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Chapter2「この世に神は無い」

いつの間にか評価して頂けていたので、続き上げます

   Chapter2「この世に神は無い」

 ――組織内では、規則の厳守が、その効果よりも高く評価される。

                         マーフィーの法則


「教会が保有する支配地域、通称『セクター』内へ潜入します」

「え、セクターを……?どうして?」

 教会の信者だけが暮らす街や、村は『セクター』と呼ばれている。信者と言っても、社会的に身分の低い者、特に浮浪者だった者が殆どで、一種の雇用斡旋場とも言えるだろう。

 もっとも風間からしてみれば教会に都合の良い輩を集めた牧場にしか思えないのだが。

 しかし、そのセクターへ潜入する理由が分からない。厳しい声色で説明をするベアトリスに、風間は首を傾げる。

 が、返事はしたのはベアトリスではなく、その後方に控えていたアイザックであった。

 人を小馬鹿にするつもりなのか、肩を竦め、自信に満ちた顔を風間へ向ける。

「時に良い質問だ樹君。潜入と言えば聞こえが悪いが、実情は内部調査なのさ。まずは情報収集。その次に情報収集。三,四が無くて情報収集。まあそれぐらい情報収集は重要なんだよ。三,四……ぐらいには戦闘でも入れるつもりさ。私だってドンパチは好きだよ。そうそう、ネフィリムナイトについてだけど……」

「アイザック?」

 一度話せば余計な事柄まで話し出し、やがて日が暮れるだろうアイザックのセリフを、ぶつりとベアトリスが切り伏せた。

「ああ、済まない。私の悪い癖だ」

 流石のアイザックもベアトリスの呆れた視線は堪えるらしい。「ごほん」と咳払いとしてから、彼は説明を再開する。

「つまりは弱みを握ってこいって事だよ。ああ、なんだこっちの方がシンプルだね。これからはシンプル・イズ・ベスト賞でも狙っていこうかな」

「アイザック?」

「まあ。……そういうことだよ」

 ばつの悪そうな顔を浮かべ、アイザックは苦し紛れに答えた。


             ***


 満月が照らす、風の音だけがこだまする、静かな夜を疾走する、二台のバイク。深夜のハイウェイの車通りは少ない。夜に活動するネフィリムを警戒する人間も多いので尚更だ。

 その一方、後方の機体に跨がる風間は、前方を行くレイとナクアを乗せた黒いバイクを見つめる。

 二人ともヘルメットも被らず、いつも通り黒いロングコートを、そして赤いドレスと白髪を夜風に靡かせている。警察に見つかったら冷や汗物だが、別段彼らは気にしていないらしい。


 そんな二人の姿を眺めながら、風間は前日の出来事を思い出していた。


 金属で囲まれた空間特有の、サビ臭い部屋で、アイザックはいつものように両手を広げて立っていた。

「時に樹君。君にプレゼントだ」

 アイザックによってNEXLの格納庫に連れられてきた風間の目の前に一台の、真新しいバイクが置かれている。

 無論、通常のバイクではない。待機状態のネフィリムナイトだ。

「我々が教会から奪取した改造型のストレージだ。解析班によると、新技術の一部を導入した実験機らしい」

 赤と白のコントラストカラーも以前自分が使用していたストレージと同一で、見た目には余り変化が無いのだが、なるほど、よく見ればライフルの形状や、デザインが一部異なっている。ついでにNEXLのマーキングも描かれていない。

「これを、自分に……ですか?」

「ああ。受け取ってくれたまえ。借用ではなく、君個人の所有物扱いにしておくから」

 それは異例中の異例であった。ただでさえ政府が教会やNEXLのNK所有を黙認している状態の中、個人での所有は違法行為すれすれだと言える。

「ああ、大丈夫さ。君が個人所有で罪に問われることは無いよう、手を回しておくさ」

「そこまでする必要が?」

 風間の問いかけに、アイザックは肩を竦め、残念そうな顔でこう答えた。

「我々に賛同する政府関係者は多いが、教会と癒着している者も多いと言う事さ」

 NEXLが名乗りを上げて直接教会と敵対することは、誰にとっても好ましい物では無い。

 彼の言いたいことを噛み砕いて考えると、つまりはこういうことだ。

「時にレイ。君もこちらを使ってくれ」

「何故だ?」

 レイのあっけらかんとした口ぶりに、アイザックはあんぐりと口を開け、大層驚愕した顔を浮かべる。

 その姿を滑稽だと思ったのか、レイの傍らのナクアが「クスクス」と笑い声を上げている。

「何故って ……教会と私達の事情位君にだって分かるだろう!? それにさっき軽く樹君に説明してたじゃあないか!? 聞いてなかったのかい!?」

 珍しく狼狽えた様子のアイザックが叫ぶが、対するレイは、

「ああ。聞いてなかった」

 などと、あまりにも自信満々に答えるので、アイザックは口を開け、今にも「ぽかーん」とでも言いそうな表情を浮かべた。

 それからアイザックは顔をしかめ、こめかみを揉む。彼の苛ついた表情と言う物を初めて見た風間は思いの外それを意外に感じた。


「分かった。どうすればいい? 何が気にくわないんだい?」

 苦虫を噛んだような表情を浮かべるアイザックは、それを随分と投げやりな気分で言い放った。

 するとレイは先程「使え」と言われたバイクを指さして、こう言った。

「――黒くない。なんだこのオレンジ色は」

 やはり黒には拘りがあるのだろうか、と、そのやりとりを眺めていた風間は思った

 もしこのレイがあの漆黒の騎士に遭遇したらどう感じるのだろう。恐らく、いたく感激するのだろう。無論推測に過ぎぬが。

「それは……。教会から盗んだ時にその色だったからさ」

「塗り直せ」

「はぁー。全く我が侭な奴だよ、君は。少し待っていてくれ」

 渋々と言った表情でアイザックはレイの意見を聞き入れたのだった。


「風間。何をぼけっとしている?」

「あ、すいません」

 レイのぶっきらぼうな声が、ALICE越しの通信によって伝わってくる。

 正直に言えば風間はレイに抵抗があった。

 いや、きっと自分だけではない。初対面ならば彼の普段から発する不機嫌なオーラは誰しもが抵抗を覚えるだろう。黒い服装がそれを助長させている。

 アキラも人を食ったような話し方で、それを少々、風間は苦手としているのだが、それでもレイよりは幾分か話しやすい印象だ。

 などと考えていると、通信に女の笑い声が混じりだした。

「フフッ。レイったら厳しいんだからぁ。風間君、気にしなくていいのよ?」

 まるで自身の考えを読んだかのようなナクアの一言に、風間はどきりとした。

 だが、「はいそうです」などと到底答えられる訳も無く、とりあえず否定をする。

「い、いえ。だいじょう――」

「黙れナクア。殺すぞ!」

 風間の一言はレイの罵声でかき消されてしまう。

 勿論風間はすぐさま困惑した。

 そもそもこの男女は一体どういう関係で、そして、どういう経緯でアイザックに協力しているのかさえ分からぬのだ。


「レイとナクアについて詳しいことは話せぬが、信用してやってくれ。私の古い友人なんだ」

 そうまでアイザックに言われてしまえば、そうしない訳にもいかない。

 風間は「自分はつくづく人に流されやすい性格だな」、と自嘲しながらバイクを走らせていくのだった。

「え……? ネフィリムナイト!?」

 と、機体モニターからのアラーム。

 タッチパネル式のモニターを操作すると、どうやら少し先にネフィリムナイトが待機しているらしい。

「レイさん!」

「分かっている。そう馬鹿みたいな声をあげるな。耳障りだ」

 大声を上げたのは確かだが、何もそこまで言われるとは思っていなかったので、風間は少しだけ落ち込んだ。

「しかし一体誰ですかね、こんな夜中に。まさか教会にバレたとか? アイザックさんに限ってそんなミス犯さないと思うんですけど」

 と、風間が疑問を口にするが、

「耳障りだと言っただろ。聞こえなかったのか?」

 そんな事をドスの聞いた声で返されれば何も言えなくなる。風間はもう何も口にしないことにした。

 だが、同時に恐れを感じる。

 教会とNEXLの抗争は過去に数回合ったらしいが、いずれも風間が所属する以前の出来事である。

 模擬戦で隊長や同僚と戦ったことはあるが、基本的にNK同士の戦闘は素人同然だ。

 まあ、それとて前方を走るレイは手慣れなのかもしれないが、それでも不安を拭えない。

 差し迫るにつれ、その勢いを増していくアラーム音に、風間は全身に流れ出した汗を感じ始めるのだった。


             ***


「試験ん?」

 その日、寝ぼけ眼のシオンはベッドでうつぶせになりつつ、アキラとの電話に耳を傾けていた。

 ハチミツ色の長い髪は所どころ跳ね上がり、ぼさぼさになっている。

「そうだ。以前話した……。風間樹君の」

「憶えてない」

 呻き声のようにくぐもったそれで、シオンが答えると、電話の向こうから深い溜息が聞こえてきた。

「……君わざと言ってるだろ?」

 呆れたようなアキラの声にシオンは何も応えぬ代わりに、

「うぅーん」

 と鬱屈そうな声をあげ、仰向けの体勢になった。

「まあ良い。時にシオン。君がああいう男がタイプだとは思わなかったよ」

「るっさい。そんな訳ないでしょ」

 電話の向こうのアキラは恐らくニヤニヤ笑っているのだろう。

 そんな情景が思い浮かんだシオンは、いよいよ吊り上がった目を細く開き、ゆっくりと上半身を起こす。相変わらずはだけたブラウスからは下着がちらちらと見え隠れしている。

 シオンはそのまま部屋の隅に置かれた姿見を見る。髪があちこち跳ねていた。

「まー。あんたよりかは数百万倍マシかもねー」

 そう言って天井を見上げる。と同時に長い髪がベッドの上にこぼれ落ちた。

「おや。時に君にしては随分高い評価じゃないか」

 アキラの言葉に、シオンはいつものように口元を歪め、冷笑を浮かべる。

「はっ、冗談。あんたに対する私の評価が一般人未満なだけ」

 シオンから皮肉たっぷりの朝食を喰わされたアキラは大きな溜息をついただろう。その様子を思い浮かべ、彼女は心の中で勝ち誇る。

「はぁ。昔は随分可愛かったのに、今じゃあこの有様なんだから。全く時間と言う物は残酷極まりないよ」

 目を閉じ、再びシオンはベッドに寝転ぶ。学校は平日休業になっている筈だ。

「時間って言うより、あんたとあの父親の所為でしょ? ま、面倒だからそろそろ要件伝えてくれる? 私そろそろ電話切るタイミング考え始めてるの」

「全くベアトリスといい、君といい、どうして私の周りには私と話をしたがらない女性が多いのやら……」

 次にアキラは不幸自慢を始めたので、シオンの苛立ちはそろそろ限界を迎えてきたらしい。 目を閉じ、夢の世界に飛び込む準備を始める。

「いーち」

「シオン?」

 急に呪文を唱えだしたシオンに、アキラは狼狽えた声をあげた。

「にーい」

 しかし呪文は止まらない。

「全く君と言う人は……。夜零時、首都高速道路で待機しているんだ。分かっ――」

 とアキラが早口気味に答えた次の瞬間、

「さーん。はい残念時間切れー」

 シオンは投げやりな声をあげ、電話を切った。と同時に彼女の手からALICEがこぼれ落ち、ふかふかのカーペットにキャッチされる。

「グウ……」

 もっともその頃既に彼女は夢の中だったが。


             ***


 親指を噛みながら今朝の一連の出来事を回想したシオンは、バイクに跨がった状態で、高速道路の路側帯に待機していた。

 機体のモニターは接近する二機のNKを察知していて、先程からアラームが鳴り響いていた。

「さってっと」

 ヘルメットを被り、エンジン(とは言え動力はネフィリムコアなので別段音は無いのだが)を始動させ、前方を見ると、トラックの陰に隠れて、二つのヘッドライトがちらちらと視界に入っていた。接近まで後三十秒程だろう。

「起きなさい、アリーヤ。たまには働きなさいよ」

 片手に持ったALICEを、二三度指で弾くと、彼女のバイク――もといネフィリムナイト『アリーヤ』の装甲が彼女の肉体を包み込む。

 金色のような黄色に黒のストライプが差し込んだ鎧は、スズメバチを連想させるように、細く、しなやか。全体的に曲線で塗り固められたシルエットは『ストレージ』にある、戦車のように無骨な印象を一切感じさせない、小型ジェット戦闘機のように纏められたデザインである。

 例えるならば、妖精。されど可憐な形の中には、確かな刺々しささえ潜んでいた。

 最後に彼女が手にした得物は細く、真っ直ぐな長剣。スズメバチの本体によく似合う、針のような物だった。

「魅せて貰いましょうか。風間樹君」


             ***


「え、戦闘形態!?」

 モニターを見た風間は絶句した。丁度レイの前方を走るトラック。その先に敵はいる。

 最悪の事態になってしまったのだ。

「レイさん!」

 それは悲痛な叫びだった。

 この状況を打開できる人間は、恐らくレイしか居ない。

 が、レイは、

「俺は先に行く」 

 などと答えるので、当然風間は困惑した。

「え!?」

「一〇分待っていてやる。生きていたら先のサービスエリアで落ち合おう」

「ちょ、ちょっとレイさん!!」

 無論風間は抗議の声をあげるのだが、レイは意にも返さぬ様子でこう答えた。

 「お前だって一端のNEXLの戦闘員なんだろう? だったら良い機会だ。やってみろ」

 何を他人事のように言っているのだ、この人間は。風間には全く、何もかもが理解出来なかった。

「ふざけないで下さいよ!!」

 それまでの鬱憤をぶちまけるかのように、風間は苛立った声をあげる。

「フフッ。頑張ってね」

 最後にナクアの声が聞こえた。


 見ればレイとナクアの乗ったバイクは、とっくにトラックを追い越していて、肉眼では確認できない程遠くへ行ってしまっていた。

「やるしか無いって言うのかよッ……!!」

 苛立ちを抑えきれず、風間はグリップの上方に取り付けられているALICEへ握り拳を叩きつける。

 そして嫌々ながらそれを取り外し、左腕のベルトへ装着する。

「ストレージ、起動。……クソッ!」

 赤と白の装甲が風間の肉体を包み込んでいく。

 時に戦車の様に、またあるときには戦闘機のようにも見えるそのフォルムは、正しく無骨であり、戦闘兵器。

 人類の為に駆逐するべき、ネフティスの力を借りて、ネフティスを狩るべく産み出された、矛盾の存在。

 トラックが過ぎ去り、その陰から満月に照らされ、黄金の様に光る、敵のネフィリムナイトがその細く、しなやかなシルエットを露わにした。

「――人を相手にするのは初めて?」

 ふと風間の耳に通信が入り込んでくる。女性の声だった。それも若い。

 どうやら目の前に居る敵NKからの通信のようだ。右手の親指を噛むような仕草で、左手には細長い長剣が携えられている。

 風間は、いつも以上に力を込めて握りしめた銃の照準を合わせた。引き金に添えられた人差し指がわなわなと震えている。

「君の目的は何だ!? 所属は!? 教会か!? 答えろ! でなければ撃つ!」

 が、答えの代わりに聞こえてきたのは笑い声だった。

「何が可笑しい!?」

「手、震えているわよ?」

 風間はどきりとした。

 恐らくあの敵は手慣れている。そして自信に満ちている。こちらを殺害するのに躊躇など、微塵もしないのだろう。

「黙れ!!撃つぞ!!」

「撃てないでしょ?」

 敵からの指摘を受け、風間は自身の腰が引けているという事実を、ようやく冷静に受け止める。が、どうにも弱腰の体勢からは脱却できない。

「来るの? 来ないの? 来ないのならこっちから行くけど?」

 いつしか質問する側と、される側の立場が逆転していた。

「こっちの質問に答えろよ!」

 もう一度ライフルを構え直す。

 だが敵はそれを全く意に介さない様子で、首を横に傾げる。

「どうしようかなぁ?」

 挑発されているのだ。風間はそう直感する。

 不安や焦りを感じてはならない。努めて冷静にならなければ。と、肩で息をしてから、敵機を睨む。

「早く戦闘形態を解除するんだ。話をするつもりなら、わざわざ喧嘩腰になる必要も――」

「話をするつもりがないからに決まっているでしょう?」

 それは単純明快な回答だった。

「いーち」

 通信機から、ヘルメット中に女性の無邪気で、緊張感を一切感じさせない声が響き渡った。その言葉が意味する物が何か風間は朧気ながら理解しつつ、それでもまだ心の何処かで抵抗している。

「何なんだ!?」

「にーい」

 ペンのように、ほっそりとした敵機の右足が、まるでコンパスがそうするかのように円を描きながら前に出た。

 が、対する風間はびくりと上半身を仰け反らせる。恐れによってもたらされるものなのか、生物的な反射なのか、それを論ずる暇は与えられなかった。

「さーん。はい残念」

「えっ、早っ――」

 既に先程の場所に敵機の姿は無かった。まるで最初からそこに居なかったかのように。

 自分は夢でも見ていたのだろうか。そう風間が思った矢先、

「余所見しないで。もっと私を楽しませてよ」

 通信機に鳴り響く声。

 だが通信機越しの音では方向が分からない。

 と、そこでモニター画面右上に区切られたレーダーに反応。赤い光点が自機を示す、中心点の青い光点の、ほぼ真左に出現した。

 振り返る。

「え!?」

 だが、そこにあったのは、虚空。

 ただの夜の闇が、道路脇のライトで光照らされていただけ。

 困惑した風間は再びレーダーに視線を向ける。

 ……そして言葉を失った。

 上下右左に赤い光点が出現していたのだ。

 だが、敵が四体居るわけで無い事ぐらい、風間でもすぐに分かる。つまり、これはこちらを撹乱させる為のジャミング。

 恐らく自分がここに来る前に、敵は予めジャミング装置を仕掛けておいて、つい先程遠隔操作でそれを作動させたのだろう。

 風間の背筋を悪寒が、まるで蛇の様に這いずり回る。再び通信機越しに声が響いたのは、丁度それが通り過ぎた頃合いだった。

「まだ五点」

 無邪気な。まるで戦闘などしていないとでも言うかのように、彼女はそう語る。

「どこだ!?」

「こっちよ」

 確証は無い。だが風間は真後ろへと振り返った。

「遅いっ!」

 結果的に風間の直感は当たっていた。だが、敵機はそれ以上に素早く、その手に携えた針のような長剣をこちらへ向かって突きだしていた。

 無論、避ける。右方向へと転がるように。

「止めろ! 君の目的は一体何なんだ!?」

 すらりと伸びた肢体。くっきりとくびれたウェスト。女王蜂のようなフォルムが、ライトアップされて、輝く。

 その姿を、風間は美しいとさえ感じる。

 しかし、その美しさは狂気さえ孕んでいる。

 その相反する二つの輝きは、困惑と、不安を煽った。

「戦う事。あんたと、戦う事。それ以外に何があるって言うのかしら?」

「何を言ってるんだよっ!?」

 分からない。分からないことが、極上の恐怖だった。

 急ぎ立ち上がり、ライフルを構える。が、それよりも先に敵機は上空へと跳んだので、風間は素早く銃口をその先へと向けた。

 トリガーに添えた指に、力を込める。

「くそっ!!」

 が、風間は銃口を下ろし、首を左右に振った。

 ……駄目だった。

 撃てない。

 敵機には人間が入っているのだ。撃てるわけが無い。自分に人殺しは出来ない。絶対に、それだけはやってはならない。

 そんな風間の考えを、敵機は手に取るように理解したらしい。

「あら?他人の気遣いをする余裕があって?」

「それでも人を撃つことは出来ない!」

 直後、上空の敵機から、針のような弾丸が、雨のように降り注ぐ。どうやら両腕に取り付けられた飛び道具らしい。

 バックステップを二、三と繰り返し、攻撃範囲から脱出するが、幾分かダメージを受けてしまったらしい。モニターに自機のフレームアートが表示され、ダメージを受けた箇所が赤く点滅している。

 両足、両腕に微量の損傷。だが、この程度ならば問題は無い。

「何故人が撃てないの?」

 敵機が風間と反対方向に降り立つ。丁度先程のお互いの位置を交換した具合だ。

「ヒーローは、人を助けなくちゃいけない。例えそれがどんな人間であってもだ!!」

「は?」

 風間が力を込めて語った台詞に、女は言葉を失った。

 やや沈黙。

「ふふっ……」

 やがてその沈黙を断ち切るかのように、女の笑い声が聞こえた。それは鼻で笑うような声だった。

「ちょっ、ちょっと冗談でしょ……? ふふっ。ふふふ……」

「何が可笑しいんだよ!?」

 左手で長剣をだらりとさせ、右手の親指を噛むようなポーズをとり、敵機は腹を抱えてビクついている。

 そんな様子を見て、風間が苛立たない理由は無かった。

「君が一体どういう理由でこんな事をしているのかは分からない。でも、悪いけどこっちは真剣なんだ。遊んでいるつもりなら止めてくれないか!?」

 が、相手が笑い声を止める気配は無いらしい。

「ふふっ、ふふふっ……。ごめんなさい。悪かったわ。真剣に遊んであげることにするから。それで許してくれない?」

「何を――」

 刹那。敵機が横に移動した事を確認した時に、そこに姿は無く、

「しまった――!?」

 赤い光点が自機の右側に出現した時には既に遅かった。


             ***


 深夜のサービスエリアの駐車場。黒いバイクに背中を預けて、煙草を吹かしすレイと、その傍らに佇むナクアの姿があった。

「そろそろね」

 ナクアの言葉に、レイは口から煙を吐き出してから、

「ああ」

 と返答した。

 その視線は、満月へと吸い込まれていくように上昇する煙草の煙へと向けられてる。


「ねぇ、レイ? 彼は見所があると思う?」

 ナクアの視線もまた、夜空に浮かぶ月へと向けられている。

「さぁな。俺には関係が無い。風間がどうしようが、何を考えようが、俺は俺の仕事をするだけだ」

 黒いざんばらの髪が、同じくらい黒いバイクのシートに預けられる。その様子を、振り返ったナクアがじっと見つめていた。

「似ているわ」

 シートに預けていた頭を戻し、ナクアへとそれを向ける。その表情は明らかに不快感を示していた。

「どこがだ」

 低く、重い声で、静かに言う。

「自分でも分かってるでしょう? フフフ……」

 口に手を当て、すました声をあげるナクアの姿に、レイは益々不快感を顕わにしていく。


「いい加減にしろ。殺すぞ」

 レイの一言に、ナクアは口から手を離し、両手を広げ、くるりと背を向ける。蜘蛛の糸のような白髪が、月の光を浴びて、オーロラのようにゆらめいた。


「早く殺しなさいよ」

 月と、その周囲で輝く星々を見て、静かにそう語るナクアに向かって、レイはゆっくりと立ち上がると、手に持っていた煙草を地面に捨て、それを靴で揉み消し、周囲に人が居ない事を確認してから、

「そのつもりだ」

 と、冷酷に言い放つ。その瞳は、冗談を言っているそれでは決して無く、これから行うことが真実であると告げていた。

 だが、対するナクアは目を閉じ、全く緊張感を感じさせない声でこう言った。

「あんまり痛くしないでね」

「黙っていろ」

 レイが右手を挙げる。無論その手が月に届くことは決して無い。無いのだが、レイは何かを掴むように、その指先を軽く捻る。

 そして、一気に振り下ろした。次の瞬間、

「……っ!」

 それは月から舞い降りたかのように、ナクアの左胸を貫いていた。

 貫いていたのは、一本の長剣。

 白銀の、長剣。それがナクアの躯を、まるで虫の標本のように地面に張り付けにしていて、口からは、青い血液がこぼれ落ち、その身に纏う赤いドレスを、薄紫色へと変色させる。

 その躯に近づいたレイは、左胸に突き刺さった剣の柄を両手で握りしめ、

「起きろ、ネビュラ」

 と、一気に引き抜いた。

 同時に地面に向かって落下していくはずのナクアの躯が、パラパラと光の粒子へと変化していく。そしてその粒子が向かう先は、レイの手中にある、白銀の長剣。


壱式ファーストスタイル、捕食形態へ移行」


 レイの言葉が発せられると同時に、長剣の鍔の中心に取り付けられた、宝玉のような物体が、

青く光り、先程ナクアの躯が変化した物と同様の粒子が発せられる。

 そして、その粒子はレイの躯を包み込む。


「マスティマライダー、”ネビュラ”。移行完了」


 次の瞬間、レイの姿は、風間がかつて目撃した、あの漆黒の騎士の姿へと、その身を変化させていた。


             ***


 先程敵機の放った斬撃を、なんとか右腕で防御した所までは良かったのだが、モニターはその装甲が崩壊寸前であることを告げていた。

 風間はモニターから発せられる警告音を排除させ、両足の車輪で前進していた体をターン。再び敵機とヘッドオンの体勢を取る。


「ふざけるな!」

「何が?私はいつだって真剣なのだけれども」

 次に敵機は、両足の車輪を使い、真っ直ぐ前進してきた。

 剣を腰に構え、まるで居合いでもするような格好で。もっとも鞘は無いのだが。

「遊びで命の取り合いをするんじゃない!!」

「そうそうムキにならないでよ」

 敵機の射貫くような斬撃が、ほぼ真横に発せられた。

 風間は車輪を後退させ、ギリギリでそれを躱す。だが、その間にも敵は右へと走った剣を左、次は右と、交互に行き来させながら斬撃を放つ。一見、いい加減に放ったかのように見える攻撃ではあったが、その全てを同じように回避し続けていた風間は、最後になって、ようやくそれが計算された物であったことを知る。

「うわっ!」

 気がつけば風間は道路の最端、ガードレールまで追いやられていた。もう逃げ道は無い。

 と、そこで自身の首元に長剣が突きつけられていたことを知る。もう既に敵機は正面まで移動しきっていた。

「チェックメイト。まあよく頑張った方ね。三〇点ぐらいかしら?どっち道失格だけどね」

 風間の顎を剣先で弄びながら、声が聞こえてくる。

「精々神にでも祈りなさい」

 言われずとも、風間は神に祈っていた。

 どんな神かは分からないが、何かに祈っていた。この際、神で無ければ悪魔でも、魔王でも構わない。自身を救う、何者かが居れば、それで良い。

「え――?」

 呆然と神を夢想していた風間は、突如響いた、警告音に、モニターを見る。聞き覚えのある、あの警告音。青一色のモニター画面が赤と交互に点滅していた。

「もう来たの……? 邪魔しないでよ!!」

 通信機から漏れた女の声。だが、先程までのそれと違い、若干の焦りが読み取れる。そして、それに呼応するかのように首を横に向ける敵機。

 風間もそれに倣い、同じ方向へと視線を滑らせた先に、

「あれは……」

 それは居た。

「やっぱりあれが、”マスティマライダー”……」

 漆黒の騎士、マスティマライダー。


             ***


 突如出現したネビュラに、シオンは僅かばかりの苛立ちを憶えた。

 最初から予期していた物ではあったにせよ、愉しみを妨害されたとあっては、彼女とて愉快な物では無くなってしまう。


「ちょっと……良いところだったのにそれはあんまりじゃなくって?」

 風間との通信を遮断したシオンが抗議の声をあげると、彼女の脳裏に直接相手の声が響いてきた。

「もう十分だと言っているんだ。あいつに指示されたのはあくまで試験だろう?」

 親指を噛もうとするが、手が動かない。手だけでは無い、全身がまるで石像になってしまったかのようだ。

 ネフィリムナイトへの絶対的な能力行使、”支配権限”。これはマスティマライダーの持つ力の一つで、ネフィリムナイトを始とする、ネフティスコアを内蔵したありとあらゆる機器を自在に操作することの出来る物だ。この能力故に、ネフィリムナイトは絶対にマスティマライダーに打ち勝つことが出来ない。

「何も殺すつもりは無いわ」

「どうだか」

 シオンの陽気な声に、レイは吐き捨てる様に答える。

「お前は何をするか分からん。俺にとってはどうでも良いが、少なくともあいつにとっては警戒の対象らしい」

 シオンの脳裏に、赤茶けた髪で、人を小馬鹿にしたような笑みが浮かんだ。

「ふん。勝手な言い様ね。だからあいつ嫌いなのよ」

「フフフ。愛されてるって証拠じゃない」

 ふて腐れたシオンに返答したのはナクアの声だった。

 彼女の声を聞いて、シオンの表情に笑みが戻る。

「ナクアもね」

「フフフ。でしょう?」

 二人の女がケラケラと笑い合う。

 その様子が不快なのか、レイの咳払いする声が聞こえてきた。

「ナクアがそこまで言うなら帰るわ」

 シオンは意外にも、普段の怒気や揶揄を含まぬ、素直な声でそう語る。

「フフフ。気をつけてね」

 ナクアの言葉が発せられた途端、シオンの全身が、それまで背負っていた重い荷物を下ろした後のように軽くなった。

 風間の首元から剣を取り払い、後退し、二者へ向かって背を向ける。

「ナクア」

 最後に、シオンは振り返ってネビュラを見た。もっとも呼びかけた相手はレイではないが。

「良い紅茶が入ったの。今度家に来なさいよ」

「あら。良いわね。楽しみにしておくわ」

「私も」

 そしてシオンは一気に機体を加速させた。

 機動、加速、速度を限界まで追求したNK、『アリーヤ』は僅かな時間でトップスピード時速三〇〇キロメートルを弾き出し、一瞬で戦場から離脱していった。


             ***


 そこに、あの漆黒の騎士がいた。

 神とも悪魔とも言えるその姿を論ずれば、今、風間は神だと断定するだろう。

 以前遭遇した時、それはマザーのようにも見えたが、なるほど、些細な形状の違いはあるものの、よく見ればあの遺跡に張り付けられていたマスティマライダーなる物によく似ている。

 やはりこの騎士こそ、マスティマライダー。

「あ、あなたは……」

 ガードレールに埋もれながら、風間は呼びかける。

 が、聞こえているのか居ないのか。それともあえて無視をしているのか、騎士は先程何処かへと走り去ったネフィリムナイトと逆方向へ向かって飛び去ってしまう。


 その姿を呆然と見送り、やがて完全に見えなくなった後も、風間は、ただじっと虚空を見続けていた。

「あっ」

 と、そこで風間はレイに言われた「一〇分」と言う言葉を思い出す。

 もう既に一二分は過ぎていた。


             ***


「遅いぞ」

 サービスエリアに到着した風間が最初に聞いた言葉は、不機嫌そうなレイの言葉だった。

 その手には火の付いた煙草が携えられていて、傍らにはいつものように含み笑いを浮かべたナクアが佇んでいる。

「すいません」

 ばつの悪そうな顔を浮かべつつ、詫びる風間だったが、冷静に考えてみれば先に行ったレイにも非があるのではないだろうかと、何か釈然としない気持ちを抱かずには居られなかった。

「どうだった? あの敵は?」

 気だるそうに煙を吹いて、レイが問いかける。

 そんな彼の姿に多少の苛立ちを感じた風間は、眉間に皺を寄せ、一気に抗議の声を捲し立てた。

「どうもこうも無いですよ! なんですかあの機体は!? 『ストレージ』じゃないし、教会の精鋭部隊が使う『ロイヤル・ストレージ』でもないし、かと言って旧式の『カスケード』とも違うし。何よりスピードが異常でしたよ」

 こう見えて風間のNKに対する造詣は意外に深い。

 両親から無理矢理読まされていた教会の公報雑誌はつまらなかったが、唯一面白かったと言えるのがNKの特集だったからだ。

「明らかに第一世代の動きじゃありませんし、第二世代にしてはデザインも、その戦術運用も群を抜いていました。搭乗者の質も勿論でしたが、やっぱりあの機体の性能は異常だと思いますよ。もしかしたら第三世代……? いやでもあれはまだ試験段階の筈じゃあ……」

「あ、ああ……」

 第一世代の代表的機種、『カスケード』の特徴とその功罪。そこから産み出された画期的な技術革新によって開発された第二世代『ストレージ』の世界へ与えた影響力。等々、一度聞かれれば小一時間程度資料の内容をそのまま言えるし、それに対する自身の考察さえも語ればキリが無い。

 無論、風間のお気に入りの機体は長らく愛用している『ストレージ』に他ならない。まあこれも文句を付ければいくらでも出てくる設計部分が見え隠れする物ではあるが、それを差し引いても風間は好きだった。NEXL入隊を決定づけたのも、ストレージの導入があってこそ。ストレージに乗ることが風間の夢だった。


「やっぱり教会の手先……? いやしかし教会はNKの運用に慎重を期しているだろうから、もしかすれば……。そう、どこかの民間軍事企業が独自路線の設計を――」

「風間!!」

「はい?」

 風間は、ぽかーんとした顔でレイを見る。が、そんな表情を見れば怒りの形相のレイも呆れた様子で「うーん」と頭を抱えだした。

「分かった。もういい」

 レイはうんざりだと言いたげに頭を振るが、風間は意に介していない様子だった。

「あ、それと」

「まだあるのか……」

 風間はコクリと首を縦に振ると、

「マスティマライダーが来たんですよ!!」

 と随分興奮した様子で叫んだ。

 レイの傍らのナクアが「クスリ」と笑うが、風間の耳には届かない。

「あの黒い装甲。生物的なフォルム。やっぱり何から何まで別次元でしたね!! アイザックさんが言っていた通りでしたよ。まあ、もっとも残念な事に戦闘する姿は見れませんでしたが、あの威圧感。凄いなぁ……。レイさんも見れば良かったのに。勿体ないですよ」

「ああ……」

 レイは二本目の煙草に火を付けていた。

「『悪い怪物が来たら、天使様が助けてくれる』やっぱりあの言葉は本物ですよ。天使じゃなくて騎士でしたけど、黒い騎士は俺を助けに来てくれました。やっぱりマスティマライダーは正しい者の味方だったんです」

 随分と嬉しそうに、うっとりとした表情で語る風間に対し、レイは煙草を一口吸ってから口を開く。

「で? 敵はどうなった?」

「逃げました」

 風間はきっぱりと告げる。

「何故倒さなかった? 装甲にダメージを与えるぐらい出来た筈だ」

 レイの言葉に、風間は僅かばかり違和感を覚える。が、結局その違和感が何なのか分からない。

 とは言え上機嫌だった風間の心象にヒビを入れるぐらいの言葉だったことは確かだった。

「『ヒーローはどんな人間さえも助けなければならない』。俺の信条です。”人間”相手に銃は撃てません」

 「フン」と鼻を鳴らし、口を尖らせて風間は得意げに語る。彼にとって向けるべき矛先はネフティスのみだ。教会には疑念と怒りを抱いてはいるものの、いずれそれらは法によって、アイザックによって姿を消すだろう、と考えていた。


 そんな彼の姿に不快感を感じたらしいレイは、音を立てながら煙草を吸い、溜息をつくように大きく煙を吐き出してからこう言った。

「なんだその信条は?」

 オイルライターの蓋を「カシャン、カシャン」と弄ぶレイの姿に、風間の怒りは奥歯を噛みしめる位までに至っていた。

「レイさんこそ何ですか!? 途中で俺をほっぽり出して! じゃあ何です? あなたは人が撃てるって言うんですか!?」

「ああ、撃てる」

 レイは静かに即答した。

「じゃあ、あなたが戦えば良かったじゃないですか」

 そっぽを向くレイに、風間の怒りは益々募っていったのだが、その間にナクアが割り込んできた。だが、いつものように口元に笑みを浮かべている彼女にも反発したい気持ちはあったのだが。

「まあまあ良いじゃない。風間君には悪いかもしれないけれど、レイにもレイの事情があるのよ」

 肩を竦めて申し訳なさを演出するナクアに、釈然としない気持ちを抱きつつも、確かにこれ以上の議論は無意味だと判断した風間は、もう何も言わないことにした。

「『セクター』に潜入するのは早朝にする。ここで仮眠を取って行け。ア……アイザックには俺から連絡しておく」

「はい。分かりました」

 すっかりふて腐れた風間は二人を置いてサービスエリアの建物へと向かった。

 それは、もうこの二人と行動を共にしたくないと言う考えからの行動であった。恐らくあの二人も同じように考えているのだろう、と風間は勝手な事を考えていた。


             ***


 東京と埼玉の境目にある、吹き溜まりのような田舎町。

 元の名前は何であったか忘れたが、既にそんな物に意味は無く、代わりに教会より与えられた『セクター5』と言われる名前だけが、その町の全てを表現している。

 所どころ目に付く教会の看板や、×印を付けられたNEXLのポスターがある以外、人通りが少なければ普通の田舎町と代わり映えはしない。

 そんな早朝の田舎町を、ストレージを押しながら、風間樹は一人ぽつぽつと歩いている。

 町に到着するなり、あの二人は「別行動を取る」と言い、何処かへ行ってしまっていた。宿は事前に潜入しているNEXLのメンバーが確保しているらしく、合流場所もそこなので、特に心配はないが、宿が空く時間まで二時間ばかり暇を潰さねばならなかった。

(しかし潜入捜査って、一体何をすれば良いんだろうか……。具体的な内容ぐらい教えてくれれば良いのに、アイザックさんも、ベアトリスも人が悪いな)

 心の中でそんな台詞をぼやく。付け加えて言えばレイとナクアに至っては論外だ。話にならない。そもそもまともな会話さえ成立した記憶が無い。


 そんな燻った感情を心の中で巡らせていた時だった。

 なんだか美味しそうな臭いがしたので、周囲を見渡してみると、いつの間にか商店街にやってきたらしい。とは言えあちこちシャッターが閉まっていて、どこも古ぼけた建物ばかりだったが。

 と、丁度臭いの元に行き着いた。


「パン屋か……」

 風間の胃が疼く。そう言えばあれから何も食べていない。激しい運動をした直後は大抵腹が空く物だと言うのに、レイやナクアに対する憤りで忘れていた。

「あのう。どうかしました?」

「えっ?」

 驚いて声のした方向へ視線を向かわせると、丁度店の横からエプロン姿の少年が顔を見せた。手にはバケツとぞうきんを抱えている。

 年の頃は高校生ぐらいで、真面目そうな、とは言え生真面目とまでは行かない、あどけなさを残しつつも、少しだけ大人びた印象を与える少年だった。

「ウチの店、覗いてたんで。気になって」

 眩しいぐらいの笑顔を覗かせる少年の姿に、風間は好感を持った。と、同時に、これぐらい邪気の無い人間が何故自分の周りには居ないのだろうかとも考える。

「いやぁちょっとお腹空いててね。たまたま良い臭いがしたから」

 後頭部をぽりぽりと掻きながら、恥ずかしそうに風間がそう語ると、少年は腹を抱えて笑い出した。

「でしょう?丁度焼き上がったばかりなんです。美味しいですよ、ウチのパン。どうぞ食べていって下さい」

 とても良い申し出だが、開店前の店の人間に迷惑をかけるような真似はしたくない。が、風間はややあって、

「良いのかい?」

 と答える。

 すると、少年は風間の押しているバイクを指さし、こう言った。

「それ、ネフィリムナイトでしょう? だったら教会の人じゃないですか。当然ですよ」

 無論、風間は動揺した。まさかこの町でNEXLの一員だ、などと言えるはずも無い。

「あ、いや、これは……」

「遠慮なんて良いですよ。今店長を呼んできますから」

 風間は狼狽えていると、少年は店の中へと行ってしまった。

 どうした物だろうか。幸いと言うか、何というか、このNKにNEXLのマーキングが施されていないのが救いか。


 結論から言って、風間はしばしこの店に厄介になることになった。 無論、教会の一員として。


 店の奥には住居が広がっていて、風間はそこの居間へと案内された。丁度テーブルを挟んで正面に店主と、その傍らに夫人が。風間の隣には先程の少年が座っている。

 目の前に差し出された暖かいコーヒーと、出来たての暖かいフランスパンを、風間がこれでもかと言うぐらい頬張っていると、店主が上機嫌に口を開いた。

「いやぁ、教会の、しかもネフィリムライダー(NKのパイロットに対する俗称)さんがウチみたいな所に来てくれるなんて、こりゃあ霊帝様のお導きかもしれんね」

 パン屋『ベルガモット』の主人はそれは大層気立ての良い人間だった。顔中に髭がもさっと蓄えられているが、よく手入れされていて、ガタイの良い体を、温和で親しみある物へとしている。

「ど、どうも……」

 が、当の風間は教会に対する反発と、彼らの厚意の板挟みに悩んでいた。付け加えて言えば彼らを騙していると言う自己嫌悪もある。

 などと風間が悩んでいると、これまた店主と同じくらい気立ての良さそうな夫人がおもむろに口を開いた。

「今日は年に一度の霊帝祭の日ですからね。お忙しいところ。ゆっくり休んで下さい」

「えっ?」

 夫人の言葉に、風間は頂いていたコーヒーを思わず吐き出しそうになった。が、なんとか堪える。

 霊帝祭。なんだそれは、聞いたことが無い。

「どうかしました?」

 怪訝そうな顔を浮かべる夫人に、風間は思わずどきりとした。

「い、いえ。どうもしてませんよ。いや、途中で仕事抜けて来ちゃったから上司が怒ってないかなぁと、ははは……。これがまた無愛想な上司でして……」

 上司と自分で口にして、レイの顔が過ぎった。まんざら嘘でも無いだろう。

 風間は愛想笑いを浮かべながら後頭部をぽりぽりと掻く。すると、店の人間達が大きく笑い声を上げた。

「なーにー?」

 そんな調子で皆で談笑した声が聞こえたのか、近くの階段から下りてきていたらしい、少年と同じ位の歳の少女が眠い目を擦りながらパジャマ姿のまま居間へとやってきた。

「こら、ひより!なんだその格好は!? 教会の人が来ているんだぞ!」

 少しだけ声を荒げて店主が少女に向かって言う。

 その声にビクついて、風間を見るなり「あっ!」と大きな声をあげた少女は急いで音を立てながら階段を上っていった。

「すいませんね。ウチの娘です。どうにもやんちゃが過ぎまして……」

「ま、まあまあ店長……。その辺にしてあげましょうよ」

 風間相手に愚痴を語り出した店主を、少年が諫める。

 この少年は店主夫妻の息子ではないのだろうか。風間は少しだけ疑問を感じた。が、そういった繊細な事情を声に出して聞くことは、はばかられた。

 と、そうこうしている内に、また再びバタバタと階段を駆ける音がしたと思いきや、先程の少女が再び居間にやってきた。今度はちゃんと私服に着替えている。

「あはは……先程は失礼しました……」

 ちろっと舌を出して照れ隠しをする少女。けれども茶髪に染めた髪が寝癖で所どころ跳ね上がっていた。

「もう、しゃんとしなよ、ひより」

「うー。歩は黙っててよ、もう」

 呆れた声をあげる少年――歩に、恨めしそうな声をあげる少女――ひより。

 全く異なる顔立ちから、兄妹でないことが風間にもなんとなく見えてきた。

「はぁ。すみませんねぇ。ライダーさん。こんな騒がしい家ですけど、どうかゆっくりしていって下さい」

 そんな二人の様子を眺めながら、溜息混じりに夫人がぼやく。

 しかし、風間にとっては、そういった状況は不快になど思わない。むしろ心地の良い物でもあった。

「いえ。お構いなく」

 屈託の無い笑みを浮かべ、まるで本当の兄妹のように言い争う二人を見つめる風間。

 例えこの町が教会に支配されていようと無かろうと、彼らには何の関係も無いのかも知れない。

 いや……。教会によってこの平和が保たれているのなら、むしろ歓迎すべき事なのかも知れないのではないだろうか?

 風間の認識が、世界が、揺らぐ。もしかすれば、彼ら家族にとって、NEXLなど、この世に必要ないのかも知れない。排除するべきただの障害に過ぎぬのかも知れない。

 だが……。それでもやはり、必要とする人間は居るのだ。確かに。自分自身のこれまでの行いを否定することなど、風間には出来るはずも無かった。


             ***


 その男は白いコートを着ていた。煌びやかに光り輝くそれは、光に反射して輝きを増す素材で出来ているらしいことが一瞬で判別できる。

「やあ。レイ。ご無沙汰しているな。まあそこへ座れ。大丈夫だ、何も取って食ったりはしない」

 脱色したらしい鮮やかな金髪の男は、その顔に爽やかな笑みを浮かべながら、自身の正面に座るように、やってきた黒ずくめの男、もといレイに右手を差し出した。

「これまた随分な歓迎だな」

 金属で出来た彫刻のような椅子に腰掛けてから、レイが周囲を見渡すと、そこには沢山のスーツ姿の男達がサングラスを付けて取り囲んでいた。


 朝から仕事熱心な物だな、とレイは野外に設けられたカフェテラスでそんなことを考えつつ、 煙草を一本取りだし、口に咥える。

「おいおい。ここは禁煙だぞ?」

 頬杖を突きながら男はニヤリと笑った。

「外だろ。別に構わん」

 レイは気にも止めずライルライターを点火し、煙草に火を付けようとした。が、黒服の一人に咥えていた煙草をひょいと取り上げられてしまう。

「僕が構うんだ」

「貴様は相変わらず鬱陶しい男だな。カイ」

 ムッとした表情で、レイは男を睨む。

 そう。この金髪に、爽やかな微笑を浮かべる男こそ、カイ。霊帝教会の最強戦力、『白銀のノヴァ』の担い手にして、彼らが祭り上げる『守護神・マスティマライダー』である。

「君も相変わらずで安心したよ、レイ」

 カイが向ける穏やかで、爽やかな笑みは、人によっては魅了され、心酔に値する物なのかも知れないが、レイにとっては邪悪な悪魔の笑顔にしか見えなかった。

「妹は……サヤはどうしている?」

 コートのポケットに手を突っ込んで、そっぽを向いたままレイはそう言った。

「今頃別室で君の恋人と楽しく談笑している頃じゃないか?」

「そうか」

 肩を少しだけだらんとさせ、レイは溜息混じりに答える。

「やっぱり気になるのか?」

 カイの言葉に、レイはそっぽを向いたまま、視線だけをそちらへ向けて、こう言った。

「いいや。会わなくてホッとしていたと伝えておけ」

「大丈夫さ。彼女もそのつもりだったんだから」

「ならいい」

 レイは再び視線を道路側へと向ける。

 セクター特有の人通りの少なさだ。霊帝祭ともなればそれが一段と増している。

「しっかし君たち兄妹はどうしてこうも仲が悪いのかねぇ? 血は繋がっているんだろ?」

「ああ」

 ニヤニヤと柔らかな笑みを浮かべるカイに、ぶっきらぼうに答えるレイの表情は、何時にも増して一段と冴えない。

「本当に似ていない兄妹だ。思想も違えば、好みも違う。ああ、気分を悪くしたなら謝るぞ?」

「いや、いい。俺もそう考えている」

 レイの返事に、カイは大して面白くもなさそうに「ふーん」とだけ反応した。

 しばしの沈黙。

 その間、カイは頬杖をついたまま、もう片方の手の爪を弄っていた。

「で? 今年の霊帝祭の段取りは?」

 先に沈黙を破ったのはレイだった。カイは爪を弄るのを止め、レイの方へと視線を戻す。

「ああ。例年通りさ」

「そうか」

 レイは大して面白くもなさそうに答える。

「しっかし珍しいな。君が来るなんて。教会の行事は嫌いじゃなかったっけ?」

 ミュージシャンのような美声で語るカイに、レイは小さく溜息を零してから、ようやく顔をむき直し、こう答えた。

「アキラの指示だ。新人の実地研修中なんだよ」

「へぇ。新人ねぇ。そいつ見所はあるのかい?」

 レイは首を横に振った。

「いまいちだ。確かに戦闘技術は悪くないかもしれないが、経験が浅い。そして何より若い」

 レイの言葉に、カイは思わず笑い声をあげた。

「何が可笑しい?」

「若いって……。君だってまだ二十三だろう? もう年寄りのつもりかよ、止してくれ。僕だって同い年なんだからさ」

 カイの茶化すような言葉に、レイは「フン」と鼻を鳴らし、そして席を立った。

「もう行くのか?」

「ああ」

「祭りは見に来いよ。サヤもきっと楽しみにしてるぜ?」

 レイは何も答えず、背を向けたままゆっくりとその場を後にした。


             ***


 丁度レイとカイが会話をしていた頃、その傍らにあったホテルの貴賓室に、二人の女性の姿があった。

「ねえ、ナクア?」

 自然な人間にしては不自然な位黒い髪を持つ女性は、目の前に座っていた、これまた不自然な程に白い髪を持つ女性に向かって問いかける。

「何?」

 白い髪を持つ女性――ナクアは平常とは違い、その顔に一切の微笑を携えることなく、まるで相手を射貫くような視線を、その女性へと向けていた。

「この世界において、万物には必ずしも低級と上級がありますわよね?」

 女性はその顔に自信満々の笑みを浮かべながら、テーブルに置かれていたティーカップを持ち上げて、ナクアを見る。

「またその話?」

「いいから。聞いて欲しいのですわ。私、こんな性格でしょう? ですから気兼ねなく話を出来る相手なんてナクア位しか居ないのですわ」

 うんざりだとでも言いたげな表情を浮かべるナクアだったが、女性は気にも止めていないらしい。

「じゃあ早く話してよ、サヤ。私こうみえても割と疲れてるの」

 とは言えナクアが疲れていないことぐらい、誰の目にも明かであるのだが、女性――サヤは彼女に調子を合わせることにした。

「分かりましたわ」

 そう言って「コホン」と可愛らしく咳払いをしてからサヤは語り出す。

「食物連鎖ピラミッドがありますでしょう? 最初は植物。それを食べる草食動物。そして、またそれを食べる肉食動物。と来まして、頂点に人間がおりますわ」

 まるで自分は人間では無いのだ、とでも言うようにサヤは語る。

 もっとも、ナクアはこの話の続きを知っていたので、先に言う事にした。

「で、その人間を食べるネフティス。でしょう?」

「ええ」

 サヤは満足げに頷いた。

「ですがそのネフティスとて、また捕食される側であることに代わりはありませんわ。そう、絶対的な捕食者、『マスティマライダー』が存在する限りは」

「そうね」

 まるで演説しているかのように雄弁と語るサヤに、ナクアは嫌気を感じたらしく、そっけない返事をした。

「それは仕方の無いことではありますわ。”ネフティスと言う餌”が無ければ”マスティマライダー”は活動できない。そして同時に”マスティマライダー”が居なければネフティスは異常なまでに繁殖し、やがて進化を忘れ、朽ち果てるのですから」

「そうかもね」

 聞いているのかいないのか、興味のなさそうな声でナクアは返答する。が、やはりサヤは意に介した様子は無く、紅茶を一口飲んで喉を潤し、再び口上を始めた。

「そこで私達のような、進化した存在こそが、ネフティスを、マスティマライダーを。いえ、世界を統べるべきだとは思わなくって? ナクア?」

「それはあり得ないわ」

 ナクアはきっぱりとした、芯の通る声で、即答する。

「私達は進化なんてこれっぽちもしていない。ただの餌よ。勘違いしては駄目。それこそ破滅の時よ」

「やっぱりナクアは真面目ですわね。お兄様と一緒。そんな調子では折角手に入れた力を錆び付かせているに過ぎませんわ」

 ひとしきり捲し立ててから、サヤは「ふう」と溜息をついた。

「お兄様によろしく言っておいて下さりません?」

「自分で言えば?」

 半ば呆れた声でナクアが言うが、サヤは肩を竦めて首を左右に振る。

「顔を合わせてもいがみ合うだけですので」

「そうね。レイをあまりあなたには会わせたくないわ。あの人、また頭抱えるから」

「ですわね」

 サヤはそう言ってから、含み笑いをした。

 席を立ち、出口へと向かうナクアを呼び止めもせずに、視線だけでサヤは見送る。


 ドアを開けて、ホテルの廊下へと戻った彼女は後ろ手にそれを閉めてから、

「はー」

 と、疲れ切ったような表情で溜息をついた。

「貴様にしては珍しいじゃないか」

 ホテルのロビーから廊下へとやってきた黒い髪の男は、そんな彼女の様子に別段面白くもなさそうに言った。

 疲れ切っていたナクアだったが、そんな男の様子に何故か面白味を感じたらしく、口に手を当て、「フフフ」と笑った。

「私の気遣い? 珍しいわね。……それにしてもアナタの妹の話は疲れるわ」

「疲れる程度なら問題は無い」

 レイは吐き捨てる様に言った。

「会っていかないの?」

 レイはちらりとナクアの背中にある扉を一瞥し、またすぐ目を逸らした。

 そして何か忌々しい記憶を噛み潰すかのように険しい表情で、こう言う。

「いい。頭が痛くなるだけだ」

 光を吸収し、輝くことの無い黒い髪を乱雑に振り回すレイに、ナクアはまたいつもの調子で笑った。


             ***


 町の中心部にある、噴水を囲んだ広場は人が集まり始めていた。

 人々は、白い布で地面を、噴水を覆い隠し、その体裁を煌びやかにしていく。


 そんな彼らの姿を目にしながら、純和風の夏祭りのような物を想像していた風間は、その考えを改めていた。

「風間さんは警備か何かの担当なんですか?」

 不意に呼びかけられ、バイクを押しながら歩いていた風間は、動揺しながらも、傍らにいる少年を見つめる。そして、またばつの悪そうな苦笑を浮かべつつ、後頭部を掻いた。

「あ、いやあ……。まあ、そんな所かなぁ? ごめんね、あんまり詳しく話せなくて」

 詳しく話すも何も、元々話す内容など何も無い。

 風間は自嘲する。

「風間さんって……変わってますよね」

 きょとんとした眼差しで、少年は未だ後頭部に手をやる風間を見つめていた。

「そ、そうかな……?」

 今一つ反応に欠ける風間を見て、少年は慌てた様子で両手を振った。

「あ、いえ、悪い意味じゃ無いんです。教会の人にしては随分対応が柔らかいなぁ、って。あ、いや、教会の人達が厳しい人ばかりだとかそう言うのでは無くてですね」

 それは自分が教会の人間では無いからだ、と懺悔したい気持ちに駆られたが、風間は、

「いやいや……俺も良く言われるよ……」

 と濁す返答をした。

 けれども、やはり少年が言うように教会の圧力は多少なりとも存在しているのだろう。確かにこの街の平和は教会によって保たれている事は事実であるだろうし、失業者や社会的に差別を受けている者達をこうして保護している教会と言う存在は、神にも等しき物なのであるのだろうが、風間は、やはりそれを否定したい気持ちに駆られた。

「教会の事、どう思ってるんだい?」

「え? ええと……」

 困った少年の反応を見て、風間は「しまった」と思った。万に一つも少年が教会の事を悪く言える訳が無い。

「ああ、いや。深い意味じゃないんだ。セクターの暮らしに満足してるのかなぁって」

「そりゃあ、勿論ですよ」

 少年は、無邪気な、それでいて爽やかな笑みを浮かべる。

「ネフティスにやられて、一人になった僕にとっては、唯一の居場所ですから。ここに連れてきてくれた教会の人々は勿論ですけど、置いてくれている店長さん達には、それ以上に感謝しています」

 何事も無く、笑顔でそう答える少年の姿に、風間の心がずしりと痛んだ。

 教会を盲信する両親を否定し、家を飛び出した自分と、方や教会に希望を与えられ、暗い過去をしっかりと受け入れて歩き続ける少年。

 どちらが立派かと問われれば、自分でも驚く程素直に、風間は後者だと思った。

「そっか……」

 思い返せば、いつも誰かの受け売りだった。

 きっとNEXLが存在していなければ、風間は両親の言葉の、都合の良い部分を聞き、都合の悪い部分を受け流しながら、周囲の友人達がそうであったように、普通に大学へ進学していただろう。

 結局はNEXLの――もといアイザック・ヴァレンタインの掌で弄ばれているだけのちっぽけな人間に過ぎない。特に近頃は。


 だが、この少年はどうだろうか。

 教会を絶対正義と主張し、それを同じくする家族達に囲まれ、彼らに報いるべく賢明に生きている。それが教会の掌の上で行われている事だとしても、「それがどうした」と言って、己を否定する輩を逆に哀れな者だと言うのだろう。


 ――浅い。風間樹の主張する考えは、自分自身が考えている以上に、もっと、ずっと、浅い。

 ――己に殉じることが出来ず、誰の考えが一番正しいのか、と言う比較でしか物事を見極められぬ、哀れな人間。


 それが、『風間樹』が客観的に見た、『風間樹』自身の姿だった。


 丁度太陽が自身の真上にやってる来る頃合いに、少年と別れた風間は、宿泊先のホテルへとやってきた。

 レイとナクアはまだ到着していない。

 風間はベッドに横になって、ベルガモットの人々の事を夢想していた。

「俺、なんでNEXLに入ったんだろ……」

 理由は簡単だ。今でも断言できる。

 か弱い少女一人助けられなかった教会への反発。ただ盲信する両親への反発。

 だが、実際には少女は生きていて、両親が盲信した教会も、見方によっては人々の暮らしを守る守護者であって。そんな中、ただヒーローになりたいと言う自分がいた。

 けれどもそんな者を必要としている人間は思いの他、ごく僅かだったという事実。


 ベッドにうずくまりながら、風間が悶えていると、急に扉が開け放たれて、レイとナクアがやってきた。

「どうした?」

 そっけない言葉を放ったレイに、風間は気だるそうに体勢を立て直した。

「いえ、ちょっと疲れていただけです」

「そうか」

「あの……霊帝祭ってなんです?」

 こうしていてもらちが空かない。

 風間は自身に与えられた業務を全うするべく、先程耳にした言葉を質問することにした。

「あぁ。今日の夕方から行われる、教会の催し物だ。俺達の潜入調査も基本的にそこで行う段取りになっている」

 化粧台の前で煙草を吹かしながら、面倒くさそうにレイが答える。

「フフフ。出店とかは出ないのだけれどもね。ネフィリムナイトの模擬戦とかが行われるんだったかしら? レイ?」

 レイの傍らで冷蔵庫から取り出したジュースの瓶をあおりながら、ナクアが言った。

「そういえばそんなものもあったな」

「え!? ホントですか!?」

 ネフィリムナイトの模擬戦。風間の心が躍らぬはずが無い。

「行くなら一人で行け。生憎俺はあまり興味が無い」

「わ、分かってますよ!」

 とは言った物の、はやる気持ちを抑え切れなかった風間は、しばらくしてから、潜入調査の名目で模擬戦を見に行くことにした。


             ***


「旧式のカスケードと最新式のストレージの対決かぁ……凄いなぁ……」

 市民球場を簡易的に改造したステージ上で、二つの機影が踊るように駆けている。

 無骨な印象を持つ最新式NK、ストレージと、それに対抗する、マッシブな流線型の機体。旧式ながら最新式に見劣りしない、高い基本性能を持つカスケードだ。

 二者はその手に携えた剣を交わし、離れ、激しい演舞を繰り返している。

「ん……あれ?」

 歓声に沸く観客席の中、風間は少し違和感を感じた。

 カスケードの動きが僅かに鈍いのだ。

「あのカスケード、手を抜いてるわね」

 突然の横からの声に、風間は視線を向けて、はっとする。

 ハチミツのような黄色い髪。スタイルの良い、ほっそりとした肉付きの、自分と同い年ぐらいの少女。サングラスをかけているため、その表情は読み取れないが、それでも十分、美少女の部類に入ると分かる。

「あんたも気付いたんじゃない?」

 サングラス越しの視線と、目が合う。

 風間はその動作の軽やかさに、どことなく気品のような物を感じていた。

「ええ。そうですね。これは八百長ですよ。確かにカスケードは旧式ですけど、あそこまでガチガチとした動きはしませんし」

「あくまで教会の見世物なのよ。最新式のストレージが負けちゃ話にならない」

 親指を咥え、食い入るようにステージを覗く少女に、風間は興味を持った。

「あの、失礼ですけど、NKは詳しい方で……?」

「ええ。好きよ。あんたも?」

「勿論ですよ。自分は特にストレージが好きですね。機体のレスポンスが他の機種とは比べものに成りませんし、搭載コンピュータもカスケードより戦況把握能力が段違いですから」

 風間にとって、カスケードは訓練生時代に少しだけ搭乗したことがあるが、余り良い物では無かった記憶がある。とは言え入門向けには持ってこいで、学んだことは多い。

「その話しぶり、あんた乗ったことがあるわね?」

 少女は口元をニヤリを歪ませ、風間を見た。

「あんた……NEXLの人でしょ?」

「ち、違いますよ」

「嘘。教会のネフィリムライダーなら八百長試合だって事ぐらい最初から分かるはず。けれどもそれを知らないで、尚且つNKに乗ったことがあると言うなら、NEXL以外に考えられない」

「そ、それは……」

 風間の背中に悪寒が駆け抜ける。

 それにこの少女の声はどこかで聞いたことがある気がした。もっとも思い出せないのだが。

「大丈夫よ。黙っておくわ。私、確かに教会の人間だけど、こんな所で騒ぎを起こすほど野暮な人間じゃ無いの」

 口元を歪ませたまま、笑うように少女は言う。が、風間の緊張感がそれで解けるはずも無い。

「そ、そうなんですか……?」

「少し落ち着きなさいよ。戦いに来た訳じゃ無いんでしょう?」

 肩をすくめる少女を見て、風間は多少疑念を感じつつも、それ以上追求しないことにした。

「しかしまあ、ストレージが好きねぇ。あんた性能主義って良く言われるでしょ?」

 そう言えば以前隊長に言われたことがある。

 隊長のようにカスケードを駆ってきた人間にとって、ストレージのような第二世代の充実したアシスト機能は逆に足かせになるのだと。

「ではやはりあなたもライダー。それも第一世代からの……?」

 風間は首を傾げて言った。自分と同じ年代で第一世代からNKを動かす人間はまず居ない。それは教会でも同じ筈だった。

「うーん。まあ似たようなもんよ」

 大して面白くもなさそうに少女は言う。

「とは言え私もストレージの方が好きね。デザインはカスケードの方が好みだけど」

「なるほど」

「プラモデルも結構作ったかな? あの流線型はやっぱ味があるわよね。ストレージもあれぐらいスマートなシルエットにすればいいのに」

「ですけどそれだと安定性に難が生じますよ。カスケードはその耐久性を何度も指摘されてきましたし」

「性能主義」

 サングラスの端を少し下げ、上目遣いにこちらを見てくる少女に、思わず風間はどきりとした。


 と、その時試合終了を告げるベルが鳴る。

 結果はやはりストレージの圧勝であった。

「あーあ。つまんない。二五点ってとこね」

 その様子を見た少女は溜息をつくように言った。

「仕方ないですね」

「こっちから言わせればもう少しぐらいファンサービスがあって良いところよ」

「そうですか? それなりに楽しかったと思うんですけど」

「だめだめよ。いくらお堅い教会の祭りって言ったって、魅せる戦い方をしてくれなきゃ」

 と言って、少女は席を立った。

 風間が周囲を見渡してみると、じょじょに観客達も移動し始めていた。

「楽しかったわ。ご機嫌よう」

「え、ええ。こちらこそ……」

「また会いましょう。お互い生きていたら、だけど」

 背をこちらに向けたまま、手を振り、黄色い髪を靡かせながら、少女が去って行く。

 そんな彼女の、気品ある、きびきびとした美しい姿に、風間は自分でも無意識の内に、時間を忘れる程見とれていた。彼女の姿が完全に見えなくなった後も、そうしていた。

 と、やがて我に返った風間はこの後どうするべきかを考えることにした。レイ達とはどうやって合流するべきかを考える(よくよく考えると、連絡先を知らなかった)。

 結果、今朝方少年と通った広場に戻ることにした。あそこなら人が集まっているし、丁度良いだろうとの考えからだった。


「凄いな……」

 広場に集まった人々を見て、風間は唖然とする。

 ローブを着た教会の司祭達が中央に陣取って、お守り(六芒星のペンダント状の物)やらなんやらを販売していて、そこには当然のように信者達が押し寄せている。

 しかし、重要なのはその数だ。

 まるでこの街の人間が全てやってきたのではないかと言うほど、沢山の人が押し寄せているのだ。

「ここに居たのか。探したぞ」

 その様子を呆然と逡巡していると、背後から呻き声のような発せられた。振り返ると、やっぱりと言うか、なんと言うか、不機嫌そうな表情をしたレイが立っていた。

「ああ、すみません……」

 しかし、その傍らにはいつものように寄り添っている筈の白髪の女性の姿が無かった。

「あれ? ナクアさんは?」

「見ろ」

 風間の問いかけに、レイは溜息をつくように、前方へ向かって指を指した。

 なるほど。視線を追ってみると、お守りを買い漁る一段に紛れて、白い長髪が輝きを放ちながら、ひょこひょこ動いている。

 この距離からでも分かるぐらいなのだから、当然目立つ。人々は女性に思い思いの視線を放っていた。

「あはは……」

 思わず風間は苦笑した。

「全く……。あいつの趣味をとやかく言うつもりは無いが……。いや、なんでもない」

 首を横に振りながら、心底面倒そうにレイは語る。

 しかし、それにしても奇妙な男女ではある。長い付き合いのようにも思えるが、一体どういった関係なのだろうか。単純な恋人と言う訳でもなさそうだが、そうでないとも言い切れない。風間は思いきって質問することにした。

「あの、ナクアさんって……」

「見ての通りの鬱陶しい女だ」

 会話が噛み合わない。風間は後頭部を掻きながら、視線を泳がせる。

「いや、どういう関係なのかなぁ、と」

 そんな風間の一言に、レイは眉を潜めた。

「関係?」

 鋭いレイの眼光に、風間は思わずびくりと全身の毛を逆立てた。

「見ての通りの仕事仲間だ。分からないのか?」

 「いや、分からないから聞いているのだ」などと風間は言えるはずもなく、

「ああ、そうですか……」

 と言葉を濁す。やっぱりこの人は苦手だ。

 それきり二人の間には沈黙が流れた。


 しばらくして、赤いドレスにペンダントをぶら下げながら、白髪の女性が戻ってくる。

 無論、その表情にはいつものように妖美な笑顔を携えて。

「フフフ。待った?」

「ああ。待った。殺してやりたいぐらいにな」

 普段の不機嫌さに益々拍車をかけているレイがぶっきらぼうに言い放つが、当のナクアは全く意に介していない様子で、相変わらず笑顔を崩そうとはしない。

「フフフ。ごめんなさい」

「ちっ」

 レイの舌打ちが聞こえた風間は、なんとも言えない空気の悪さを感じた。この二人はどのぐらい昔からこんな調子で言い争いをしてきたのだろうか。確かに二人はそれで良いのかも知れないが、見ている風間からしてみれば、居心地の悪いことこの上ない。本音を言えば苦痛を感じずには居られなかった。

「まあ……良いじゃ無いですか。祭りなんですし」

「フフフ。そうよね。祭りと言う物は人を浮かれさせる物よね」

「ちっ」

 自分達を蔑むようなレイの舌打ちに、溜息をつきたい気分だったが、それは彼の不満を増長させる行為に他ならない、と判断した風間は、これ以上何も言わないことにした。

「そろそろ式典ね」

 僅かな沈黙の後、急にナクアが話題を変えた。

 するとレイも普段の調子を取り戻したらしい。もっとも、風間からしてみれば、彼の表情は基本的に不機嫌に見えるのだが。

「ああ」

「行くの?」

 途端、レイは無言になった。

 不思議に感じた風間は首を傾げるが、ナクアは別段それが不思議でもなんでも無いらしい。

「分かっているわよ。あなたの好きにすれば良い」

 ナクアのそれは、優しげな、穏やかな表情だった。

 風間は驚いた。人を食ったような笑みばかり浮かべるものだから、てっきりそんな表情しか出来ないと思っていたからだ。

 やがて、レイにもその言葉が通じたのだろうか、

「……行けば、いいんだろう?」

 などと投げやりに言い放っていた。


             ***


 式典、と言っても、こんな田舎町では、会場は寂れた市民体育館に過ぎない。

 とは言え、それでも白いシートや、豪華な装飾によって、幾分格好は付いている。荘厳な雰囲気と、信者達で埋め尽くされた空間は、それだけで風間を圧倒させるには十分だとも言えた。

 と、同時に感じるのは嫌悪感。

 何せこれだけの信者が自らの周囲に集結しているのである。根っからの教会否定派である風間にとって、気分の悪いことこの上ない状況であった。

「フフフ。緊張してるの?」

「いえ。そんなことありませんよ」

 先程の穏やかな表情はどこへ行ったのか。ナクアはいつものように人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて風間の表情を覗いていた。

 一方、傍らのレイは先程から何かそわそわしたように周囲を見回している。それが風間には不思議でならなかったのだが、聞けばまた罵倒されるだろうと考えていたので、触れないように努めていた。

「式典って……一体何をするんです?」

 レイに質問することが叶わず、代わりにナクアへと質問する風間。無論、周囲に怪しまれる訳にもいかないので、出来るだけ小声を意識する。

「要するに凄い人が来る集会よ。普段、セクターや地方の集会だと大して地位の高くない司祭が演説をするけど、年に一度の霊帝祭は別。そりゃあ流石に霊帝様は来ないけれど、それなりの地位の人は来るわ」

 風間自身、両親に連れられ、集会には何度か足を運んだことがある。今となっては朧気な記憶ではあるが、堅苦しい話をする司祭と、それを食い入るように聞く信者達の姿。だが、信者と言えど、中には単に金だけを納めるだけの者も居るので、そう言った人々は気だるそうに聞いていた。

 だが、こちらはどうだろう。

 視線が違う。あの盲信していた風間の両親さえ軽く圧倒されるかのように、輝き、未だ誰一人現れぬ、空っぽの壇上を見つめている。それは、まるで神の降臨を待つかのような姿だ。

 しかも、全員がそうなのだ。

「これが、セクター……」

 社会的身分の低い人々が集まったセクターを、同じように蔑む信者も多いと聞く。風間の両親もそういう人間だった。

 が、この姿を見れば分かる通りだが、教会の、宗教としての信仰を支えているのは、紛れもなくセクターの存在なのだろう。

 少しだけ恐れを感じた風間は、その身を僅かに震わせた。

「フフフ。びっくりした?」

「いえ。大丈夫です」

 風間の動揺を感じたらしく声をかけてきたナクアに、彼は首を振って答えた。

 すると丁度タイミングが重なったらしい。スピーカーから、凛とした、緊張感のある女性の声が会場中に響き渡った。

「これより、式典を開催致します。まず初めに、カーディナル・シオン様のお言葉を。尚、進行は私、シスター・アンナが勤めさせて頂きます」

 開催の挨拶がシスター・アンナと名乗る女性から発せられると、同時に、会場中にざわめきが起きた。

 何事だろうかと風間が耳を向けると、


「シオン様が? 珍しいじゃないか」

「今年の式典は凄いな。まさかシオン様までやってくるとは」


 などと言う言葉が異口同音に聞こえてくる。

 どうやらシオンと言う幹部は滅多に顔を見せないらしい。

「カーディナル・シオンって、誰です?」

 風間の問いかけに、ナクアは軽く首を傾げて、「ああー」と合点が言った様子になってから答える。

「地位の高い人と言っても、大司祭とか、たまにカーディナルの、中枢クラスじゃない人間が来るのよ」

 教会の役職について、風間は余り詳しくは無いのだが、ネフィリムライダーの役職とは別に、通常業務の人間には、階級によってそれぞれ呼び名が付いていると言う事ぐらいは知っている。

 最も低級に位置する司祭。これは地方に点在する、大小様々な教会の運営、管理に携わり、基本的に雑務や、管轄内の信者達へ公報雑誌を配ったり等、地味な役職が多い。言い換えれば、最も信者達にとって身近な存在と言えるだろう。

 その司祭達が経験を積むと、今度は大司祭へと昇進する。大司祭は各教会に一人は居て、教会の管轄を担っている。又、東京の池袋に位置する本部、通称『カテドラル』との橋渡しの役目もあるのだと言う。言ってしまえば中間管理職だ。

 そして、支配者である、霊帝を除いた中で最頂点に位置するのが、カーディナル(枢機卿)だ。これは滅多な事では頂戴する事が出来ない階級らしく、普通に業務をこなしているだけならば大司祭止まりの中を勝ち抜いてきた、ごく一部のエリートにのみ与えられる称号だと言われていて、その活動内容も謎に包まれている所が多い。

 この他にも様々な役職が存在しているらしいが、詳細についてはおろか、名称まで風間は知らないので割愛する。


「とは言えカーディナルの中でも……シオンは特別ね」

「特別?」

「シオンは現霊帝、アーカムの娘なのよ」

 風間はそこでようやく合点が行った。

 教会にとって、それだけの重要人物なのだ。信者にしてみればアイドルのような存在なのだろう。

 しかし、それにしても先程のナクアの話しぶりは何かひっかかる物を風間は感じていた。なんというか、まるで以前からの知り合いであるかのようにシオンの事を語っていたのだ。もっとも、考えすぎかも知れないが。

「来たわよ」

 ナクアの呼びかけに、風間が壇上を見上げる。と同時に、会場中が一斉に沸き上がった。中には手を振る者、シオンの名を呼ぶ者、頭を垂れる者、更には落涙する者さえも居た。

 そんな中、風間は目を凝らし、なんとか遠くの壇上を見つめる。すると、装飾のちりばめられた、中世ヨーロッパ貴族のような召し物を着込んだ少女が壇上の机に向かって歩いている姿が見える。

 注意深く観察してみると、少女の、ハチミツのように黄色っぽく、絹糸のように柔らかな髪の毛がさらさらと揺れている。

「え……?」

 風間の鼓動が高鳴る。

 知っている。確かに先程はサングラスをかけていたので、その顔ははっきりとしなかったが、間違い無い。先程、模擬戦を観戦していたあの少女だ。

「マジかよ……」

 まるで西洋画の中から現れたのでは無いかと見まごう、その美少女は、壇上に立ってから、お辞儀をする。そのなんと気品に溢れた姿か。会場の信者達が一斉に返礼をする。少女の持つ、優雅さ、美麗さが、これだけの人々に向かって畏怖と、敬意を与え付けるのである。

 気がつけば風間もそれに倣っていた。

 それから少女は両手を広げ、軽く微笑をする。無論、信者達は先程と同じように思い思いの反応をしていた。

「ご機嫌よう、セクターの皆様。この度はこのような素晴らしい歓迎、このシオン。誠にありがたく感じております。我々教会が今日、これだけの繁栄を遂げているのも、セクターの皆様のお力添えがあればこそ。教会一同を代表して、このシオン、心からの感謝とご多幸をお祈り申し上げます」

 最後にもう一度、優雅にお辞儀をして、また会場が拍手喝采で沸き上がる中、シオンは壇上を降りていく。

「続きまして、我々の守護神『マスティマライダー』。――白銀のノヴァ――による、『ネフティス』の公開処刑です」

「え……」


 凛としたシスター・アンナの言葉に会場が沸く中、風間は言葉を失った。


             ***


 あの咆吼が、聞こえる。

 それは獣の雄叫び。死を目前にして、必死でそれに抗う生物の本能。

「うっ……」

「レイさん?」

 幕が開き、白い布に包まれた箱の様な物体が顕わになると同時に、何故か顔をしかめたレイ。そんな彼に対し、風間は思わず声をかけた。

「気にするな、何でも無い」

 頭を振って悪い夢を振り払うかのようにするレイ。

「無理しなくて良いのよ、レイ」

 彼の顔を覗き込んだナクアは意外にも、本当に心配しているかのような声で言った。が、レイは首を横に振る。

「大丈夫だ……」

 だがその声に力は無い。顔を掌で覆い隠しながら、あまつさえ足取りもしっかりとしていない状態だった。

 そんな彼の姿が、風間に不安を呼び起こす。

 一体これから何が始まるというのだろうか。

 そうこうしている間に、壇上に一組の男女が躍り出た。例の如く会場は歓声に沸く。

 男女は全面にやってくると、右腕を腰の位置に持ってきて、恭しく頭を垂れる。これまた先程のシオンと同じように気品に溢れた、見事なユニゾンだった。

「どうも。セクターの皆様方。白銀のノヴァが担い手、カイです」

 カイと名乗った、煌びやかに輝く白いコートを着た金髪の男は穏やかな微笑みを浮かべて、軽い自己紹介をした。

 それにしても、なんというか、何から何までレイと対照的な人物だな、と風間は考察してみる。傍らに立つ黒髪に、青いドレスを着込んだ女性も、これまたナクアと対照的だった。

 だが、ここで風間の中で一つの疑問が浮かぶ。


 これまで二度程遭遇した、あの黒い騎士。

 あれは間違い無く”マスティマライダー”だと風間は確信しているのだが、教会からの紹介にある通り、彼が”マスティマライダー”とされている。

 この白一色に染まっている男が、あの黒い騎士だとでも言うのだろうか?

 そんなことを考えていると、次に黒髪の女性が語り出した。

「ご機嫌麗しゅう、セクターの皆様? 皆お気づきかと思われるのですが、私共の後方にある物の中には、『罪人』がおりますわ」

 黒髪の女性が、こちらを見て、笑った――気がした。

 いや、彼女が見ていたのは、レイだ。

 相変わらず体調は芳しくなさそうだが、何故か壇上の、黒髪の女性を睨むような目つきで捉えている。

 そこで、風間はレイと、黒髪の女性が、何故だか、なんとなく似ているように思えた。が、気のせいだろう、とその考えを打ち切った。

「では、これから、『罪人』をお見せしましょう」

 カイが白い布に手をかける。

 気がつけば、皆それを固唾を飲んで見守っていて、会場はすっかり静まりかえっていた。

 しなやかな指先が、白いヴェールを剥ぎ取ると、そこに四角い檻が出現する。

 そして、その中でくぐもった息を吐き散らす獣の姿。

「スレイヴ……ネフティス……?」

 風間の全身にも、思わず悪感が沸き上がる。

「これより処刑を、執り行う」

 会場の誰もが声を失い、レイが頭を抱えながら苦しむ中、カイは懐から、一丁の拳銃を取り出した。銃身に宝玉のような塊を埋め込まれたそれは、白く、煌びやかに装飾され、彫刻のように美しい。

 そして、彼は、その銃口を、黒髪の女性へと向け――。

 ――発砲した。

「え、嘘……?」

 狼狽える風間を構うこと無く、壇上は動く。

 女性の体が舞い、宙へ浮く。が、その躯が地面に落ちることは無かった。なんと女性は光の粒子をまき散らしながら、その肉体を、まるで最初からそこに無かったかのように消し去っていく。女性の肉体だったらしい光の粒子は、やがてカイの持つ拳銃の宝玉のような部分へと吸い込まれるように飛んでいき、

 次の瞬間、白い閃光が、降り注いだ。

 目を開けることさえ困難な程、強力な光。


 やがてそれが止んだと同時に、壇上には金髪の男も、黒髪の女性も居なかった。

 そこには、檻に閉じ込められたスレイヴと、そして、白銀の、騎士。正しくそれは、マスティマライダー。

 スレイヴが咆吼する。

 檻を破壊せんと牙を剥きだしに、その異様に鋭利に伸びた爪を持った両手でしがみつき、ガチャガチャと蠢いていた。

「神の思し召しだ。有り難く受け取りたまえ」

 白銀の騎士が、軽やかに語る。

 いつしかその手には二丁の拳銃が携えられていた。右手には先程女性に銃弾を撃ち込んだ、彫刻のような拳銃を。そして左手には、それに負けない位の装飾が施された回転式拳銃が。

 その二つの、羽のような拳銃を構える白銀の騎士の姿は、正に、神か、天使。

 引き金が引かれると同時に、澄んだ笛のような音が鳴り響く。だが、それは銃声。

 騎士の右手にあった拳銃から弾き出された弾丸は、確実にネフティスの右肩を射貫いていた。

 右肩から、青い血液を流しながら、獣は咆吼をあげる。それは、無邪気な少年が戯れに、けれども残酷に小動物を虐待した時に、それらが苦しみを訴える物によく似ていた。

 どよめく会場の人々の声を、左手から素早く放たれた銃声が遮る。

 今度は左肩を打ち抜いた。同時に回転式拳銃のシリンダーが時計回りに回転し、次の銃弾を装填した。

 会場のどよめきは、何時しかなりを潜めていて、ただ、ただ壇上の、騎士と、怪物へ視線を送るだけの時間が過ぎてる。

「うっ……あ……」

「レイさん!?」

 風間が振り返ると、一体どういうことだろうか、レイは両手で頭を抱え、明らかに苦しんでいた。

 彼の体に触れようと、風間がその手を差し伸べようとした、次の瞬間、再び銃声が響いた。

 はっとして風間は壇上を省みる。いや、今度は一度では無い。

 何度も、何度も、その手に込められた弾丸が尽きるまで、騎士は拳銃を、眼前の怪物に向かって放ち続けている。

 まるで憎しみを込めるように、思いの丈を吐き出すように、何度も、何度も打ち続けた。


「早く外に出るわよ、レイ」

 騎士の饗宴が続く最中、ナクアはレイに肩を貸し、出口へと向かい始める。

「私達、外に出てるから……」

「え、ええ……」

 おぼつかない足取りで、二人が去って行くのを、風間は見送ってから、再び壇上へと視線を戻す。

 が、もうネフティスは声さえ上げぬ。最早頭部しか残っていないのだから。

 騎士は檻を開け放ち、その頭部を片手で掴む。

 会場の信者達は、それを固唾を飲んで見守っていた。

「さあ、死ね」

 騎士の……いや、カイの言葉が響く。

 そして騎士は、マスティマライダーは、その手にありったけの力を込めて、その頭部を粉々に握りつぶした。

 白銀の鎧が、青い血しぶきで真っ青に染まる。


 風間は、困惑した。

 何故なら信者達は拍手をしていたからだ。皆何かに取り付かれたかのように、壇上に立つ白銀の騎士を、尊敬と、希望の眼差しでじっと、食い入るように見つめ、幾度も拍手を繰り返す。まるでそうすることが己の義務だとでも言うかのように。

 そう、この狂った饗宴を、彼らは歓喜の声で迎え入れていたのだ。


             ***


 ――生きたかった。

「やめろ」

 会場から出て、すぐ前の広場の中。頭の中に響く声を振り払うように、レイは何度も何度も首を振っていた。

 しかし、声が一向に止む気配は無い。それどころか、先程よりも益々音量を増して、その耳へ、脳内へ、全身へと流れ落ちてくる。まるで死者の魂を己の内に取り込んでしまったかのように、それは全身を駆け巡る。

 ――何もしていなかったのに。

 ――ただ、生きていただけなのに。

 ――どうして、殺されなくちゃ行けなかったの?

「やめろ!!」

 それでもまだ彼の脳内に響く声は聞こえ続けている。エンドレステープのように、同じフレーズを、幾度となくループさせ続けていた。

 やがて、レイの体が、まるで糸が切れた操り人形のように地面へと落下していく。

 耐えきれない。これを平然と受け流せる人間は、ただの悪魔であって、最早それは人間では無いのではないだろうか。だとすれば、サヤは、カイは、既に。

「レイ」

 地面に転落するはずだったレイの体が、抱き留められる。柔らかな肌のぬくもりが、冷え切った彼の体を暖かく包み込んでいた。

 うっすらとその瞼を開ける。すると、色白の、透き通る素肌がレイを優しく、けれどもそれでいて、何故か少しだけ悲しそうに見つめていた。

 良く見知った、憎しみの対象である筈のその女が、一瞬だけ女神か何かのように見えた。

「やめろ」

 ……いや、幻想だ。

 その幻想を振り払うようにレイは女性の体を拒絶した。だが、その声にも、顔にも、既に力は宿ってはいなかった。

「大丈夫」

 ナクアのしなやかな手が、そんなレイの顔を、優しくなでる。白い、蜘蛛の糸のような彼女の髪がその顔にかかり、柔らかく包み込んだ。

 それが今のレイにはとても心地よくて、今にも瞼を閉じてしまいそうになる。

「今更……」

 今更慈悲など不要だ。もう立ち止まる事も、振り返ることも許されず、ただ前に進むことしか出来ないのだから。

 だが、それを口にするよりも早く、レイはその瞼を落とした。


             ***


「皆罪人になりたくありませんよね? あんなみすぼらしい姿には、なりたくない。当然です」

 凛とした声が、響いている。

 既に壇上に白銀の騎士の姿も、勿論、獣の姿も無い。代わりにあるのは、真っ白いローブを着た、ショートヘアの妙齢の女性の姿、ただ一つだった。

「ですが、ご安心下さい。我々教会の家族達は、皆『祝福』されることが、霊帝様より約束されているのです」

 自らの胸に手を当て、女性――シスター・アンナは大きく声を張り上げる。

「我々教会が、あなた方を、『祝福』します。教会が作り出した、『ネフティスワクチン』を持って……」

 女性の言った言葉に、風間は眉を潜める。

 『ネフティスワクチン』。そんな物は、無い。少なくとも聞いたことが無い。そもそも空気感染をするかどうかさえ危うい。基本的に感染者との接触が無ければ、まず感染はしないだろうから、異常に不安がる必要は無いと言うのが、学者の見解だった筈。もっとも感染した後は手立てなど何一つ無いのだが。

「さあ、あちらの司祭達の元へ」

 アンナが指差す壇上の袖では、十数名程の、白いローブを着た司祭達が注射器を構えて、立っている。

 信者達は向かう。我先にと走り出す者が居て、そうでない者達も早足で歩き出す。希望にすがるように。まるでそれが無くては生きられないとでも言うかのように。

 集団心理とは恐ろしい物だ。

 彼らのギラギラとした眼差しに恐れを成した風間は、急いで出口へと走り出した。


「こっちよ、風間君」

 風間が広場に戻ると、不意にその名前が呼ばれた。声のした方向へと振り向くと、ベンチに腰掛けたナクアが手を振っていて、その傍らには具合が悪いのか、寝転ぶレイの姿があった。

「大丈夫でしたか?」

 近づいてナクアに問いかける風間だったが、その問いに答えたのはレイの方であった。

「なんでもない。気にするな」

 レイはゆっくりと上半身を起こし、ベンチに腰掛ける。が、その顔はどこか青ざめていて、額にはしっかりと汗が滲んでいる。どうにも本調子ではないらしい。

「まだ寝てなきゃ駄目よ」

 心配しているらしく、上擦った声を上げるナクアだったが、レイはそっぽを向いてぼそりと語り出した。

「構うな」

 そんな彼に対し、ナクアは溜息をつくように肩を竦め、寂しいような、呆れたような表情を風間に向かって浮かべる。

 少し同情した気持ちになった風間が、彼女に愛想笑いを返そうとした、丁度その時だった。

「ああ! やっぱり風間さんだ!」

「歩君!?」

 驚いて風間が振り返ると、丁度、パン屋の歩が向かってくる所だった。

「そっか、君もきてたのか」

 よく考えれば何も不思議な事では無い。

 彼だって信者なのだから、式典に参加しているに決まっている。

「あら? 知り合い?」

 二人のやりとりを見て、不思議に思ったらしい。ナクアは首を傾げて風間に問いかけた。

「ええ。今朝彼の家で朝食を頂きまして」

「そうだったの」

 ナクアは笑っていた。が、どうしてだろうか、風間にはその表情の中に、いつもとは違う、何か哀れみを含んだ物のように感じられた。

 だが、そのことについて考えるよりも先に、風間は歩に確認したいことがあった。

「歩君も、やっぱりワクチンを?」

「ええ。打ちましたよ」

 まるで憑き物を落とした、穢れの無い笑顔を少年は風間に向ける。

 しかし、対する風間は何か悪い予感を感じずにはいられない。

「家の人達も……みんな?」

「ええ。勿論ですよ」

 おずおずと問いかける風間に、少年は首を縦に振る。

「心配しないで下さいよ。僕も、店長さん達も教会の人達の言う事はちゃんと聞きますよ。だって風間さん達みたいに優しい人達ばかりですもん」

「あ、あはは……」

 風間は後頭部を掻いて、気まずい笑みを浮かべる。自分が少年とその家族に教会の人間だと嘘をついたことを二人は知らないのだ。

「……風間」

 突然の重々しい声に、風間と少年が視線を移す。口を開いていたのは、先程からずっと黙りこくっていたレイだった。

 風間の背筋が、びくりと強張る。無論、少年はその様子を困惑した表情で見つめているのだが。

「嘘をついたのか?」

 レイの睨みつけるような視線が、風間を射貫いた。

「嘘?」

 少年も同じく風間に視線を投げかける。

 そんな二つの、自身を捉える視線達に、風間はどうして良いか分からず、あちこち視線を泳がせ、最終的に足下を見る。正直、逃げ出したい気持ちで一杯だった。

「何故嘘をついた?」

「それは……」

 乾いた唇をなんとか震わせ、しどろもどろに言葉を紡ぐが、長くは続かなかった。

「れ、レイ……」

 成り行きを見守っていたナクアが、これ以上はいけないと思ったらしい。彼女はレイの肩に手を掛けたのだが、レイはそれを乱暴に振り払って、おもむろに立ち上がる。そして風間の元へと歩み寄り、項垂れ続ける彼を、冷徹な表情で見下し、こう言った。


「――何故、NEXLだとはっきり言わなかった?」


 最早、風間は何も言わなかった。

 言っても言い訳にしかならない。レイに対しても、そして少年に対しても。

 しかし、何故この場で言うのだ。何も言わなければ、少年だって何も知らずに済んだじゃ無いか。どうしてこの男はそれが分からないのだ。風間は心の中で何度も何度も呟いたが、そんな物に意味などありはしなかった。

「そんな……嘘ですよね? 風間さん? 何かの冗談ですよね……?」

 少年は戸惑いながらも、不格好な笑いを浮かべるのだが、風間がそれに応える事は出来なかった。いや、やろうと思えば出来ただろう。だがそこには何の意味も無い。

 レイに軽蔑されるか、少年に軽蔑されるかの違いだけだ。もっとも、風間はそのどちらかを選べないからこそ、この状況に陥っているのだが。

「ここであった事……誰にも言いませんから……。それじゃ……僕はこれで」

 やがて沈黙を破るように、少年はそう言って、一礼した後、踵を返していった。

 後に残ったのは項垂れ続ける風間と、黒いコートのポケットに手を突っ込んで、それを見下すレイ。そして、その二人を心配そうにただ見つめる事しか出来ないナクア。

「どうして……バラしたんですか?」

 相変わらず項垂れたまま、震える声で、風間はようやく言葉を絞り出した。しかし、レイにとってその言葉は不快だったらしい。

「あ?」

 低く、明らかに不機嫌な声でレイは言った。

 これ以上何か言えば、彼の激情は止められないかも知れない。そんな事は十分、分かっていたはずだったのだが、風間は勢いよく顔を上げ、そのままレイを睨みつけた。

「黙っていたら、彼は傷つかなくて済んだのに!!」

「貴様……」

 次の瞬間、風間のみぞおちに鈍い衝撃が襲う。レイが蹴り飛ばしたのだ。

「何で蹴るんですか!? ホントの事でしょう!? 全部あんたが悪いんだ!! 人の気も知らないで!! そうやって良く偉そうに上から物が言えますね!」

 みぞおちを両手で押さえながらも、風間は一気に捲し立てた。急に話した所為で何度か咳き込んだ。それでも、その視線はレイを真っ直ぐに見据えたままだった。

「何を、ほざいているんだ」

 レイはポケットから右手を出し、その手を振りかざそうとする。

「レイ! もう良いでしょう!!」

 ナクアの呼びかけに、ふと冷静さを取り戻したらしいレイは、振り上げた右腕をゆっくりと下ろした。

 そして、風間と睨み合った状態のまま、ゆっくりと語り始める。

「俺は嘘を付く奴が嫌いだ。”自分自身に嘘を付く奴”がな」

 吐き捨てるように、レイは捲し立て、それから風間を見た。それは軽蔑の眼差しだった。

「俺が……自分に嘘をついてるですって? 馬鹿にしないで下さいよ!!」

 激昂した風間はレイに食ってかかる。が、レイは極めて冷静に、そんな風間をキッと睨み続けたまま、言葉を続けた。

「するさ。お前は自分に嘘を付いている。教会を疎むべきNEXLの癖に、いざ彼らを目の前にすると、はっきりしない。あまつさえ彼らの厚意にあやかろうとする。自分を偽って」

「だからそれは……!」

「それだけじゃない。アイザックの事が信じられないと、今回の作戦が怪しいとさえ考えている筈なのに、易々と従っている」

「なっ……!」

「いいや。そこじゃないな。お前が自分自身についている最大の嘘は……、

 『ヒーローになりたいと言っている癖に、心の中ではヒーローを求めている』事だ」

 レイのその言葉に、風間は鈍器で殴られたかのような気分だった。

「俺から見たところ、お前は、ヒーローになる努力なんざ、これっぽっちもしていない。口先ではなんとでも言えるさ。でも、違う。お前はお前自身をヒーローにしてくれる、ヒーローを求めているだけだ。俺から言わせれば、お前は、『ヒーローになりたいだけの、餓鬼』だ」

 風間は下唇を噛んだ。

 何もかもレイの言うとおりだったが、このまま何か言い返さなくては、自分はそこまでの人間でしか無い。だが、今の風間に、言い返す言葉など、何も無かった。

「行くぞ、ナクア」

「レイ……」

 風間を置いて去って行こうとするレイに、ナクアは僅かに狼狽えるが、彼を放っておく訳にもいかず、気まずそうに去って行く。


 結局、風間だけが取り残された。

「ちくしょう……」

 項垂れ、静かに呟いた一言は、誰の耳にも届かない。


             ***


 実際、調査など、もう何もすることが無かった。

 ふらふらと街をうろつく事ぐらいしか、風間の業務は残っていなかった。一応これでも調査をしていることに変わりは無い、と自分自身を納得させながら。

 やがて、商店街が見えてきた。

 昨日と違い、活気が満ちあふれている。これがセクターの本来の姿なのだろう。


 と、やがて昨日立ち寄ったパン屋が見えてくる。

 風間は気まずそうに顔を逸らしながら、そこを足早に通り過ぎることにした。

「あ……」

 通り過ぎて、少しした所で、正面に顔を向ける。するとそこには、空っぽの袋をぶら下げた歩が、こちらを気まずそうに見つめていた。どうやら配達の帰り道に遭遇してしまったらしい。

 と、歩は来た道を逆方向に駆け出す。

「ま、待って!」

 風間は走り出した。

 何故かは分からない。ただ、どうしてかは知らないが、そうしなくてはならないような気がしたのだ。

 やがて、なんとか距離を縮めた風間の手が、少年の肩を掴む。

「離して下さい!!」

「あ……」

 自分でも知らない内に、思わず力が入りすぎてしまったらしい。

「ごめん……」

 ばつの悪そうな顔を浮かべながら、ゆっくりと手を離す風間。

 辺りを見回してみれば、いつしか公園の池の前にやってきていた。

「その、昨日のことは……なんて言えば良いのか……」

「何も言わないで下さいよ」

 少年は風間を見ること無く、代わりに池を見つめながらそう答えた。

 重々しい沈黙。

 池では鴨が優雅に列をなして泳いでいる。風間は少年と同じように、それを見つめながら、何も言えずに突っ立っていた。

「僕達は」

 沈黙を終わらせたのは、少年だった。

 彼はゆっくりと、風間ではなく池を見つめたまま、静かに語り出した。

「僕達は、ここで、何不自由なく暮らしているんです。それが教会の支配だとしても、単なる信者獲得の政策だとしても、何の文句も無いんです」

 風間は何も言えなかった。

 少年の言う言葉には、自分の物には無い、重々しさがあったから。

「他に行く場所なんて無いんですよ。僕も、店長さん達も、街のみんなも。だから……NEXLにどうこう言われる筋合いなんて、これっぽちも無いんです」

「それは違う」

「何が違うんですか?」

 そこで少年は、ようやく風間の目をじっと見つめた。

 その眼力に、一瞬風間は圧倒されそうになったが、それでも負けじと気合いを入れて少年を見返す。

「俺は、君達が悪いなんて思ってないし、どうこうしようなんて気持ちも無い。確かにNEXLの人間の中には、そういう奴らが一杯居るかもしれないけど、少なくとも、俺は、違う。絶対に。約束する」

 少年は黙って、ただじっと風間を見つめていた。が、やがて何を思ったのか、ゆっくりと背を向けてしまった。

「風間さんは立派ですね。世の中がみんな風間さんみたいな人達だったら、僕達はこんな所に居やしませんよ」

 今度は風間が閉口する番だった。

「一つ良いですか?」

 背を向けたまま、少年はもう一度池を見つめてから、そう言った。

「あ、ああ……」

「なんで風間さんはNEXLに居るんです?」

 もう風間は何も言えなかった。

「NEXLなら、僕達を嫌って下さいよ。中途半端に同情しないで下さい。それじゃあ」

 ゆっくりと去って行く少年の背を見つめながら、風間は打ちひしがれていた。もう、自分の言葉は、レイにも、少年にも、届かない。何故なら彼らが求める答えは、浅い自分の考えよりも、もっと先にある物だったからだ。

「俺って……なんだ?」

 その問いに答える物は居ない。居るはずも無い。

「なんで……ここに居るんだ?」

 本当に分からなくなった。

「はは……分からなくて当たり前か」

 そう。当たり前だった。


 ――『風間樹』にとって、NEXLにいる理由など、特にない。


 教会と違い、信者以外をも救うと言うだけで、その本質は、”何の違いも無い”と言う事実に、気がついてしまったからだ。

 もっと言えば、教会でも良かったのだ。

 NKに乗って、ネフティスをやっつける。それだけが目的だったならば、どちらの組織に入ったとしても、何ら変わりは無い。

「今頃、気付いたのかよっ……!!」

 教会に盲信続けていた両親への反発。

 だが、裏を返せば、彼らも、なんら間違った事などしていないのだ。両親が支払う奉納金が、教会を、そしてここの人々の暮らしに役立っている。

 それだけで、十分、他人を救う人間――即ちヒーローになれる。

 たった、たったそれだけで良かったのだ。

 ベアトリス――芽衣の事に関しても同じだ。

 ただ彼女にとっては、それが運命だったと言うだけで、風間には、何の責務も、責められる理由も無い。ただ彼女の家はネフティスに亡き者とされ、自分はのうのうと生き永らえたという事実が残っただけだ。

「俺は……馬鹿だ」

「へぇ。そうなのか」

「えっ?」

 突然の声に、横を向く。

 するとそこには、白いコートを着た、金髪の男が立っていて、こちらをじっと見つめていた。その、黒いコートの男と対照的な、彼に、風間は見覚えがあった。

「カイ……さん?」

「なんだ。覚えててくれたのか」

 口元に爽やかな微笑を浮かべ、カイは風間を優しく見つめている。

「ど、どうしてここに……?」

「いやぁ、何。暇だった物でついね。レイの連れてきた新人の顔でも拝んでやろうかと」

「え……? レイさんを知っているんですか?」

「やだなあ。知ってるも何も、親友さ。ああ、あいつには黙っててくれよ。『殺すぞ』なんて言われちゃうから」

 レイの口癖を知っていると言う事は、親友かどうかはさておき、知り合いであることは事実なのだろう。

「ここで立ち話も難だ。僕の滞在先に行こう」


             ***


 カイに連れられ、風間がカフェテラスへやってきた時には、既に正午を過ぎた頃合いだった。

「随分とレイに疎まれているらしいね」

「いえ……俺が悪いんですよ」

 ティーカップの水面を眺めながら、俯く風間に対し、カイは微笑を称えている。

「どうして?」

「曖昧な動機で戦っていたからです」

「なるほどね」

「あの……カイさんはどうしてマスティマライダーに?」

 風間はおずおずと尋ねる。差し出がましいことかもしれないが、彼のような人間の話は、きっと参考になると考えたからだ。

「あんまり話したくは無いんだけれど、彼の見込んだ君だからね。いいよ。話そう」

 カイは頬杖をついたまま、「ふう」と溜息をついて、それから語り出した。

「ここだけの話、僕はセクターの出身だ」

「え……?」

 風間は動揺を隠せなかった。

「そう驚くなよ。これでも傷つく」

「すいません」

 非礼を詫びる風間だったが、とは言えカイ自身の顔からは、全く傷ついた様子は見受けられない。むしろ、微笑さえ崩れてはいない。

「とにかく……。幼い頃両親を失い、セクターの孤児院に居た僕達は、ある日教会に連れて行かれたんだ。そりゃあ最初はびっくりしたよ。あんまり突然だったからな。まあ驚くのは更にその後だった」

 一気に話して疲れたのか、カイは紅茶で喉を潤して、調子を整える。

「地下室に連れてこられた僕達は、閉じ込められた」

「閉じ込められた?」

「そのまんまの意味だよ。食料はおろか、水さえ与えられず、ずっとそこに監禁されたんだ。誰か一人が、生き残るまで。――正し、一つだけ例外があった。部屋に来るとき、司祭の一人が置いていった、一つの拳銃だ」

「どうして……」

 いよいよ物騒な話になってきたので、風間は思わず、ぴんとさせていた背筋を、更にぴんとさせた。

「それがマスティマライダーを決める条件だったからだよ」

「え、まさか……」

「そうだ。僕は、みんなを、『殺した』」

 カイは、乾いた笑みを浮かべていた。

「軽蔑しても構わないよ」

「出来ませんよ、そんな事……」

 そう。誰も彼を責めることなんて、出来る訳がない。してはならない。

 と同時に、風間の脳裏に、怒りが込み上げてきた。無論、教会に対して。

「でも、だったらどうして、カイさんは教会のマスティマライダーなんかに……。悪いのは全部教会じゃないですか!」

 だが、驚くべき事に、カイは首を横に振る。

「いいや。悪いのは僕だ」

「そんな……」

「それに、他に道は無かった。僕には殺した彼らの分まで生きる義務があるし、同時に自分を犠牲にしてでも救わねばならない人々が居る。これだけで十分じゃ無いか?」

「あ……」

 カイの言葉に、風間は、はっとした。

 そうなのだ。たったそれだけの理由で、人は戦う事が出来る。だが、風間は彼ではない。彼にとって、カイの生き方は、到底真似出来る物ではなかった。

「さってと。僕についてだけ言うのはなんだかフェアじゃないよなあ? ついでだからレイについても教えてやるよ」

 と、一呼吸置いてから、カイはそんな事を言い出すので、風間は驚いてしまう。

「え……。知ってるんですか?」

「当たり前じゃ無いか。まあ、あいつの過去も相当なもんなんだぜ? マスティマライダーになるまでさ」

「え!? レイさんが……マスティマライダー?」

 違和感なら、ずっとあったのだ。

「あれ? なんだあいつ言って無かったのかよ……。

 ああ、レイは、マスティマライダー。太陽を司るノヴァと対を為す、マスティマライダー、『ネビュラ』、だ」

 ネビュラ。『星雲』と名付けられた、マスティマライダー。

 間違い無い。それこそ、正しく、風間が目撃し、何度となく命を助けられた、あの漆黒の騎士であり、神の名。

「ネビュラ……」

 マスティマライダー、ネビュラ。


             ***


「あいつ、妹が居るんだよ」

 二杯目の紅茶に角砂糖を入れ、ティースプーンでかき混ぜながら、爽やかな微笑を浮かべたカイが言う。

「そう、なんですか……」

「昔から体が弱かったらしくてさ。仕事が忙しい両親に代わって、良く看病していたらしい」

「なんか意外ですね」

 今のレイの姿から想像も付かない。風間は思わず吹き出しそうになった。

 もっとも、カイは既に声を上げて笑っていた。

「はは。まあ確かに意外だよな」

 それは、屈託のない、純粋な少年が浮かべる笑みに、よく似ていた。

「ある日、あいつの家にネフティスがやってきたらしい。両親は死亡。残ったレイは妹を抱えて家中を逃げ惑った」

 それまで笑顔だったカイが、急に真面目な顔でそんな事を言い出すので、風間はどきりとしてしまった。

「でも、駄目だった」

「えっ?」

「妹はネフティスにもぎ取られ、慰み物にされ、レイはその姿を見せつけられた。流石のレイも一〇歳ちょっとだ。耐えられるわけがない」

 風間の脳内に、おぞましい光景が浮かぶ。けれども、風間が創造できる光景以上の物が、そこにあったには違いない。


「レイは絶叫した。もう動かなくなった妹の体を見て、泣き叫んだ。

――そして、それは、やってきた。

マスティマライダー、ネビュラが、やってきた」

「ネビュラ……」

「レイはあっという間にその場に居たネフティスを、殺して、殺して、殺し尽くした。そうして、なんとか妹を助け出したが……」

「どう、なったんです……?」

 恐る恐る、震える声で聞く風間に、カイは悲しげな瞳を向けて、こう言った。

「いや、もう殆ど虫の息だったらしい。内蔵も殆ど食い散らかされていて、ピクピクと、僅かに痙攣する程度だったんだとさ。まあ、幸か不幸か、丁度そこに教会の奴らが到着した」

「教会が?」

 レイはNEXLの人間ではないのか? 風間はそれが意外だった。

「ああ。レイは必死に頼んだ。妹を助けてくれと、必死に頼んだ。そして、教会は条件を出した」

「条件……?」

「妹を助ける代わりに、マスティマライダーネビュラとして教会に服従を誓えってな」

 風間は絶句した。

 レイは、戦う事を強制されていたのだ。

「そんな……事って……。酷すぎますよ……そんな……じゃあ、レイさんは、それから、ずっと……」

 ずっと、戦い続けていたのだ。

 それに比べて、自分は一体何なのだ。彼には、自分を責める理由が、十分ある。


             ***


 夕暮れ時になってから宿へ戻ってくると、ロビーで煙草を吹かしていた、不機嫌そうなレイが出迎えた。

「何をしていた?」

「レイさん……」

「早く部屋に戻れ。明日は早いぞ」

 そう言ってから、再び煙草を吹かす作業に戻ろうとするレイを、風間は引き留めた。

「あの……」

「なんだ?」

「マスティマライダー、だったんですね」

 風間の言葉に、レイは溜息をつくように、煙草の煙を吹き出してから、こう言った。

「……カイか」

 なるほど。疑っていた訳では無いが、やはりカイの言葉は真実だったのだ、と風間は納得した。

「はい」

 そこで風間は、ようやくレイに対し、微笑みかける。

 それは尊敬と、情念を浮かべた、親だかな物だった。

「ずっと俺を……助けてくれてたんですね……」

「勘違いするな。アイザックに頼まれただけだ」

 レイは照れ隠しなのか、どうなのか、顔を背けてぶっきらぼうに答える。

「だとしても、すいませんでした。本当に、なんて言えば良いのか、俺……」

「忘れろ。その方が身の為だ」

「それでも、お礼を言わせて下さい」

 風間の言葉に、吸っている最中であった煙草を揉み消して、レイは立ち上がり、

「勝手にしろ」

 と吐き捨てて、そのまま部屋へと戻って行ってしまった。


             ***


 レイが部屋へ戻ると、白髪の女の妖美な笑い声が、その空間を満たしていた。

「お礼言われちゃったのね」

 可愛らしく首を軽く傾げたまま、口元を歪める女に、レイは舌打ちで答えた。

「ちっ。聞いていたのか。悪趣味な奴だな」

「良いじゃない。素直じゃないんだから」

 ナクアはいつまで経っても素直になれぬ、十年来の相棒に向かって、小さく溜息をついた。

「俺は礼を言われることなど、何一つしていない」

「あっそ」

 ささやかな沈黙。

 だが、そんな沈黙の時間が、今のナクアには、少しだけ嬉しかった。

「それより……もうすぐね」

 とは言え、沈黙を打ち破ったのも彼女なのだが。

「そうだな」

「フフフ。怖い?」

「馬鹿にしているのか?」

「いいえ?」

 妖美な笑みを浮かべたナクアに、レイは「ふん」と鼻を鳴らす。


 そして、その時はやってきた。


             ***


 どたどたと、隣の部屋が騒がしいと思った風間が部屋の外に出ると、丁度レイとナクアが部屋から駆けだしている所だった。

「レイさん!? どこ行くんです!?」

「お前はそこに居ろ。付いてくるな」

 珍しい事に、レイもナクアも、その表情に緊張が走っている。

「でも!」

「良いから言う事を聞け!!」


 そう言われたからには、そうするしかなく、風間はそれからずっと宿のロビーで二人の帰りを待ち続けていた。

 レイ達が宿を出て、どの位後だっただろうか。一人の中年の男が、憔悴しきった表情で宿の中へと駆け込んできた。

 それから、宿の従業員達が男をロビーで介抱している中、急に彼はこう叫んだ。

「助けてくれ! ネフティスだ! ネフティスが来たんだ!!」

「ね、ネフティス……!?」

 居ても立っても立っても居られなくなった風間は、夜の街へと、ストレージを起動して飛び込んでいった。


 風間は、目を疑った。何故ならそこには、地獄のような光景が広がっていたからだ。

「どうして! どうしてお前達は! ふざけるな!」

 風間は叫びながら、ライフルを何度も何度も、そのおびただしい獣の群れへと打ち続けていた。

 それでも一向に数は減らない。

 骸骨のような獣が、「ギャアギャア」と喚き散らす。右も左も。正面にも、後方にも。何百体にも思える程のスレイヴ達が街を覆い尽くしてるのだ。

 風間は、両足のホイールを最高速で稼働させながら、ひたすら前進し続ける。

 マスティマライダーである、レイは、きっとこの退治に出かけたのだろう。確かにこの数を、NKで相手取るのは無茶な注文だ。

「いい加減にしろよ!!」

 前方に躍り出たスレイヴに向かって、ライフルを撃ち込む。が、それでも敵が倒れることは無かったので、拳を構え、両肩のホイールタイフェーンを高速回転させ、慣性の力ではじき飛ばしながら前進する。

 程なくして、敵が居ない場所までやってきた。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 かつてない連戦によって、すっかり消耗していた風間は、肩で息をしながら調子を取り戻しつつ、各部の異常が無いか、モニターをチェックする。大丈夫だ、思った程、異常は無い。

 しかし、同時に焦りが沸き起こる。

 ――一刻も早く、あの家の人々を救出しなければ。

 焦る風間が、両足のホイールを回転させようとした時だった。

「おい、そこのNK。何をしている?」

 風間の進路上に、三体のストレージが躍り出た。ただのストレージではない。精鋭部隊仕様の、ロイヤル・ストレージだ。

 肩部分に描かれた、羽根を生やした馬、ペガサスを模した紋章から、彼らが教会の所属であることを風間は見抜く。

「見て分からないのかよ!? ネフティスを退治しているんだろ!!」

「教会のデータベースに未登録の機体がか? 笑わせるな」

 隊長らしき水色のカラーリングが施されたロイヤル・ストレージの男の言う事はごもっともであったが、焦る風間にとって、それは不快な物でしかない。

「なんでだよ!! 今は街の人達を救う事が先だろ!?」

「――お前、本気で言っているのか? ははっ、こりゃ傑作だな!」

 くぐもった三人の笑い声が通信機越しに聞こえてくる。風間の不快感が、怒りへと変わるまで、そう時間はかからなかった。

「何が可笑しい!?」

「じゃあ親切丁寧に教えてやるよっ! そもそもセクターって言うのは――」

 と、男が言いかけた時だった。

 風間と男達の前に、一体のNKが颯爽と現れた。

「待ちなさい、長谷川」

 そのNKのライダーが放つ、澄んだ、少女の声に、風間は勿論聞き覚えがあった。

「シオン様!?」

「下がりなさい」

 驚いた声を上げる男に対し、シオンはぴしゃりと説き伏せる。

「し、しかし……」

「下がれっていってんの!!」

「……行くぞ、お前達」

 尚も食い下がろうとした男達だったが、自らの指導者たる彼女に、それ以上の発言は許されない。

 やがて先導する隊長機と共に、男達は次々に姿を消していった。


 後に残された、黄色い、女王蜂を模したNKに、風間は声を掛けた。

「やっぱり、君だったのか」

 風間の言葉に、シオンは親指を噛むようなポーズを取る。

 間違い無い。自分達は、先日も同じように、こうして対峙していたのだ。

「ふふっ。驚いた?」

「いいや。驚かない」

「うそうそ。動揺してる」

 相変わらずシオンは、両手を振りながら、緊張感を感じさせない声をあげた。

「そこをどいてくれ」

「なんで?」

 わざとらしい彼女の問いかけに、風間は僅かばかりの苛立ちを感じた。

「どうしても、助けたい人達が居る」

「ふふっ、あはは!!」

 シオンは腹を抱えて笑い出した。が、風間には一体何が可笑しいのか全く理解出来なかった。

「ヒーローの癖に、助ける人を選ぶんだ? それってNEXLのやることじゃないでしょ? 教会のやることよ」

「俺はもう、ヒーローでもなんでもない。それに教会でも、NEXLの信者でも無い。俺は俺だ。そして助けたい人達が居る。それだけだ」

 確かにシオンの言う事は、正しいかもしれない。だが、風間にとって、最早そんな理屈など、どうでも良い事のように思えた。

「……行ったら、絶対あんたは絶望するわよ? それでも行くの?」

「絶対に、助ける」

「いいえ」

 風間の言葉に、シオンは首を横に振る。

「絶対に、無理」

「分からない」

 それでも尚、頑なな態度をとり続ける風間に、シオンは溜息をついた。

「はぁ。じゃあ私を倒してからにしなさい」

「どうして!?」

「その決意が本物かどうかの確認よ」

 シオンのNK――『アリーヤ』の両足のホイールが高速回転を開始したのが、風間にも見て取れた。どうやら本気らしい。

「私を殺してみなさいよ!!」

 針のような長剣を突き立て、シオンが真っ直ぐに突撃してくる。が、風間は素早く左側へと跳んだ。そして、ライフルの銃口を、シオンの踵へと向け、

「そんなこと、絶対にしない」

 高速回転を続けるホイールへ、銃弾を放つ。

「なっ――!?」

 バランスを崩し、へたり込むシオン。ホイールが破損してしまった以上、最早風間を追跡することは出来ない。

「言っただろ。人は撃てないって」

「ふふっ、あんた最高ね。三二点。もうちょっとで合格点よ」

 高速回転するホイールに銃弾を命中させるなど、凡庸なネフィリムライダーには思いつかないだろうし、それを実行させ、挙げ句成功させるなど並大抵の事ではない。それを風間はやっってのけだのだ。

「ありがとう」

 風間は商店街へ向け、両足のホイールを、両肩のホイールタイフェーンを全開に、走り去っていった。


             ***


 電灯一つ付いていない、不気味な商店街の中、ようやく『ベルガモット』を見つけ出した風間は、その内部の惨状に絶句していた。

「はぁっ、はぁっ!」

 砕け散った窓ガラスが、床を埋め尽くしていた。ふと、風間が足を動かせば、同じように落下していたパンを踏みつぶしてしまう。装甲していなければ、怪我をしていたかもしれない。

 と、居間の方で物音がした。

「歩君!?」

 慌てて居間に駆け込んだ風間の目に飛び込んできたのは、無論、一昨日前に垣間見た、あの光景であろう筈がなかった。

 ――スレイヴ、ネフティス。

 だらり、と涎を垂れ流しつつ、冷蔵庫にあったらしい、肉を貪る姿は、ネズミの類にも思えた。

 と、風間がその様子を観察していることに気付いたらしい、スレイヴは、肉を放り投げたかと思うと、こちらへ向い、飛びかかってきた。

「なんで……もうネフティスが!? くそっ!!」

 風間はライフルで牽制しつつ、両足のホイールを逆回転させてのバック走行。再び店舗部分へと戻ってきた彼は、

「どこだ!? 歩君! ひよりちゃん! 店長さん! 奥さん!」

 と、外部スピーカーを起動させ、大きく叫んだ。

「あ……」

 しかし、それは全くの誤算でしかなかった。

「嘘だ……」

 レーダーに映る赤い点が、一斉にこちらへと向かっている。先程の風間の叫び声を察知したのだ。

「嘘だ……嘘だ……」

 点の数は、合計四つ。

「嘘だあああああああ!!」

 ようやく、風間は、悟った。

 シオンの言葉の意味、ここの家族の行方、セクターが一体どういう場所なのか。

「やめてくれ! もう辞めてくれ! こんな、もう、やめてくれ……」

 いつしか風間の周囲を、三体のスレイヴが囲んでいた。


             ***


 迫り来る三体のスレイヴの素早い挙動に合わせ、右左、上下と回避を繰り返しながらの射撃。

「嫌だ! 頼む! 正気に戻ってくれよ!! どうして!? なんで!?」

 しかし、人の言葉さえ介さぬ状態となった家族達に、風間の声は届かない。答えの代わりとばかりに叫ぶ咆吼と、繰り出される爪が、銃弾と共に火花を散らす。

「あの、ワクチン……まさか……」

 文字通り四面楚歌の最中、風間は前日の式典を思い出す。最後に街の住人達が摂取していた、あの注射。もしかして、あの中身は、寄生前のネフティスが……。

 そこで吐き気と、悪感を催したのが、不味かった。スレイヴの爪が、回避できぬ状態まで迫っていたのだ。

「――ッ!?」

 迫り来るだろう衝撃に、風間身構える。

 が、スレイヴは突如、横から浴びせられた無数の銃弾によって、はじき飛ばされる。

「え……NK……? レイ、さん……?」

 スレイヴに代わり、風間の目の前には、一体の、黒いストレージが出現していた。確かこのストレージはレイに与えられた物ではなかったか?

「無人で……動いてる?」

 だが、その動きは明らかに人間のそれとは違う。正確かつ、機械的な画一的な動作から、風間はそう読み取った。

 そうこうしている間にも、黒いストレージは、家族の一人と思わしきスレイヴを無慈悲に追い詰めていく。

「止めてくれ!」

 風間はストレージを止めようと、右足を踏み出そうとした。

「な、なんで!? 何で動かないんだよ!おい!!」

 が、どういうわけか体が全く動かない。右足はおろか、指先に至るまで、全て。モニターを見ると、青一色だったそれが、赤一色に変貌してしまっていた。

 その反応に、風間は見覚えがある。マスティマライダーとの接触時に巻き起こる現象。これは、レイの仕業なのだ。

「止めろ! 止め……」

 風間はもう、叫ぶことしか出来ない。

 黒いストレージは、先程のスレイヴを、とうとう部屋の隅まで追いやってしまった。

「あ、あ……」

 その頭部へと、黒いストレージの銃口がぴたりと向けられた。それまでにも大量の銃撃を受け、すっかり弱っていたスレイヴは、もう何の抵抗もしなかった。

 ――乾いた銃声が、風間の耳にこだました。

 一体目を排除したストレージは、即座に二体目、三体目と屠殺を続けていく。

 もう見ていられない。モニターからしばらく目を逸らしていた風間だったが、突如として発せられた警告音に、耳を傾けた。

 一際異彩を放つ、狼のような風貌の、人型の怪物が現れたのだ。

 ――間違い無い。マザーだ。

 突如出現したマザーは、丁度三体目の仕上げに取りかかっていたストレージの首を、グッと握りしめ、自身の後方へと投げ捨てる。

 が、ストレージはそれでも尚、即座に立ち上がった。無論、それをマザーが見逃すはずがない。ストレージの懐へと飛び込んだマザーは、その腹部に向かって、何度も何度も拳を叩きつける。

 それは同胞を殺された怒りなのか? いや、違う。家族を殺された、怒りだ。

 ストレージの装甲がボロボロに破壊され、がらんどうの内部が開かれる。いよいよ機能停止寸前と思われた、次の瞬間、ストレージの持つライフルの銃口が、最後のスレイヴ目掛けて、発砲された。

 三体のスレイヴ・・・・・・いや、家族達が命を散らした後、最後に残った、人狼型のマザーは、ゆっくりと風間の眼前にやってきた。

 マザーと、風間の視線が、モニター越しに交わされる。


 ――どうして、みんな僕達をそっとしてくれないの?

 ――僕達は、僕は、ただ……。


「この、声……」

 声が聞こえた。それは紛れもなく、あの少年、歩の声だった。


 ――NEXLが、来たからだ!! あなたが来て、こうなったんだ!!


 遙かに人間を超えた人狼の握力が、風間の体を片手で持ち上げる。

「止めろ!! 歩君!! 俺は君を殺しに来たわけじゃ無い!!」


 ――なんで、僕は、僕はただ……。

 ――僕はただ、ずっと、みんなとここで過ごしていたかっただけなのに!


 死ぬ。死んでしまう。だが、それ以上に悲しかった。ヒーローとしても、人間としても、誰一人救えなかったと言う事実が。

「――我は星雲。暗黒に浮かぶ、不確かな光」

 声が、聞こえた。

「マスティマライダー・ネビュラ」

それは、神の声にも等しい。

「レイ、さん……」

 ネビュラは、風間を掴むマザーの右腕を、斬撃で切り伏せる。ストレージの顔が、青い血液で染め上がった。

 叫ぶマザー。だが、レイは止めをささんとばかりに、その白銀の長剣を、大きく振り上げた。

「レイさん止めて!」

 しかし、風間の体は動かない。

「止めてくれ!!」

 風間の叫びと、怪物の叫びが、静かな空間で不協和音となって響く。

「その子は――っ!」

 頭部から、下半身まで、真っ直ぐに切り下ろされたマザー。その切れ口は、不気味なまでに美しかった。

「歩君……ごめん……」

 風間の足下に、水晶玉のような物体が、転がってきた。歩の、ネフティスコア。彼が最後に残した、命の輝きの結晶。

 体の拘束を解かれた風間は、それを握りしめる。こんな物の為に、こんな、ちっぽけな物の為に。


             ***


 明かり一つ、音一つ無くなった街を、装甲を解除し、バイクを押す風間と、レイと、その傍らのナクアは、不格好に並んで歩いていた。

 風間は不意に立ち止まる。その様子を不思議に思ったレイとナクアが、振り返る。

「どうして殺したんですか? ・・・・・・この子は人間だったんですよ!?」

 先程からずっと握りしめていたネフティスコアを見ながら、風間は泣き叫んでいた。

 それは、後悔か、懺悔か。どちらにせよ、レイには感傷に浸りたいだけの、哀れな人間にしか見えない。

「――では、お前が今まで殺してきたネフティスも・・・・・・元は人間だったんじゃないか?」

 風間は言葉を失った。

 自分は今まで、ずっとネフティスを刈り続けてきた。その数は、別段他人より多くないとはしても、確かに、自分は、殺し続けてきた。

「お前、以前俺に言ったな?『悪い怪物が来たら、天使が助けてくれる』。悪い怪物とはなんだ?ネフティスか? だったら俺はネフティスを倒したぞ?」

 そうだった。

 悪い怪物と言っていたのだ。自分は。・・・・・・ネフティスを、いや、人間を。

「それからこうも言っていたな? 『ヒーローはどんな人間さえも助けなければならない』……お前が言う人間とは、なんだ? お前は自分が人間だと思う全ての存在を助けられるのか?」

「――っ!」

 無理だ。

 無理になってしまった。今や風間にとって、全てのネフティスは、人間だ。そしてそれを助ける手段は、無い。そうとしか、言いようが無い。

「――お前は矛盾している。その矛盾は、やがてお前自身を滅ぼす」




 ――一つの決意が生まれた。同時に、一つの矛盾が生まれた。

 ――そこには正しき理など、最早存在しなかった。

 ――既に戦いはNEXLも、教会も関係などなく、ただ私は、全ての黒幕が誰なのか、解り始めていた。

                        アイザック・ヴァレンタインの手記より


             ***


 ストレージを失ったレイとは別行動で帰ってきた風間を、アキラとベアトリスは、何時もの調子で迎えた。

「疲れただろう。ゆっくり休むといい」

 新宿を一望できる窓をバックに、ニヤリと口元を歪め、アキラは風間の前に歩み寄る。そして、風間が両手に抱えた、あのネフィリムコアへと手を伸ばした。

「おいおい。時に何の冗談なんだい樹君? 早くそのコアを渡したまえよ」

 が、風間はそれを拒んだ。

 アキラは少し驚いた表情をして、同じく困惑するベアトリスへと視線を合わせる。

「嫌だと言ったら? どうします?」

 風間のその表情は、今まで以上に、真剣そのものだった。

 これはどうあっても聞き入れないだろう。アキラは肩を竦める。

「どうしようかな?」

「はぐらかさないで下さいよ。思えばもっと早く気付くべきでした。アナタが怪しいって」

「おいおい。私がいつどの位、挙動不審な行動をしたと言うんだい? そもそも今回、私は」

「アイザック」

 尚もはぐらかそうとしたアイザックを、ベアトリスが咎める。アイザックは苦虫を噛み潰したような表情をしてから、一度咳払いをした。

「どうやら、もう潮時らしい。分かったよ。

 ――そうだ。私は次期霊帝、カーディナル・アキラだ」

 遂に本性を現した、アイザック・ヴァレンタイン――カーディナル・アキラを、風間は静かな怒りの形相で見つめる。

「全部分かっていてやった事なんですね」

「おいおい。ちょっと待ってくれよ、樹君。確かに私は教会の人間だけど、NEXLの事をそんな邪険にしているつもりはないんだよ」

「じゃあ、どうして最初から教えてくれなかったんです? やましいところがあったからじゃないんですか?」

 核心を突く風間の一言に、アキラは、ばつの悪そうな顔を浮かべた。

「……そうだね。悪かったよ。最初から言うべきだった。確かに謝ろう。でも教会を潰すつもりなのは、本当なんだ。信じて欲しい」

「……わかりました。でもこのコアは渡しません」

 まだ抗議したい事は沢山あったし、わだかまりが残ったままだったが、これ以上の議論は無粋だろう。

「技術班に頼んでNKに搭載させる。精鋭部隊仕様のロイヤルストレージを君に渡そう。これでどうたい?」

 正直に言えば、それも嫌な提案だった。が、勝手に彼らの玩具にされるよりは幾分マシだろう。

 それに、戒めの意味を含めて、自分のNKに搭載されるなら、それがいい。

「・・・・・・分かりました」


 風間が去った後、アキラは、ベアトリスに向かって、ふと呟く。

「そろそろ頃合いだね」

「ええ」


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