弱者
「すみません、無理です」
アンクはへにゃりと笑って村人に告げた。
軍人の話を聞き終えたらしいアンクが魔王の元へ戻ってくると、魔王に対して憤りを露にしていた村人たちはなりを潜め、今度はアンクに縋った。縋った結果の言葉である。
「残念ながら、俺は国に雇われている身なんすよ。だから個人の判断で留まることはできません。それに相手が勇者とあっちゃ、本当は軍人でも手が出せないんですよー。俺がやったことは非合法なんです。実は」
にっこりと笑顔を絶やさず話す彼を見ながら、村人は呆然とした。隊員たちは彼の後ろで苦笑している。
本来ならば、勇者の職を持っているものは何をしても罪には問われない。昨夜のように暴れようが、強盗をしようが、最悪殺人をしようが罰せられることはないのである。
だから国に苦情が来ても対応することができないのだ。
過去に一度、勇者を戒めた隊があった。しかし国が下した判決は「無実のものに暴行を働いた」と隊のものを罰したのである。
それを聞いた国民が黙っているはずもなく、村ひとつ分の人数が抗議のため城に押し寄せた。しかしその者たちは「反逆だ」と罰せられてしまった。
この国には、王に対抗する術がないのだ。
だからこそアンクは勇者の職を持った。副業としてもったので、軍人であるままなのだ。
勇者であれば、例え人の職を勝手に奪い取ろうと、名簿の書き換えをしようと罪に問われない。
なので、昨夜のようなことも簡単にできてしまったのだ。
「なら、中途半端に助けるようなことしないでください!!」
村の代表者である男が叫んだ。隊員たちは驚き、アンクは困ったように微笑み、魔王はうるさいと顔をしかめる。
「助けてくれる人たちが来たと、これでやっと安心して暮らせると期待した私たちはどうなるんです!?それを・・・」
「知るかそんなこと」
代表者の言葉を遮って、魔王はすっぱりと言い放った。代表者は彼女を睨み、隊員たちとアンクも彼女を見る。
「助けてくれるだの期待しただの・・・何を甘えたことをぬかしているのだお前は」
彼女はため息を吐き、不機嫌顔で続ける。
「それほど嫌ならここを出て暮らせばいいだろう。魔王城から遠く離れた場所なら、勇者が訪れることもほぼなくなるはずだ」
「そんなことできるわけないじゃないですか!ここには先祖たちが眠っているし、幼いころからの思い出だってあるし・・・」
「では何故自分で守ろうとしない」
代表者は驚き口を噤んだ。隊員たちも驚き目を見張る。アンクだけが、ただ彼女を見つめていた。
「王が何もしないと言うのに、何の見返りもなしに自分たちを守ってくれる他人が居るというのか?居るわけがないだろう、そんなお人よし。守りたいなら自分で守れ。一人で無理なら仲間と助け合え」
「・・・できないから言ってるんじゃないか・・・っ」
代表者が聞こえるか聞こえないかの声で言った。魔王には聞こえたらしく、顔を代表者に向ける。
「俺たちはあんたの様に魔法が使えるわけじゃないんだ!!あの男のように腕っ節が強いわけでもない!!力が無い奴らが集まったって差異はないんだ!それとも、お前は俺たちに立ち向かって死ねって言いたいのかよ!!」
彼は魔王に怒鳴りつけ、荒い呼吸を繰り返しながら彼女を睨んだ。対して魔王は堪えた様子も無く見つめ返す。
「・・・コーリエと言う魔物を知っているか?お前の履いている靴よりも小さい魔物だ。木の上に住処を造る。そうだな、リスに似ているかもしれん」
「何が言いたい!!」
突然魔物の話をしだした彼女に苛つき、代表者は怒鳴る。だが魔王は飄々と話し続ける。
「彼らは魔物であるにも関わらず魔力がほとんど無い。攻撃はもちろん、逃げるために姿を消したり、煙幕を張ることもできない。できるとしたら、自身にもともと備わっている力をほんの少し上げる程度だ。それだって、少し脚が早くなるだとか、少し治癒力を上げるだとか、そのくらいだ」
耐え切れなくなり手をあげようとした代表者をアンクが止める。その様子を見ながら魔王は続けた。
「彼らは住処を変えたがらない。何故かと問うてみれば、そこは自分たちが、或いは先祖が見つけた、自分たちが住むのに一番適している土地だからだそうだ。木の実が豊富にあり、水辺が近くにあり、外敵がほとんど居ない。なるほど、確かに快適な場所だった。
しかしそういう場所は人間にとっても理想の地だ。ある時、新たな居住区を求めた人間どもはそこに目を付けた。お互いがお互いを追い出そうと争ったらしいよ。コーリエたちの数は多かったが、自分たちより遥かに大きく、武器を持った人間相手には不利だった。幾度か援護を申し出たけれど、自分たちの問題だからと拒否されてしまった。果たしてその後、コーリエたちは人間を追い出すことに成功した」
最後の言葉を聞いて、代表者は驚愕した。沸騰した頭で話を聞きながら、どうせ最後は逃げたのだろうと思っていた。
しかし、彼はその話に感嘆することができなかった。
「・・・っ所詮は魔物の話だろう!俺たち人間と一緒にするな!!」
もはや意地に近い。代表者は自身を抑えていたアンクを振りほどくと、更にきつく魔王を睨んだ。話に惑わされそうになった自分を恨みながら、目線を鋭くした。
その視線を受けて、魔王は長く深いため息を吐く。
「アンク、もう行くぞ。ずいぶん時間を無駄にしてしまった」
そう言って立ち上がり、自室へ向かおうとする。
「待てよ!まだ・・・」
代表者は更に怒鳴りつけようとしたが、その目を見て息を呑む。彼だけではない。ただ話を聞いていた隊員たちも、アンクも、その目を見て息を呑んだ。
その視線だけで殺されてしまいそうなほどに、その目は恐ろしかった。瞳孔が開き、光を失った目が代表者を見つめていた。
やがて魔王は目を逸らすと、改めて自室へと階段を上っていった。姿が見えなくなった頃、代表者はへたりとその場に座り込み、隊員たちがざわざわと話し出す。
アンクだけが、未だ魔王の消えたほうを見ていた。
「ちょっと意外だったな」
馬の手綱を引きながら、アンクは言った。
現在二人と隊員たちは、村を出て王都へと向かっている。二人は隊員が用意した馬に乗っていた。
「何がだ」
常の様子に戻った魔王が正面を向いたまま問う。先頭には分隊長、その後ろに隊員と捕まえた男、二人は最後尾だった。
「いやさ、君あんまりバシバシ言うもんだから、弱い立場のこと何もしらねーんだなぁと思ったんだよ。でも、案外知ってるみたいだね」
「知らんさ」
きっぱりと魔王は言う。アンクは驚いて彼女の顔を見た。
「私は弱者の立場に無い。だから、彼らがどう決断せねばならないだとか、まったくわからん。自分をその立場に置き換えてみても、強者の思想が混じる。残念だが、私に彼らを理解することはできん」
魔王は前を向いたまま、一拍置く。
「ならば何かの助けにならないかと、私の意見や知っていることを言っただけだ。その捉え方や使い方はその立場に居るものが考えればいい」
アンクは魔王をしばらく見つめた後、顔を前に戻した。魔王は知らず手綱を掴む手に力を入れる。
―――ああ、不甲斐ない。
コーリエ。
彼らはその後、軍人に追われほとんどが命を落としたという。