そりゃないよ、七夕様!
こんにちは、谷崎です。今回は、七夕をテーマに書いてみました。私にしては短期間で駆け足で書いたので、いろいろとすっとばし気味な感が否めませんが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
子供の頃、つまらないものを怖がったりすることがある。
たとえば、壁のシミとか、風の音とか。
高木道成にとって、その最たるものが、毎年七月になると駅前広場に設置される巨大な笹ならぬモミの木だった。
子供心に、あれは衝撃的だった。
七夕といえば笹という定番のイメージを完全に覆す、あの外形。迫力ある姿。七夕よりもクリスマスを彷彿とさせる雰囲気を醸し出しているのに、ぶら下がっているのは多種多様な装飾品なんかではなくて、願いごとを書かれた色とりどりの紙。当時五歳だった道成の目には、それが札を張られた巨大な木の化け物のように映った。
何故、ウチの町では笹ではなくモミの木を飾るのか?
ずっと疑問に思っていたが、今ならわかる気がする。町内会費節約のために、大人の事情でクリスマス用の人工モミの木を笹に見立てていたのだろう、と。
ちなみに、その七夕用モミの木は、十年経った今でも健在だ。普通なら、苦情に繋がってもおかしくないはずなのに、未だに七夕にモミの木が利用されている理由は、ただ一つ。
七月七日にモミの木に願いごとを書いた短冊をぶら下げると、願いが叶うという噂があったからだ。嘘か誠か、この数年間、願いが叶ったという感謝の声が次々と町内会に届いているという。
(……まあ、どうせ、放っといても叶いそうなくだらねー願いばっかりだったんだろうけどさ)
そう思いながらも、完全には否定できないのは、道成自身、願いが叶った経験があるからだ。
小学六年の頃。好きだった女の子が、両親の離婚を機に転校することになった。彼女とは、付き合うというほどではなかったものの、相思相愛な気配が漂っていて、互いに離れたくないと思っていた。だから、二人でモミの木に短冊を吊るしたのだ。
転校しませんように、と願を懸けて。
そして、その願いは成就した。
というか、真実は、彼女の書いた短冊を両親が見て、転校は可哀想だという結論になっただけなのだろうと思う。しかし、当時の二人にとっては、それは奇跡のように思えたし、魔法か超能力めいた何かが働いたのだと本気で信じた。
だから、何となく、毎年、短冊に願いごとを書き続けている。もっとも、あれから叶ったことはないのだが――。
そして、今年も七夕がやってきた。
「……今年の願いごとは、何にするかな」
中学三年生の現在。受験生らしい願いごとをしようと考えながら、駅前広場へと向かった。そして、モミの木の傍、短冊とペンの準備された長テーブルの前に立つ、癖のあるボブカットの少女に気づいた。
幼馴染みで同級生の、山村朔。インドア派にありがちな色白さと穏やかさを備えた、図書委員の似合いそうな人物。実際、趣味が読書なので、彼女の纏う雰囲気はあながち間違いではない。
「よう、朔。お前も短冊書きにきたのか?」
道成の声に、彼女は少し遅れて反応した。
「…あ、うん。道成も書きに来たの? 律儀ね」
そう言って、耳にかかる髪を掻き上げる。その瞬間、ほのかに匂った甘い香りは、近くで売っているクレープのものか、それともフラワーショップの花か。
「律儀っつーかさ、年間行事の一つになっちまってるんだろうな。大晦日には年越しソバ食って、正月には初詣行くみてーにさ。お前もそうだろ?」
「…そうね。こうも毎年、続けていると、書かないと縁起が悪い気さえするわ」
淡々とした口調に、つい苦笑してしまう。
「確かにな。書こうと思ってたのに書き忘れたときなんか、すげー不安になるし」
「そうなのよね。これって、一種の呪いか何かじゃないかしら」
至極真面目にそんなことを言う彼女の意見を、道成は笑い飛ばせなかった。
「…呪いか。言い得て妙って感じだな」
一度、願いが叶ってしまうと、このモミの木に何か特殊なもの――霊的というか、神秘的な能力でもあるのではないかと思えてならない。そうなると、七月になってモミの木が現れると、様子を見に行かないと気がすまず、いざ現物を前にすると、短冊を書きたい衝動に駆られてしまうのだ。毎年、その繰り返しだ。それは、恒例行事というよりは、強迫観念の一種といえるかもしれない。
「――ねえ、道成は、何て書くの?」
問われて、ポリポリと頬を掻く。
「まあ、受験生だしな。合格祈願にしようと思ってるけど。お前は、どうするんだ?」
「…私は、特に考えてない。っていうか、思いつかなくて困ってたの」
「さすが、成績いい奴は言うことが違うな。書くことがねーなら、お前も合格祈願にすりゃいいんじゃね?」
というか、そもそも、願いもないのに短冊を書こうだなんて思うのもおかしな話だが――朔も道成同様に願いを叶えてもらったクチなので、毎年、来ずにはいられないのだろう。
転校したくない。
昔、彼女はそう短冊に願いを込めて、それが叶った。
転校しないでほしい。
昔、道成は短冊にそう書いた。そして、それが叶って、今もこうして彼女の傍にいる。
(…いや、ちょっと違うな)
傍にいるといっても、友人としてではない。ただの幼馴染みや腐れ縁なわけでもない。二人は、正真正銘、恋人同士なのだ。しかし、周囲の誰もそのことは知らない。何故なら、朔は、騒がれたり噂されたりすることを死ぬほど嫌っているため、人目のあるところでは、ただのクラスメイト、ただの知り合いを演じているからだ。
道成自身、それに対して不満がないといえば嘘になるが――それでも、彼女が自分だけに見せるちょっとした仕草や笑顔は、本当に可愛くて、何度見ても幸せな気分になってしまう。だから、現状にこれといった問題があるわけではないし、これからもずっとこんな感じで、関係が続いていくのだろうと思う。
(……受験、か)
頭のいい彼女と、イマイチな成績の自分とでは、当然ながら志望校が違う。恋人だから進路も一緒、なんていう思考は、道成にも朔にもない。ということは、このままでいけば、通う高校は別々になってしまう。下手をすると、二人の関係が自然消滅、なんて展開もありうるかもしれない。
「――やっぱ、それは嫌だしな」
ポツリと呟いた声に、彼女が首を傾げる。
「…何の話?」
「いや、何でもねーよ。なあ、朔。どうせ願うなら、受験じゃなくて、もっと別のことにしねーか?」
「別のこと? 例えば、どんな?」
まばたきをする彼女に、道成がにやりと笑って、無言で短冊にペンを走らせた。
「…こんなのは、どうだ?」
言って、書いた紙を見せる。
そこには、しっかりとした太めのペンで、
「――彼女と、ずっと一緒にいられますように…?」
朔が淡々とした声で読み上げ、小さく笑う。
「……恥ずかしくないの、こんなこと書いて。友達に見られたら、からかわれるわよ」
「いいんだよ。名前は書かねーから」
言いながら、道成は、手早く短冊を近くの枝に結びつけた。
そして、朔を見つめる。
「で、お前は、どうすんだ?」
挑むように訊く道成を見つめ返し、彼女は無言で短冊に願いごとを書いた。
「……私も、名前は書かない。恥ずかしいから」
そう言って、はにかんだ笑顔で短冊を見せてくる。
オレンジ色の短冊には、道成が書いたよりも綺麗な字で、こう書かれていた。
――彼と、ずっと一緒にいられますように。
その短冊を手早く結んで、朔が小さく息を吐く。
「…道成って、ときどき、恋愛小説の主人公みたいなことをするよね。恥ずかしくないの?」
「恥ずかしい恥ずかしい言うなよ。いいだろ、たまには恋人っぽいことしても」
「――…そうね。たまには、恥ずかしいのもいいかもね」
「そ、そうだろ」
とはいえ、何だか気恥ずかしいのも確かだ。
誰に見られているわけでもないのに、つい、周りの目が気になってしまう。
しかし、二人を見ている者は、誰もいない。通りすがりの人々が見ているのは、巨大なモミの木や吊るされた短冊くらいのものだ。
ほっとしていると、不意に耳元で、朔が囁いた。
「…よかったね、誰も見てないよ」
耳たぶに吹きかけるように言って、からかうように手の指を絡め、すぐに離す。
ほんの一瞬、伝わった熱を捕まえようと手を伸ばすが、叶わない。それどころか、彼女は、いつものクールな表情に戻って、すっと背を向けた。
「じゃあね、道成」
「…お、おい、朔」
声をかけるが、彼女は、振り返らない。用はすんだとばかりに、スタスタと歩いて行く。
その後ろ姿を見つめていると、鞄に突っ込んでいたスマホが鳴った。メールを受信したようだ。
確認しなくても、相手はすぐにわかる。
可愛い恋人・朔だ。
彼女は、いつもつれなく別れてすぐにメールを寄こすのだ。表示される文章は、いつも同じ。
『 帰ったら、電話してね。 』
絵文字も愛嬌もない、淡白な文字列。
しかし、彼女の性格を熟知している道成は、その短い文章に充分すぎるほどの親しみが込められていることを知っていた。だから、即座に返事を返す。
『 わかった、すぐ帰る! 』
そう打ち込んで、送信する。
「…よし、さっさと帰ろう」
そして、彼女に電話しよう。
いつものように。
これまで、そうしてきたように。
彼女の笑い声や恥ずかしそうに呟く声を聴こう。
そのためにも、今から本日の話題を考えておかなくては。
そう思っていた道成だったが――…。
「……え、何でお前が家にいるんだ、朔?」
自宅に帰って玄関を開けると、見慣れた少女が出迎えてくれた。
その表情は、これまで見たこともないくらいに困惑していた。
「――…どうしよう、道成。何か、困ったことになったんだけど」
「困ったこと?」
滅多に弱音を吐かない彼女がそんなことを言うなんて、よっぽどのことだ。
一体、何があったのだろうか?
詳しく事情を訊こうとしたら、奥の部屋から母親が顔を覗かせた。
「道成、帰ったの?」
「あ、うん。ってか、母さん、今日は仕事じゃなかったっけ?」
道成の母親は、シングルマザーであり、去年からパートに行っていた会社の正社員になって、バリバリと働いている。今日は平日で、まだ仕事のはずなのに、どういうことなのか。
(…朔がオレの家にいることといい、何か妙だな…)
いつにない状況に首を捻っていると、これまた、この場にはそぐわない人物が顔を見せた。
「帰ったのか、道成くん。おかえり」
背が高く、ぱりっとしたスーツの似合う二枚目の男が声をかけてきた。その涼しげな目元は、朔によく似ている。
「……え、お、おじさん? 何で、ここにいるんですか?」
何度も会ったことのある朔の父親が、そこにいた。
「お、おい、一体、今日は何の日だ?」
朔と道成は、幼馴染みなので、仲がいいのはわかる。
かといって、朔と道成の親同士が仲良しかといえば、そうでもない。互いに子育てに忙しくて、顔を合わせることのほうが少ないくらいだ。
(そんな疎遠な二人が一緒にいるなんて――…もしかして、また、昔のように引っ越すとか言い出したりしないだろうな?)
かつて、今と同じような状況を体験したことがある。
朔と朔の父親が引っ越しの挨拶をしにきた、あの日の再現をしているような気がして、自然と鼓動が速くなる。
(……まさか、違うよな?)
引っ越すとか、遠くに行くとか、そんな話は聞きたくない。
だいたい、つい数十分前に、二人で願ったばかりなのだ。
ずっと一緒にいられますように、と。
それなのに、願った当日に離別の瞬間が訪れるとか、そんなのは許さない。
警戒する道成の様子に、朔が弱りきった顔つきで口を開いた。
「…あのね、道成。実は、私たち…」
「ま、待て! 心の準備をさせろ!」
ばっと手をかざして言い、深呼吸する。
そして、心を少し落ち着けてから、朔を見つめる。
「…よ、よし、いいぞ。い、いや、よくないな。言っとくが、引っ越すとかそういう話なら、聞かねーからな」
「――引っ越す? 私が? 何で?」
「な、何でって――…前にもこういうことあったろ? ガキん頃、お前とおじさんが来て、引っ越すとか何とか話してたじゃねーか。違うのか?」
「ち、違う! あ、ううん、それより悪い話かも」
「引っ越しより悪い話? ま、まさか、別れようとかいうんじゃないだろうな?」
いきなり、自分の隣からいなくなるとか――考えるだけで、ぞっとする。
青ざめる道成を落ち着けるように、朔がぎゅっと手を握ってきた。
「そうじゃないよ、そうじゃなくて」
そして、奥の部屋からこちらを窺う大人たちを見つめる。
その視線を受けて、朔の父親が一歩前に足を進めた。
「道成くん、いきなりで悪いんだが、大事な話があるんだ――」
そう前置きしておいて、彼は、とんでもない言葉を口にした。
「実は、この度、君のお母さんと結婚することが決まったんだ。これからは、おじさんではなくお父さんと呼んでほしい」
「――……は?」
意味がわからない。
何を言い出すんだ、この親父は?
混乱している道成の手を軽く引いて、朔が説明を加えてくれる。
「…私もついさっき話を聞いたばかりなんだけどね。私のお父さんとおばさん、前から付き合ってたんだって。それで、今日は二人が付き合い始めた記念日だからって、お父さんが仕事を早めに切り上げておばさんの仕事場に行ったんだけど、何か、その場の勢いでプロポーズしちゃったらしいの。それで、おばさんがオーケーして、その場にいた気の利く上司のおかげでおばさんは早く帰ってきて、今現在、子供たちに結婚報告してるってわけ。わかった?」
「…わ、わかるにはわかる、が…それってアリなのか?」
二人がそんな仲だったなんて想像もしていなかったし、話を聞いた今でも信じられない。
しかし、道成の母親も朔の父親も冗談を言っている雰囲気ではない。ついでに、いつも冷静沈着な朔が本気で困惑しているのだ。これが現実でないはずがない……。
「なあ、朔。二人が結婚するのは、まあ、大人の事情っつーか、わからないでもねーけど、その場合、オレたちはどうなるんだ?」
小声で、彼女に話しかける。
親同士が結婚すれば、必然的に兄妹になることになるが――大きな問題が一つ。
「……兄妹で彼氏彼女にはなれないよね、普通」
「だ、だよな。い、いやでも、オレはお前と別れるつもりはねーんだが」
「私だって同じだよ。でも、私たちが付き合ってるって知ったら、父さんたちの結婚の話はなかったことになるよね」
どちらの親も子煩悩なのだ。子供たちの幸せのために、自らの幸福を惜しみなく捨てるに違いない。
かといって、そんな展開は、朔も道成も願っていない。片親で子供を育ててきた苦労を見てきただけに、誰よりも親には幸せになってほしいと願っているのだ。
だから――ここは、これまで育ててもらった恩のある子供たちが折れるべき場面だろう。
「…と、とりあえず、適当に話を合わせておこうぜ。結婚が決まった以上、オレたちに反対する権利はねーだろ」
「…けど、それとなく、私たちのことを話しておいたほうがよくない?」
「い、いや、んなことしたら、余計に話がこんがらがるんじゃねーのか?」
「で、でも、早いうちに話しておいたほうがいいよ。私と別れる気はないんでしょう?」
「当たり前だ。つか、何で、いきなりこんなトンデモ展開になっちまったんだ? いきなり、親同士が結婚とか、ありえねーだろ。せめて、結婚決める前に相談があってもよくねーか?」
「確かに、急すぎると私も思ったわよ。でも、こういうのってタイミングが大事じゃない? ここぞってときに言わないと、なかなか切り出せないものかもしれないし」
「そうか? よくわかんねーけど」
「…私にも、よくわからないわ」
二人が付き合いだしたときを思い出すが、付き合う前も、告白するときも、付き合ってからも、これといった障害も喧嘩もなく、円満すぎるほど円満に過ごしてきただけに、波乱万丈な人生がどういうものかなんてよくわからない。
二人してこれからどうするかを考えていると、親たちが気遣うような目を向けてきた。
「ごめんね、道成、朔ちゃん。急に言われても戸惑うわよね。でも、よく考えて出した結論なの。今すぐには無理でも、いつか、理解してくれると信じているわ」
母親の必死の声に、おじさんが力強く頷く。
「ああ。必ず、俺たちはいい家族になれるはずだ」
「そうよね。ほら、道成、覚えてる? 朔ちゃんが引っ越すとき、言ってたでしょう? 朔ちゃんと離れたくない、ずっと一緒にいるんだって。母さんたちが結婚すれば、朔ちゃんとずっと一緒にいられるのよ。なんたって、家族なんだもの!」
「――ず、ずっと一緒…?」
どこかで聞いたフレーズに、思わず戦慄する。
朔も同様だったのだろう。
「……ま、まさか、あの短冊…」
二人して、数十分前の行動を思い出して青ざめる。
ずっと一緒にいたい、と。そう、あの不思議なモミの木に願ったが…。
(…もしかして、あの願いが叶ったのか――?)
しかし、望んだのは、こんな形ではない。
兄妹になりたいなんて書いた覚えはない。
しかし、同時に、恋人として一緒にいたいとも書いていない。
「…さ、朔!」
「う、うん!」
二人は、顔を見合わせるなり即座に頷き、家を飛び出した。
向かった先は、七夕の笹ならぬ、巨大なモミの木。
そこにぶら下げた短冊を外せば、事態を打開できるような気がして、とにかく急ぐ。
しかし――到着して、二人は唖然とした。
「――え、あ、あれ?」
「そんな、馬鹿な…」
モミの木は、確かにそこにあった。
自分たちが書いた短冊も、記憶通りの場所にあった。
二人を驚愕させたのは、短冊に書いた文章が――あの願いごとが、跡形もなく消えていた事実だ。
「……ね、ねえ、これって、前にもあったよね?」
朔の硬い声に、道成がぎこちなく頷く。
「あ、ああ。昔、お前の引っ越しがなくなったときも、確か、願いごとを書いた短冊が白紙になったよな」
「うん…ってことは、お父さんとおばさんの結婚イコール私たちの願いごとが叶ったってことになるのかな?」
「た、確かに、ずっと一緒にいられるかもしんねーけど、コレは違うだろ」
「でも、事情を知らない人からしてみれば、どんな形であれ、家族になればずっと一緒にいられるってことになるよね」
「んな都合のいい解釈されてもな――あ、そうだ。もう一度、短冊を書き直すとかどうだ? 今度こそ、ちゃんと恋人として一緒にいたいって書けば万事解決じゃね?」
「…そんなに都合よくいくかな? 下手すれば、お父さんとおばさんの結婚が失敗するってことになりかねないんじゃ」
「んじゃ、二人が幸せなままってつけ足せばいいじゃんか。よし、じゃあ、書くぞ、朔」
備え付けのペンと短冊を握って言う道成を不安げに見つめ、渋々、朔が従う。
『 親が幸せなまま、恋人同士としてずっと一緒にいられますように 』
二人で短冊を確認してから、モミの木に吊るす。
「本当に、こんなのでどうにかなるのかな?」
半信半疑の朔に、道成が妙に確信的な表情で頷く。
「当たり前だろ。オレたちの短冊のせいでああなったんなら、絶対うまくいくって」
そう満足げに笑う道成だったが――すぐに、その表情が凍りついた。
「なっっ」
「み、道成、見て!」
言われなくても、見ている。
短冊を吊るして、十秒後。
表面に書かれた文字が消えたかと思うと、ゆっくりと別の文字が浮かんだのだ。
そこには、昔ながらの毛筆で、こう書かれていた。
『 願いごとは、一人一回。ルールを守って、正しく願いましょう。あしからず……。 たなばたつめ 』
丁寧で几帳面な字面だったが、そんなことにこだわっている場合ではない。
「お、おい、何だコレ? 字が消えて、別の字が浮かんできたぞ? つか、たなばたつめって何だ? 何かの暗号か??」
あまりの出来事にパニックになる道成に、朔が眉を寄せて答える。
「…確か、たなばたつめって、織姫星のこと、だったような……」
「織姫…? んな馬鹿なことがあるかよ。お伽噺か何かのキャラクターだろ、そんなの」
「でも、ありえないことが次々起こってるじゃない。何が起きても不思議じゃないわ」
「そ、そりゃそうだが。つか、だったら、どうするんだよ? オレたちの願いごとをなかったことにするとか、できねーのか?」
「――…何か無理っぽいよ、それ」
道成の言葉に、ややうんざりしたように朔が呟く。その手にある短冊を見やると、再び、新たな文章が浮かんでいた。
『 成就した願いは、撤回できません。不都合が起きたとしても、正確に書かなかった貴方たちのせいです。あしからず……。 たなばたつめ 』
それを見た瞬間、むかっ腹が立った。
「あしからず、じゃねーよ! つか、何だよ、この文字! 何で、リアルタイムで即レスしてくんだよ!? どっかで聞いてんじゃねーのか、コイツ!?」
その疑惑に、短冊が応える。
『 深く考えてはいけません。愛あるところに、私は存在しているのです。あしからず……。 たなばたつめ 』
「ぜってー、どっかで聞いてやがるよ、コレ! つか、ウゼーんだけど! 何だよ、愛あるところって。愛の使者でも気取ってやがってんのか? つか、人の恋路邪魔しといて、何様だっつーの!」
『 恋は、障害があるほど燃えるものです。頑張って試練を乗り越え、絆を深めましょう! たなばたつめ 』
「――おい、朔。この短冊、破ってもいいか? いいよな。どう考えても、コイツ、ふざけてるとしか思えねーし」
苛々した声に、朔も呆れたような顔つきで賛同した。
「いいんじゃないかな。っていうか、破ったら願いごと自体、なかったことになるんじゃないの?」
その名案に、道成が手を打つ。
「そりゃいいな! よし、オレたちの短冊を破ろう!」
言って、破ろうとしたら、再び短冊に文字が浮かび上がる。
今度は、真っ赤な字で、おどろおどろしく、
『 破った人は、もれなく呪われますので、あしからず……。 たなばたつめ 』
と書いてあった。それに鼻を鳴らして、道成は容赦なく、短冊を破り捨てた。
「すでに呪われてるっつーの。これ以上、何が起きるっつーんだよ?」
破った短冊の切れ端を地面に捨てる。すると、その瞬間、ぼんっと大きな音がしたかと思うと、目の前で花火のような光が弾けて――。
「……な、何だ、こりゃ?」
火花が消えたかと思うと、目の前に見知らぬ女が現れた。
やや猫背で厚化粧の、あざとい感じの人物だ。年齢不詳、長い髪はゆるやかなウエーブを描いて背中を隠し、浴衣姿なのに、色気や妖艶さは微塵も感じない。
女は、自分を見つめる道成に、親しげに話しかける。
「…あーあ、やっちゃいましたね、破っちゃいましたね。せっかく、忠告したのに」
「忠告…? 何のことだ?」
「…ふふっ、貴方、私の短冊を破ったではありませんか。破った者は、もれなく呪われると知っていながら」
「はあ? 私の短冊だと? 確かに、短冊は破ったが、お前のじゃなくてオレのだぞ」
「いいえ、私の短冊ですよ。私は、年に一度、この木に吊るされた短冊の願いを叶えなくてはいけないのです。そうすることで、私はいなみぼしに会う権利を得られるのです」
「いなみぼし?」
「私の恋人です。ですが、貴方のおかげで、当分の間は自由に過ごせそうです。ふふふ」
「??」
女は、意味深な笑みを浮かべて、きょとんとしている朔と道成を見つめた。
「まだ、わからないのですか? たなばたつめの私にかけられた呪いは、いなみぼしと年に一度しか会えないというもの。貴方は、短冊を破ったことで、その呪いを肩代わりすることになったのですよ」
「はあ? 肩代わり? どういうこった?」
「つまり――貴方は、私の代わりに年に一度しか恋人と会えなくなった、ということですよ」
「こ、恋人に会えないって――んな馬鹿な…」
呪いなんて、そんなアホな話を信じるわけがない。しかし、念のため、朔の様子を窺ってみるが、当然ながら、何の変化もなかった。
彼女はきちんとそこにいて、じっとこちらを見つめている。
「…って、別に呪われてねーじゃねーか。朔はここにいるし」
その言葉に、朔がすっと半眼になる。
「……まさか、道成。私以外にも恋人がいるんじゃないでしょうね?」
「はあ? んなモンいねーよ」
「じゃあ、どうして呪いがかからないのよ?」
「知るか! 最初から呪いなんてねーからじゃねーの?」
「もしかして、私のこと恋人と思ってなかったとか?」
「アホ言え! オレを信じろよ!」
「信じてるけど、気になるじゃない。そこのオバサン、何もないところから出てきたのよ? だったら、呪いも本当にあるかもしれないし」
「そりゃそうだけどさ。このババアが、嘘言ってるかもしんねーじゃん。どこからどう見ても、胡散くさいしさ」
二人が言い合っていると、それを見ていた女――たなばたつめがあくびをしながら、口を挟んできた。
「安心してください。今の貴方がたは恋人というよりも兄妹のくくりになっているんですよ。ご両親の結婚が決まって、よかったでしょう?」
「…はあ?」
何の話かと眉をひそめる道成に、彼女はくすりと笑う。
「恋人としてではなく、家族として傍にいるのなら、呪いは発動しないということですよ。これで、私は呪いから解放され、貴方がたも離れ離れにならずにすんだのです。どうです、一石二鳥の策だったでしょう? 私も、いい加減、古びた風習に縛られるのにうんざりしていたのです。だって、今のご時世、他人の願いを叶えないと好きな人に会えないとか、ありえませんよね? しかも、年に一度って! ドケチにもほどがありますよ! なのに、星神様ときたら、ちょっと意見を言ったくらいで、今どきの若者はけしからんって文句タラタラで。老害の被害者ですよ、我々は! 今こそ、若者は立ち上がるべきなのです!」
演説者よろしく、片手を握りしめて力強く語る女に、朔が、やや冷めた目で意見する。
「――言っておくけど。オバサンは、どうしたって若者には見えないし、どんなに被害者ぶったところで、私たちにとっては加害者でしかないのよ。こっちは、オバサンのせいで迷惑を被ったうえに、何のメリットもない悪条件を押しつけられたんだから。前途有望な青少年二人の未来を台無しにした落とし前、きっちりつけてくれるんでしょうね?」
淡々と正論を告げる朔の言葉は、小声であるにも関わらず、女の心にダメージを与えたらしい。女は、わざとらしくよろめいて長テーブルに手をつき、泣き真似をしてみせる。
「ああ、何て、悲しい時代なのでしょう! 呪いから一人の女を救い、自らも呪いを回避できたというのに、喜ぶどころか責め立てるだなんて! しかも、初対面とはいえ、敬うべき年上女性をオバサン呼ばわりする非常識さときたら――ゆとり世代の行く末を案じずにはいられません!」
「…いや、他人に呪いを押しつけて罪悪感の欠片もないババアのほうがよっぽど怖いだろ」
道成のセリフに、朔が即座に頷く。
「そうよね。ゆとり世代云々よりも、自己中なオバサンのがよっぽど始末が悪いわよね。自分が迷惑かけてるって自覚がないんだもの」
「だよな。今どきの若者はーとか言う大人に限って、ろくな奴じゃねーんだよ」
「その典型よね、このオバサンは」
「迷惑だよな、マジで」
「本当に。さっさと消えてくれないかしら」
「そうそう、厄介な呪いごとな」
物騒な青少年の会話に、女はまばたきをして、開き直ったように長い髪を掻き上げた。
そして、ふんっと鼻を鳴らして、がらりと口調を変える。
「あーもー、面倒くさいわねえ。いいじゃない、もう私だっていい歳なんだしさー、いい加減、この仕事やめて寿退社したいわけよ。だいたい、七夕ってのは、裁縫なんかの上達を祈願するためのものだったはずなのに、いつの間にやら家内安全だの恋愛成就だの金持ちになりたいだの、わけのわかんない願いばっかりになっちゃって。こっちも対応するのに必死だっつーの! これ以上、面倒な仕事を増やすんじゃないわよ! こちとら、何百年も人間のクソつまらない願いに付き合わされてうんざりしてんだから!」
どっかりと長テーブルに腰かけて足を組む女を見やり、道成と朔が囁き合う。
「……おい、聞いたか? 何百年も生きてんだってさ。道理で人の話を聞かねーはずだ。年を食いすぎて耳が遠いんだな、きっと」
「ついでに、頭のほうも問題がありそうよ。情緒不安定みたいだし、より厄介度が増したわね」
「だな」
年寄りなら、耳が遠くて情緒不安定なのは仕方がない。
「これ以上、この女に関わると面倒そうだな」
「そうね。呪い云々よりも対処が難しそうだわ。とりあえず、このオバサンとはここで縁を切ったほうがいいんじゃない?」
「ああ。あとのことは、おいおい考えようぜ」
「うん、私もそれがいいと思う」
そんな会話が聞こえたのだろう。女は、意地悪く微笑み、
「ちなみに、そこのぼうやの呪いを解くには、私を捕まえて、この新しい短冊に封じる必要があるんだけど――そうよねえ、迷惑な女にはこれ以上関わりたくないわよねえ。というわけで、私はここでサヨナラして彼氏とデート三昧の日々を楽しむけど、貴方たちは、せいぜい自重した付き合いを心がけることね。恋人判定されたら、即座に呪いが発動しちゃうから、気をつけてねー。それじゃ、バイバーイ!」
そう言うや否や、風を身に纏いつつ、ばびゅんと空高く跳び上がった。そして、そのまま空の彼方へと消えていく。
まさに、光のような速さというに相応しいスピードで。
置いて行かれた二人は、ぽかんとして――…ふと、我に返る。
「…お、おい。今、あいつ、何つった?」
呪いを解く方法について、サラッと語ったような…。
「……呪いを解くには、あの女を捕まえて短冊に封じ込めないといけないって…。つまり、あの女をつかまえない限り、私たちはこのままってことよね?」
「! あ、あの女っっ!」
今になって、怒りが吹き出してきた。
地団太を踏んで、女が飛び去った夕暮れの空を睨みつける。
「くっそー、空飛んで逃げるとか卑怯じゃねーか! さては、オレに呪いを解かせねーつもりだな!?」
「…相手も必死なのよ。いき遅れた女の執念って、恐ろしいわね…」
顔を真っ赤にして憤慨する道成とは違い、朔は冷静だった。顎に手を当てて、早くも今後の方針について考え始める。
「下手なことして、本当に呪いが発動したら困るし――とりあえず、あの女がこの町に戻ってくるまで、おとなしく待ちましょう。封印用の短冊は、常に持ち歩くことにして、それから」
「はあ? どう考えても、あの女、もう帰ってこねーだろ。待つよりも追っかけたほうがよくね?」
呪いの解きかたを教えたのは、捕まる気がないからだ。あの女は、何があろうとも逃げ切るつもりに違いない。しかし、朔は言う。
「…大丈夫。あの女は、私たちの様子を見に、必ず帰ってくるわ。他人の不幸は蜜の味って言うでしょう? ああいう自己中のいき遅れ女は、他人が苦しんだり騒いだりしてるのを見るのが好きなのよ」
「マ、マジか!? 年増で見た目もいまいちで、しかも性格悪いとか、最悪だな」
「まったくね。案外、相手の男が愛想つかして逃げ出すんじゃない?」
「ははっ、だったら、ざまあみろだな!」
本当にそうなれば、面白いのに。そんなことを考えつつ、道成は再び空を見据えた。
「……とにかく、今度会ったら、あのババア、ただじゃおかねーっ!」
どんな手を使ってでも、必ず捕まえてみせる。
道成は、長テーブルに置いてある短冊をポケットに詰め込めるだけ詰め込んで、表情を引き締めた。
頭を使うのは彼女の役目で、力づくで敵をねじ伏せるのは、自分の仕事だ。
次こそは、あの女が逃げる前に捕まえて、短冊に封印しなければならない。
もっとも、封印の仕方なんて知るはずもないが――とにかく、朔と一緒なら何とかなるだろう。一人では無理でも、二人なら、何でもできそうな気がする。
朔に目を向けると、短冊の一枚を手に取り、ペンを走らせているのが見えた。
「…おい。何、書いてんだ?」
訊きながら彼女の手元を覗き込んだ道成は、思わず吹き出した。
『 たなばたつめの男運が尽きますように 』
そう書かれた短冊を、細い指が器用にモミの木に結びつける。今度は、書いた文字が消えることはなかった。
朔は、しっかりと結びつけた短冊を見つめ、ぽつりと呟いた。
「――人の恋路を邪魔した罪は、きっちり償ってもらうんだから!」
そう言った彼女の目は、本気の怒りに燃えていて、殺気にも似た気配を放っている。
いつにない冷酷なオーラに当てられた道成は、初めて見る彼女の恐ろしい一面に、ぶるりと震え上がったのだった。
《 完 》
読んで頂き、ありがとうございました! 今回は、何か投稿に時間がかかったんですよね…。ネット専用のPCにデータを移したら、何かおかしなことになっちゃってて……前にもあったんですが、まあ、どうにか投稿できてよかったです。しかし、短編なのに私が描くと妙に長い気がするのは気のせいでしょうか。長い話ばっかり書いてると、どうにもペース配分がわからなくなるのかもしれません。たまには、短編も練習しないとダメですね。
ではでは、今回は、この辺で失礼します。また、ご縁があることを祈りつつ……。 谷崎春賀