魔物と人
魔王が人間に対しての評価を改めていた頃、井戸のある広場には村人が集まっていた。皆一様に、蔦に絡まれ寝転んでいる男を遠巻きに見ている。
「この村に魔法使いなんていたか?」
「俺みたぞ!真っ黒な奴が手をかざしただけで、その蔦が出てきたんだ!」
男の誰にでもない問いかけに、後方に居た男が応える。
「僕は大きな物がこいつに向かって飛んでくるのを見たよ!縦に長く光ってたから、剣かも」
「私は今朝、長い黒髪の女性が魔法で井戸を直しているのを見たわ」
「でかい剣に長い黒髪の女?それこそこの村には・・・」
「ねぇ!それ、昨日来た旅人さんたちじゃない?」
ざわざわと自分の見たものを言い合っていた村人たちは、最後の台詞を聞いて一斉に黙り込み、ばらばらと宿屋に目を向けた。
「んじゃあ、あんたの名前はマオ=デイハルトでいいんだな。本当だな?」
「いいと言っているだろう」
「やー・・・まぁ、魔法使うからいいのか・・・?」
この問答をするのももう何度目だろうか。フォークをサラダに差し込みながら、魔王はため息を抑えられなかった。
アンクはやはり、デイハルトに納得がいかなかった。彼女の反応から知っていてつけたことはわかったのだが、やはり納得がいかずに何度も尋ねてしまう。
黒く長い髪、服装、魔法を使うことなど連想する要素はいくつもあるが、闇の者、つまりデイハルトという単語は忌み嫌うものを指して言う。
悪事を働く人間を懲らしめてくれた彼女には似合わない言葉だと、アンクは思わずにはいられなかった。
しかし、魔王の昨夜の行動は偶然から始まったに過ぎない。ただ彼女が眠っていたときに大声を出され、騒音を出され、苛立った結果の行動だった。
つまり、悪しきを退治しよう、などという善良な心は微塵もなかったのだ。怒り任せに喧嘩を売ってみれば、それがいい方向に動いただけである。なんという悪運。
魔王もアンクがそんな勘違いをしているのだと感づいたからこそ、ため息を抑えられない。何を言ったところで彼の頭の中の彼女の像は変わらないだろう。
これは諦めて無視を決め込むべきか、と考えながらサラダを口に運んだ時、アンクが何かに気が付いたようにペンダントを見た。
「よう、おはよう。悪いな、夜中に隊動かさせたりして。・・・あ?もう着く?」
それが通信用の魔道具だと知らなければかなりおかしな光景である。どうやら声はペンダントに触れていなければ聞こえないらしい。
アンクの言葉から想像するに、軍隊が村のすぐ近くまで来ているようだった。
「わかった、準備しておく。じゃあ」
「随分と早いご到着だな。連絡をしたのは昨夜なのだろう?」
連絡が終わったところを見て、魔王が彼に問いかける。それほど近くに城があるわけでもないし、駐在所も見たことはない。いくら人間の世に疎い彼女でも、自分の城の周辺のことは知っている。
「ああ、なんかこの近くで魔物の被害の連絡があったらしくてさ、そのために軍が出ていたらしい。それの一部を連れてくるんだってさ」
「魔物の被害?どこでだ」
これは彼女には聞き捨てならないことだった。当然「人間に危害を加えるなど、許さんぞ魔物め」なんて気持ちは微塵もない。ただ、無駄に人間を襲って無駄に退治される、と言う状況を避けたいが為である。
もしくは、魔物にも何かしらの理由があって人を襲ったのかもしれない。人間は魔物を絶対の悪とし、彼らの事情を考えず退治しようとする。人間が魔物の子をさらい、それが原因で襲われたとしても、人間は魔物を悪とする。
そういう立場から魔物を守るのも彼女の役目だった。
一方のアンクはそんな彼女の事情など露ほども知らず、やはり彼女は正義に厚い人間なのだと思った。
彼は魔物の子をさらい襲われた、と言う状況なら自業自得と言える人間だったが、大抵の場合は魔物が悪なのだと思っている人間だった。だから、彼女が魔物に対して怒りを覚えているのだと勘違いをした。
「ここからそう離れていない、小さな町だな。木の実を取りに森へ入った親子がガロンの群れに襲われたらしい」
ガロンとは、空色の毛をもつ、熊ほどの大きさの狼である。稀に銀の毛を持つものも居るが、他のものとは大差ない。
彼らは主に群れで生活し、縄張りを作ってその中に引きこもる魔物である。その巨体から想像しにくいが、かなり温厚な性格で、縄張りを荒らされる、または群れの仲間が傷つけられた時以外に争いをすることはない。が、人間はそうは思っていないことを魔王は理解していた。
きっとその親子は、縄張りを荒らす何かをしてしまったのだろう。木の実を取りに行っていたというのなら、取りすぎたのか、ついでに木でも荒らしたのか。
何にせよ、現場を見なければ埒の明かないことではある。
思案にふける彼女を見て、アンクは付け足した。
「でも、もう解決したってさ」
「解決した?どのように」
勢い良く問われ、アンクは無意識に後退する。
「っと・・・、5,6匹の群れだったから、退治したらしい。2匹ほど逃したと言っていたが」
魔王は絶句した。人間は想像以上に愚かしい生き物だった。
彼女の様子がどこかおかしいことに気が付いたアンクは、様子を伺うように俯いた彼女の顔を覗き込んだ。
「・・・貴様らは、ガロンの習性を知っているか」
彼女は顔を歪めていた。悔しいのか、悲しいのか、怒っているのかは定かではないが。
「知らんのなら、調べろ。ガロンは退治する必要などないし、中途半端に退治すれば仲間を殺され怒った彼らが報復にくるぞ」
それだけ言うと、魔王は宿の自室へと階段を上っていった。アンクはそれを呆然と見つめながら、彼女の言葉と表情の意味を考えていた。
「ヴィン、少しいいか」
朝と同じ方法でヴィンディヴァイスに連絡をとる。ヴィンは魔王の本日二度目となる連絡と、彼女の神妙な表情から気を引き締めた。
「はい。いかがなさいました?」
「ここから近い小さな町で、近くにガロンが縄張りを張っている、といえば、スサバラの町か。そこのガロンの群れが人間を襲い、数匹退治されたらしい」
ヴィンは一瞬驚いた後、表情を暗くした。魔王は言葉を続ける。
「伝言を頼みたいんだ。残されたガロンたちに宛てて。守れなかったことへの謝罪と、仲間たちに守られた命を散らすような行為はするなと。人間を襲えば、大勢の人間がお前たちを退治しにきてしまうから。仲間を殺された怒りをわかっているつもりではあるが、どうか耐えて欲しい、と」
随分調子の良い事を言っている、と魔王もわかっていた。そして、もう遅いのかも知れないとも思っていた。
アンクが軍に連絡を入れたのが昨夜だ。その頃には既にガロンの退治が行われていた。
怒りに染まった者の気が長いわけがない。今朝には人間に報復しに行っているのかもしれない。
それでもこんなことしかできない自身が、魔王は悔しくてたまらなかった。城に居た頃であればもっと魔物たちに注意を向けていたのに。
「・・・はい、魔王様。必ずお伝えします」
ヴィンがそう返事をすると、魔王は一言礼を言って通信を切った。
ヴィンは悔しかった。魔王の心を側で支えることができないことが。そして腹が立った。魔王をこんなに悲しめている人間たちが。
ヴィンは、人間が嫌いだった。それこそ、滅ぼしてしまいたいほどに。