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「アレクセイの言うとおり、勇者と呼ばれる方が以前はいらしてな、とうに亡くなってしまったが、その力だけはこの地にとどまり続けた」
宰相閣下の説明によるとこうである。
竜族の王に認められ、勇者が授けられた力とは、非常に特殊でまた強いものであったらしい。力が使い手を選ぶため、勇者亡きあと誰もそれを継承できず、かといって悪用されては困るので野放しにもできなかったという。そのため封印を施し、それを一年ごとに張り直す際に、少しずつ、外殻を剥ぐようにその力を散らしていったらしい。つまり、誰かが悪用できないレベルにまで、小さく剥いだ力を放擲してきたわけだ。本体の方は、氷が融けるように、ちょっとずつ小さくなるというわけである。
なんだか、わかったようなわからないような。
「はあ……それでその力を、私が取り込んでしまったと?」
「そうだな、これは極めて異例のことなんだよ。力そのものが主人を選り好みする、というか非常に好き嫌いが激しいわけだが、なぜか君とは相性がいいのか波長が合ってしまったんだな。当初と比べるとだいぶ小さくなったとはいえ、勇者の力を誰かが継承するなどという前例がないものでね。力の暴走が起こるとどうなるかわからないということで、君には悪いが牢屋に入れさせてもらった」
と閣下は、少しばつが悪そうに眼を伏せた。
あの牢屋は、魔法に対する抗力を高めた、強力な術を掛けたものだったらしい。
しかし暴走の様子もなく、力自体も定着してしまったようだったので、私を牢屋から出すことにしたと。
それを確認するのが言葉の問題そのものだったのだが、そういえば、私には途中から彼らの言葉が理解できるようになっている。同時に、私の話す言葉も理解されている。どうやら、どこかで翻訳機能が働いているようなのだ。これが勇者の力なのか?
「まあ、勇者の力とはいえ、いまではもう、欠片のようなものだろう。言葉の翻訳がせいぜいで、もうあまり使えるだけの力はないのではないかな」
と王子様は楽観視だ。まあ、持て余したり、他人に極端な感情を抱かれるほど強大な力などは欲しくないが、もうちょっとこう、魔法使ってる! って実感が欲しいような気がする。せっかくの異世界なのに。言葉がしゃべれる、って地味だよねえ。確かに便利だけどさ。
頬に手をあて、ふうと演出のように息を吐き出して、私はあることに気がついた。
「ああ……言葉のほかに、視力も良くなってるみたいですね」
そういえば、牢屋に入ってからこっち、ずっと眼鏡を掛けていなかったのだ。コンタクト要らずか、確かに便利だ。地味だけど。
「まあ本題はこれからでね」と王子様は言う。「君の身柄は俺が監督することになった。後見人はそこの、ワレンだ。まさか王族が君の後見に名乗りを上げるわけにはいかないからね」
なんだかとんとん拍子に話が進んでいる。
「あの……どうして、ここまでしてくださるんですか」
私は、彼らに対してなんらの貢献もしていない。ただ、突然転がり込んできた、見も知らぬ人物だというだけなのに。
「この国には、異世界人を保護する法律があってね。特に危険人物だとみなされない限り、その者の人権と生活は保障されなければならない、とね。まあ、大昔に作られた法で、実例もほぼないに等しいけど、法には違いない。ましてや、君は勇者の力を受け継いだんだからね、敬意を払われてしかるべきだと思うよ」
「ま、身分はもらえねえけどな」
とここでやっと熊さんが口を開く。説明的なことは他の二人にまかせっきりだった。知識がないのか面倒くさがりなのか。後者だな、と思いながら、私は熊さんに尋ねる。
「身分がない、ってことですか? どういう意味でしょう」
「俺たちの方で妥当な身分を用意することが難しいんだよ。判断がつかねえからな。彼らは、王族、貴族、一兵卒、使用人の一人に至るまで、相対するものには敬意を払わなければいけない。その代わり、王族に匹敵する待遇を受けることができる、とな。そう決まってるんだ」
「……なるほど」
まあ、難しく考えずに、身分がないものとして振る舞えばいいってことなのかな。
年齢のことは、もう少し誤解したままでいてもらおう、と思った。これだけの保障を提示されても、不安なものは不安だ。法というのも絶対的なものではなく、指針という程度だろう。後見人だって、未成年だから付けてもらえるのかもしれないし。成人しているとわかれば、住むところぐらいは用意してもらえるかもしれないが、じゃあさっさと仕事でも探して来い、ってなる可能性だってある。
状況がわかって頭は少し整理されたが、胸の中はもやもやしたまま私はその会合を終えた。
結局、私は宰相閣下の屋敷にお世話になることになったらしい。
生活上、困ることも出てくるだろうから、性別のことは閣下とお家のメイドさんには伝えておこうと思った。しかしこちらの方も、誤解されている方が楽なことは楽だ。
こちらの女性のふんわりとした格好はどうにも私には受け付けない。というか、可愛いし素敵だとは思うのだが、自分が着ることを考えると少しげんなりする。動きにくそうなのだ。実際着ている人にとってはそれほど不自由はなかろうが、現代日本ではそうそう着ることがない服装であることは確かである。あれなら、男性の服装の方がよっぽどなじみのあるものに近い。
つまり、単に慣れないのである。
男服を好んで、奇異な目で見られるよりは男だと思ってもらっていた方が楽だろう。それに、異世界の少女だと噂が流れて、妙な人が寄って来るのも遠慮したい。この場合、男よりも女の方が面倒くさい立場になりそうだということは想像できる。
と並びたててはみたが、単に注目されたくないだけ、とも言える。
会合を終えて解散した私たちだったが、熊さんだけはあとに付いてくる。私の監督というか護衛というか、一応そういう立場になったらしい。まだ右も左も近寄って良い場所も悪い場所もわからない私の、指導役というような立場である。
本人は面倒くさそうに、明らかに貧乏くじを引いたという表情を隠さなかった。最初に私が現れた現場に居合わせたこと、王子様と懇意にしていることから今回のご指名を受けたようだが、本当に、敬意を払おうという気を失くさせる御仁である。
「――帰れるのか、という質問は出なかったな」
「え?」
私は前を歩く熊さんに顔を向ける。いまは、案内役を請うているので熊さんの方が前に居るのだ。
「帰りたいという気は、待っているという人はいないのか。恋人はいなくとも、家族や友人がいるだろう」
「……あ、まだ実感が湧かなくて、そういった現実的なことまでは」驚いた。熊さんも、そういうところまで頭が回るんだ。「それに私、独り暮らしですので、差し迫って周りに迷惑がかかる状況にならないんですよね。家族ともしばらく会っていませんので、急に会えなくなったという実感が薄いというか」
「その歳で独りで暮らしてんのか!?」
おおっと、熊さんが食いついた。本当に、私、いくつに見られているんだろう。
「とは言ってもまだ一年ぐらいですよ、ずっと独りで暮らしていたわけではありません。仕事もありましたし。私はまだこの国のことを知っているわけではありませんが、親元を離れて稼ぎに出たり独り立ちしている子供も珍しくはないのではないですか」
「それはそうだが、お前の家は裕福だったんじゃねえのか?」
「裕福?」私は、ちょっと眉をひそめて怪訝そうな表情を作る。
「家が貧しくて、子供が稼ぎ手にならざるを得ない場合、食いぶちを減らすために家を出て独り立ちする場合はあるだろうよ。けどな、おまえの場合は違うんじゃねえのか。おまえはどう見ても恵まれた家庭に生まれついてる。見たところ栄養は足りてるし肌の血色もいい、爪や髪は手入れされてるようだし、会話から推し量れる限りではそれなりの教育も受けてんだろう。そういう家の子はな、独りで暮らしてたりしねえんだよ」
「……まあ、私の世界とこちらでは常識が少し違うでしょうしね。実際、たいした事情でもありません」
意外にも、熊さんなりに心配しているようだが、私は呆れて小さく息を吐いた。高校入学、大学進学、就職後、など、独り暮らしの機会はいくらでもある。私の場合は、兄が結婚して両親と同居することになったから、家を出ることにしただけだ。
「それに、特に親しくしている友人もいません。職場で、ランチを一緒に摂るような付き合いの人は何人かいましたけど、プライベートの付き合いはありませんでしたし。恋人もしかりです」
正確に言うと、付き合った人がいないでもなかったが、合わなかったのでさっさと別れた。
「……そうであっても、ちょっと冷静すぎる。帰りたいという気持ちが一番に出ないのは異常だよ、おまえ」
難癖つけたいだけか! 社会人であれば、ある程度の自己制御ができてしかるべきだと思う。そりゃ、熊さんには子供に見えているんだろうけど。
むっとして、私はしばらく口を閉じたままでいた。




