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Chapter1「神の存在証明」

  プロローグ


 最近、朝が辛い。

 この間は、早めに就寝した筈なのに、と言っても零時頃だが……それでも、二四時間近くも寝てしまった。

 おかしい。

 家族の皆がそうだった。

 目覚める頃合いには、病院はおろか、学校すら終わってしまっているので、必然的に相談する相手も限られてしまう。


 こんな状況、狂っている。


 ある夜、私は外に出かけた。

 すると不可思議な事に、通行人の姿が見当たらなかった。

 まだ夜の八時だと言うのに、だ。

 代わりに、とは言っては難だが、奇妙な果物が、所狭しと並んでいる。

 良い臭いだった。

 途端、強烈な食欲の衝動が沸き上がる。

 抑えきれぬ私は、それを喰った。


 気がつけば、あっという間に果物はなくなっていた。

 しかし、まだ、食べ足りない。

 私は、果物を食った。沢山、喰らった。何度も、何度も喰らった。


「――我は、星雲」


 突然の声に、振り返る。

 そこには、騎士が居た。

「え……」

 白銀の長剣が、私の体を貫く。

 痛みが、全身を駆け巡り、私は大きく絶叫した。

 が、その時だった。

 貫かれた長剣の腹に、化け物の姿が映っていた。

 思わず、首を動かすと、長剣の化け物も、同じように首を動かした。

「あ、あ、あ……」

 ”ネフティス”。

 そう。私は、

 ――あの、”ネフティス”と呼ばれる化け物になってしまったのだ。


              ***


 ――夜の帳に現れし、邪悪な獣によって、人々は夜を失うだろう。奴らの恐れと畏怖によって。

――されど臆するにあらず。守護神が現れる。我らが守護神、『マスティマライダー』はその超越した力を持ってして、必ずや我らを救うだろう。

                              霊帝教会教典より一部抜粋


              ***


 静まりかえった夜の街。街灯の明かりだけがぼんやりとそれを照らし、周囲の古びた木造の家屋が立ち並んでいる。けれどもその建造物達はいずれも温もりを忘れたかのように明かりが消えていて、満月の光が照らすそれは、薄気味悪い物だった。

 その路地を、三台のバイクがヘッドライトを照らしながら、疾走する。


 ――咆哮。それは獣のように。


 人であった筈の肢体は異様に長く伸び、一目では動く骸骨かと思われるほど浮き出た骨。だらしなく舌を伸ばしたまま、唾液を垂れ流している。

 ……紛れもなく、感染者だ。

一台のバイクの車上、ライダースーツ姿の風間樹の手が震えた。

「スレイヴ発見。これより駆除を開始する」

 それに対抗する、青と白のコントラストが特徴的なバイクが風間の前方を走っている。

 角張った曲線。だが、スポーツカーや競技用バイクのようなそれではなく、戦車や戦闘機を思わせるかのようなデザイン。

 紛れもなく、戦うために作られた機械だった。

 風間が跨がっている、それも例外ではなく、カラーリングが赤と白であると言う以外は同じデザインの物だった。

「了解」

 風間の傍らに居る黄色いカラーリングの同僚は、前方に居る、青のカラーリングの人物の声に応答した。

 青のカラーリングは風間達の小隊長だ。彼の肩にある『NEXL』のマーキングが街灯を受けて照らされている。

「了解」

 慌てて反応した風間も同様に応答する。

 前方の獣が咆哮をあげる。風間は身構えた。

 本来メーターが取り付けられている場所にはモニターが取り付けられていて、敵の映像が映し出されている。敵の頭部にマーカーを合わせる。

「撃て!」

 隊長の呼びかけに応じ、三人は一斉にハンドルに取り付けられているスイッチを押す。それと同時に、バイクの側面に取り付けられていたライフル銃が射撃を開始した。

 飛び交う銃声、銃身から飛び出す薬莢。

「撃ち方止め!」

 だが敵は未だ健在。

 青い血液を垂れ流しているが、まだまだ動けるらしい。


 敵は素早く民家の屋根へと飛び乗る。

「装着だ」

 隊長からの指示に、風間達は素早く「了解」と答えた後、

「ストレージ、起動」

 とグリップに取り付けられた携帯端末『ALICE』を握りしめ、一気に取り外し、今度は左腕に巻かれたベルト上のくぼみに取り付ける。

 

 途端、バイクのモニター部分が目元までせり上がり、頭部を覆い隠していく。ヘルメットとモニターがリンクし、ヘルメットに直接モニター画面が映し出され、そのモニターには人型のロボットらしき全体像が浮かび上がっていた。

 前輪が持ち上がり、ウィリー走行。

 風間の肉体がバイクのシートを背にするように回転する。無論モニターは顔にこびり付いたまま、左右に分割された前輪――『ホイールタイフェーン』が丁度肩ぐらいの位置で固定された。

 既に両腕にはバイクの一部分であった装甲が取り付けられていて、その間に同じく分割された後輪が、かかとで固定されると同時に、足の全体に腕と同じように装甲がセットされた。

 腹部には、バイクの胴体部分から羽のように持ち上げられた装甲が取り付けられる。

 この間、僅か十秒程。

 最後に側面に取り付けられていたライフルを構え、装着が完了した。

 西洋甲冑のように着込んだパワードスーツ、『ストレージ』は、その見た目にエレガントさ、優美さは魅せない。

 戦車、戦闘機、戦艦。戦うためだけに産み出された機械が持ち得る、機能美がそこにはあるだけだ。

「回り込め」

 かかとの車輪――『ホイール』が音を立てて、路上を疾走した。

「はい!」

 民家を囲むようにして、風間と同僚が散開。屋根に登り詰めた敵が丁度狙える位置を確保した。

「俺が先行する。お前達は援護しろ」

「了解」

「了解」

 青と白のコントラストが、上空を舞う。

 ネフティスと呼ばれる、寄生虫の如き活動を営む微生物。

 それに感染した人間――即ち獣と化した感染者を『屠殺』するべくして生み出された、戦闘機械。

 『ストレージ』。そう呼ばれる彼らが身につけたパワードスーツは、『ネフィリムナイト』と呼ばれる物の一機種を指している。中でもストレージは世界中で最も普及しているモデルの一つだ。

「人・・・・・・?」

 と、風間の目に、ちらりと黒い人影が映った、気がした。いや、気のせいだろう。この冥界のような空間に、好きこのんで立ち入る人間など居るはずがない。

「追い込んだぞ、撃て!」

 隊長の言葉に我に返った風間は、前方に居た敵へ向かって、ライフルの銃口を合わせ、発砲。三方向から浴びせられた銃撃によって、スレイヴは短い断末魔を上げた。

「次の目標に移る」

 再び合流した三人は、未だ消えぬレーダーの反応を見て、まだ周囲に敵が居ることを確認する。

 するとどうしたことか、風間の耳に、隊長のはっと息を飲む声が、通信越しに聞こえた。

「……マザー、だと・・・・・・?」

 隊長の言葉に、風間と、傍らの同僚に戦慄が走る。

 視界に投影されたモニターに、隊長機から送られてきた敵の情報が映しだされる。

 骸のような怪物の姿とは違い、緑一色に染まったその肉体。それはまるで、昆虫が二足歩行に進化したかのようにしなやかで、鋭利であった。

「退却準備だ!」

 落ち着いてこそいるが、平常のそれとは違い、その声に焦りが見え隠れする。

 ”マザー”、とは、歴戦の隊長である彼が、焦りを感じる程強大な存在なのだ。


 感染者の形態の一つ、マザー。

 それは姿一つ取っても、画一的に人体模型の様相を現すスレイヴとは異なり、多種多様。

 時に昆虫の様であり、毛の生えた獣であり、爬虫類の様でもある。言ってしまえば神話に登場する異形の怪物と言ったところだろうか。

 故に、マザーを相手にする事は至難の業。端的に言えば最新鋭のストレージでも、十機が集結して、漸く五分程度。対し、現在彼らは三機。絶望的であった。

 本来ならば一個小隊でマザーと遭遇すると言う事態は滅多に生じない。

 司令部が判断を見誤ったか、付近にいるマザーがそういったゲノマを所持しているかのどちらかと言う事だ。

 退却を指示した隊長に従い、後方へ後ずさりする、風間達。

 彼らが十分な距離を取ったことを確認した隊長も、それに続こうとする。

 その時だった。

 耳をつんざく金切り声が、ヘルメットのスピーカーから反響し、風間は顔をしかめた。


 視界を開けていることさえ、苦痛。

 されど、視界を失えばストレージへと送信される膨大な情報は、ほぼ用を成さない。だから、風間は出来る限り視界を維持することに務めた。


 金切り声は、止まない。

 それでも尚、無理やりにこじ開けた二つの瞼から入り込んだ視覚。

「あ――」

 そのマザーの、緑色の姿はバッタか何かを連想させる。それは、ストレージが解析した情報よりも、より生々しく、生物的な印象を持っていた。

 これが、”マザー”。風間樹が、最初に目撃したマザーの姿。

 青と白のコントラストに彩られた金属の塊を、握り、潰し、その強靭なる顎で貪っている。

 その奇怪な生命体は今、紛れもなく隊長機を”捕食”していた。

 各所に走る亀裂から、赤い鮮血が滲み、流れ落ちて行く。所属を示す『NEXL』のマーキングは、既に読み取ることが出来ない。

 と、その右手からライフルが零れ落ちる。

「う、うわぁああ!!」

 傍らの同僚が叫ぶと、彼の声で風間はようやく我に返った。

 ストレージのモニターが映しだす眼前の光景が現実感のスパイスを獲得し、これが紛れもない真実であると肉体が警鐘を鳴らす。

「く、来るなあ!!」

 完全に怯えきった同僚は、おぼつかない足取りでライフルを放つ。

 が、ただでさえマザーには余り効果があるとは言い難い弾丸を、その上照準さえままならない状態で発砲したとして、全くの無意味。

 いや、こちらの位置を相手に教えたと言う失策。むしろ状況を悪化させたに過ぎぬ。

 元来、夜は敵の領域。完全に優先権を奪われた以上、最悪の事態と言っても過言ではないだろう。


 ――甲高い、昆虫が放つかのような鋭い声を何倍にも鋭利にしたかのような音。


 それを発した敵は、隊長機だった金属の残骸を傍らに投げ捨てると、こちらを目標に定めたらしく、視線を投げかけてくる。

 そうかと思えば既に両足を蹴って空中へと飛び去った。

 その直後。

「あがっ――!!」

 同僚の声に、振り返る。

 首筋に食らいついた怪物の顎から、止めどなく流れる血液。そこに居たのは人間ではなく、既に”餌”と化した肉塊であった。

「くそっ!!」

 訳も分からず銃口を向け、発砲する。

 だが、冷静さを失った、場慣れせぬ新人の攻撃が怪物に通用するはずもなく、あっという間に残弾が無くなる。

 無論、敵は無傷。

 下手な鉄砲でも数を撃てば当たるかもしれぬが、それは弾丸があればの話だ。よって、弾丸を失った彼に、敵は向かってくる。

 金切り声は聞こえない。ストレージのコンピューターが有害と判断して除去処理をしているのだろう。聞こえてくるのは夜の風が発する音と、猫の鳴き声だけになっていた。

 されど、その程度でマザーの恐ろしさが消えたわけではない。

 風間は、震える手で腰部にマウントされているナイフを取って、構える。あくまで予備兵装に過ぎぬが、丸腰よりは幾分気分が和らぐ。

 不思議な事ではあったが、隊員二名の死を受け、既に彼の頭は恐ろしさを通り過ぎ、冷静さを取り戻しつつあった。

 危険を訴える肉体は震えている。反射運動だろう。しかし、彼の無意識はそれでも尚、足掻こうとしていた。

 「あ、あ、あああ!!」

 走る。一心不乱に。敵を目がけて。

 だが、敵の速度はそれ以上。

 風間は呆気無く首を掴まれてしまう。

 遥かに人間を凌駕した握力が首筋から肉体に響き、やがてそれは全身を駆け巡る。

 持ち上げられているのだ。

 モニターは赤一色に染まり、警鐘を鳴らし続けていた。既に風間の耳にはアラームしか聞こえない。

 振りほどこうと、何度ももがくが、それさえも無意味だった。

 敵は空いていたもう一方の腕でもがく風間を取り押さえ、口元へと寄せていく。

 ――おぞましい。

 なんとおぞましい、その口内からは、血で染まった牙のような歯を覗かせている。この二つの刃が、二人の命を奪ったのだろう。そして、これから自分もその仲間入りをするのだ。

 駆け巡る、過去の光景の中に、不思議と嫌な物は何一つ浮かばない。

 「め……め、い……」

 だが。

 だがその中にあって、彼は戦う意志を呼び覚ました。

 それだけの意味を持つ、少女の残滓が、彼を再び現実へと舞い戻らせた。

 「く、そっ!」

 迫り来る怪物の口元へ、ナイフを突き立てる。

 そして、最大級の金切り声が全身を通して響き渡った。

 「ぐわああっ!!」

 ストレージの除去処理を突破したその声は、スーツの各所にダメージを与えたらしい。既にストレージのスピーカーからは何も聞こえない。スピーカーか、外部マイクのどちらかがやられたのだろう。

 投げ捨てられる風間の肉体は、まだ肉塊にはなっていない。

 眼前にはナイフを吐き出した敵が、アラート表示を続けているモニターに映しだされている。

 機体のコンディションは、はっきり言って最悪だ。エネルギーの循環系統にまで深刻なダメージが及んでいる。

 「あがっ――」

 突如として、再びの金切り声。

 周囲にあった民家の窓ガラスが、次々に炸裂した。遅れて塀が、柱が力を失ったように、崩れ落ち、残骸と化す。

 幸い、近隣住民の避難活動は完了していた為に、命が奪われることは無かった。

 だが代わりに、帰る場所を、彼らは失った。

 金切り声が、勢いを増した。

 遂にはストレージのヘルメット部分を半壊させるまでに、それは及んでいたのだ。

 モニターが砕け、火花が散る。

 即座に目を閉じ、顔を背けたため、破片が眼球に突き刺さる事は免れた。が、ヘルメット部分にあったメインコンピュータが破損した以上、最早その身に纏う鎧は用を成さない。

 その怪物は再び金切り声を上げた。

 「うあああっ――!!」

 鼓膜に直撃する、その音波攻撃は風間の動きを奪うのに十分だった。

 いや、動きを奪い、その肉体を破壊するまで、強力だった。

 「ガッ――!!」

 最早自分の声さえ聞こえない。鼓膜がやられたのだろう。

 しかし、それでも尚、敵の放つ音波は、皮膚を、骨を通じて振動のうねりを感じさせていた。

 やがてそのうねりは彼の脳内を揺らし、意識さえ掻き乱していく。

 「駄目、なのか……?」

 薄れゆく意識。

 今にも瞼が閉じられようとした、その瞬間。

 彼は、確かにそれを見た。


 漆黒の西洋甲冑を着た、人形ヒトガタ

 されどその身に纏う甲冑は、骨董品の類のような物と違い、生物的なフォルムを持っている。

 車輪が見当たらない以上、ネフィリムナイトではない。

 一見すれば別種のマザーにも見えたが、奇怪な動きを見せる素振りはない。


 そして何よりも、その手に携えられた、肉体に似合わぬ、白銀の長剣。


 ――神か、悪魔か。


 それを論ずるに値する程の存在感を持って、漆黒の騎士はマザーの眼前に立ち塞がった。

 マザーの口が開き、咆哮を迸らせるが、騎士は何も感じていない様子で、ゆっくりと長剣を持つ両腕を振り上げ――。


 風間の意識は、そこで途切れた。




 ――一つと災厄と、二つの組織。

 ――あの頃の私にはその一方が正義に見えていた。何も知らずに、ただそれが全てだと信じていたのだ。

 ―― 忘れもしない、あの夜に、漆黒の騎士と出会うまでは。

                      アイザック・ヴァレンタインの手記より




   マスティマライダー・ネビュラ ――漆黒の騎士――


   Chapter1「神の存在証明」

 ――自己に従順であることができないものは、他から命令される。

                        フリードリヒ・ニーチェ




 あの夜から、数カ月が過ぎた。

 風間樹は生きていた。あの日、あの場にいた隊員達の中で、一人だけ。

 ただし代償として、全身の骨折と、鼓膜の治療で殆ど立ち上がることさえ出来ない日々が何日も続いたが、命に別状はなかったし、何より生きているだけで十分だと言えた。

「風間さん。体調はどうですか?」

 担当の女性看護師が病院食を携えてやってきた。

 どうやらもう昼食の時間らしい。

「お陰様で。もう大分回復してきました。音も随分聞こえるようになりましたし」

「それは良かったです。先生もそろそろ退院の時期かと言ってましたし」

「退院出来るんですか!良かった」

 風間は素直に喜んだ。

 不思議なことに、あれだけの死線をさ迷いながらも、至って精神的には健康そのものであった。

「退院したら……またお仕事に?」

 看護師が心配した視線で風間を見つめる。

 医療に携わる物として、患者の行く末を案じるのは当然なのだろう。

「ええ。早く戦線に復帰しないと。新人なのに遅れを取ってしまいましたから」

 風間は現在十九歳。

 高校を卒業してからすぐに入隊して、一年と少しの、まだまだ新人の身であった。

「死に急ぐんですか……?」

 ふと看護師が視線を逸らす。

 その表情に、僅かな陰りをちらつかせて。

「いえ……そんなつもりは。……もしかして看護師さんは、”教会”の?」

「別に信者と言う程ではありませんが。実家が奉納金を」

「そうですか……」

 ”教会”。

 世界に起きた厄災、ネフティスに対抗する、もう一つの組織。

 だが少なくとも風間にとっては、敵だった。

「では、私はこれで」

 看護師が病室を出て行く。

 彼女の姿が完全に見えなくなり、ひとり取り残された風間はおもむろに呟く。

「芽衣……」

 それは世界に翻弄された、一人の少女の名であり、風間が戦う理由であった。


             ***


 ――十年前。

 数年前に突如として出現したネフティスは瞬く間に世界を蹂躙していった。

 それまで大した障害ではないと考えられていた、その被害が、いよいよ国家さえも脅かす存在となっていた頃。

 時同じくして、その勢力を拡大していった組織がある。

 『霊帝教会』

 日本の、東京に本部を構える、その新興宗教が何故か保有していた、ネフティスに対抗する技術。そして戦力を、誰もが欲したのは至極当然の成り行きであった。

 だが。その恩恵にあやかることが出来るのは、奉納金を納め続ける信者達のみ。

 金を払えぬ貧しい者達はただ、いつ訪れるとも分からぬネフティスの侵攻に怯えて暮らしていくしか無かったのだ。

 「樹君んち、信者になったの?」

 「芽衣の家もでしょ?」

 「ううん。お父さんが、『生活が苦しいのに、そんな訳も分からない宗教にお金なんて払えない』って言ってた」

 つまり、何のことはない。

 幼い樹少年は信者であって、少女は違った。それだけの話だった。

 「でも、大丈夫。『悪い怪物が来たら、天使様が助けてくれる』って、お母さんが言ってたもん」

 ヒーローが、居れば。結果は違ったのだろう。

 だがその当時、ヒーローは信者の元にしか現れなかったのだ。


 結果として、風間達の街はネフティスに侵攻された。

 何が起きたのかは知らない。

 ただ、目が覚めて起きてみたら、父と母が真っ白いローブを着た男達に涙を流しながら感謝の言葉と、金品を渡していた。

 いつものように学校へ行くと、信者の家の者だけがいつも通りの顔を見せ、それ以外の人間はやってこなかった。

 無論、芽衣の姿も、それきり見なくなった。

 学校の教師や、両親は揃って、「家族揃って遠くへ引っ越した」と語っていたが、それが身も蓋もない虚言なのではないか、と、幼心にも疑念を覚えずにはいられなかった。


 疑念が確信に変わったのは、それから数年程してからの事。『NEXL』と呼ばれる、教会の信者以外にも無償で力を貸す団体が出現したのだ。そのNEXL代表の、『アイザック・ヴァレンタイン』と名乗る人物曰く、


 ――元来人間であった感染者を『絶対悪』と決めつけるのは如何な物か。

 ――そして、それ以上に、奉納金を収める人間のみを守るなどとは、なんと前時代的で身勝手な考えか。


 風間はその理念に、大きく頷いた。

 もしあの頃にNEXLが存在していたなら、芽衣も死なずに済んだのだ。

 しかし、悔やんでも意味はない。これからそういった犠牲を少しでも、いや、出来れば全て無くしていこうとしなければならない。

 風間がNEXLへの入隊を希望したのは必然だったと言える。

 その頃既にどっぷりと肩まで信仰に浸かっていた、資産家の家族からは反対された。


「あの日、あなたを助けてくれたのは誰だったの? 教会でしょう? NEXLとか言う変な団体じゃないでしょう?」

 と、母が。

 風間から言わせれば教会の方がよっぽど変態じみた団体だ。

「奉納金を納め、教会に祈るんだ。それだけで私達は救われるんだぞ。何故それが分からない?」

 と、父が言った。

 例え幾ら奉納金を収めているからと言って、それ以外の人々が犠牲になるなど、あってはならない。


 ――悪い怪物が来たら、天使が助けてくれる。


 そうだ。ヒーローはどんな人間さえも助けなければならない。

 本来ヒーローと呼ばれる人間は無償の愛で戦わねばならないのだ。

 そう考えるまでに、風間の正義感は強く養われていた。

 家からは勘当を言い渡され、望むところだと言い返し、いつしか二年目の春になっていた。


「出迎え、ですか?」

「はい。先程NEXLの方が受付にやってきて」

 退院の準備を済ませ、私服に着替えた風間の元にやってきた看護師がそう告げる。

 手厚いサービスだな。と風間は思った。

 医療費まで負担して貰ったのだ。相当な厄介者と思われても仕方がないと思っていたが、どうやら杞憂だったらしい。

 医師と看護師に礼を告げ、受付へ向かうと、顔こそ良く見えないが、NEXLの制服姿の女性がいた。

「お待たせいたしました」

 風間が声をかけると、待合席に座っていた女性は腰を上げる。

 知らない人間だった。てっきり部隊のオペーレーターか、直属の上司かと思っていたが、違う。

 風貌と背格好から察するに同い年位に見えた。


「――久しぶりだね」


 突然そんな事を言われて、風間は困惑する。

 が、その声は確かに聞き覚えがあった。

「め、芽衣……?」

 震える声で風間は、かつて少女だった、その女性の名を呼ぶ。

「びっくりした?」

 髪の色も、佇まいも違う。かつての快活な印象は鳴りを潜め、短髪であった黒い髪も、今では幾分か茶色っぽくて、さらさらと流れている。

 しかし、その和らいだ目元、少し上向きのいつも笑顔のような口元は、確かに芽衣を彷彿とさせる物だった。

「本当に、君なのか……?」

「うん。そうだよ、樹君」

 何故彼女がNEXLに所属しているのか。

 そして一体何故彼女が自身を迎えに来たのか。

 全く分からないことだらけであった。

「あなたを本部に連れてくるように言われているの」

 風間は更に混乱する。

「君は一体……」

「詳しくは道中で話すよ。付いてきて」

 芽衣の後を追っていくと、病院の前には一台の高級車が止められていた。

 流石にリムジンとまではいかないが、黒塗りのセダンである。明らかに一般車で無いことはすぐに分かった。

 ただ、NEXLのマーキングがない事が不思議だった。組織の標準車でもない。

 無愛想なスーツにサングラスをかけた男が運転手を務め、二人を乗せた車が市街を走り出す。旧約神話に登場するバベルの塔のように、天を貫く勢いの建造物達。車内の窓に切り取られた、首都・東京の景色は、さながらSF小説に登場する近未来予想像のようでもある。一方、駅周辺や市街地は取り立てて変化がない。

 断絶された未来と過去が同居する街。それが今の東京の姿だった。

「どういう事なの?」

 後部座席に座っている風間は困惑した不安に耐え切れず、芽衣に疑問をぶつけた。

 既に二人を乗せた車は市街を走りだしていた。

「どこから話せば良いのかな……?最初からだと長くなるけど、いい?」

「構わないよ」

 うなづく風間に、笑顔で応える芽衣。

 彼女は背後に映る東京タワーをバックに、一呼吸置いてから語りだした。

「樹君はもう知っていると思うけど。あの日、私達の街にネフティス感染者が現れたの。教会はすぐにやってきた。まるで予め『知っていたかのように』、ね」

「そ、そんな……」

 彼女の言葉に、風間は衝撃を受けた。

 『予め知っていた』。もし、その言葉が真実だとすれば、教会はあえてネフティスの感染を見逃したと言う事になるだろう。

 やはり正義はNEXLにある。己は正しい。

「無論、彼らは信者の家にしか対応しなかった。それ以外の家は感染者に襲撃された。そして感染は拡大した」

 感染者に食い殺された人間は、数時間以内に適切な処理を施さぬ限り、新たな感染者となる。

 スレイヴよりマザーの方がその感染力、発症までのスピードは高いが、スレイヴだけでも十分な脅威なのだ。

 マザーに殺害された同僚と、隊長の姿が過る。

 連絡によれば人間として弔われたと言われていた。本当かどうかは分からないが、上からそう言われた以上、事実として受け止めねばならない。

「そして、少女の家も同様だった。両親も、兄弟も……命を奪われた。兄弟の中で唯一年端も行かない少女は部屋にいるように言われていたから、その現場を見なかった事は幸いだったのかもしれない。真っ暗な部屋の隅で、目を閉じ、耳を塞いで、ガタガタと声も上げられずに震えた。……やがて感染者となった家族が、少女の元へやってくる、その時まで」

 芽衣はまるで他人事であるかのように語った。

「父の名を呼んだ。母の名を呼んだ。兄の名を呼んだ。けれどもその時少女の目の前に居たのは紛れもない彼らだったの。悲しいことにね」

 おぞましい光景が風間の脳裏に浮かぶ。

 皮肉なことだ。襲撃者から少女を救うべく立ち塞がった家族が、今度は襲撃者として少女を襲いにやってきたのだから。

「でもね、少女はヒーローを信じていた」

「『悪い怪物が来たら、天使様が助けてくれる』」

 風間の言葉に、芽衣は少し驚いた顔をした。

「憶えてたの?」

「ああ」

 彼女もまた、自分と同じように憶えていたことに、風間は感動した。そして、気がつけばその思いの丈を語っていた。

「その言葉があったから、俺はNEXLに入ったんだ。てっきり……君が死んだと思ってたか ら」

「そう、だったんだ……」

「生きてて、良かった。本当に。ありがとう」

 少しだけ表情に陰が差した芽衣に、風間は元気づけようとしたのかもしれない。

 だがそれは紛れもなく、心からの、最大級の感謝だった。

「あれ……?でも……君は一体誰に助けられたんだい?」

 風間の中で一つの疑問が湧き上がった。

 芽衣の家が襲撃された当時、まだNEXLは存在していない。まさか芽衣が自力で感染者を倒した訳でもない。

 だとすれば、一体。

「ふふっ。直ぐに分かるよ。これから会いに行くんだから、その人に」

「これから会いに行く?」

 と、ゆっくりと車が停車した。

 振り返ると、窓の向こうには巨大なビルが二つ、立ち並んでいて、その間を繋ぐように少しばかり背の低いビルが挟みこまれている。

 間違いない。NEXL本部だ。

「『彼』が、あなたを待っている」

「『彼』?」

 向かって左側のビルが主に戦闘目的に使用されており、風間も基本的にはここに出勤してから現場へと向かう。

 だが芽衣が向かった先は右側のビル。

 こちらは組織の活動を直接決定する、上層部が利用している。風間のような新人だけでなく、戦闘業務に携わる者は殆ど出入りすることがない。


 戸惑いを感じながらも、彼女の後を付いていく風間。

 乗り込んだエレベーターが、最上階へと誘う。


             ***


「アイザック。連れてきましたよ。彼が樹君です」

 芽衣が呼びかけた視線の先に、一人の男性が背を向けて立っている。

 摩天楼の窓から、新宿をぐるりと一望しているらしい。

「え、アイザックって……」

 NEXLの最高指導者、アイザック・ヴァレンタイン。

 しかしこれまで公に姿を現したことのない彼の姿を、勿論風間が知っている筈がない。

「君か」

 アイザックらしき人物が、窓に右手を当てたまま、穏やかな笑を浮かべた顔をこちらに向ける。

 その顔は赤い髪の下、輝くような白い肌。育ちの良さそうな、しなやかな動作は凡人とは違い、気品があると言う事を如実に表していると言えた。

 間違いないのだ、と。

 この人物こそがアイザック・ヴァレンタインに相違ないのだと、風間は確信していた。

「あ、アイザック・ヴァレンタイン、さん……」

 風間は呆然とした。

 今直ぐにでも土下座したい衝動に駆られた。

 だが、それは彼の控えめな性格の所為ではない。

 アイザック・ヴァレンタインの持つ、人並み外れたオーラ、雰囲気、などと言った余りに自分自身とかけ離れた存在を前にしての本能的な衝動だった。

 などと、先程から成り行きをただ見守っているだけの芽衣の傍らで、居心地の悪さを感じ続けていると、アイザックは真っ白なコートをはためかせながら身を翻した。

 そして困惑する風間の前までやってくるとその右手を掴み、持ち上げたかと思うと、なんと敬々しく頭を垂れたのだ。

「そう堅くならなくていい、樹君。私も業務上そういう対応ばかりされてうんざりしているんだから」

 アイザックは更に困惑する風間を知ってか知らずか、上目遣いに笑みを浮かべている。

「あ、あの、自分は……」

 一体何故。どうしてこんな事になっているのか。

 しかし、それをうまく言葉にすることが出来なかった。

「座りたまえよ、樹君」

 そのまま手を引かれ、応接テーブルの椅子へと連れられる。

 正面にアイザックが着席し、その傍らに芽衣が着席した。

 どうやら彼らは気心の知れた間柄なのだろうか、と考えた風間は、何故か少しだけ落胆していた。

「樹君。君は神を信じるかい?」

 アイザックから最初に語られた言葉は、そんな問いかけだった。

「え、それは……」

 凡庸な日本人として生まれた風間にとって、キリスト教やイスラム教などとはあまり縁がないのであって、宗教とは関わりが少ない人生を送ってきた。

 無論、霊帝教会など論外だ。

 いや、宗教を抜きにしたとして、神が実在するか否かを問えば、やはり風間自身は後者である。

「いや、信じているはずだ。誰しも神に祈ることがあるだろう」

 口篭る風間の心を見透かすかのようにアイザックが続けた。

 確かに、そうだった。

 数ヶ月前の、あの夜。確かに自分は神に祈っていたことは否定出来ない。

「そう、かもしれません」

「じゃあ君の信じる神は何だい?」

 相変わらずアイザックは風間に親しげな笑みを向けている。

 されどその瞳の奥には確固たる力を携えている気がして、風間は少し伏せ目がちで応対していた。

「どうでしょうか……」

「ヤーウェ?アッラー?八百万の神かな?何故だか知らないけどこの世界には沢山の神様が居るからね。困ってしまうのも無理は無い」

 アイザックの言葉に風間は心の中で同意した。同時に心酔した。

 この最高指導者が率いる組織の一員である自分はやはり間違いではないのだと。

 が、続けざまに放たれた、

「私はね、ネフティスこそが神なのでは無いかと考えている。彼らにも知性があるのではないか、とね」

 との台詞に、風間はどうしていいか分からなくなった。

「え、そ、そんな……」

 ちらりとアイザックの傍らに居るはずの芽衣の表情を伺おうと、視線をそちらへと向ける。

 家族をネフティスに葬られた彼女にとって、今のアイザックの言葉に同意し兼ねるのではないだろうか、と。

 が、彼女はその穏やかな表情一つ崩す事なくアイザックの言葉に耳を傾け、頷いていた。

「――ははっ」

 まるで予め困惑する事を知っていたかのようにアイザックが笑う。しかもゲラゲラと声を発しながら。

 そして、子供のように無邪気な声を発しながら、一気に捲し立て始めた。

「ははっ……冗談だよ、悪い冗談!笑えない冗談さ!そんな風に困ったように顔をしかめるんじゃあないよ。樹君。君はユーモアのセンスが足りないってよく言われないかい?ああ、言われてないんだったら、ごめんよ。でもね、ユーモアは大切さ。ほら、笑って」

 笑って、などと上司に請われて笑わぬ訳にはいかなかった。

 ましてや相手はこのNEXLの最高指導者。断れる理由など、基本的には存在しない。

「は、はい……」

 不器用ながら笑顔を浮かべる。

 見れば芽衣も口元に手を当てて少し笑っているらしい。

「確かに君と私は上司と部下の関係かもしれないけども、そこまでかしこまっては困るからさ。これからは特に、ね?」

「え……これから?」

 これから、全く訳がわからなかった。

 それによくよく考えてみれば、ここに来てから何一つ明らかになったことが無い。

 自分を試しているのだろうか、などと風間が考えを巡らせ続けていると、

「ああ、もうお昼の時間か。君たちここに来るまで何か食べた?」

 アイザックが緊張感の無い、とぼけたような声をあげた。

「いえ。何も」

 どうして良いか分からず、混乱する風間を差し置いて芽衣が応える。

「それは良いね!宅配ピザも飽きてた所だ。外に食べに行かないか?」

「あら。宅配ピザなど食べていたのですか?NEXLの指導者ともあろう人が、庶民的ですね」

「そう言ってくれるなよ。好みは人それぞれだろう」

 どうにも手慣れた応対である。

 その様子に風間は僅かばかりの嫉妬を憶えると同時に、アイザックの優れた人間性に到達できぬだろうと言う、絶望感を感じていた。

「先に行っていてくれ。私は着替える」

「え、あの……」

 さっさと奥の扉に引っ込んでいこうとするアイザックに、風間が呆けた声をあげると、彼は肩をすくめて溜息をついた。

 悪い印象でも与えてしまったかもしれない。

「流石にこの格好じゃあ私がNEXLのお偉いさんだって言いふらすような物だろう?」

「は、はい……」

 アイザックの羽織った白く、輝くような制服を見て、風間は頷いた。

 NEXLの上級幹部が身に纏うそれは、教会の物程では無いにせよ、それでも派手なのだ。

「じゃあ先にロビーで待っていてくれ。ベアトリスも」

 「ベアトリス?」と風間が首を傾げていると、芽衣が「はい」と短く返事をした。

「じゃあ、行こっか。樹君」

「あ、ああ」


 風間は訳がわからぬまま、芽衣に連れられ再びエレベータに戻る。

 アイザックは一体、何故、自分を連れてきたのだろうか。

 単なる世間話がしたかったのかもしれない。アイザックと芽衣がどんな関係かは知らないが、彼女の話を聞いて興味を持ったのだろうか。


「あのさ。アイザックさんって」

 二人の関係を邪推しても始まらない。

 風間は思い切って芽衣に問いかけることにした。

「ん?ああ、あの人何の説明もしなかったね。私あの人の秘書なんだ」

「その割には随分親しげじゃない?」

 秘書とは言うものの、自身の上司をあの人呼ばわりする間柄。単なる一介の秘書とは思えない。

 自身では想像の余地が及ばぬ事があるにしろ、ありもしない邪念が過るのは仕方の無いことだ。

 無論、無理に聞こうとする程、風間は無粋でも、積極的でも無かったのだが。

「そりゃあね。NEXLの創立時からのメンバーだし」

「え……?」

 想像の余地が、やはり及ばぬらしい事を風間は悟った。

「嘘じゃないよ?あの日、町でアイザックに助けられた時から一緒にやってきたの。昔の名前も捨ててね」

「それで、ベアトリス……?」

 ようやく話が見えてきた。

 風間は心の中で彼女らの関係を邪推した事を詫びる。

 やはりアイザック・ヴァレンタインは、NEXLは英雄を産み出し、人々を救う組織だったのだ。

 そして、それはあの日、彼女が両親を失った日から続いていたという事実に、風間は素直に感動していた。

「凄いね、芽衣は。俺なんて、やっと半人前になったばっかりだって言うのに」

 十歳に満たぬ少女がどれほど辛い経験をしてきたのか、風間にはこの先ずっと知りえぬことは出来ないし、それを共に過ごしてきたアイザックとの間に割り込む余地もない。

 過去はとうの昔に、過去になっていたのだ。

「そんなことないよ。考えるだけなら簡単。でもそれを実行出来る樹君みたいな人間なんてそうそういないよ?」

 少しだけ心持ちが軽くなる。

 が、それは同時に芽衣が風間をあくまで一介の戦闘員に過ぎず、自身を守ってもらう対象などととは考えていない事の宣言にも聞こえた。

 続けざまに発せられた一言で、風間のその考えは、更に加速した。

「それと……今の私は、ベアトリスだから。もう芽衣って呼ばないで」

 芽衣……いや、ベアトリスが乾いた笑みをこちらに向ける。

 そこに少女はいなかった。ただ、強い意思と、それに見合う美貌を兼ね備えた女性がいただけだった。

 彼女は既にヒーローなど欲していなかった。自分自身など、欲していなかった。

 つまるところ、風間樹はヒーローに成り損なったのだ。


             ***


「時に樹君」

「なん、でしょうか?」

 突然のアイザックからの一言。その時風間は目の前のパスタと格闘していた。

「君はイタリアンが好きなのかい?」

「い、いいえ……」

「そうかい?随分一心不乱にパスタを食べていたからさ」

「いえ、特にそういう訳では……」

 ちらりとアイザックの前に置かれた定食を見る。

 所謂、和風ハンバーグ定食と言うやつで、どう考えても一介の権力者が食するような一品ではないのだが、どういう訳かアイザック自身はそれが余程好みらしく、一口ごとに「んー」などと感嘆の声を挙げていた。

 目を左右に動かすと、周囲の客がこちらを奇異な物でも見るような眼差しで注目している。それは先程注文を取りにきた店員も同じだった。

「あの、どうしてファミレスなんかに……?」

 居心地の悪さに耐えかねた風間は、目の前に鎮座するファッションモデルのような男に、そんな疑問を口にした。

「そりゃあ、好みがバラけても良いようにさ。もし私がフランス料理なんて言い出せば君たち、それに黙って従うんだろう?」

「そ、そうかもしれませんけど。やっぱりちょっと……」

「大丈夫さ。私が奢るんだから」

 とアイザックは肩をすくめて呆れたような表情を取ったかと思うと、

「……おや?もしかして、もっとお高いのを奢って欲しかったのかい?」

 などと口元を歪ませてみせた。

「いや、その……」

「はははっ。これはとんだ失礼をしてしまったらしい。どうせ奢ってもらうなら、もっと良い店の方が良かったかな?」

「い、いえ。そういう訳じゃないですけど……」

 ニヤニヤとした顔を向けられ、風間が困り果てていると、アイザックの傍らに座る芽衣、いやベアトリスが彼を咎める。

「あまり樹君を苛めないで下さいよ。困っているじゃないですか。ねぇ、樹君?」

「ええと……」

 とは言えベアトリス自身も笑っているので、風間はどうしていい物か判断に迷う。

 完全に彼らのペースに飲まれている以上、自分が引き合わされた理由を聞き出すことは到底叶いそうにない。

 などと考えている内に平静を取り戻したアイザックがふと口を開いた。

「時に樹君。君、食事は好きかい?」

「えっ?」

 又訳の分からぬ問答であった。食事が好きか、そうでないかと言われても、そんなことを考えたことのない風間は結局言葉に詰まる。

「難しく考えなくていい。例えばやたら食べる人間がいるだろう?他にはいちいち味に上品さとか物珍さとかを求める人間とか。君はどうだい?」

 少しばかり思案してみる。美食家と言うほど味に拘りはないし、食に貪欲と言う訳でもない。

「基本的には食べたい物を食べますし、食べなければならない時には例え嫌いな物でも食べるんじゃないですかね……?」

 風間の返答にアイザックは顎に手を当て、箸を持った左手で、鉄板の上の肉塊を弄ばせ、「ふーむ」と何か考え出した。

「極めて人間らしい回答だ。身体維持の為の栄養補給。理にかなっているね」

 アイザックの箸が肉塊を分離させ、小さく千切る。

 そして顎に手を当てたままの口元にそれを放り込む。

「しかし、栄養を摂取するだけならば何も加工する必要なんて無いんだよね。見給え、このハンバーグを。わざわざ牛や豚を屠殺して、更にそれを粉々にして、また一纏めにするんだ。家畜にしてみればたまったもんじゃない。彼らに知性が無いのが救いだね。人権問題だけで山積みな世界なのに、豚権とか牛権なんて主張されたらどうしようもないよ」

 風間はふと、牛や豚が言語を持って人間に訴えかける場面を想像してみた。

 するとどうだろう。シリアスであるはずの場面が、どうにもコメディに思えてしまう。 

「屠殺って、もしかしてネフティスの事を?」

「ありゃあ、バレちゃったか。まあてっきり忘れていた所もあるんだけど」

 心の籠らぬ、見せかけの狼狽えた表情で、アイザックが声をあげる。先程の言葉はネフティスの事を皮肉った物だったのだ。

 そしてこれは自身を試す試験のような物。もっとも何の試験で、これから何をやらされるのかを風間は全く知らないのだが。

「あなたの話は冗長過ぎるんですよ。樹君も、もっと怒っていいんだよ?」

 すかさずベアトリスがアイザックを咎める。どうやら煙に巻くのは彼の十八番らしい。

「流石。見所があるよ、樹君」

 意外にも素直な声でアイザックは風間を褒めた。


 それから一つ咳払いをし、彼はようやくNEXLの頂点に位置する者らしい事柄を語り出す。

「さて。君も知っている通り、ネフティスは『駆除』ではなく、『屠殺』される。その身に宿すネフティスコアを収穫する為にね」

 ネフティスに感染した人間はその肉体、主に心臓付近に宝石のような物、通称『ネフティスコア』を宿している。これは体内に侵食した微生物が形成する巣のような物だ。

 これを拠点として増殖するネフティスは血流に乗って全身の細胞を刺激し、その肉体を活性化させ、しまいにはスレイヴやマザーへとその容貌を変化させる。

「ネフティスから信者を守るだなんて大層な事を掲げていても、所詮は利権を手に入れようとする有象無象の輩の集まりに過ぎないのさ、教会はね。いや、我々とてそれは大差無いのかもしれないけども」

 人間の肉体をも作り替えるエネルギー。その上正しい処理と加工を施せば、安全かつ半永久的に使用可能とあれば、誰もが求めずには居られない。

 事実、風間達が使用しているストレージを始めとしたネフィリムナイトもその恩恵にあやかって、初めて有用性を発揮する物だ。


 そう。教会が求めているのはネフティスコアが産み出すエネルギーであり、利益。

 そして、それこそが霊帝教会が短期間で、その組織を途方もなく拡大させた要因だったのだ。


 だが、それはNEXLも変わらなかった。

 慈善団体で無い、企業である以上、利益を得なければならない。

 この事実を知ったかつての風間は、一時失望を覚えた時期もあった。しかし、それでも信者ではない、一般人を救う方法としてそれ以上の策が無い事も知ったが故に今ここにいる。

「仕方ないですよ。感染者が例え元々人間だとしても、放っておくわけにはいきません。他の誰かが感染者となっては元も子もありませんから。それに……」

 途端に熱っぽくなってしまっている自分に気付いた風間は、一呼吸置いて落ち着きを取り戻させた。

「それに、信者しか救わない教会は間違っています」

「……なるほどね」

 先程から箸を置き、腕を組んで黙り込んでいたアイザックが大きく頷いた。

「やはり君を選んで正解だったよ、樹君」

「選んだ……自分を?」

 首を傾げる風間の目の前で、アイザックは軽くベアトリスに目配せをしてから、その理由を語りだした。

「かねてよりベアトリスから君の話を聞いて、えらく興味を持ってたんだ。もっとも、その時点ではわざわざ呼び立てる程ではないと考えていたがね。決定的だったのは、先日、君が唯一生き残った事さ」

「それは……買いかぶり過ぎですよ」

 マザーを倒したのは自分ではない。意識こそ失ってしまったが、恐らくあの漆黒の騎士だ。

 生き残ったことも、偶然の産物には過ぎぬ、と風間は自嘲してみるが、アイザックはそれを否定する。

「残念ながら私はそうは思わないんだ。これからの計画に、君は必ず必要な存在になると確信している」

「これからの、計画?」

 アイザックの瞳の奥に寒気さえ感じた風間は、思わずベアトリスと視線を交差させる。

 大丈夫だ、と訴えかける彼女の視線。 それが風間の心の平静を保つ清涼剤であった。

「詳しくはこれから向かう場所で話そう。聞いて貰って、改めて参加するか否かを考えて欲しい」

 もし参加しなければどうなるのか。

 風間は全身から流れる冷や汗を感じながらも、アイザックの持つ不敵な笑みと、ベアトリスに対する思慕に囚われてしまっていたのだった。


             ***


 豊かな緑に囲まれた、巨大な庭園。

 薔薇の花を初めとした、西洋風に彩られたその場所の中心には、よく似合う茶室がどっしりと構えられている。

 丁度シオンがそこで紅茶を嗜んでいた所、ローブ姿の妙齢の女性がやってきた。


「また学校を休まれたのですか?」

 ショートの髪にゆるくパーマをかけていた髪を、ふわりと靡かせながら女性がシオンの傍らに立つ。

 「気分が乗らなくって。あなたもどう?この紅茶美味しいわよ?」

 自身を咎めるような彼女に対し、シオンは腕と足を伸ばしてあからさまな悪態をつく。

「いえ、私は」

「私が直々に淹れてやるって言ってんの」

 そう言ってシオンは持ってきていたらしい、予備のカップにお茶を注ぎ、対面に置いた。

 それからようやく女性に目配せし、右手で合図する。

「全くあなたという人は。一体誰に似たんでしょうね」

 渋々ながら同意した女性は、そんな皮肉を言ってから紅茶をすすりだす。

「さぁねぇ?少なくともあの父親似でないことは確かでしょ」

 テーブルに肘をあて、前のめりになったシオン。ただでさえつり目の彼女のそれが、余計に鋭く映って見える。

「本当に食えない御方です。でもまあ、教会の後継者としてはそれぐらいが丁度良いのかもしれませんね」

 女性がちらりとシオンの表情を伺う。


 ――笑っていた。


「食えない女はどっちかしら?シスター・アンナ?」

 とても十代とは思えない、邪な感情を現すかのように、歪んだ口元が不気味だった。

 だが直ぐに歳相応の、悪く言えばだらしのない表情へと切り替わる。シオンはそういう、表情の使い分けが実に上手い人間だった。

 それはきっと、あのアキラの影響が強いのだろう、とアンナは考えている。恐らく、当たらずとも遠からずと言った所か。

「何も私と雑談しに来た訳ではないでしょう?教会の仕事するように、あの父親に言われたって事くらい分かってるつもりよ」

「でしょうね」

 こうして見れば子供っぽい、ただのそこいらに幾らでもいる十八の小娘と大差ない。

 アンナはすました表情を浮かべる。

 すると、そんなアンナの考えすら見通しているのか、単につられているだけなのか、シオンも小さく笑い出す。

 庭園で笑う二人の様子は、傍から見れば単なる談笑に過ぎぬのかもしれないが、実情は不気味で、怪しげで、恐ろしささえ内包した、薔薇の花のような物だった。


             ***


 風間樹が次にエレベーターに乗ったとき、それは最上階ではなく、地下へ進む物だった。

「この本部に、地下なんてあったんですね」

「ああ。秘密の場所だからね」

「え?それって」

「僕達だけの内緒だよ」

 アイザックが微笑みを返すと同時に、エレベーターの扉が開く。

 そこには天井まで十メートル近くある広大な空間が広がっていて、周囲は大理石のような物で覆われていた。

 そんな大理石が荘厳な雰囲気を演出する中にあって、一際目を引く巨大な、金属製の扉が真正面にそびえ立っている。

「これは……」

 風間は感嘆の声を上げずにはいられなかった。

「開けます」

 ベアトリスが凛とした声を響かせながら、扉の横に取り付けられているパネルに手を当てると、ゴウンゴウンと音を立てながらゆっくりと開きだした。どうやら生体認証か何からしい。

「さあ、見せてあげよう」

 扉が開き、姿を見せたのは、なんと巨大な洞窟であった。特に整備もされておらず、薄暗い電灯で照らされているだけのその場所は、さながらトンネルの工事現場か、炭坑のようだった。

「――元来この遺跡、通称『祭壇』を中心にして我々NEXLの活動は始まったんだ。いつ、誰か、一体どのようにして、『祭壇』を作ったのかは分からない。だが、これは何故か世界中に点在しているんだよ。まあ、その殆どが教会の所有物にされているんだけれども」

 無論風間はおろか、本部の地下にこのような洞窟があることを恐らく殆どの人間が知らないであろう事は先程のアイザックの言葉で説明されている。

 だが、このような洞窟を秘匿する理由がどこにあると言うのか、風間には疑問だった。

「教会が?こう言った場所を重要視しているんですか?……一体何があると言うんです?」

「『守護神』だよ」

「『守護神』……?」

 と、アイザックが立ち止まったので、風間もそれに習う。どうやらここで行き止まりらしい。アイザックはそこから天井へ向かって視線を走らせ、こう言った。


「――これが、我々の『守護神』だ」


 埃っぽい、土の匂いがする道を歩いて行った先に”それ”は掲げられていた。

 錆びついてこそいたが、金属で組み上げられたらしいことが分かる、人型の”それ”は、禍々しい竜のような口と、牙を持っていて、目らしき部位は楕円形。肉体はさながら西洋甲冑のようにシンプルなスタイルで引き締まっている。

 左胸に突き刺された大剣で壁に張り付けられた姿は、さながらキリストのようにも見えた。

「これは……!?マザー、ネフティス……?」

 だがこれを目にし、風間が最初に想起したのは、数ヶ月前に自身を死の淵へと追いやった、あのマザーであった。

「いいや、違う。これは”マスティマライダー”さ」

 聞きなれない単語に、風間は首を傾げる。

「マスティマ、ライダー?」

 いや、何処かで聞いたことがあった気がする。

 確か昔、母が教会での集会から持ち帰った冊子の中に、その単語があった。だが、残念な事に、嫌々ながら熟読するよう強要されていただけの風間には内容など覚えているはずもなかった。

「君はあまり教会の教義について明るくはないらしいな」

「すいません……」

「構わないよ。もっと近くに来てくれ」

 マスティマライダーと呼ばれる物体の足元にいたアイザックに請われ、彼の傍らへと移動する。やや遅れてベアトリスもそれに続いた。

「足元を見たまえ」

 アイザックに従い、足元に眼を向ける。すると、そこには何か四角い石のような物体がいくつも土の中から露出していた。

「手にとってみるといい」

 アイザックはそう言って、物体の一つを取り出し、風間へと手渡した。

 最初こそ土が被っていて何が何だかよく分からなかったが、それを指で擦っていくうち、見覚えのある物体へと変化していった。

 風間は驚愕した。何故、あの物体がこのように化石化した状態で存在しているのだろうか。

「これって……『ALICE』……?」

 ALICEはこの時代、爆発的に普及した携帯通信端末である。

 外観こそ旧来の携帯端末と何ら代わり映えしないものの、性能やスペックは革新的なCPUによって大幅な進化を遂げている。

 しかし、その最大の特徴は性能ではなく、操作方法にあった。

 手に置き、頭で考えるだけで、文字通り、思うがままに操作することが可能と言う、革新的操作手段を提示した装置デバイスだったのだ。

 そもそもこれは、ネフィリムナイトの起動、補助ツールとして開発された物である為、無論、風間も所有している。もっとも、元を辿れば教会が有していた技術であるが故に好意的に考えられない時もあるのだが、肌身離せぬ存在となっているのだから仕方がない。

「そうだ。これは秘匿事項とされているが、教会はこれを元にしてALICEを。そしてマスティマライダーを元にしてネフィリムナイトを開発したんだ。とは言え最早別物だ。マスティマライダーの持つ戦闘力は最新式のストレージをしても、比較対象にすることさえ失礼だろう。何せ並のマザーを一撃で葬ることさえ可能なのだから」

「え……?」

 風間の鼓動が激しく脈打つ。

 知っている。その存在を、自分は。


「教会の教義において、マスティマライダーは時の霊帝、つまり教会のトップを守護する者としている。教会における最強戦力。言わば『守護神』だ。君も話には聞いたことがあるだろう?教会最強の守護者、”白銀のノヴァ”と、そのパイロット、”カイ”の名を。彼らは紛れもなく、”マスティマライダー”だ。教会内でもそう呼ばれている。一般にはやたら強いネフィリムナイト程度と認識されているが、とんでもない。ありゃあ化け物だよ」

 確か入隊してから間もない頃、小隊長に言われた事があった。


 ――間違っても教会の、”白銀のノヴァ”には喧嘩を売るな。


「ノヴァのお陰なんだよ、教会が優位性を得ているのはね」

「あ、あの……」

 と、そこで風間の脳裏に一つの疑問が湧き上がった。

「なんだい?」

 「どうしてこんな物がNEXLの地下に……?教会の持ち物じゃないんですか?」

 だがアイザックは肩をすくめて、風間を馬鹿にするような表情をして、はぐらかす。

「さあ、どうしてだろうねぇ?」

 どうにもアイザックは風間にそれを教えることは、はばかられるらしい。

 そんな彼の姿に僅かばかりの疑念を覚えずには居られなかった。

 NEXLとは一体どういう組織なのだろうか。

「アイザック」

 急にベアトリスが彼の名を呼ぶ。

 振り返った二人は彼女と同じように先程入ってきた扉の方向を見る。するとそこには黒く、長いロングコートをはためかせる男と、赤いドレスに身を包んだ女性が立っていた。

「やあ、レイ」

 彼らの姿を確認したアイザックが、親しげに呼びかける。

 どうやら知り合いのようだ。

「来る時間を言ってくれれば、それなりの歓迎はしたのだけれどね」

 こちらに向かってくる二人の、黒い髪を雑多に切った男の方に向かってアイザックが言う。

「お前の出す紅茶は性に合わないんだ」

「ああ、そりゃ残念。今度はコーヒーにしておくよ。多分そっちの方が好みだろう?黒いし」

 丁度お互いの顔がはっきりと確認できる距離になった所で、今度は長い、蜘蛛の糸のような白髪を背中まで垂らした女が口を開いた。

「フフフ。それを言ったら紅茶だってブラックティーだけれどもね」

「貴様は黙っていろ、ナクア」

「フフフ。はいはい」

 妖美な、それでいて可憐さを合わせ持つ、ナクアと呼ばれた女が笑い声を上げるが、男の方は殆ど無表情に応対を拒絶した。

「紹介するよ、レイ。彼が風間樹君。今度の『ダウンス・ノヴァ作戦』にスカウトしているところさ」

 『ダウンス・ノヴァ作戦』。そんな物、風間に聞き覚えはないのだが、どうやら自分はその計画にスカウトされたことが、全ての始まりであったようだ。とここでようやく全てを理解する。

「そうか」

 無表情で、どこか機嫌の悪そうな顔が風間を睨む。

「ど、どうも……」

 頭を下げる。自分より五センチ程高い身長からは威圧感さえ感じるからだ。

 などと考えていると、自分の顔を下からナクアの美麗な容貌が覗き込んでいた。ドキリとした風間は、慌てて姿勢を元に戻す。

「そんなにかしこまらなくて大丈夫。レイ、怒ってる訳じゃないから、ね?」

 ナクアは子供っぽくも、どこか気品のある無邪気な笑みを浮かべながらレイを見る。

 が、対するレイはそっぽを向いて「チッ」と舌打ちをした。


 仲が良いのか悪いのか。そもそもこの人達は一体何者なのだろうか。などと風間が思考を巡らせていると、アイザックが一度、二度、手を叩いた。

 一斉に、一同の視線が彼へと向かう。

「丁度皆が一同に介した訳だし、ここらで計画の概要を説明しようと思う。ベアトリス」

「はい」


 ベアトリスが短く返事をし、前に出て、長い説明が始まった。

 その内容に風間はただひたすら驚愕と、それに伴う混乱を覚えつつ、アイザックの、NEXLのやろうとしていることに敬意を改めると同時に、自身がそれに携われると言う、誇りを感じるのだった。


「それは、つまり」


 風間の声に、アイザックが頷く。


「そうだね、手っ取り早く言えば……。『教会を潰そう』って事さ」




 ――その時の私にはただ彼の言う事が正義なのだと、盲信して止まなかった。

 ――そして、彼女に対する想いを捨てきれなかった事も、心の奥底では感じていた。

 ――レイと呼ばれる青年と、ナクアと呼ばれる女性。彼らに出会った事が、私にとっては本当の始まりだったのだと気づくまでには、もうしばらくの時間を有する。

                       アイザック・ヴァレンタインの手記より


             ***


 鏡に写る自分を見て、「滑稽だな」とシオンは思った。

 これから自分は物乞いをしに行くと言うのに、この中世ヨーロッパの貴族のような服は何だというのだ。身の程知らずも甚だしい。

「お時間ですよ、シオン」

 立ち上がって、装飾で重くなった足で、扉を開けたアンナの元へと向かう。

「これ歩きずらいわ。デザイナー変えた?」

 以前と違う服にシオンは僅かばかりの戸惑いと、苛立ちを感じた。

「アキラ様からの指示ですよ。刺々しいデザインよりも、もっと可憐なデザインにして欲しいと」

「ちっ、あいつの趣味嫌いなのよね。私はあいつの愛玩人形じゃないっての」

 溜息をつく。

 全く。誰も彼も自分の趣味や興味を否定ばかりする。しきたりとか、客観的に見てどうか、など自分にはどうでも良い事だ。

「カンペ」

「どうぞ」

 アンナに向かって手を差し出すと、手際よく小さなメモ用紙が手渡された。

「六十点。ちょっと上から目線すぎる」

「では次回からはシオン様が考えて下さいよ」

「六十点って結構高い方なんだけどなぁ」

 呆れた声をあげるアンナに向かって、シオンは子供っぽく口を尖らせてみせた。

「さて、と。物乞いに行ってきますかね」

「集めるのは信仰です。物ではありません」

「一緒でしょ?」

 少女が向かう壇上の足下に、沢山の人々が居た。

 皆頭を垂れ、恭しい気持ちでこちらをみているのだ。

「下らない……」

 少女は誰にも聞こえぬ程小さな声で、そう呟いた。


この度は、この作品をご覧になって下さってありがとうございます。

稚拙な出来映えですが、続きもありますので、お付き合い頂ければ幸いです。

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