トモ……ダチ……?
教授は、
「レポートは友達と協力していいですよ」
と言った。教室の最前列にてそれを聞いた生徒は、
「トモ……ダチ……?」
と呟いた。
今から10年前のこと。
小さなガレージにこもって機械を組み立てている少年がいた。シャツは汗と油まみれだが、その少年の眼は好奇心で輝いていた
「よし、これで完成だ」
少年は額の汗を拭い、機械の電源を入れた。
その機械はキャタピラの上にセラミック製の胴体を鎮座させており、胴体からは関節式稼働アームが突き出ていた。そしてアイカメラとスピーカーが搭載された頭部の挙動を、少年はじっと伺っていた。
機械はやがてカタカタと音を立てて、合成音声の言葉を発した。
「hello」
少年はぱぁっと歓喜の色を顔に浮かべた。
「ロボットが動いた! 俺の自作のロボットがついに動いたんだ! やっほおい!」
少年の上ずった声を聞き取ったのか、機械――少年曰くのロボットであろう――は再び音を発した。
「起動……認識完了。指示を」
「よし、何も不具合は無さそうだな! それじゃあ……ロボ!」
少年はロボットに話しかけた。
「お前の名前はロボだ。あの狼王と同じ名前だぞ。お前も同じくロボット界のロボになるんだ。なんてったって……俺が作ったロボットなんだからな! よろしくな、ロボ!」
「ロボ……名前……認識。管理者……未定義」
「あ、そうか」
少年は頭をぽりぽり掻いた。
「俺は、市役局務管理番号TAK-y341っていうんだ。この世界に名前なんて無いけれど、でも……俺のことはタクヤでいいよ。管理者名前、タクヤ」
「管理者名前……タクヤ……認識」
へへっ、と少年は笑った。
「よし、それじゃあお前にいろいろなものを組み込んでやろう。まずは演算処理高速化回路と、分散接続式集積回路と、それから……」
考えに思いを馳せていた少年は、ロボットがじっと自分を"見つめて"いることに気付いた。
「……ううん、それらは後回しだ。まずはお前にこの町のことを教えてやらないとな」
「町……未定義」
「だろうね。だから俺がお前に町を見せてやるよ。ついてきて!」
少年はガレージのシャッターを開けて、ロボットとともに町へと向かった。
町はひどくよごれていた。古びた道路のアスファルトはひび割れており、煤けた町並みはどんよりした雲の下で鈍く並んでいた。
少年はロボットに、物の名称、役割、場所などを教えていった。ロボットはキャタピラを動かして少年に忠実についてまわり、教えられた物の情報をすべて人工知能に入力していった。
「あれが市役局務管理施設だ。あんまり近づかないほうがいいらしいぞ」
「市役局務管理施設……認識」
「もっともロボなら管理施設の連中なんて怖くないんだろうけれど、やつらに逆らったら何をされるか分からないからな。逃げるが勝ちということもある。分かったか?」
「逃げる……勝ち……矛盾」
「そうか、ちょっとロボには難しかったかな」
少年は頭をぽりぽりと搔いた。
「要は、戦うべき相手と戦うべきでない相手を見極めたほうがいい、ってことだよ」
「戦うべきでない相手……市役曲務管理施設……認識」
「よし!」
少年はうなずいた。
「最後に俺のとっておきの場所に連れていってやるよ」
「とっておきの場所……未定義」
手を大きく振って歩き出した少年に、ロボットもアームをわざと動かしながらついていった。
少年は小高い丘の上に立った。
「ここからなら街が見渡せるんだ。実際に住んでいるとあんまり綺麗な町だと思えないけれどさ、こうやって高い所から眺めると少しは綺麗に見えるだろ?」
「街……綺麗……無矛盾」
ロボットはそのように発した。
「おお、ロボも分かってきたじゃないか!」
「ロボ……人工知能。タクヤ……優秀……管理者」
「ははは、ロボも人を褒めることがあるんだなあ。これはびっくりだよ」
少年はロボットの隣に腰をおろした。
「……なあ、ロボ」
じっとこちらに向いたアイカメラに、少年は告げた。
「俺はさ、コンピュータに管理されたこんな街に生まれて育ったけれど……それでもコンピュータっていうのはロボみたいに一緒にいてくれるようなものであってほしい、って思ってきたんだ。だから俺はロボを作った。ロボはロボットだけれど、他のロボットとは決定的に違うものがある。それがなにか、分かるか?」
「解……不明」
「それはだな」
少年はロボットの"肩"に手を回した。
「ロボは俺の友達なんだよ。ロボは他の誰とも違う、世界で唯一の俺のロボットの友達だ」
「トモ……ダチ……?」
「そう!」
少年の声は弾んだ。
「俺とお前は友達だ! 管理者とコンピュータっていう関係でもなければ、支配者と被支配者の関係でもない。友達同士なんだ!」
「友達……未定義」
ロボットの合成音声に対し、少年は右手を強く握りしめた。
「それなら、友達がどういうものか教えてやるよ! これから一緒に過ごそう! 一緒に遊んで一緒に暮らそう! そうしていれば、言葉なんて使わなくっても友達を定義できる! ロボならきっとできるさ!」
「友達……言葉……非使用……定義………………可能?」
「もちろん!」
少年は言った。
「だってそれが、友達ってものなんだからな!」
ロボットはややあって答えた。
「可能……ロボ……信じる」
「そうこなくっちゃな!」
少年はロボットの頭部を撫ぜた。
それからというもの、少年とロボットはいつも一緒に過ごした。いろいろなものを知り、いろいろな人と出会い、いろいろな経験を積み重ねていくなかで、二人とも大きく成長していった。
少年とロボットは、言葉を使わずに『友達の定義』ができるようにと、様々な思い出を共有していった。
そんなある日のこと。
少年はガレージで新しい演算回路を作っていた。そこへロボットが慌てて走りこんでくる。
「タクヤ……テレビ……4119チャンネル」
「どうしたんだ? テレビがどうかしたのか?」
するとロボットは電波送信によって、ガレージ内の古びたブラウン管テレビのチャンネルを4119に合わせた。
そこには、市役局務管理施設の長官のまじめくさった顔が映されていた。
「市役局務が所有する人工知能コンピュータ以外の人工知能の所持を禁ずる法案が可決されました。明日9月1日以降に人工知能の所持は私的利用であったとしても禁じられ、重罰が科せられます。大人・子供のいかんを問わず、15年以内の懲役、もしくは1000万円以下の罰金となります」
その言葉は冷たく、重たいものであった。
「なんだってあんな法案が可決されたんだ!? あんなの……ただの世迷いごとみたいな法案にすぎなかったはずなのに!」
少年は憤りを隠せなかった。
「タクヤ……4679チャンネル」
「よし、映して!」
「了解……変更」
ロボットは再び電波でチャンネルを変えた。
そこには、記者会見を行っている市役局務管理施設の役人が映されていた。
「市役局務の人工知能コンピュータこそがすべての司法・行政・警察の原点であり、教育・倫理・道徳の土台となるべきものである。それら以外の人工知能コンピュータは社会の秩序を乱す原因となりうるだろう。現に、ここ5年間の社会犯罪の大部分は人工知能コンピュータの違法所持によるものであった。社会の秩序を守るために、現在、市内の各住宅に対し人工知能コンピュータ捜査を行っている。捜査部隊は、私的所持の人工知能コンピュータを見つけ次第、すぐに破棄するよう市民に指示している。一刻も早く社会の秩序の回復を図り――」
「そんなことがあってたまるか!」
少年はガレージの床を握りこぶしで叩いた。
「だが……もうすぐここにも管理施設の局員が来るってことか……! 一体どうすれば……」
ロボットは心配そうな音を上げる。
「タクヤ……ロボ……破棄……」
「そんなことは断じてさせない! 俺はロボが破棄されるくらいなら……俺はお前と一緒に遠くの町に逃げたほうがましだ! 人工知能ロボットが存在してもいい町に行きさえすればいいんだ!」
そう叫ぶ少年に、ロボットは語りかけた。
「タクヤ……町……逃亡……重罰」
「分かってる……! この町から逃げ出せば、それだけで重犯罪レベルの刑罰が下される……! だけれど……あいつらに見つからなければいいだけだ!」
「タクヤ……間違い」
「何が間違ってるって言うんだよ! 間違ってるのはこの町のほうだ! 俺とロボを引き裂こうとするこの町が間違っているんだ!」
「タクヤ……脱励起……脱励起」
少年はロボットの言葉を聞いて、必要以上に声を荒げていたことを悟った。
「ごめんよ、ロボ……。そりゃあ重犯罪なのは分かってるさ。だけれど……」
「タクヤ……他の道……存在」
「どういう道があるっていうんだ……」
少年はロボットに不貞腐れたような声で尋ねた。するとロボットは、
「人工知能……分割……不可逆」
と発した。タクヤはロボットの言葉をすぐには理解できないでいたが、やがてロボットの言わんとしていることを汲み取った。
「そりゃあ……人工知能のプログラムを分割して不可逆演算をかけておけばそれはもはや人工知能じゃないけれど……そんなことをしたらロボはロボじゃなくなっちゃうじゃないか! 俺は……それだけは嫌なんだ! ロボと一緒にいたいんだ! だって……ロボは友達なんだから!」
そう叫ぶ少年に、ロボットはキャタピラを静かにきしませながら近付き、少年の腕に己のセラミックアームを沿わせた。それは今まで少年が見たことのない動きだった。
「タクヤ……友達。友達……危険……嫌。ロボ……同感」
ロボットは少年に言葉をつむぎながら語りかけた。
「ロボ……不可逆処理……意味……死。ロボ……後悔……無」
「ロボ……! そんなの……俺が嫌だよ! だってロボは……ロボは俺の……!」
「タクヤ……」
ロボットは少年の両手をジョイントフィンガーで握った。
「ロボ……タクヤ……友達。友達……危険……回避。ロボ……破棄……後悔無し。タクヤ……理解。タクヤ……理解」
「ロボ……」
少年はロボットのジョイントフィンガーを握り返した。
「分かった……。俺は、ロボの人工知能を不可逆演算処理してデータを保存しておく。そして俺はこの先、電子工学を勉強して人工知能コンピュータの研究をする。近い将来、もし俺が俺だけの不可逆演算修復プログラムを開発することができれば、それはつまり……」
「他の道……発見」
ロボットの音が少年の声に重なった。
「そう……だよな」
少年は浅い息の中で言った。
「俺は必ず、俺だけの不可逆演算修復プログラムを作ってみせる、だから……ロボ」
少年はロボットを抱きしめた。
「また会おう! 俺とお前は、友達だから!」
「タクヤ……友達。友達…………幸福」
それが、ロボットの発した最期の"声"となった。
「管理番号TAK-y341! ガレージ内に人工知能コンピュータが無いか調べさせてもらう!」
ガレージが唐突に破壊され、局務員が中に入り込んできた。
「ええ、どうぞ。ですが、人工知能コンピュータはもう無いと思いますけれど」
少年の声は、どこか落ち着いていた。
教授は、
「レポートは友達と協力していいですよ」
と言った。
それを聞いていた教室の最前列の少年は、
「トモ……ダチ……?」
と呟いた。
少年は大学から、開発中の不可逆演算修復プログラムを自宅へとこっそり持ってかえった。
「俺は……まだこのプログラムを完成させていない。だけれどあいつがいれば……俺の友達がいればこのプログラムは完成するはずなんだ! だったら、今この瞬間だけでいい! 俺は、俺の友達と協力する!」
少年はガレージ内のハードディスクに入れておいたファイルに対し、開発中の不可逆演算修復プログラムを実行させた。
これによって人工知能が完全に元に戻るわけではない。しかし、それでも不可逆演算の修復を試みる意味はあった。なぜなら「人工知能の学習能力によって不可逆演算修復プログラムの完成に要する時間を1000分の1に短縮できる」という計算結果を、少年は幼き日々の記憶の中から見つけだしたからだ。
不可逆演算の修復が完了したことを確認したのちに、少年は修復後のファイルをいびつなセラミックの身体に転送した。最後に少年はセラミック内におさまったファイルを実行し、「hello?」とキーボードで打ち込んだ。
10秒ほどの間があり、やがてセラミックの胴体に乗せられてある頭部から音が発せられた。
「起動……認識完了。指示を」
「ロボ!」
少年は思わず歓喜に満ちた声で叫んだ。
しかし。
「ロボ……未定義。ロボ……未定義」
ロボットはそう返すだけであった。少年はロボットの前で必死になって伝えた。
「ロボ……お前はロボだ! 俺のロボットのロボだ! 思い出してくれ! 頼む!」
しかしロボットは、
「ロボ……未定義。ロボ……未定義」
と繰り返すばかりであった。
「そんな……人工知能が作ってきた記憶は、全て消去されてしまったのか……」
少年はがくりと膝をついた。
「ロボ……。思い出してくれよ……俺とお前の……楽しかった日々を……。なあ……頼むよ……」
「ロボ……未定義。俺……未定義。日々……未定義」
ロボットは、各単語が未定義であるという事実を示す以外に、何も発しなかった。
「なあ、ロボ……」
少年はロボットの隣にへたり込み、請うように語りかけた。
「俺とお前はずっと一緒に暮らしててさ……。友達だったんだぜ……」
その言葉に対してもなお、ロボットは、
「管理者……未定義。ロボ……未定義。暮らす……未定義」
と同じように繰り返していた。しかし少しの間をおいて、ロボットはわずかに異なる音調で返答した。
「友達……………………定義済」
「えっ!?」
少年は驚いた。
「そんな……!? だって、かつてのロボにすら友達の定義を教えていなかったのに……!? なんでお前が……!?」
興奮する息を抑えつつ、少年は静かにロボットに尋ねた。
「ロボ。友達、の定義を教えてくれ」
するとロボットは、そっとこう答えた。
「友達……言語定義不可能。友達……非言語定義可能」
少年は眼を見開いてロボットを見た。
「友達……非言語定義概念。大切……無二……宝物」
ロボットは続けた。
「友達……人工知能……人間……関係可能。友達……為……自分……破棄……後悔……無」
ロボットはそこで言葉を区切り、そっと少年の手にジョイントフィンガーを重ねた。
「友達……幸福」
少年は目頭が熱くなるのを感じた。
少年はロボットの腕を取り、そして告げた。
「ああ、お前は間違いなくロボだ。俺の大切な友達のロボだ。会いたかったよ、ロボ。頼む、俺の研究に力を貸してくれ」
少年はロボの力を借りて不可逆演算修復プログラムを完成させた。それは少年の卒業研究の成功を飾るものであり、同時に彼が彼の友達との真の再会を果たすものでもあった。
そして少年は友達とともに市役局務管理施設に就職した。人工知能コンピュータとともに作り上げた不可逆演算修復プログラムによって、凶悪犯罪の隠蔽を暴くために。そして――人工知能コンピュータの安全性を多くの人たちに訴えるために。
二人の甲斐あってか、やがて人工知能コンピュータ単純所持禁止法案は廃止された。
「今度はもっとたくさんの人に人工知能コンピュータと接してもらおうぜ! そうすりゃあみんな人工知能コンピュータに対する偏見がなくなる!」
「タクヤ……コーヒー……未冷却」
「あっつつつつ! またやっちまったー」
「タクヤ……人工知能……第一人者」
「へへへ、まあな。それもこれも、お前がいてくれたからだよ、ロボ」
「ロボ……第一人者の……ロボット」
「そうだよ。ロボの名に恥じない、俺の立派な友達だ」
「タクヤ……ロボ……トモダチ」
「ああ! このことをもっとたくさんの人に分かってもらうっきゃないな!」
「ロボ……賛成」
「これから忙しくなるぜ。頑張ってやっていこうな、友達!」
それは、人間とロボットがともに歩む新しい時代の幕開けとなったのであった。