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ラブコメを書きたいクラスメイトの話

作者: 味敦

 俺のクラスメイトには一人変わったやつがいる。

 幼馴染というほどではないが、中学が一緒だったという縁があり、席も近い。男口調とでもいうのか、およそ女らしい雰囲気は存在しない。顔立ちは悪くないはずだが黒太ブチメガネをしているため、その印象がやたら強い。

 変わった雰囲気なのは、物書き志望だというからそのせいだろうかとも思う。だが彼女が書く作品といったら男の俺には理解できない類なのだ。BLだとか、そういったやつである。WEBで掲載しているそうだが読者数はまったく伸びないらしい。とりあえず『読んで感想をくれ』という要望にはお断りをさせてもらっている。冗談じゃない。


 そんなある日、彼女が言った。

「男女のラブコメディを書きたいのだよ」

「ラブコメだと?おまえの口から出てくるとは思えない発言だな」

「失礼な。いや、だがしかし、それは一理あるのだ。わたしにはラブコメディというものが今ひとつ理解できない。そこで、君に協力してもらおうと思ってな」

 これが男同士の絡みの研究のために協力しろと言われたら、即座に断るつもりでいた。何を要求してくるか分かったものではないからだ。だが、男女だというので俺は少し迷った。

「う、うーん、まあ、いいだろう。面倒そうだけど。で、どう協力すればいい?」

 俺の返答に、彼女は嬉しそうに笑った後、きりりと表情を引き締めた。

「まず、定義だ。ラブコメディとは、和製英語だ。正確なところを翻訳はできないが、直接的には英語で「愛」を意味する「ラブ」と「喜劇」を意味する「コメディー」を結合して造語されたと考えられる。つまり、恋愛で、かつ喜劇であるということだ」

「……いいんだけど、ラブコメなのに定義からはじめてどうするんだ」

「定義は大事だぞ、ここがズレると話がおかしくなるからな。

 さて、恋愛で喜劇だとは分かったが、それはつまり、悲恋であってはならないのだ。それはラブコメディだとは言えないな」

「確かに」

「さらに言うと、喜劇である以上、人を笑わせることを主体としたものであったり、露骨でないにしろそれによって笑いを誘うものであるべきだ」

「……うん、で?」

「恋愛なのに、人を笑わせないといけないのだ。なかなかハードルが高い。このため、吉本などの芸人のコントなども参考にしてみたのだが、仲間の賛同が得られなかった」

 そりゃ、そうだろう。

 ラブコメを書いたといって見せられたのがコントのネタ帳では話にならない。

 もし、出来のいいコント集だったら、吉本に売りこんでみてはどうだろう。希望する物書きとは違うだろうけど、わりと需要のあるライターになれたりするんじゃないか?売れるコントを作れるやつって貴重だと思うぞ。

「少女漫画とか参考にしたらいいんじゃないのか?」

「少女漫画は苦手だ。愛だの恋だのしか口にしないのだ。人生にはもっと大事なことがあるんではないかと思う」

 こいつにラブコメを書く資格はないと思う、俺は間違っているだろうか。


「そこでだ。ラブコメディの定番と言えるシーンを、演出することで、そこに秘められた笑い要素を抜き出してみたいと思う。

 いくつか代表的なものをチョイスしてきた」

 なんだか嫌な予感がしたが、俺は彼女の示したノートを覗きこんだ。

「一、パンをくわえた遅刻未満の少女が、曲がり角で男子生徒にぶつかると、その男子生徒との間に恋がはじまる。

 二、メガネをしている大人しくて目立たない少女は、実は美少女だった。男女逆パターンもありえる。

 三、不良だと思っていた少年が、雨の日に捨て犬に傘を差し掛ける、あるいは餌をやるのを目撃する。

 ……どうだろう。わりと定番のシーンのはずだ」

 まあ、そうかもしれない。何を参考にしたのかは知らないが。

 あと、箇条書きにしてあるわりには内容が薄いのはどうしたことだろう。こいつにはそれほどラブコメの定番シーンのストックが存在しないわけか。

「そこで、君に男役をやってもらいたい。まずは、パンをくわえた遅刻未満の少女を探し、彼女と曲がり角でぶつかるのだ。可能であればその少女はメガネをしており、実は美少女であればもっといい。うまいこと曲がり角でぶつかって、メガネを外させ、素顔を見るのだ。さらに、彼女の前で捨て犬に傘を差し掛けるというシーンを目撃させる。

 カンペキだ」

 どこからツッコめばいいのだろうか。

「まず、パンをくわえた遅刻未満の少女ってのを、探すのか?それ、俺が遅刻するじゃないか」

「なんだと?」

「俺とぶつかったその子は、まあいいとしよう。もともと遅刻寸前だったんだろ?急いでたんだろうし。けど、その子が遅刻スレスレであるタイミングを狙って曲がり角で待ち構えるとか正気の沙汰じゃないマネをしたあげく、俺まで遅刻しそうだってのはどうしてくれるんだ?」

 彼女はショックを受けた顔をした。思いついていなかったらしい。

「なんてことだ。すでに笑い話になっているとでもいうのか?」

「百歩譲って、まあ、そういうシーンがあったとしよう。それはいい。その子が美少女ってのが、まず難しいだろ。どっちかっていうと、二番目に該当する子を先に探してから一番目に戻った方がいいんじゃないか。

 メガネ外したからって美少女になるんだったら、メガネしてても美少女だと思うんだけどな」

 どんなビン底メガネしてるっていうんだろうか、その美少女は。

 せっかくの美少女が台無しなくらい、メガネ痕がついてるのは間違いないと思うんだが。まあ、そんな美少女がいたら、確かにコンタクトをすすめてみたくなるかもしれない。もったいない。隠すのは止めようぜ、誰も喜ばない。

「ふむむ……。よし、では、メガネ美少女だな?女子連中に聞いて探してみよう。

 メガネを外したら実は美少女、になると思われるが現在ではメガネの子だ。君とぶつかる前にメガネを止めないよう忠告しておかないといけないな」

「……」

 彼女は大真面目だ、それは分かってる。だが、そのメガネ美少女に対して伝えるべきことはそうじゃないと思う。

「最後はどうだ?」

「そもそも二番目の該当者がいない限り、演出しようがないだろ?それと、その演出のために犬を捨てるってのは止めてくれよ?野良犬は野良猫と違って駆除対象になるんだぞ。保健所行きになったらどうすんだ」

「うむ……、ではそこは、君の飼い犬に登場してもらうのはどうだ」

「捨て犬と見せかけて、実は飼い犬でやるのか?ものすごい自作自演じゃないか。その子の気を惹いた後に、それがバレたら、確実に嫌われると思うんだけど」

「なんと……」

 彼女はまたまた衝撃を受けた顔をした。物書きを目指すというのであれば、もう少し先の展開を予測するとか、そういった能力も必要だと思う。

「では、もう一匹拾ってみるのはどうだ。確か君の家の犬は、元捨て犬だったはずだな」

「なんで知ってんだよ?あと、うちの雪丸は別に捨て犬だったわけじゃない。野良犬だったんだよ。保健所に連れて行かれるのは忍びなくて俺が引き取っ……、まあ、それは置いとく。関係ないだろ」

 ちなみにうちの家にはすでに二匹の犬がいるので、これ以上増やすとおふくろに怒られる。雪丸は俺だが、もう一匹のミケは弟が拾ってきた。犬なのにミケだ、ネーミングセンスがどうこうってツッコミは受け付けていない。ミケは弟、雪丸の名前は俺じゃなくておふくろがつけたんだしな。

「あと、最後のやつ、不良だと思っていたって記述が気になるんだが」

「うむ。定番だろう?クラスでは浮いた存在、不良だと思われて、遠巻きにされている少年の秘められた顔をその子だけが知るわけだ。秘密を自分だけが知っているというのは、恋愛に限らず物語を盛り上げるコツだぞ」

 彼女は自慢げに言った。

「俺に不良になれと?」

「そうだな。とりあえずタバコとか吸ってみるのはどうだ?酒でもいいが。学校をサボる、他高生と喧嘩するというのも定番だと思うが」

「俺、これでも優等生で通ってるんだけどな?」

「知っている。学期末の試験は学年七位だったか?」

「それが、突然不良になるのか?無理があるだろ?」

「驚きがあっていいと思うぞ。先生方も心配してくださるだろう。普段優等生なだけに、不良になった時のインパクトは強い!カンペキだな」

 こいつは本気だ。本気で言っているだけに性質が悪い。

「まず、タバコは煙が嫌いだ。酒は、高校生の間はやらないと決めてる」

「なんでだ?」

「おふくろにバレたら小遣いを減らされる」

「不良が親の機嫌を気にしてどうするんだ」

 無視だ、無視。

「次の、学校をサボる、と他高生との喧嘩は却下だ。まず、俺は塾に行ってないんで、勉強はできるだけ授業中にやってしまいたい。学校をサボると補習とかもあって面倒だし。続いて喧嘩はもっと却下だ。なにしろ俺は喧嘩弱いぞ?」

「む、そうなのか?だが、その昔イジメを受けていた女の子を庇って喧嘩したという噂を聞いたぞ」

「あれは状況が状況だったからだ。それに、女の子を庇ったのは本当でも、俺は一切殴ったりしてない。向こうが殴り飽きるまで耐えただけだ。痕に残らなかったからいいんだよ」

「そこで恋がはじまったりとかは」

「通りがかっただけだったし、女の子の顔も見てねえよ」

 ちなみに中学に入る寸前の春休み中だったかな。確かメガネだったという印象しかない。男女混成のイジメ軍団は、たまたま大人しかったその女の子に目をつけたらしい。というのはあとで知った。俺が介入したのは捨て犬を見捨てられなかったという感覚に近かった。

「……むう」

 彼女は黙りこんでしまった。とりあえずキャスティングミスだと分かったらしい。

 しょげ返った仔犬みたいにうなだれるのはやめて欲しい、こっちが悪いことをした気になるじゃないか。

「……まあ、少し変えればいいんじゃないか?

 俺でやるのは無理があるなら、他の子探すのだってありだろうし、あー……そうだな、三番目の不良ってとこを外して、雨の日に捨て犬探しする分には、構わない」

 理由は、捨てられてる犬が可哀相だから、だけどな。



 さて、彼女は本当に女子連中を相手に調査を行ったらしい。メガネ美少女とやらを見つけてきた。

 気の毒な該当者の名前は前園まえぞのと言って、確かにメガネをした美少女である。だが、俺の考えたとおり、前園さんはメガネ美少女だが、メガネをとったからと人相が違って見えるような顔立ちはしていない。簡単に言えば、普通に美少女がメガネをしているだけなのだ。

「どうも、前園です。よろしくお願いします」

 協力者として現れた前園さんは、にっこりと笑った。

「お二人のお噂はかねがね」

 ロクでもない噂に違いないなと俺は思った。

「いいのか?前園さん。勝手に連れてこられて……」

「大丈夫ですよ。事情は聞いてますし。遅刻しかけてパンを口にくわえたまま、曲がり角でぶつかるのと、その拍子にメガネを落として顔を見せる、でしたよね」

「事情は聞いてるって……」

 ラブコメシーンの演出だぞ?俺が戸惑うのに対して、くすくすと前園さんは笑った。

「すごーく、大事なことを検討し忘れてるんですよ、お二人とも」

 はて、なんだろうと俺が首をかしげたところ、前園さんはこう付け足した。

「ラブコメの登場人物でしたら、男女は両方ともフリーじゃないと意味がありません。わたし、カレシいますから」

 それはちょっと残念な話だ。

 だが、しかし。彼女の面倒なお願い……ラブコメシーン演出による笑いの研究……のための協力なのだから、カレシ持ちである方が安心ではあった。

 こんな馬鹿げたお遊びにつき合ってカレシと喧嘩しないよう、あらかじめ事情を聞いているというのも好印象だ。おそらくカレシも余裕たっぷりに、そんなお遊び程度で前園さんが気持ちを揺らさないのを分かっているんだろう。大人の男(推定)だ、けっ、リア充め。

 

 さて、前園さんを巻きこんだことで、俺たちは実地練習に入ることになった。

 まず、取り決めたのは実際に遅刻しかけの時間にはやらない、ということだ。それをすると三人とも遅刻する。

 放課後、三人とも用事のない日を決めて、車や自転車が通りがからない場所を選んで実地練習することにした。正面から走ってきた場合、曲がり角から出てくる人影が見えない場所。実際はカーブミラーがついているのだが、上の方にあるから気にしていなければ気づかない。

 次に取り決めたのは、走るのは前園さんだけ、ということだった。両方とも走ってぶつかるとかなり危険な事故になるのだ。転んで前園さんの脚に傷でもつけたら、カレシがうるさいに違いない。俺がカレシだったら抗議するし、そもそもきっとやらせないけど。俺はカーブミラーを見ながらタイミングを見計らい、走りこんでくる前園さんにちょうどぶつかるように、それでいて怪我をさせないように受け止めるわけだ。

 この時、完全に抱き止めてしまってはこれもダメ。衝撃でメガネが落ちる程度には『ぶつかる』ようにしないといけない。


 これが、難しかった。


 約一時間に渡って挑戦をしたのだが、うまいこといったのは数回だけだ。それも、メガネが落ちなくてやり直しになってしまった。ぶつかるとあらかじめ分かっているのがいけないのである。人間、どうしても構えてしまうのだ。前園さんもぶつかるタイミングが分かっているので、その前にちょっと減速してしまい、結果、ぶつかるというより抱き合うみたいな構図になってしまう。

 俺としては前園さんのような美少女と抱き合うというのはときめく気もしないではないんだが、何しろ前園さんはカレシ持ち。こんなことを繰り返していると知られたら、闇討ちされそうでそろそろ怖い。凶悪なカレシでないことを祈りたい。あくまで悪いのは彼女であって、俺と前園さんではないんだぞ。

 ようやく成功した時には、前園さんの素顔を見てときめくというよりも、成功の安堵感でお互いにホッとため息をつくというありさまだった。


「これで、どうだ。満足したか」

「どうでしょうか。わりと上手くいったと思うのですけど」

 俺と前園さんがそろって告げると、彼女は喜色を浮かべて礼を言った。

「ああ。本当にありがとう!どういう構図で、どういったタイミングがベストなのかが良くわかった。やはり実地に勝るものはないな。

 ところで前園さん、こいつと何度も触れ合うといったことをしたわけだが、何かときめくものはあっただろうか?」

 真剣な顔でメモをとりつつ、彼女は聞いた。

「そうですね。わたしにカレシがいなかったら、ときめいたかもしれません。背も高いし、顔もカッコイイし、包容力はあるし。なにより、女の子のワガママにこれだけ付き合ってくれるような人は、あまりいませんよ」

 付き合いの良さを指摘されるとあまり褒められた気がしないが、前園さんは褒めてくれたんだろう。俺が苦笑いするのを、前園さんはくすくす笑った。

「次は三番目でしたよね。続きは、また今度、雨の日に」


 

 彼女は得たデータをもとに、さっそくラブコメの下書きを書いているらしかった。プロットというのか、ストーリーの構成のようなものだ。

 曲がり角でぶつかるのは出会いのシーンだから、恋愛としてはまだまだ序盤。先の展開を考えているのかどうかは知らないが、とにかく出会いのシーンでお互いを認識するというシーンだけを書き上げた。先の展開しだいで書き直したりはするだろうし、そもそもプロットでそこまで詳しく書く必要があるかどうかは知らない。

 ライトなノリで書くラブストーリーなら、ラブコメの一種だろうと俺は思う。どんな出来かは知らないが、俺と前園さんのラブストーリーだと思えばときめかないでもないな、と思ったのだが。

 

 見せられたストーリーの端書きは、……頭が痛かった。


「どうして俺が、出会った時にはすでに前園さんをターゲットにしているストーカー野郎なんだ?」

「む?だって、そうではないか?走り寄ってくる少女を、まるではじめから分かっていたかのように抱きとめ、少女が怪我をしないように細心の注意を払いながら地面に転がすのだ。落下するのはメガネだけ、少女が地面で擦り傷を作られないように気をつけてやるなど、あらかじめ心構えが出来ていないとできっこない。

 初対面でそんなことができるということはありえない。ならばこの男にとっては初対面ではなく、この出会いよりも前から知っている相手だったと思うのが自然だ」

 思わず拳を握りたくなった、俺は悪くないはずだ。

 そりゃ、前園さんが怪我をしないよう、細心の注意を払ったに決まっている。彼女のお遊びに付き合わせたあげく、怪我でもさせたら俺は罪悪感にさいなまれるし、前園さんのカレシにボコられるだろう。

「何度も練習した最後だったんだ、あらかじめ心構えが出来てたに決まってるだろうが。

 どうせなら一番最初のやつを参考に、結果だけ最後のやつを使え」

「しかしだな」

「ストーカー野郎だと、コメディにならないだろうが。薄ら寒いっていうか、どっちかっていうとホラーオチだ」

「運命的な出会いだと思ったら、実はストーカーというのは充分笑い話になると思う」

「笑い話で済まなかったらどうする。喜劇どころか悲劇になるぞ」

 俺の指摘に彼女は納得できかねる顔をしながら、またなにやら書き始めた。

 続いての内容はこうだ。

「出会ったメガネ美少女に一目惚れするが、直後、メガネを落としたことによって失恋する。男が見惚れたのはメガネ姿であり、彼はメガネフェチだったのだ。砕けてしまったメガネを形見として受け取り、彼は涙するのであった。

「……終わってるじゃねえか、恋愛」

「メガネというのはそれだけで一ジャンル構築する人気なのだぞ。メガネフェチというものは実在してだな、女子にとってはメガネ男子、男子にとってはメガネっ娘。メガネこそが本体。顔など付属品だ」

「メガネ売り場で満足しとけよ、そこは。巻きこむなよ、メガネしてる方の人間を!」

「また、伊達メガネを許容するかどうかは人によるな」

「聞いてない!」

 ちなみに俺にはメガネ好き属性はない。……たぶん。


 

 雨が降ったのは、それから三日ほど後だった。

 ダンボールなどに入れられ、捨てられた犬(あるいは猫)に傘を指し掛けるという、ただそれだけのシーンのため、街中を散策する俺と前園さん、そして少し離れてついてくる彼女。

 見つからないだろうとは思っているのだが、万が一見つかった時のために、犬(もしくは猫)を追加で拾ってきてもいいかとおふくろに確認はとっている。見てしまった後に、それを見捨てて帰れる気がしない。


「探してる最中は、別にこそこそ見てなくてもいいだろうに。一緒に歩けば……」

 俺がぼやくように呟くと、前園さんはくすくす笑った。

 俺と前園さんは、並んで歩いてこそいたが、別に同じ傘ってわけじゃない。ラブコメだったらここは相合傘だと思うんだが、前園さんはカレシ持ちなんでそこは気を使っている。俺がカレシだったら嫌だし。少し離れてついてくる彼女は黄色いレインコート姿だ。メモ書き用のミニノートとシャーペンも手にしている。

「見つけた時の反応が見たいんじゃありません?」

「けど、見つけたら見つけたで、俺だけ近づいて、前園さんは離れたところから見るんだろう?

 ああやって、こそこそ後をつけられる方が気詰まりなんだが」

「まあまあ、三人が遠感覚で歩くよりはマシだと思っておきましょうよ」

 それはさらに悪い。

「それよりも、せっかくだからお話しませんか?」

 前園さんは言った。

「お二人って、他のクラスでもけっこう有名なんです。興味あったんですよね」

「そうなのか?まあ、あいつはわりと変人だしなあ」

「個性的って言うんですよ。いつからのお知り合いなんです?」

「中学だな。二年生の時に一緒だっただけだから、別に仲が良かったわけじゃないんだが。高校に入って最初に、『久しぶり』って声をかけられたんだよ。よく話すようになったのはそれからだ」

「彼女は、当時もあんな感じで?」

「……妙なもんを書いてたかどうかは知らないな。クラスでは目立たない方だった」

 この質問、前園さんに限らず、たまに聞かれる。そのたびに首をかしげるはめになるんだが、正直なところ中学のころの彼女の様子をあまり覚えていないのだ。クラスにいたな、程度。俺は男同士でワイワイやってるのが楽しかったし、彼女も一部女子のグループで固まっていたから、男子と喋るところなんて見た覚えがない。よって、クラスメイトだが会話をしたことがあったかどうかも分からない。

「そうなんですかー」

 前園さんは大変残念そうな顔をした。 

「パンを口にくわえた遅刻未満の彼女が曲がり角でぶつかって、ってことも、メガネをしている大人しくて目立たない彼女の素顔を偶然見てときめいたり、ってことも、雨の日に捨て犬に傘を差し掛けるのを彼女が目撃した、ってことも、なかったんですか?」

「ねえよ」

 だいたいそれは、彼女のラブコメシーン案じゃないか。

「俺は優等生だったから遅刻スレスレに学校に行ったことはなかったしな。メガネしてるのは昔からだし、中学のころはあいつの素顔なんか見たことなかった。雨の日に向こうが見たかどうかは興味がない」

「残念」

 前園さんはしょんぼりとした。


 結論から言えば、捨て犬は見つからなかった。正直言ってホッとしたものだ。段ボールに入れられて冷たい雨の中ぐったりとしている仔犬なんてのは、何度も見たいものじゃない。もう少し大きな犬であれば、おとなしく雨に打たれたりはせずに他に逃げるものだし。

 狙い通りにいかなかった彼女は難しい顔をして、また日を改めようと呟いているが、今のうちに心を入れ替えて欲しい。

「また何かあったら呼んでくださいね」

 人のいい前園さんはそう言って微笑んで帰っていった。



 さて、雨の中何時間にも渡って捨て犬探しをしていた結果はどうなったか。

 予想は出来るだろう。彼女はしっかり風邪を引いて、熱を出して寝込んでいる。傘と違い、身体にピッタリ張りつくレインコートは、寒さまでは遮断してくれなかったらしい。

 アツアツのお粥に卵を落とし、彼女の部屋をノックした俺は、ため息をついた。

 相も変らぬ奇天烈な部屋である。

 女の子らしい気配はしない。だが、男ではありえないだろう光景。壁一面に並んだ本棚には、薄い本が並べられ、空いたスペースには彼女が今気に入っているというBL作品の、それも一押しカップリングだという二人組のポスターがデカデカと貼られていた。この二人が彼女の脳内でどのようなラブを繰り広げているのかは知らないのだが、絶対知りたくもないので語らないで欲しい。

 先ほどまでおとなしくベッドで眠っていたはずの彼女は、ベッドの上に起き上がり、赤い顔をしながらメモ書きをしていた。

 ベッドサイドに置かれていた黒ブチメガネも、いつもの場所に鎮座している。

「なんで起きてるんだ。寝てろって言っただろ」

「うむ。良い案が浮かんでしまっては仕方あるまい。そちらこそ、母が済まないな」

「まあ、用事があるってならいいけどさ」

 俺、これでも男なんだけど。風邪引いた女の子が一人だけの家で留守番を頼むってどうなんだ。子が子なら母も母ということなんだろうか。

「次はこれでどうだろう」

 そう言って彼女が見せてきたメモに書かれてあったのはこうである。

「一、幼馴染の少女が、男子生徒の部屋に起こしにくると、その男子生徒との間に恋がはじまる。

 二、幼馴染の少女が、男子生徒の家に朝食を作りにくると、その男子生徒との仲について家族が味方につく。

 三、幼馴染の少女が、男子生徒の弁当を公衆の面前で手渡すと、その男子生徒との間は学校公認のものになる」

 なぜだろう。男の夢のような気がしないでもないシチュエーションが、嫌な予感しか呼ばない。

「……これを、どうしたいんだ?」

 俺がおそるおそる尋ねると、彼女は言った。

「当然、実地に勝るものはないからな。試してみたい。君には確か幼少期からの幼馴染がいたな?彼に協力してもらおう」

「却下だ、却下だ、却下だ!」

 彼女は不思議そうに首をかしげた。

「なぜだ。わりと定番のシーンのはずだが」

「ここにちゃんと書いてあるだろ、それは女の幼馴染の場合だ!俺の幼馴染は男であって、ヤツが部屋に起こしにくるなんぞ虫唾が走るを通り過ぎて怖気立つっ!そもそも今、『彼』っつったろーが!」

 俺がわめくと、彼女はむくれた顔をしてうつむいた。納得がいかないらしい。

 ハア、とため息をついて俺は話を変えようと持っていたお盆を突き出した。

「ほら、食って眠って、で、治ってから考えろよ」

 ベッド脇に置かれた椅子に腰かけながら、お粥とスプーンの載ったお盆を差し出すと、彼女はふてくされたような顔をしたまま、「あ~ん」とばかりに口を開けた。若干躊躇しないでもなかったが、スプーンですくって口に運び入れる。もぐもぐと咀嚼する様は、ヒナに餌をやっているような気分だ。

 どうせならこういうシーンを参考にしてもらいたいところなんだが、彼女には通じないんだろう。

 俺は諦めに近い気分になりながら、渡されたメモに目を落とす。

 朝食。弁当。

 彼女の料理の腕前は、確か恐ろしいものだったはずだ。くれぐれも自分で幼馴染役に挑戦しようなんて言い出さないよう、なんとか話しの矛先を変える方法はないだろうかと考える。

「早く治して登校してこい。おまえがいないとつまんないからさ」

 俺がそう言うと、彼女は大真面目な顔をしてうなずいた。

「承知した。君を楽しませることができるよう、新作の制作を急ぎたいと思う」

 そういうことじゃないんだがなと思いつつ、俺は苦笑いを浮かべた。

 

 俺と、彼女――西村にしむら華南かなんとは、おおむねこういう仲である。

 

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