第一話
風が吹き荒び、少女の白い髪を巻き上げた。
山と山とを繋ぐ長大な橋の欄干から、少女は身を乗り出している。
遥か下方に見えるのは轟々と唸る水流と、苔の生えた岩場。川の流れに削られ磨かれた大小の石。
その周りには背の高い木々が連なり峡谷を形成している。
四方には険しい山々が聳え、少女を取り囲む。
――愛する者がいるなら、思い浮かべるのかもしれない。
少女は遥かな深淵へと一歩を踏み出した。
風を切る高い音が少女の身体を切り裂く。
少女は目を閉じて、霧がかった空白を見つめ続けた。
意識が途絶えるその瞬間まで、少女の脳裏に現れるものは何も無かった。
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食欲を唆る香りに釣られ少女は目を覚ました。
目に入ったのは何重にも組まれた梁。視線は柱を伝いすぐに壁に阻まれる。
狭い小屋の中、堅いベッドから身を起こす。
真正面に女の後ろ姿が見えた。
長い茶褐色の髪を後頭部で結んでいる。
「起きたのね。ちょっと待って。もう出来上がるから」
自分と同じくらいの年頃か、と少女は思う。
少女は窓の外を覗き見た。茅葺の屋根が建ち並んでいる。
しばらくして女は、湯気の香り立つスープの入った木彫りの器と、ライ麦のパンを差し出してきた。
「かぼちゃのスープよ。冷めないうちに食べてね」
「ああ・・・ありがとう。ここはどこだ?」
「ルーティングテーブル、って村なんだけど分からないでしょう?」
「……聞いたことないな」
「でしょうね。最後に行商団が来たのは五年も前のことだから」
女が促すのでかぼちゃのスープにパンを浸けて食べた。スープはどろりとして温かい。
女は少女の寝ているベッドの脇に腰かけた。
「私はニーナ。あなたは?」
「……タルだ」
「タル、珍しい名前ね」
ニーナは突然手を伸ばし、タルの白く長い髪を撫でた。
「綺麗な色、染めているわけじゃなさそうね。肌もまるで雪のよう。あなた、どこから来たの?」
「ヴィリエだ。両親は北方の出らしい」
「ふーん。ヴィリエ……遠いわね。そっちの方面からならハザに行く途中で迷ったの?あなた、川岸に倒れていたって話だけど」
「ああ、ちょっと近道しようとして」
「バカね。今時橋の下を通る人なんて、この村の人間しかいないわよ」
ニーナは立ち上がり窓から空を見る。
「ハザに行くにはここからは半日かかるわ。今日は泊まって、明日出発しなさい」
「何から何まで悪いな。この礼はいつか必ず」
タルの物言いにニーナは微笑む。
「いいわよ、礼なんて。ところであなた、どうしてそんな喋り方なの?」
「……ただの癖だ」
タルはその夜、ニーナの家で眠りに就いた。
そしてニーナに殺された。