表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/16

食堂の出会い

 翌朝十時。

 俺は月乃と一緒に大学への道を歩いていた。今日は昼からしか講義がないためもっと遅く出てきてもよかったのだが、これからも月乃を大学へと連れて行くことを見越して、少しでも大学に慣れさせようという狙いからこの時間に出発した。

 本当はもっと早く出てきたかったのだが、月乃の服が届くまでは外出できなかったためこの時間になった。昨日の夜頼んで今朝届いたのだから、相当早く届いたことになる。今の世の中は便利になったものだ。

 そして真新しい服に着替えた月乃はというと、今朝も起きてから絶好調マシンガン質問機と化していた。七時半とすこし遅めの時間に目を覚ますと、開口一番におなかが減ったとのたまった。とりあえず朝食をトーストで済まそうとした俺に、トースターの仕組みからパンの食べ方まで事細かに質問してきた。そうして何とか朝食を終えると、今度はトイレに行きたいと言う。俺はトイレに案内したが、どうやら様式の便器は初体験のようで用のたし方がわからないという。服を着たまま俺が手本を見せて(便座に座るだけなのだが)、なんとか一人でトイレを済ませることに成功した。そんなこんなしているときにチャイムが鳴り服が届いたのだが、これが一番の難関だった。

 昨日の夜服を注文するとき、もっとも困ったのが下着だった。買うことに抵抗があった上に、女性の下着は胸のサイズが関係してくる。月乃の胸はそんなに大きいほうではないことは見ただけでわかるが、それが何サイズなのかまでは俺には分からなかった。悩みに悩んだ挙句、AからCまでのサイズを一つずつ買ったのだが、今度は着せるときが問題だった。

「これは、どう身につけるのでしょう?」

 月乃のその疑問は至極まっとうなもので予想もできたが、できたら聞かないでほしい質問ナンバーワンだった。手とり足とり教えるわけにもいかない、かといって俺が手本を見せることもできない。悩みに悩んだ挙句、俺はネットで見つけた動画を月乃に見せるという方法でこの関門を突破した。月乃がパソコンを見て四苦八苦している間、つけたテレビを延々見続ける俺。その二十分の間、俺の中では理性と欲望の壮絶な争いがあったことは言うまでもない。初めにBカップの下着を着てもらいサイズがぴったりだったことも功を制した。サイズがあっていたのに二十分もかかったことはある意味問題だったが。

 そんなこんなでも、なんとか服を着ることに成功した月乃は上機嫌で道を歩いていた。一方俺はと言えば、朝からの質問攻めと着替えイベント、そして寝不足という三コンボによって今にも倒れそうである。月乃が部屋で寝てしまったせいで、昨夜は一睡もできなかったのだ。今すぐ自室で横になって眠りたい。今俺に必要なのは月乃の笑顔ではなく、安らかな睡眠である。ギブミー眠り。

 しかしそんな俺の疲れをよそに、月乃は笑顔で質問してきた。

「あの、先ほども聞いたのですが、これから一体どこへ行くのでしょう?」

 この質問はこれで三度目である。家を出発すると宣言した時に一回。アパートを出るときに一回。その時は月乃がすぐ他のことに興味をうつしたためうやむやになっていたが、そろそろ説明するころ合いだろう。

「これから行くのは大学っていうところで、勉強する場所にいくんだ」

 俺は眠い目をこすりながら答える。勉強? と尋ねる月乃に、俺はうなずいた。

「そう、勉強。先生がいて、その先生がいろいろなことを教えてくれるんだ」

「私にとっての直人さんのような人ですね?」

 笑顔で聞かれて、なぜか俺はドキッとしてしまう。俺が月乃の先生。生徒は先生の言う事に従うもの。つまり月乃は俺の思いのまま……。

 そこまで考えたところで、自分の思考が危ない方向へ進みかけている事に気づく。危ない、危うく犯罪者への道を歩み始めるところだったぜ。睡眠不足のせいで理性の抑止力も弱まっているようである。

「まあ、ちょっと違うけど大体そんな感じ。行けばどんな雰囲気かわかるよ」

「そうなんですか。この世界に長い間住んでいる直人さんでも、勉強することはあるんですね」

 少し驚いたような月乃の呟きに、俺はまあね、と簡単に答える。むしろ知らないことの方が多いくらいだよ、とはあえて言わなかった。本当はもっといろいろ説明したほうがいいのかもしれないが、百聞は一見にしかずというし、実際に見せたほうが月乃も理解しやすいだろう。

 というかぶっちゃけ、説明する元気が今の俺にはなかった。


 俺の通う大学は都会から少し外れた場所に存在する。

 大学から都心まで一時間弱。電車も二本乗り継がなければならない場所にあり、あまり立地条件がいいとは言えない。しかも周りが山に囲まれているため、遊びに行くには少々不便な場所だ。唯一のとりえは、最寄駅からは歩いて十分もかからないということくらいだろうか。

 そんな自然に囲まれたキャンパスもそれほど大きいわけではなく、大学の規模もそれほど大きいわけではない。それでも県内ではそれなりにレベルが高い大学で、立地条件の割に受験する生徒は募集人員の三倍を軽く超えると聞く。公立大学という、学費が安いという要素も学生が集まる一つの要因だろう。

 俺の家は大学まで電車で一本の位置にある。さらに言えば都心までも電車で一本で行ける、いわば乗り換え駅が最寄りの場所に住んでいる。家から駅までは歩いて十分強と、それほど遠い場所にいるわけでもない。歩きから電車の乗車時間も含めて、通学時間はだいたい三十分ほど。なかなかいい立地条件に住居が確保できたと言えるだろう。

 しかし今日に限って、その通学時間は二倍以上になってしまっていた。大学に到着したのが家を出て一時間と十五分。時刻は十一時半になろうとしていた。しかしこれは予想の範疇。むしろ予想以上に早くつけたことに安堵しているくらいだ。そんな俺は月乃を連れて、まずは学食へ向かっていた。

「勉強はしないのですか?」

 まず昼食をとることを提案すると、月乃がそう質問した。俺は少し考えてから、近くにあった建物の窓を指す。窓の奥には、今まさに講義を受けている学生と、何かを説明している教師の姿があった。

「勉強はいつでもできるわけじゃないんだ。勉強を教えてくれる先生が授業をする時間を指定するから、その授業を受けたい俺たちはその時間に合わせて指定された教室にいく。そこで勉強を教わるんだよ」

「でも、あそこの方たちはすでに勉強をしてらっしゃいます。直人さんはしなくてもいいんですか?」

 月乃が窓の奥の学生たちを指差して尋ねる。そういうまじめな思考になる分、やはり月乃が違う世界から来たのだなと実感する。これが他の大学生なら、サボりか? などと尋ねてくるはずだ。そういった思考が月乃にはないのだろう。

「俺はあの人の教えてくれる内容にはそれほど興味がないから。俺が興味あることを教えてくれる先生はお昼すぎから授業をしてくれるんだ」

「だからまずはお昼ご飯を食べるんですね」

「そういう事。おなかが減ってたら授業も受けれないしね」

 俺はそう言って学食へ向かって再び歩き出す。月乃も後ろをついてきた。

 どこの大学もたいていそういう造りだろうが、うちの大学もキャンパス内にいくつか建物があり、建物によっていろいろな教室や設備がある。そのうちの一つ、学食棟と呼ばれる建物はなかなかに広く、その建物のほとんどが食堂となっている。中には売店もあり、普通に学食のメニューを買って食べるもよし、売店で菓子パンや弁当を買って食べることもできるなかなか便利な場所だった。

 そんな学食棟は、入ってすぐのところにエントランスホールがあり、その壁際にショウケースがあった。そのショウケースの中にあるレプリカから食べたいメニューを選び、ワンウェイ方式の注文場所で食べ物をもらった後、奥にあるレジで会計を済ませるというのが学食のシステムである。

 そのメニューを選ぶショウケースの前に月乃を連れて行き、まずは食べたいものを選んでもらうことにする。すると月乃は、今までにないくらい目を輝かせてショウケースに張り付いた。

「うわー、これ、全部食べれるんですか?」

「この中からどれか一つね。といっても、どれがどんなメニューかわかる?」

 カップ麺も知らなかったような月乃が、こちらの食事に精通しているとは思えない。しかし月乃は、大丈夫です、と元気に返事をしてきた。

「私が月で食べたことのあるものもあります。ご飯に、お味噌汁、あ、ごぼうのきんぴらも。どれがいいか迷ってしまいます~」

 和風だ。しかもチョイスが慎ましすぎる。帝釈天に生活費をもらわなくても、正直やっていけるのではないかと思うようなラインナップだった。

 そんな上機嫌だった月乃が、あるところで突然元気を失った。背中から発せられていたテンションあげあげうれしいオーラが感じられなくなる。その変化に驚き、何事かと月乃の顔を覗き込もうとした時だった。

「あの、直人さん……」

 弱よわしい声で振り返った顔にはやはり元気がなかった。どうしたのかとあわてたのもつかの間、次の言葉に俺は気が抜けてしまった。

「こんなに種類があるのに、お餅が一つもありません」

 ……どんだけ餅好きなんだよ。しかもあなたは食べる担当じゃなくて搗く(つく)の担当だろ。

「あー、ここには餅はないんだ。でも、他にはいろいろ料理あるし、せっかくだからこっちの食事ももう少し体験してから、餅を食べるのもいいんじゃないかな」

 昨日の服と同じような方法で丸めこむことを試みる。しかし、なまじみそ汁や白米と言った月にもあるメニューを見ただけに、そう簡単に諦められないようだった。そうですね、と気持ちを切り替えたように見えたが、その背中はやはりまだ落ち込んでいる。どうしたものかな、と困っていると、肩をトントン、と叩かれた。

「君たち、お餅が食べたいのかい?」

 そう投げかけられた言葉に、俺と月乃は振り返る。そこには、一人の女性が立っていた。

 身長は俺より少し低いくらい。身につけている物も女子学生がよく来ているようなもので、どうやら学生のようである。学生にしては珍しく化粧をほとんどしていなかったが、にもかかわらずきれいだと素直に感心できるような顔立ちをしていた。長いまつげが目を大きく見せ、リップが薄く塗られた唇はみずみずしく見える。こちらに向けられた笑顔は一目で活発そうな印象を受けた。

「あ、いや。別に今すぐ無理にというわけじゃなくて……」

 俺は月乃を少し気にしながら女性に答える。今の月乃はこちらの世界にまだ慣れていないため、他の人からすれば奇妙な行動をとることも多い。そんな月乃についてあれこれ詮索されるのは少し面倒なのだ。どういうつもりで声をかけてきたか知らないが、ここは無難にやり過ごして離れるのがいいと判断し、会話を打ち切ろうとしたのだが……

「お餅なら食べられるよ」

 その一言で、月乃の心はしっかりとわしづかみにされた。ついでに俺の逃げ道もしっかりふさがれた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ