村人たち
ヴィンの行動は早かった。魔王の通信が切れてからすぐさま身支度を済まし、転移の魔法を使ってスサバラの町付近に移動した。
大きな協会だけが嫌に目立つその町は、村と呼べるほどに小さい。かつてはもう少し大きな町であり、人口もそれに見合ったほどはいたのだが、大体の者がより大きな町や都へ移転したり、戦で命を落としていた。
今時、そんなところは珍しくはない。
ヴィンは町に耳を澄ましてみた。運がよかったのか、争うような音は聞こえない。
町にも崩壊したような跡は見られない。いくらなんでも、魔物が攻め込んで何も壊れないわけがない。
それを認め安堵の息を漏らしたが、安心するのはまだ早かったようだ。
人間のものではない気配がし、はっとする。
町に迫る魔力があった。それはすごいスピードで、彼がそこに目を向けたときには既に二匹のガロンが町に攻め込んでいた。
「・・・!くそっ」
彼は歯噛みし、背中にコウモリのような大きな翼を現す。彼にとっては走るより飛ぶ方が速い。
奥歯をぎりりとかみ締める。彼はこれから実に不愉快な行為を行わなければならなかった。
人間の死にすら憂う親愛なる魔王のために、自分が殺したいほど嫌う人間を守らなければならない。
不愉快だ。不愉快だ。不愉快だ。
それでもこれは魔王のため。二匹のガロンのため。
言い聞かせながら、ヴィンはガロンと人間たちが相対する間へその身を降ろした。
顔に不快を露にしながら。
ヴィンとの通信を切り、魔王は何度が深呼吸をした。
彼に面倒事を任せてしまった罪悪感もある。落ち着くまでにしばらくの時間を要した。
ようやく落ち着き階下の食堂へ戻ると、そこは更に落ち着かない空気を醸し出していた。
「アンタ、昨日の晩あの男を伸した一人だろう!?」
「今日はあの大剣はどうしたんだ!?」
「もう一人は何処だい?頼みたいことがあるんだ!」
「いや、あの、だからもう少しゆっくり、できれば一人ずつお願いします・・・」
先ほどまで朝食を食べていた席、未だアンクが座っているそこには人だかりができていた。彼は困ったように、魔王が言う「気味の悪い笑顔」を浮かべている。
その集団の一人が魔王を見つけ、集団の一部が彼女の元へと流れ込んできた。
「アンタが魔法使いのほうかい!」
「井戸ありがとうな!」
「あんたたちに頼みがあるんだよ!聞いてくれ!」
言葉の大半は聞き取れないが、そんなことを言っている。魔王はしかめっ面をして耳を塞ぎ、アンクの元まで行った。
彼は不安そうに魔王を見上げる。それを認めた魔王はしかめっ面のまま彼を見下ろし、
「何なんだこいつら。黙らせろ」
「できるならもうやってるって。話を聞いてくれないんだ」
アンクは彼女の態度に安心し、そして笑顔を消してただ困ったように彼女を見て言った。その会話の最中も群集は応えのない話を一方的にしゃべり続けている。彼らの中に会話は成立していなかった。
眉間の皺をより一層深くした魔王は、右手に拳をつくり大きく持ち上げると、勢いよくテーブルに叩き付けた。彼女の力に耐えられなかったテーブルが無残な音を立てて砕け散る。
「代表者を出せ。そいつからのみ話を聞いてやる」
あまりの衝撃に、群集はしんと静まり返った。ただアンクのみが、彼女に小さな拍手を送っていた。
彼らは顔を見合わせると、顔を寄せて会議を始めた。魔王は自らが破壊したテーブルを魔法で修復し、席に着いて紅茶を飲んだ。
「アンク、軍がもうすぐ着くとか言っていなかったか」
カップを置き、修復された部分を撫でているアンクに問いかける。
「ああうん、来たよさっき。現場と罪人を見てくると言ってたが、現場はもう修復しちゃったよなぁ」
アンクはケラケラと笑って、自分のコーヒーを一口すする。
「その後に、あの村人の集団に囲まれちゃってさ」
彼が未だこそこそと会議をしている集団に目をやる。魔王もその視線を追って、二人同時にため息を吐いた。
ようやく集団の中から代表者という中年の男が出てきたのと、軍人が検証から帰ってきたのはほぼ同時だった。なので、代表者の話は魔王が、軍人の話はアンクが聞くこととなった。
「それで、何なのだ」
魔王は椅子に座ったまま、腕を組んで、ついでに脚も組んで言った。対する村の代表者はその目の前に立ったままである。先ほどのテーブル破壊が尾を引いているのか、若干顔色が悪い。
まるで、これから説教が始まるようである。
「あの・・・ですね、え、と・・・」
「さっさと話せ、苛立たしい」
その言葉通り、魔王の眉間には皺が寄っている。自然目つきも悪くなり、代表者は身を竦ませた。
「はっはいぃ!!実は私ども貴女方お二人に頼みがございまして!!」
あまりの恐怖から早口になり、一息で用件を告げた。彼の後ろに控える村人たちも、不安げに彼を見守っている。
「頼み?何だ」
「はい!実はこの村、魔王城に近いこともあり、勇者の出現頻度が非常に高いのです!勇者の中には昨晩のような荒くれ者も多く、私どもは毎日怯えながら生活してまいりました。たとえば三日前の・・・」
「おい、それは長いのか。ならば聞かんぞ」
代表者は慌てて話を中断し、本題に入った。魔王は脚を組みかえる。
「申し訳ございません!頼みと言うのはですね、貴女とあちらの男性の方、お二人にこの村の用心棒をお願いできないかと・・・」
「断る」
ぴしゃり、と、即答だった。代表者はゴマすり顔のまま固まる。
「あいつのほうはどうするかは知らんが、私は断る。一所に留まるつもりはない」
そんなことをしてしまったら、彼女の観光は台無しである。ただでさえ「ゆっくりと」の部分が邪魔されているというのに、そのものをなくしてしまう訳にはいかなかった。
無論、それは彼女の中でだけの話である。
そんなことを知らない村人たちの間には、魔王に対する憤りが生まれていた。
理不尽な怒りかも知れない。けれど彼らたちの不安は、こんな簡単なことで変化するほど膨らんでいた。
不安をぶつける相手がわからない。王に何度か書状を送ってみたものの、返事があったことはない。
直接ぶつかりに行こうにも、それなりに離れた王都に行くような路銀も、男手も不足していた。
「何故ですか・・・どうせ当てもない旅をしているのでしょう?ならば・・・」
「確かに当てはない。しかし目的がある。それを邪魔する権利がお前たちにあるのか」
淡々と応える魔王を睨みつける。それでも彼女は変わらずその視線を受け止めていた。
「おいマオ・・・って、なんだこの雰囲気」
話が終わったらしいアンクが魔王の元へ来る。魔王はため息をついて「知らん」とこぼした。
「それで?見てみてどうだったんだ?」
時は少し遡り、アンクは検証を済ませた軍人たちから話を聞いていた。
「どうだったもなにも・・・ただ男が蔦に絡まれていたとしか。状況だけでは裁きかねます」
口ひげを蓄えた男が困った様子で口を開く。彼はこの隊の分隊長だ。
「だよなぁ。あの人きれーに直しちまって」
アンクはクツクツと笑い、ちらりと魔王を見る。その視線に気が付いた分隊長がそれを追い、まさかという声を出した。
「まさか彼女が直したんですか?ありえないでしょう、この魔法具はその気になればクレーターだって作れるんですよ」
分隊長は先ほどアンクから受け取った篭手を指して言う。それは昨晩の男が着けていたものだ。
「腕力だけじゃ俺たちでも一晩では直せねぇよ。彼女は魔法使いだ」
なるほど、と分隊長は頷き、彼女をもう一度見る。何か男を脅しているような図が見えた。
「で、俺たちが証言すれば裁けんのか?」
「それはもう。我らが軍トップの言葉を疑う者など居りますまい」
「そ」
アンクは頷き、少し思案した。
意を決し、「なぁ」と分隊長に問いかける。
「お前ら、ガロンの習性を知ってるか?」
「は?何ですいきなり」
「いいから。どうだ?」
「いいえ。宮廷魔術師か研究室の者たちなら知っているのでは」
アンクはため息を吐くと、「だよなぁ」と呟き俯いた。訳のわからない分隊長と隊員たちは、お互いに目を見合わせ質問しあっている。
「なんでも、ガロンは退治する必要がない魔物なんだと」
言いながら顔を上げ、魔王の元へと歩いていく。軍人たちは頭に疑問符を浮かべながらアンクに付いていった。