カーブ
男の家の前には急カーブがありました。
そのため、カーブ通る車はブレーキをかけながらその道を走り抜けました。
タイヤと道路の擦れる音が周囲に響きました。
キー、キー、キー、キー
特にその道は、夜間に多くの車が通行しました。
その為、男は満足に眠ることもできず、すっかり参ってしまいました。
「まったくひどい音だ。これでは夜も眠れないではないか」
堪りかねた男は役所へ赴き、なんとしてくれないかと頼みました。
「あの道をなんとかしてくれ。ああうるさくては夜も眠れないではないか」
「そう言われましても……」
しかし男がどんなに頼み込んでも、役所の人間は煙に巻くようなことしか答えませんでした。
なにしろその道は住宅街の中心を走っていたのです。容易に工事できる場所ではなかったのです。
なによりも市の経済状況では道路工事に回す費用など無かったのです。
曖昧な返事ばかりをする所員に、男は荒げた声を上げました。
「もういい。あんな場所からはさっさと引っ越すことにする」
そう捨て台詞を残し、男は市役所を後にしました。
その日の晩もひどい騒音が道路から響いてきます。
「なんてひどい音だ。役所が役に立たないなら、本当に引っ越すしかないな」
男は本気で引っ越しを考え始めました。
その翌日の事です。
男の元に一本の電話が届きました。市役所からでした。
「先日は失礼しました。実は道路への騒音対策を行う事が決定したのでご連絡することとなりました」
「えっ、本当ですか」
これで騒音から解放される。そう考えた男は喜びました。
「ようやく道路の工事を行ってくれるのですね。いったいいつから工事を行うのですか」
「いいえ。工事は行いません」
「ええ、工事を行わない? それではどのようにして騒音対策を行うのですか」
「はい。そのことについて、これから説明と一緒に対策を行う予定なのです」
説明と一緒に対策を行う予定? いったいこの所員はなにを言っているのだろうか。
男は疑問に思いました。
道路の騒音対策は容易に行えることではありません。大掛かりな工事が必要です。
男は素人でしたが、それくらいのことは判っていました。
ですが、とにかく騒音の対策をしてくるのなら、まあいいだろうとも思いました。
それから間もなく所員の男が、男の元を訪れました。
「先日は本当に失礼しました。それでは早速、騒音対策に取り掛かろうと思います」
「ええ、貴方一人でですか?」
「はい。私一人いれば問題なく行えるのです」
そう言うと、所員の男は鞄の中から一本のスプレー缶を取り出しました。
どこか自慢気な表情を浮かべた所員の男は説明を続けました。
「つい先日のことです。とある研究施設で完全に音を抑える特殊な塗料が開発されたのです」
「ええ、音を抑える塗料ですって。もしかしてそのスプレー缶は……」
「その通りです。この缶にはその塗料が入っているのです」
そして所員の男は道路に向けてスプレーを吹き付け始めました。
スプレーから出た塗料が道路になシミを作りました。しかしすぐに染み込んで消えていきます。
数分後、道路全体にスプレーを吹き終えた所員の男が言いました。
「さあこれで完了です。これで騒音は抑えられます」
ジッと男は道路は見つめました。
道路は特に今までと変わったようには見えません。
本当にこれで騒音が抑えられるのだろうか。男は疑問に思いました。
そんな男の疑問の気配に気付いたのでしょうか。
所員の男がどこからか鉄の棒を持ってきました。
「それでは実際に見ていてください。音はなにも聞こえないはずです」
言うなり、所員の男は激しく鉄の棒で道路を叩きました。
叩きつけられた棒の先端から火花が飛び散ります。しかしどういうわけか、音はなにも聞こえません。
それから何度も所員の男は道路を叩きましたが、やはり音はなにも聞こえません。
「凄い。本当になにも聞こえない」
「そうでしょう。これで騒音対策は完了しました」
そして誇らしげな表情を浮かべ、所員の男は帰っていきました。
「ああ良かった。これで今晩から騒音に悩まされないぞ」
その夜、男はゆっくり眠ろうと早めに床につくことにしました。
しかし、男が床について間もなくのことです。
ガタ、ガタ、ガタ、ガタ
「うわ、な、なんだ。地震か」
突然に男の家が激しく揺れだしたのです。
最初、男は地震かと思いました。しかしそうではありません。
男の家の前を車が走りすぎるたびに、地面は激しく揺れだすのです。
「も、もしかしてこれは……」
思い当たる点は一つしかありません。
そうです。昼間行われた音を抑える特殊な塗料です。
塗料には確かに音を抑える効果がありました。
しかし塗料は音を抑える代わりに、音を振動にしてしまう性質があったのです。
「なんてことだ。これではなにも意味がないではないか」
地震のような揺れは、一晩中続きました。男は一睡もできませんでした。
それから数日後、男はその家から引っ越すこととなりました。