紙一重の男
「君と一緒に幸せになりたい」
自分の気持ちを素直に伝えた。
彼女に駆け引きなど決してしたくない。
「でもあなたは彼の友人だし……」
難色を示す彼女に頷かせるのは、それはそれは大変苦労したが、今となっては良い思い出だろう。
最初に出会ったのは、友人の彼女としてだった。
その友人は浮気癖のある男で、はっきり言えば彼氏としては最低な男だった。
高校からの付き合いになるが、昔から本命の彼女を好きだと言いつつも浮気をして虐げてきた。
浮気がいかに人を傷付ける行為だというのがいつまで経っても理解できないようだった。
自分の知る限りでは、どの彼女にも浮気がバレてこっぴどく振られた。
好きなのは自分だけだと言われようと全く懲りずに浮気を続ける彼氏など彼氏が好きなら余計に傷付けたはずだ。
最初の頃は友人として浮気はやめるように注意もしたが、改善しようとする気配は一度もなかった。
「だって浮気は浮気だろう?」
それが友人の言い訳だった。
友人とは高校卒業してからは大学が違うために疎遠になりつつあった。
友人付き合いにしても元々ルーズな所があって、うんざりしてもいたから疎遠になるのは薄情かもしれないが、ちょうど良かった。
だが、たまたま街で久しぶりに会った友人とその友人と一緒にいた彼女を紹介されてからは変わった。
「はじめまして」
2つ年下だという彼女の丁寧な挨拶をする様子にどきりとした。
友人の彼女の紹介など高校時代に何度もされた。
それなのに彼女のことは気になった。
久しぶりに会ったんだからと近くの喫茶店に3人でお茶をした。
穏やかに微笑む彼女とそれを自慢するかのように誇らしげに彼女の肩を抱く友人が羨ましくなった。
どうしてこんなに彼女のことが気になるのか、そのときには分からなかった。
「お前、まだ浮気癖治らないのか」
たまたま再会した友人とは、それからはまた連絡を取るようになった。
会うときにはさりげなく彼女も一緒に連れてくるように言い含めるのは簡単だった。
友人は自分の彼女をいつだって自慢したがるからだ。
彼女を始めてみたときには二人は付き合って一年経っていたというが、それにしても友人が飲みに誘ってきたのに待ち合わせ場所では彼女ではない別の女性が一緒だった。
そのためにすぐに友人の悪い癖を思い浮かべた。
女性とはデートの終わりだったらしく軽く挨拶だけして女性は去って行った。
二人になって居酒屋でビールを片手に嫌味だと分かるようにはっきりと言った。
それには友人も顔を顰めた。
「浮気癖って酷くないか? 俺は今の彼女が大事だし就職して落ち着いたら結婚だってしたい」
「だったら浮気なんてやめるべきじゃないのか?」
あの彼女を泣かせるようなことができる友人が信じられない。
「浮気は甲斐性って言うだろう。それに相手だって自分が浮気相手だってのは分かってる。彼女だって浮気については文句を言わないんだ」
「……言わない?」
「ああ。気付いてはいるさ。でも修羅場にはならない。浮気は浮気だって理解してくれてるんだ」
笑顔でそう彼女のことを語る友人に吐き気がする。
それにあの彼女が本当に浮気を理解などするだろうかと疑問も沸いた。
何度か会って話していく内に彼女の性格も少しずつ知っていったが、「浮気は甲斐性」などと愚かなことを言う男とそのまま付き合い続ける女性には思えない。
「本当に彼女は何も言わないのか?」
「もちろん! できた女だろ?」
心底安心した顔で笑う友人を腹の底から殴りつけたいとこのときほど思ったことはない。
表情にも現れていたのだろう。
「そんなに怒るなよ。お前には理解できないかもしれないけど、俺たちはこれでうまくいってるんだからさ」
そんな戯言など一言も信用できなかった。
友人を通してでしか彼女のことを知りようがなかったし、友人の彼女を思う自分にも多少の罪悪感が今まではあった。
だがこの友人は一生変わらないと分かったら彼女に対する気持ちに歯止めが効かなくなった。
いろいろな伝手を探して彼女の近しい友人たちと仲良くなって彼女のことを素直に気になっていることを伝えると彼女の友人たちは自分に彼女と接点を持つように振舞ってくれた。
最初は警戒して逃げられないように遠回りして彼女と偶然に出会ったように見せかけた。
彼氏の友人という立ち位置は嫌だったが、最初はそうやって彼女ととにかく仲良くなるように努めた。
一緒にいるとどんどん彼女のことが大事に思えてきた。
彼女は自分と二人きりでは決して会ってはくれなかった。
他にも友人たちがいないといけない状態がはがゆくて仕方なかったが同時に彼女は友人の浮気を理解などしていないことはよく分かった。
異性と二人きりで会うというのは付き合っている相手に対して不誠実だというのが彼女の見解だった。
何度も諦めようかと苦しい思いをしつつ、就職してからも友人としての状態を保っているのが辛くなってきた頃だった。
「どうやらお見合いするらしいよ」
友人と同じ会社に勤めている彼女の知人からそう連絡がきた。
「お見合い? あいつが?」
「そう。本人はあの子にお見合いはするだけして断るって言ったみたいだけど、会社の連中は断れないお見合いというか事実上結婚が決まった話として知ってるの」
「……彼女はどうしている?」
「ようやく別れるって言ってた」
「……そうか」
やがて半年以上あえて連絡を途絶えさせていた友人から電話がきた。
「悪いがお前とはこの電話を最後に当分連絡は取らない」
「どういうことだ?」
「彼女が好きなんだ。だから彼女と付き合ってた男の友人としてだと彼女に近付けない。だからもう連絡はしないでくれ」
それだけ伝えて電話を切って着信拒否にした。
そうして前から決めていたように彼女に告白した。
「君にずっと惹かれていた。付き合ってた男の友人としてではなく、一人の男として見て欲しい」
彼女はかなりしぶった。
でも諦めるつもりはこうなった以上はなかった。
彼女と一緒にいると認めたくないようだが、彼女は自分を異性として意識しているのが伝わってくる。
何度か二人で会うようになったが、彼女は毎回渋りはしても拒否はしない。
それに望みを持った。
やがて二人で会うのに慣れてきた頃に彼女が自分の目を見つめて呟く。
「私は浮気が許せないの」
「当然だろう。君があいつをそれだけ好きだったのも分かる」
そのことを考えるたびに腸がよじれる思いをした。
だが彼女は首を振って否定した。
「私はもう、随分前から面倒くさくなってたの。約束を彼は破ったけど私は破りたくないっていう建前を武器にして、本当は別れて一人になるのが嫌だったんだと思う。そんなどうしようもない私を好きなんていうのは……」
「違う。君はあいつが好きだったんだ。約束を破られて傷付いて、あいつを何とも思ってないフリをしていただけで、いつも浮気を知るたびに傷付いてたんだよ」
「ちがう! 私は単に……」
「じゃあそれでもいい。どちらにしろ君たちの関係は終わった。思い出は記憶に残るけど、俺はその君たちの思い出ごと大事にする。だから一緒にいよう」
「……こんな私で良かったら」
ようやく彼女と正式に付き合えることになったこの日は、眠りにつくまで顔がだらけていた。
二人でデートをしてお互いの思いがようやく実を結び、彼女はよく笑うようになった。
一緒にいるといつでも楽しそうにいろいろおしゃべりする彼女が愛しかった。
そんなときに友人だった男から結婚式の招待状がきた。
「明日あいつの結婚式なんだ」
彼女の目を見て行ってくることを伝えると、彼女は穏やかな表情のまま「いってらっしゃい」と送り出してくれた。
それを見てもう自分たちに友人だった男の陰はないと実感した。
晴れやかな気持ちで披露宴に参列すると、作った笑顔を浮かべた友人だった男がぼんやりとした状態でいた。
花嫁は衣装交換で席を外して、周囲に人がいないのを見計らって声をかけた。
「結婚おめでとう」
自分の姿を見て友人は憎悪の表情を一瞬だけ浮かべる。
おそらく彼女と自分のことを誰かに聞いたのだろう。
「付き合ってるのか?」
「ああ。ようやくお前のことも思い出にできたようだ。もう少ししたら結婚を申し込む」
「……親友の女だったんだぞ」
「そうだ。だからずっと我慢してきたしお前にも浮気はやめろと散々言ってきた。だがもうお前は他の女性と結婚したんだ。彼女は俺と幸せになる。……お前も奥さんとしっかりと幸せになれよ」
友人にはいつも憎しみの感情を抱いてきた。
自分が側に居て欲しいと願った女性をいつも傷付けてきたからだ。
だが彼女は自分と幸せになるだろう。
だからこうして彼女と結婚するという宣言は友人だった男に対する復讐だ。
同時に自分にできる最後の忠告でもある。
結婚相手と幸せになるかどうかは友人だった男次第なのだ。
自分たちにはもう関係ない。
「もしもし? もうすぐそっちに着くよ。ああ、俺も……愛してるよ」
友人だった男は間違ったが、自分は違う。
あいつのように彼女は決して離さない。
彼女の思いが自分にあり続けるようにこれからも自分は側にいる。
追記:最後の文をいくつか加筆しました。