観察
絡まる蔓から抜け出そうと、イルヴィアはひたすらもがいていた。魔法を使おうにも、手は特に頑丈に絡め取られていた。
手がなければ魔法が使えない、ということはない。しかし彼女には、手を使わずに安定した魔法を使えるとは思えなかった。もし暴走して町民を傷つけてしまったら意味がない。
歯噛みしながら魔王を睨み据えれば、彼女はイルヴィアのことなど目もくれず町民を見つめていた。その瞳からは感情が読み取れず、口元は怪しげに歪み、イルヴィアの不安を煽るばかりだった。
魔王はそんな彼女を気にも留めず町民を“観察”し続けた。彼らはイルヴィアが捕えられたことで悲鳴を上げ、情けない顔で彼女を見つめている。しばらく観続けたが状況が変わることはなく、魔王が静かに息を吐こうとした時だった。
「い、イルヴィア様を離せ!!」
一人の男が叫んだ。その声は震えて、決して威勢のいいものではない。けれど魔王は目を見開き、男を見つめた。
声を上げた男はその視線に一瞬慄き、けれどすぐに持ち直してその眼を睨み返した。
おそらく恐怖を覚えているのだろう。体には緊張が走っているのか、手は指が白くなるほど握りしめられている。
だがその瞳は力強かった。握る手のような恐怖を隠すための力ではない。ただ相手を負かそうとする力だった。
男の声を皮切りにしたように、その場には力強い声が響いた。男も女も、子供も老人も皆が同じように声を上げていた。数人は蔓に群がりイルヴィアを助け出そうとし始め、集団の中には魔王に石を投げつける者も出始めた。
イルヴィアはぽかんとその光景を見ていた。もがくことも忘れて、必死の形相である町民を見ていた。
イルヴィアは子供のころからこの町を見ていた。魔法が使える父親を長として皆が頼り、父はそれに応えていた。一人娘である自分もこうなるのだと、彼女は張り切って魔法を練習したものだ。
両親が亡くなり彼女が長になったとき、町民はともに悲しんで、共に喜んだ。それを見て、彼女は決意を新たにした。
イルヴィアから見て町民は守るべきもので、彼らは守られるべきものだった。
それが今はイルヴィアが守られようとしている。そのことに彼女は混乱していた。
魔王は飛んでくる石を撥ね除けながら、必死で対抗しようとしてくる町民に口角を上げた。
そうして、突然大きな声で笑い出した。
次に呆然としたのはその場にいた人々だった。魔王に対抗しようと必死だった町民も、彼らの行動に混乱していたイルヴィアも、魔王の意図が分からず何もできずにいたアンクたちも、目じりに涙すら浮かべながら笑う魔王を見た。
「ちょ…っと、……マオ?」
「あはははは、はは、ちょ、待て、あははははは!」
とうとう腹を抱えてしゃがみこんだ魔王に、アンクは戸惑うばかりである。町民たちは我に返ると、今がチャンスとばかりにイルヴィアの救出に力を入れた。目端にそれを見て取った魔王は指を鳴らす。すると蔓がゆっくりとほどけていき、イルヴィアを解放した。
ますますわからないと視線を送る人々の中で、魔王は笑いを抑えるのに必死だった。
「ま、マオ、もうそろそろこっちにも理解させてほしいんだけど…」
「…っは、はー、はー、わ、悪い、もう大丈夫だ」
深呼吸を繰り返してどうにか落ち着きを取り戻し、イルヴィアを見やる。彼女は一応魔王を睨んではいるが、困惑がありありとわかった。
その彼女の傍には町民たちがいた。彼女の背後に隠れるでもなく、隣に並んで魔王を睨みつけていた。
視線を受けながら、魔王はわずかに微笑んだ。自分でも気づかず、無意識に微笑んでいた。
「お前は人に恵まれているんだな。よかった」
それはひどく優しげで、同時にどこか寂しさを感じさせる笑みだった。声音にもそれが感じられ、アンクはさらに困惑する。
「…っだからマオ!」
「わかっている。後で説明するから、さっさとこの町をでるぞ」
魔王は口元にわずかに笑みを残したまま馬を引き、歩を進めようとした。
「待って!!」
そう声を上げられ、動かした足を止める。声の方を見やれば、そこには困惑したように目を見開いたシルヴィアがいた。
「…なんだ?」
魔王の呼びかけにシルヴィアは口を開き、しかし声を出すこともなく幾度か開閉を繰り返した。
「…っと、ぅ…っそう!このまま放置して、またこの町に何かされてはたまったものではありません!よって、あなたたちを捕縛し、この町の牢に収容させていただきます!!」
びしりと指まで突き出して宣言する彼女に、
「……は?」
そう声をもらしたのは、魔王たちだけではなかった。