恩義は感じているが、まさか殺されるとは思わなかった」
山を一つ迂回し、生い茂る草木を押しのけながら蛇に付いていく。
「お前がこんな古いしきたりを律儀に守っていなければ殺されることもなかった」
『掟では村の外の人間を贄として差し出すことは禁じられている。恨むなら奴らの愚かさを恨むがいい』
蛇はタルの歩調に合わせ、ゆっくりと進んでいた。急ぐ気はないらしい。
「殺すのか、村の奴らを」
『哀しいが、仕方がない』
うねりながら進む白蛇を眺めながら、タルは蛇の胃の中で見た感情を思い出す。
怒りと哀しみを、そして強い覚悟を思い出す。
――『ああ、また村の子供を殺した。いつまでこんなこと続けなくてはならない』
――『私は絶対に途中で投げ出したりしない。村を守ると約束したのだから』
「蛇、お前は村を守るために儀式をやっていると言っていたな」
『いかにも』
「儀式を行うことで、なぜ村を守ったことになるんだ?」
『儀式を行わなければ、私が村を襲わなくてはならないからだ。さっきも言っただろう』
「その掟をなぜ守る必要がある?破ったら天罰でも下るのか?」
『掟は必ず守る。そう、約束したからだ』
「誰と?」
そこで突然蛇の動きが緩やかになり、止まった。
『……いいだろう。百年ぶりに話した相手だ』
蛇は陽光に揺れる湖の向こうを眺めた。
『かつて、愚かな男がいた……』
訥々と話す蛇の感情の狭間から、タルは暗い深淵を覗き見た。