婚約破棄ですか、そうですか。
私は赤の国の伯爵令嬢アンティリヌム・マユス。
幼いころに家が決めた婚約者候補がいるのだが、私は常日頃から空気として扱われている。
パートナーが必要な場では私とそっくり同じ外見の双子の姉を連れて行くことで対応しているようだ。
さすがにこれは酷いと思わないわけではないのだが、相手は末席に近い王族なのでまあいいだろうと思っている私がいる。
きっと彼も同じ考えのはずだ。
そんなこんなで今日も私をエスコートをしてくれたのは、
「友人の1人でしかない僕だけど、君をエスコートさせてくれるかい?」
と言ってくれた親しい友人の1人だった。
そこに1組のカップルを加えた4人で私たちはいつも行動していた。
今もその4人で、笑顔で談笑している。
しかし明日からはもう会えなくなるのかと思うと、ついうっかり涙がこぼれ落ちそうになる。
──そう、今日は魔法学園の卒業パーティーの日なのだ。
そんな華やかな会場で突如壇上へと駆け上がり、
「アンティリヌム・マユス」
と私の名を鋭く呼んだのは赤の国の第5王子だった。
彼は幼いころからずっと私の婚約者候補であり続け、そしてずっと私を空気として扱ってきた男だ。
それは明らかな異常事態だった。
だが久しぶりにその声を聞いた私が思ったのは、
『ああ、この人は私の存在を認識していたのかー』
とか、
『なるほど、彼の声はこんな感じだったのかー』
という、割とどうでもいい感想だけだった。
そして続けられた言葉が、
「アンティリヌム・マユス、お前との婚約を破棄する」
これだ。
私は周りと同じく会話をやめ、広げた扇子のかげで眉をひそめながらこう思った。
『頭大丈夫?』
と。
赤の国、青の国、緑の国と3つの国の国境の上に立つこの学園で今日別れを告げるべきなのは、異国に帰るあるいは旅立つ友人とか恩師とかその辺りじゃないの?
その3国以外の遠つ国から来ている留学生もいるんだよ?
たとえば私の友人その1とか、私の友人その2とか、私の友人その3とか。
そりゃ空間魔法なんてものがある世界だけどさ、それを気楽に使える実力か権力かお金か人脈がある人がこの中にどんだけいると思ってんのさー?
『この人ってこんなにアレな人だったっけ?』
と一生懸命考えてみるが、あまりに興味がなさ過ぎたために何も憶えていなかった。
うん、これは婚約を破棄されるのも無理はない。
誰か止める人はいないのかとまわりを見てみるが、同じ赤の国出身の人たちが目を合わせてくれない。
ああうん無理ですか、そうですか。
私も無理なんですよ、どうしましょうかね?
はああ。
第5王子の傍には宰相さんちの6男くん、騎士団長さんちの7男くん、筆頭魔術師さんちの8男くん、王弟陛下さんちの9男くんと4人もの側近候補がいるのだが、役に立っていない模様。
「まあ、何の余興かしら?」
と、王子につかまったらしい私の双子の姉トロちゃんがのんびりと首をかしげている。
うん、私も言いたい。
「まあ、何の余興かしら?」
だけど第5王子にはどちらの声も聞こえなかったらしい。
「そして新たに、こちらのトロパエオルム・マユス伯爵令嬢と正式に婚約を結ぶ」
と言い切った。
「まあ、私の婚約者とアンティちゃんの婚約者が入れ替わるの?」
トロちゃんはまんざらでもない感じというか、あれはたぶん何も考えていない顔だ。
くっ、なぜこんな残念な性格に育ったんだ、我が姉よ。
だがそんな彼女でも、第5王子の妻なら務まるだろう。
うん、うちの親にとっても領民の皆さんにとってもありがたい出来事かもしれないな、これ。
子沢山がデフォルトの余所様と違ってうちは娘2人しかいない家だからね。
トロちゃんが第5王子に嫁ぐなら、必然的に私に跡取りの座がやってくるよ。
ただ宰相さんちの6男くん、第5王子に婚約者候補を奪われちゃったけど、いいのかな?
笑顔で祝福している場合じゃないんじゃないの?
赤の国で貴族の子がもれなく貴族でいられるのは学園の卒業パーティーの日までだからねー?
トロちゃんの正式な婚約者になれなかったら、あなた明日から平民よ?
平民はお城には上がれないから、第5王子の側近候補からも当然外されるよ?
明日から君、無職だよ?
トロちゃんが何か言った程度で、私はヒモになるしかない宰相さんちの6男くんは拾わないからね?
「あなたのような妹がいるから」
の枕詞で何度も何度も何度も嫌味や小言を言われ続けてきたからねー。
そして明日からは平民に墜ちる男だしね、魅力はゼロだよ、ゼロ。
それならまだ赤と緑の国の準騎士爵位を取った騎士団長さんちの7男くんか、赤と青の国の準男爵位を取った王弟陛下の9男くんを選ぶほうがいいよね?
筆頭魔術師さんちの8男くんも男爵家の婿入りが失敗したら平民になるはずだけど、危機感なさそうだねー。
「まだ奪える?」
って感じの視線があちらこちらからちらちらと突き刺さっているというのに。
ましてや第5王子の暴走の直後なのに、
「ほら、最後の勝負だ、行ってこい」
と、友人であろう人に背中を押されている人までいるというのに。
ちなみに今の会場の大体の雰囲気はこんな感じだ。
「へー、まあいいんじゃないか?」
「俺たちには関係ないしな! それよりも俺たちの話をしよーぜ! 今日でお別れなんだからさ!」
「あー、お前にため口を使えるのも今日で最後かー」
「おいおい、泣くなよ」
ちょっと切ない。
「ほほ、あまり面白くない余興でしたわね」
と、私も友人たちとの会話に戻ろうとして、
「いや、余興じゃないぞ」
……戻れなかった。
はあ、あのままずっと壇上に居座ってくれれば良かったものを。
もしくは、上がらずにそのまま真っ直ぐに来てくれれば良かったものを。
なんでこんな悪い方向で目立つようなことを……どこかでこっそり、お酒でも飲んじゃった?
そんな様子に微苦笑を浮かべながら、その場にいた私の友人たちが第5王子に挨拶をしていく。
「やあ、久しぶりだね。紫のオズマだけど……もしかして聞こえてない?」
うわ、紫の国の王太子殿下オズマさまを無視するの?!
「お久しぶりです。黄の国のヒペリカムですが……無視ですか? そうですか」
黄の国の第1王子殿下ヒペリさまも無視?
「お初にお目にかかります。わたくしは白の国の……いえ、名乗る必要はなさそうですわね」
カレンさま……。
そしてそれらに対する我らが赤の国の第5王子の返答が、
「うむ」
の一言。
うわー、異国の王族とその婚約者候補の公爵令嬢しかいない状況でのこの始末。
──まさか自分の方が偉いとか勘違いしてないよね?
私の友人だから私と同等にとらえている、とか?
ちょ、だれか、助けて……って、なんでみんな目をそらすの?
長年空気扱いだった私にはムリムリムリ、誰か我が国の第5王子様をフォローして差し上げてー……。
「それで、婚約破棄の話だが……」
ああうん、ここには希望の勇者さまも救いの女神さまもいらっしゃらないみたいだし、とっとと話を終わらせようか。
「どうぞご随意に。私も、私どもの父も反対はしないでしょう」
トロちゃんもね。
「そうか」
と第5王子はそのまま踵を返す。
思わずため息を吐きたくなったがここはぐっと我慢だ、耐えろ、私。
……いや、周りのみなさん、なんで君たちが溜息つくのー?
えっと、3人の様子はどうかなー?
「ふふ、これでアンティちゃんも独り身だね!」
あー、怒ってませんか、むしろ嬉しそうですねー、ヒペリさま。
「まだ違いますからね?」
少なくとも国王陛下と父上の許可が下りるまでは。
「なんならうちに側室として来るか?」
「ありがたいお話ですが、オズマさま」
「ふふ、分かっているよ。ほらカレン、嫉妬しない」
……ラブラブですねえ、見せつけないでくれませんかねえ?
でも国に帰れば国が選んだ側室たちが待っているんでしょうしね。
みんながいる場所でも遠慮なくいちゃつける最後の時間みたいな感じですかー?
そう考えるとオズマさまの側室も悪くありませんねー。
カレンさまとの2人きりの時間を作り出す係、みたいな?
……いやいや駄目です、余所様のところと違って我が家は打倒少子化なのですよ、子作りに積極的に協力してくれる殿方を捕まえねばならんのです。
「じゃ僕も立候補しようかなー? アンティリヌム・マユス嬢、僕を入り婿にしてよ!」
なんですか、そのノリ。
「あ、僕の名前はヒペリカム・パツルム、黄の国の第1王子ね」
「知ってますよ、ヒペリさま」
今までずっと友人として過ごしてきたじゃないですか。
「ふっふっふー、ちょっと牽制をね?」
誰にですか?
ああ、トロちゃんの元婚約者候補殿にですか。
紫の国の王太子殿下と黄の国の第1王子殿下のすぐ後に、赤の国の第5王子の側近候補でしかない6男くんが申し込むなんてできないですよねー。
「お気持ちは嬉しいですが、でも冗談ですよね?」
念のために小声で確認しておく。
「ん? 冗談にしてほしいの? 僕は本気だけど」
なんですと?
「僕はアンティちゃんがいいなー。だけど君は僕じゃ不満?」
「いえ。でも弟君にお世継ぎができるまでは婚約はしない、というお話は?」
「僕は王太子ではない第1王子だからねー、下手に子種を遺したら後々争いの種になるってゆーか? でもさアンティちゃんとこの伯爵家に婿入りするなら話は違ってくるじゃない?」
まあ、娘が2人いるだけですからねー、うちは。
しかも父上は一人っ子なので、父方には従兄弟もいません。
逆に黄の国から、
「うちの王位継承権がある子を譲ってほしい」
って言われたところで手放さないでしょうねー、特に長男次男は。
それにヒペリさまとは長年仲の良い友人としてお付き合いさせていただいただけあって、良いところも悪いところも知っているんですよね、お互いに。
そしてお互い、その種類はともかくとして好意は抱いています。
そんなヒペリさまとの結婚生活、領地経営、そして隠居生活?
うん、悪くないかもしれません。
「ふふ、うちの家系は子だくさんだからね。安心してね、アンティちゃん」
……その微笑みに逆に不安を感じるのは何故でしょう?
花の名前を使ってみたくて書いてみました。
アンティ≠おばさんです。
2016年3月31日、ここにあった小説らしきものを消して上書きです。