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つまるところそれは

 伸びた爪の先に引っかかっているのは、見覚えのある赤いリボンだった。


「どうした、そんな目して?」


 その声自体が憎らしい。あいつそのままの顔で、そのままの声で、全然違う表情をしたそいつ。血でも塗ったかのように赤い唇と、血の結晶のような赤くなった瞳…いくらなんでも白すぎるほどの肌は、今までになかった蠱惑的な部分。


 それがなくても、こいつはあいつではないとすぐに分かる。あいつなら、そのリボンを身につけないことなどしないだろう。


「あいつは…」


 状況を訊こうとしても、痰が絡みついたかのように喉の奥で引っかかりを覚え、声にはならなかった。


 それほどこちらが動揺しているのを知っているのだろう。こいつの表情は余裕たっぷりで、ますますこいつがあいつではないことを知らしめてくる。


「ここに、ちゃんといるさ」


 同じ指で、あいつのしない仕草をして、ゆったりと示されたのは胸元。そこに当てられた手も、あいつのもののはずなのに、全くそんな気がしない。


「何で、…出て、こない」


 搾り出すようにした言葉は明らかに震えていて、歯切れが悪く、それでも確かに自分のもので、やりきれない悔しさがこみ上げてくる。


 こちらの言葉を受けて、こいつはその真っ赤な唇を弓月に形作り、嘲るように喉の奥で笑って、真っ赤な舌で唇をなぞった。一体この仕草が、どれだけの人間を魅了することだろう。けれど、それは求めていたあいつのものではなくて…。今も希求しているのに…そう思った途端、もはや、あいつ自身にすら会えなくなるのではないかと言う恐ろしい考えが頭の中に浮かんできて、唇を噛んだ。現状では、どちらにしろあいつに会うことが出来ないのに…それが分かっていても、何もすることが出来ない。


「分からない?」


 ゾッとした。言われた瞬間に、頭に浮かぶ光景があった。


「ほら、分かっているじゃないか。そうだろう? 義兄上殿あにうえどの


 その声は、こちらの、あいつに対する立場を思い起こさせた。いや、今だって、自覚していたはずだ…ただ、明確な言葉にされただけ。


「あぁ、そうだな」


 ようやく、冷静な思考が戻ってきた。


「…オレは、どうすればいい?」


 その言葉を待っていたのか、今までで一番あいつに近い笑顔が、こいつの顔に浮かんだ…それを求めたわけでもないのに。


「もう二度と、『アタシ』の前に姿を現さないでくれれば、それでいいよ」


 こんな時ばかり、本当にあいつと同じ仕草をする。言葉づかいは同じままなのに、あいつにそっくりの動きをする。


 なんて奴。あいつの中に飼われた、魔物。


 自然と歯軋りしていて、その途端に、そいつの顔からあいつが消えた。まるで、遊ばれている。


「アイシテクレテ、アリガトウ。ダイスキダッタヨ、オニイサマ」


 そいつの口からこぼれ出た言葉の数々は、まるで意味を成さない言葉をして耳を素通りしていった。けれど、意識しないところで、きちんと意味を汲み取っていたのだろう。


 心と頭、頭と身体が直結していないのが分かる。分かっていても、どうすることも出来ない。すべて、自分の支配下にないような感覚。


 両足は地を踏み、右手は足元のかばんを掴み、左手は額にこぼれてきた髪を掻き揚げて払い、身体は自然と扉のほうに向いて、右足からゆっくりと歩みだした。


『愛してくれて、  有難う


 頭では先ほどの言葉を日本語へと変換させて、


『大好きだったよ、


 心は心臓を痛いほど締め付けていて、


『   お義兄様   』


 やがてその言葉を全て理解したころ。


 あいつの気配すら感じない場所に、辿り着いていた。





「もう、行ったぜ」


 長い髪をばさりと掻き揚げて、女の姿をした『彼』はぞんざいな仕草で立ち上がって姿見の前に立った。


 今はビロードの赤い布地を被っていて、その姿を潜めているが、『彼』のリボンを引っ掛けた指先が先ほどの仕草とは対照的に柔らかな仕草でそれを取り去った。


 鏡に映っているのは、蠱惑的な姿をしたままの『彼』だ。


「…ごめんね」


 そう言ったのは、鏡の前に立っている少女…もはや、先ほどまで義兄を前にしていた艶のある女ではなく、寂しげな表情に、そんな色の瞳を揺らしている、清楚な少女だった。とても、キレイな瞳は、蜂蜜のような琥珀色だった。


 白磁の肌は健康的で、震える唇は綺麗な桜色をしている。涙すらこぼれそうな潤んだ瞳は、先ほど吊り目にすら見えた鋭さをすっかり失い、大きくて儚げだった。


『何で謝る』


 少し怒ったようでもある口調は、『彼』本来のものだった。鏡の中から、彼女とは全く違った容姿をさらして、話し掛けていた。


「あたしが弱くて、ごめんね。君に傷ばかり負わせて…頼ってばかりで…開放してあげられなくて…悪者にしてしまって、ごめ」


『馬鹿言うな』


 少女の言葉を遮って、『彼』は今度こそ本当の怒りをこめて言葉を放った。静かな言葉…しかし、怒りに満ちた言葉。


 少女は俯き、目を伏せた。そのせいで、溜まっていた雫が頬を一筋、零れていく。


『俺のことなんてどうでもいい。傷なんて負っちゃいない…それはおまえにも分かるはずだ』


 心の奥底でつながった、鏡を通して対面することの出来る、不思議な関係。いつのことだったか…少女は『彼』と初めて出会ったときの事を、覚えてはいなかった。ただ、あの人を拒絶してからだということは、確かだった。


『俺に任せて傷つくのは、おまえばかりだ。そうして傷を負って、どんどん追い詰めて…とうとうあいつを追いやった』


 真実ばかりを口にして、『彼』は少女を傷つける言葉ばかりを口にした。


 それが、不器用な優しさだと、彼女は知っていた。けれど、だからといって傷を抉られないわけではないのだ。


「ねぇ…痛いよ」


 彼女が口にした言葉に、『彼』は目を見張った。


「どうして、こうなったんだろう。ねぇ、君には分かるのかな」


 少女は鏡に手を伸ばして、そっと手をついて。『彼』に、触れたかったのか、少女自身にも分からなかった。


 両手が鏡についたとき、そこに映るのは不安げな表情をした、目を真っ赤に充血させた情けない少女の姿だった。


「分かってたけど…」


 こうして触れようとしてしまえば、『彼』が自分の奥底に仕舞われてしまうことは。そして、一度表に出た『彼』がしばらく会話すら出来なくなることは。


 少女の目から涙がこぼれた。そのとき、いつもは聞こえないはずの声が、頭の中に響いてきた。


『いい加減にしろよ』


 不機嫌で、優しくて、素っ気ないけど包み込むような、『彼』の声。


『自分の傷を口に出来た今なら、おまえは俺を手放せる。そうすれば』


「分かってるよ」


 それだって、分かっていた。こうなった原因だって。


「素直じゃないから、こうなったんだって知ってる。あたしの中に君が現れたのだって。それがつぐんだ言葉で自分に出来た傷だってことも」


 手の中にあるそれを見ながら、少女は一人きりの空間で小さくそう呟いた。


「ねぇ、君は死んじゃったツバサくんでしょう?」


『…なんだ、ちゃんと口にできるんじゃないか』


 それは、初めて聞いた…いや、『彼』であるツバサがこの世から消えてから久々に聞いた、彼らしい笑いを含んだ自嘲気味な声だった。ほんの少し、寂しげでもある。


「君はあたしの妄想なのかな。それともリボンの精?」


『…気持悪いだろ、それ』


 さも嫌そうに彼が言ったので、少女はほんの少し笑った。それも、随分と久しぶりのことで、顔の筋肉が引きつったような感じになってしまったけれど。


『妄想というより、俺の妄執だろうよ。それほど俺は、お前が好きだったんだから』


 生きていたときにされた告白よりも、ずっと真摯な告白。それは少女の胸を温かくしたけど、高鳴らせることはなかった。


『でも、最初から、お前は俺を好きじゃなかった。…付き合ってよく分かったんだ。だから、もうサヨナラだ』


「…ごめんね」


 少女の言葉に彼が笑ったのだが、それはもはや少女の知るところではなくなっていた。繋がりが、取れかけている。


『謝るなよ』


 初めて、頭の中ではないところから声が響いた。もう、自分の中に彼がいないのだと、少女にも分かった。


「うん。ありがとう、ツバサくん」


 その言葉に、返事はなかった。


 少女は手の中のリボンを引き出しに仕舞うと、そこに置いてあった箱を手にとって胸に抱えると、早足に扉から出て行った。





 荷物をまとめていると、何時の間に来たのか、仕事まで寝ているはずの義母がすぐそこに立っていた。


「出て行くの、隼人」


 確信めいた言葉に、返事を返すことはしない。父が死んでから、大して関わってこなかったものの、父に似たオレに執着を抱いていることくらい、知っていたから。


「とうとう、あの子に拒絶されたの」


 それが誰のことを言っているのか、すぐに分かった。そして、その言葉と共に笑い出した彼女に不信が募る。


「一体、何だって言うんです?」


 この女は…もはや義母というのも嫌になるほど、まるで奴のような態度でオレに接するのだ。オレの言葉に、高らかに笑った。


「思い通りになって、嬉しいのよ」


「何…?」


 誰が、誰の思い通りになったって…?


「あの子は単純よね。『お義兄ちゃんを好きになっていいの?』って言えば、他の男の子と付き合って、その子を失ったあの子に『あの子のことを忘れるの? 忘れていいの?』って言えば、忘れないために自分の殻に閉じこもって、『あの人の忘れ形見をワタシから盗らないで』って言えば、こうして捨ててくれるんだから」


 衝撃ではあったものの、その言葉はすぐに自分の中で形を成した。オレは、そのあいつに何をした…




『そんなリボン、はずしてしまえばいい』


『駄目。これはツバサくんなんだから』


『……なんで、オレじゃ駄目なんだ? そんなに、奴が好きだった?』


『……………』


『こんなに、好きなのに』




 抱きしめたあいつの身体は硬直して、触れた唇は青ざめて、口付けて深く探っても、あいつは震えるばかりで…我に返ってキスをやめたときには、すでにあいつは濁った目で空中を見ていて、その後、髪からリボンをはずそうとせず、精神ばかり三ヶ月ほど、どこかに飛ばしてしまっていた。


 それでも一度戻ってきたあいつ…でも、オレの前に姿を現すのは、いつも奴だった。憎らしいほどに、オレのことを見下して接してきた奴。


 それほどに大切なら、あいつに直接あえなくても、リボンをつけたままでもいいと思っていた。けれど、奴は何故か、今日…ツバサの命日に、リボンを外してしまった。


 何が起きたか分からなかった。だが、この世からあいつが消えてしまったような気がしてならなかった。奴にのっとられて、消えてしまったのかと…。


 拒絶されても、あんなことをして精神を追いやってしまった俺が、ずっと近くにいたから悪かったのだと思った。きっと離れてしまえば、あいつは自分を取り戻すだろうと思った…離れたのは、あいつのため。


 だけど、この結果が、この女によって、仕組まれたものだったというのか。ならば、あいつの本当の意思は、どこにあったというのだ。


 居ても立ってもいられなくなった。


 引きとめようとする、もはや精神が壊れてしまったのだろう、確かに父を愛していて、その死で精神を蝕まれてしまったのだろう女を振り払って、オレは表に飛び出した。


 しかし、玄関を出てすぐに、そこに居た人とぶつかり、勢いで相手は倒れてしまった。


「あっ…、……香織…」


 倒れたのは、あいつ…義理の妹で、ずっと思ってきた相手…。


「隼人さん…」


 思えば、決してオレを兄とは呼ばなかった香織。それが、一体なんだというのだろう。だが、何故か胸が高鳴った。


 彼女の両目から涙がこぼれて、動かずにただ泣く彼女に、そういえば、もう一年もあっていなかったのだと、今更気づく。


「香織…」


 触れるのが恐いような気がした。だが、手を伸ばして、そっと抱き込んでも、香織は硬直しなかったし、震えることも無かった。


「…?」


 彼女の前で投げ出された手の中に、それでもしっかりと握られるものを発見して、俺は嬉しさがこみ上げてくるのを止められなかった。


「持っててくれたんだな」


 それは、まだツバサが現れる前の、香織と出会って初めての誕生日にあげたバレッタの入った箱だった。思えば、香織の髪にリボンが無い。


 それを取り上げて、渡したときと同じように箱から取り出して、それを、あのときよりもずっと長くなった香織の髪に留めつけた。


「隼人さん…」


 耳元で、香織の声がする。


「あのね…」


 それは、この世で一番嬉しい言葉だった。


 そして、そっと抱きしめて、彼女に呟いた。


「愛してる」




 つまるところそれは、愛のカタチ。

どうしてこんな作品を書いたのだったか…あまり記憶にありません。記録媒体からのサルベージです。

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