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CCA

 午後から二コマ講義をとっている事を服部先輩に伝えると、では講義が終わったあと語学棟の前に集合という話しになった。見つからないといけないという事でケータイのアドレスも交換する。これで約束をブッチするという方法もとれなくなった。確実に逃げ道をふさがれてから、俺と月乃は講義を受けるべく教養棟へと向かった。

 月乃にとって初めての講義。俺たちが受ければつまらなくて退屈な講義も、好奇心の塊である月乃にとっては楽しいものとなりうるのではないか。そんな可能性にも期待しながら受けた講義だったが、結論から言えば月乃にとっても講義はつまらないものだった。

 理由は、内容が難しすぎるから。初めは教授が話す内容を理解しようと必死になっていたが、こちらの世界に来たばかりの月乃が大学の授業などという高度な教養についていけるはずもなく、開始三十分でオーバーヒートを起こして倒れていた。講義は静かに受けるものだという俺の忠告を忠実に守るものだから、わからないことがあっても質問ができない。講義中盤以降は何がわからないのかすらわからないほど混乱しているようだった。

 ただ、そんな講義でも俺にとっては得られたことがあった。月乃の識字力である。

 教授が板書する文字、配られたレジュメの文字を見て、日常で使うような言葉については一通り読めるレベルの能力を持っていた。ただこれが、「社会構築主義」「ジェンダー論」などの専門的な言葉が出てくると完全にお手上げであった。片仮名は読めるが、「構築」といった普段の生活ではあまり見慣れない文字は読むこともできなかった。もちろん意味などわかるはずもない。

 そんなレベルのため、月乃は講義の時間中ずっと退屈と戦う羽目になった。大学の講義は一コマ九十分のため、午後から合計三時間、月乃は暇な時間を過ごしたことになる。暇つぶしの方法も知らない月乃にとっては、まさに拷問だった。

 そうして今日受けるべき講義が終わったのが午後四時。講義を受けていた教養棟をでて、語学棟へと向かう。そこにはすでに、俺たちを探す服部先輩の姿があった。

「あ、やっと来たね。ちゃんと来てくれてうれしいよー……って、あれ? 大丈夫?」

 俺の隣でテンションが下がりまくっている月乃を見て、服部先輩が声をかける。まあ、昼に合った時のテンションとは雲泥の差だから、心配されるのも無理ないよな。

「勉強って、すごく難しいです」

「講義を受けてちょっと疲れちゃってるだけです。大丈夫ですよ」

 頭を押さえる月乃の言葉に、俺がフォローを入れる。実は俺も少し心配だったのだが、顔色を見る限り体調が悪いようではなかったため、単に気分の問題だろう。気分を回復させるなら、これからサークルに見学へ行けば十分回復の見込みはある。

「まあ、大学の講義は長いからね。慣れないと疲れちゃうか」

 服部先輩は月乃がまだ大学に慣れていないだけと勘違いしたらしい。高校のころは五十分授業だったのが大学になるといきなり授業時間が延びるから、そのせいで月乃が疲れたと思ったようだ。

「じゃあ、部室に行くまでに自販機あるから、そこでなにかおごってあげるよ」

 そう言って、服部先輩は俺たちの先頭に立って歩き出す。そのあとに、俺と月乃も続いた。

「そういえば、まだ二人の名前を聞いてなかったね。昼は勧誘だけで終わっちゃったし」

 服部先輩が歩きながら話しかけてくる。どうやら自己紹介を求められているようだ。ケータイのアドレス交換したから今さらだと思うんだけどなー、というツッコミは内心にとどめておいて、俺は自分の名前を名乗る。

「深田直人です。で、こっちが」

「あ、月乃といいます。よろしくお願いします」

 月乃が姿勢をただしてしっかりとお辞儀をする。自己紹介という社交辞令だけはしっかりと行うようしつけられているのだろう。それまでの低いテンションが、一気に通常レベルまで戻った。自己紹介がカンフル剤のような働きをしている。自己紹介すげえな。

「深田君に、月乃さんね。こちらこそよろしく。ちなみに、二人は高校が同じとかそんな感じ?」

 服部先輩が何気ない質問をしてくる。社交辞令としてはありきたりな質問だけど、今の俺にとってはちょっとこまった質問だ。月乃のことを間接的にでも詮索されるのはいろいろとまずい。

「あ、いえ。実は俺たち、親戚なんですよ」

 だから俺は、先ほどの暇な講義中に考えておいたウソの設定を素早く口にする。口を開きかえた月乃が少し驚いて俺の方を見ているが、それを無視して俺は早口にまくしたてる。

「この子、俺のいとこで同い年なんですけど、高校までは海外に行ってて。今年から日本に帰って来たんですが、そのぶん大学の制度とか日本の文化とかあんまり知らないんですよ。だから、たまたま一緒の大学に受かった俺が世話役みたいな感じで一緒にいるんです」

「海外? へえー。どの辺にいたの?」

「ちょっと中国の辺境に。なんでそんなところにいたかっていうのは、ワケあってちょっと言えないんですけど」

 月乃が答える間もなく俺が答えるのを、服部先輩は少し疑問に思ったかもしれない。へえー、と納得する顔が少し不思議そうにしていた。ただ、あまり触れられたくない内容だという事は察してくれたようで、じゃあ君は? と俺の出自について尋ねてくる。今度は普通に答えながら、俺たちはサークルの部室へと向かった。

 部室があったのは、部室棟と呼ばれる建物で、大学で最も北側にある建物だった。その裏にはグラウンドと裏山があり、この部室等より北側は勉学からもっとも遠い場所といえた。言いかえれば、学生にとっての一つのオアシスのような場所が大学の北側だった。

 そんなオアシスの一角、部室棟は五階建て。真上から見るとロの字型になっており、この大学にあるほとんどのサークルがここに部室を持っている。その部室棟の五階、一番北側の部屋がCCAの部室という事だった。

「うちのメンバーは全部でだいたい四十人ぐらいいるんだけど、みんながみんな決まった時間に部室に来るわけじゃないんだ。大体が講義の合間に部室に来て、何か作品作ったり、だべったりして、また出てくっていう感じ。メンバー全員が集まるのなんて滅多にないんだよね」

 エレベーターで五階まで上がりながら服部先輩が説明する。その説明を聞いて、俺は少し安堵した。つまり今から部室へ向かっても、それほど多くのメンバーとはち合わせることはないはずだ。気を使わなければいけない相手は少ないほうがいいに決まっている。

 五階でエレベーターを降りた俺たちは、服部先輩について部室棟の一角へと歩いていく。やがてCCAと表札がかかった扉の前で服部先輩が立ち止まり、ポケットから鍵を取り出した。扉やそのわきには、いくつかポスターやビラが貼ってあり、どんなサークルなのかが一目瞭然でわかるようになっている。ここに入るには周りに人の目がないことを確認する必要があるんじゃなかろうか。そんな俺の気持ちをよそに、服部先輩は鍵を開けて扉を開いた。

 その部屋を見て思ったのは、想像よりずっと広い、という事だった。高校の教室一部屋分くらいはある。壁際には本棚とロッカーがいくつかあり、見えるだけでも多くの本や漫画、雑誌などが並んでいる。そしていくつかの長机や学習机が雑多にならび、その上には漫画を描く記載台? のようなものやパソコンなどが置かれていた。

 机の並びが汚い部分を除けば、どこかの会社のオフィスのようである。服部先輩が言っていた創作活動に必要な道具が、ここには揃っていた。

「すごいでしょ? 部費を集めて買ったり、みんなで寄付できるものを持ち寄ったり、あとは大学から援助されてるお金とかでこれだけそろえたんだよ」

 驚きで声が出ない俺と月乃に、服部先輩が得意げに説明してくれる。これだけのものをそろえるのに、部費や学校の援助だけではそうとう大変だっただろう。このサークルがいかに熱心なところか、それが伝わってくるような気がした。

「すごいです! 見たこともない道具がたくさんあります! どれをどう使えば先ほどのかわいらしい絵が描けるんですか?」

 すっかり元気を回復させた月乃がはしゃいで服部先輩に尋ねる。じゃあ教えてあげるよ、と服部先輩が月乃を一台のパソコンの前に連れて行った。どうやらパッドの上でペンを動かすと画面上で絵が描けるパソコンのようだ。すぐさまパソコンが起動され、さっそく服部先輩が絵を描いて見せていた。月乃がそれに夢中なのを確認してから、俺は改めて部屋の中を観察する。

 雑多に並べられていると思った机も、よくよく見ればよく考えられて配置されているようだった。壁に近い場所に置かれた机は、多くが一人用の机であり、向きも単一で横一列に並んでいる。おそらく一人で作業したい人が使うものだろう。

 対して部室の真ん中には、ロの字に配置された机が並んでいる。こちらはお互い話しながら作業ができるスペースのようだ。さらにところどころスペースも設けられており、机を持ち寄ればちょっとしたお話しスペースができそうな所もあった。

 そして一番の特徴が、部室の端、イメージ的には教室の教壇に位置する場所に、ひときわ大きな机が置かれていることだった。パソコンも記載台も置かれているそこは、この部室の中で一番偉い人、いうなればリーダーが座る席であることが容易に知れた。その席に座れば、部室全体が見回せる。おそらく、各人がどのような様子で作業をしているのか、それがわかるように設計されたものだろう。

「わあー、ホントに線がかけました! すごい不思議です!」

 そんな月乃の驚きの声で俺は我に帰る。どうやら、月乃が実際にペンを使って線を描いたようだ。俺は少し気になって、月乃達が使っているパソコンに近寄る。

「あ、直人さん見てください! これでここに線を描くつもりが、ここには描かれずにこの画面に線が引かれるんです。すごいでしょ?」

 まるで子供みたいにはしゃぐ月乃を、俺は親のような気分で見つめる。画面には一本、ぐにゃぐにゃに曲がった線が描かれていた。そのたどたどしさと不器用さがまた俺の心をくすぐる。

「へえー、じゃあ今度はもう少しまっすぐな線を描いてみようぜ」

「はい、任せてください」

 そういって月乃がペンを握り直した時だった。

 コンコン、とノックの音が入口から聞こえた。

 俺たち三人は同時に振り返る。どうぞー、と服部先輩が言うと、ゆっくりと扉が開かれた。

「失礼します。創作サークルのCCAの部室はここでよかったですか?」

 そう言って入ってきたのは、眼鏡をかけたイケメン男子だった。


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