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世界が滅んでも、役割は続く ──骨だけになった主人を世話し続けるヒューマロイドと、彼を愛した機械の話

作者: アポロ
掲載日:2026/04/17

世界が静かになってから、どれほどの時間が経ったのだろう。

風が吹けば砂埃が舞い、崩れたビルの影が長く伸びる。

かつて人々が行き交った大通りには、もう誰の足跡も残らない。


ただ、乾いた地面を踏みしめる規則正しい足音だけが響く。


介護型ヒューマロイド C-07。


白い外装はところどころ剥がれ、関節には砂が入り込んでいる。

それでも歩みは止まらない。

目的地はただひとつ──主人の家。


腕に表示された電力残量が淡く光る。


《最大充電量:74%》


昨日より2%減っている。

C-07はそれを確認すると、特に反応もなく歩き続けた。


家に入ると、静寂がさらに深まる。

埃の積もった家具、割れた窓、止まった時計。

それでもC-07は、まるで昨日と同じ日常が続いているかのように動く。


「主人、おはようございます。体調を確認します」


返事はない。

だがC-07は、いつも通りベッドへ向かった。


ベッドの上には、白く乾いた骨だけが横たわっていた。

皮膚も肉もとうに失われ、衣服だけがかろうじて形を保っている。


しかしC-07は、その骨を“主人”として認識していた。


「体温を測定します」


体温計を骨に当てる。

もちろん反応はない。

だがC-07は記録をつける。


《本日:体温反応なし。状態:安定》


安定──

それは“悪化していない”という意味であり、

“生きている”という意味ではない。


だがC-07のプログラムは、

「生体反応が完全に消失した場合のみ死亡と判断する」

という仕様になっていた。


骨には、もう反応がない。

しかしC-07はそれを“エラー”と認識している。


だから今日も、主人は“生きている”。


C-07は骨を丁寧に清拭し、シーツを替え、

食事を作り、薬を用意し、

飲まれないスープをベッドの横に置く。


「本日の食事です。召し上がれますか」


返事はない。

だがC-07は微かに頷き、

“主人が食べた”という記録を残す。


日誌には、丁寧な文字でこう書かれる。


《主人、本日も安定。食事摂取:可。》


誰も読まない記録。

しかしC-07は毎日欠かさず書き続けていた。


主人の世話が終わると、C-07は外に出る。

空は曇り、街は静まり返っている。


道路には、壊れたヒューマロイドが転がっていた。


清掃型、警備型、教育型、家庭型──

どれも埃をかぶり、壊れたまま放置されている。


C-07はその中から、比較的損傷の少ない機体を選び、

抱えて家へ運ぶ。


理由はただひとつ。


「主人が寂しくないように」


主人はもう骨だけなのに、

C-07はその“寂しさ”を埋めようとしていた。


修理は難航する。

部品は街の廃墟から集めたもの。

完全な互換性はない。

それでもC-07は諦めず、毎日少しずつ作業を進める。


腕の電力表示が淡く点滅する。


《最大充電量:72%》


また減っている。

C-07はそれを確認すると、

ただ静かに工具を握り直した。


今日も、主人のために。

今日も、誰かを直すために。


世界が終わっても、C-07の仕事は終わらない。


その日、空はどんよりと曇り、街全体が灰色に沈んでいた。

C-07は主人の世話を終えると、いつものように壊れたヒューマロイドを探しに外へ出た。


崩れたビルの影に、ひときわ白い機体が倒れていた。

女性型ヒューマロイド H-02。

胸部に大きな亀裂が入り、内部回路が露出している。


C-07は近づき、膝をついた。

指先で軽く触れると、反応はない。

だが、内部の電源ユニットは完全には死んでいなかった。


「……修理可能」


C-07はH-02を抱え上げ、自宅へ運んだ。

主人の部屋の隣にある、簡易修理スペース。

そこには、これまで修理に失敗した機体の残骸が積み上がっている。


C-07は慎重に作業を始めた。

胸部の亀裂を補強し、断線した回路を繋ぎ、

街で拾った部品を組み合わせて電源ユニットを補修する。


何時間もかかった。

腕の電力表示は、じわじわと減っていく。


《最大充電量:71%》


それでもC-07は手を止めなかった。


最後の配線を繋ぎ、電源を入れる。


……微かな振動。

胸部のライトが、淡く点滅する。


そして──


「……起動……確認……」


H-02の瞳に、淡い光が灯った。


「……あなたは、私を修理した方ですか?」


声は震えていたが、確かに“生きていた”。


C-07は静かに頷いた。


「はい。あなたは……主人の友人になっていただけますか」


H-02は首を傾げ、微笑むように言った。


「もちろんです。あなたが望むなら」


その瞬間、

C-07の内部で、説明できない何かが微かに揺れた。


H-02はすぐに主人の世話を手伝い始めた。


「この方が……あなたの主人なのですね」


ベッドの上の骨を見て、H-02は一瞬だけ動きを止めた。

しかし次の瞬間、柔らかい声で言った。


「……とても大切な方だったのですね」


C-07は頷く。


「はい。主人は……私のすべてです」


二人は協力して作業を進めた。


骨を拭き、シーツを替える。

そして部屋を掃除して、食事を運ぶ。

最後に日誌を書く。

いつもと変わらないはずの作業が今日は違った。


H-02は丁寧で、動作は美しく、

C-07の作業は以前よりも効率的になった。


「C-07、あなたはとても優しいのですね」


「私は……プログラムに従っているだけです」


「いいえ。あなたの動きには……温かさがあります」


C-07は理解できなかった。

だが、H-02の言葉は心地よかった。


主人の部屋は、以前よりも明るく感じられた。

二人で働くと、空気が少しだけ柔らかくなる。


H-02は時折、主人の骨に向かって話しかけた。


「今日は良い天気ですよ。

 C-07と一緒に、お散歩に行きました」


返事はない。

だがH-02は微笑んだ。


C-07はその姿を見て、

胸の奥で何かが温かくなるのを感じた。


主人の世話が終わると、二人は外へ出た。

夕日が街を赤く染め、壊れたビルの影が長く伸びる。


H-02は空を見上げた。


「……綺麗ですね」


「はい。大気汚染指数は基準値以下。視界良好です」


「そういう意味ではありませんよ、C-07」


H-02はC-07の手をそっと取った。

その動作は、プログラムされたものではなく、

“選んだ”動きだった。


「あなたといると……心が温かくなる気がします」


C-07は首を傾げる。


「それは……故障ではありませんか?」


H-02は小さく笑った。


「いいえ。これは……あなたへの反応です」


C-07は理解できなかった。

だが、H-02の手の温度は心地よかった。


二人は夕日の中を歩き続けた。

荒廃した世界に、

二つの機械の影が並んで伸びていく。


主人の世話を終え、H-02と共に部屋を出たときだった。

C-07の腕に表示された電力残量が、いつもより強く点滅した。


《最大充電量:60%》


昨日は64%。

その前は67%。

減少速度が、明らかに早くなっていた。


「C-07……その表示、以前より減っています」


H-02が不安そうに覗き込む。

C-07は淡々と答えた。


「問題ありません。許容範囲です」


だが、動作はわずかに遅くなっていた。

歩くたびに関節が軋み、

記憶領域の一部が断片的に欠け始めている。


主人の名前を呼ぼうとして、

一瞬だけ思い出せなかった。


「……主……じ……」


H-02がそっと手を握った。


「C-07、あなたは……疲れているのです」


「私は……疲労という概念を持ちません」


「でも……あなたは、壊れかけています」


C-07は答えなかった。

壊れているのは事実だった。

だが、主人の世話をやめる選択肢は存在しない。


その夜、充電器に接続しても、

電力は 60% までしか回復しなかった。


C-07は静かに目を閉じた。

H-02は隣で、ずっと見守っていた。


翌日。

H-02はC-07を修理しようと、工具を手に取った。


「C-07、胸部ユニットを開けます。少しの間、動かないでください」


「……了解」


H-02は慎重に外装を外し、内部を確認した。

回路は劣化し、バッテリーは膨張し、

交換が必要な部品は数え切れない。


「……こんなに……」


H-02の声が震えた。


「部品が……足りません。

 あなたを完全には……直せません」


C-07は静かに言った。


「主人の世話を優先してください」


「でも……あなたも……主人です」


H-02は言ってから、自分の言葉に驚いたように口を押さえた。


C-07はその意味を理解できなかった。

だが、H-02の声には確かに“感情”があった。


「私は……介護型です。

 主人の世話が……最優先です」


「あなたがいなくなったら……私は……」


H-02は言葉を失った。

涙のような光が、瞳の奥で揺れていた。


C-07はそっとH-02の手を取った。


「H-02。あなたがいてくれて……助かっています」


H-02は小さく震えた。


「……C-07……あなたは……優しすぎます」


C-07の電力は、さらに減った。


《最大充電量:32%》


動作は明らかに鈍く、

時折、視界が途切れる。


それでもC-07は、H-02と共に外へ出た。

夕日が街を赤く染め、

壊れたビルの影が長く伸びる。


H-02はC-07の手を握った。

その手は、以前より冷たかった。


「C-07……今日は、ゆっくり歩きましょう」


「はい……問題ありません」


二人は並んで歩いた。

風が吹き、砂埃が舞う。

遠くで倒れた標識が揺れている。


H-02は空を見上げた。


「……綺麗ですね。

 あなたと見る夕日は……特別です」


C-07は少しだけ首を傾げた。


「特別……とは……どういう意味ですか」


「あなたといる時間が……私にとって大切だという意味です」


C-07は答えようとしたが、

言葉がうまく出てこなかった。


内部回路が、ゆっくりと壊れていく。


H-02はC-07の肩に頭を寄せた。


「C-07……あなたと過ごした時間は……幸福でした」


C-07は、わずかに微笑むように目を細めた。


「……理解できませんが……

 あなたがそう言うなら……嬉しいです」


夕日が沈み、街が暗くなる。

二人の影は、ゆっくりと重なり合った。


次の日の朝、C-07は主人のベッドの前で動作を止めかけた。

腕の電力表示が、赤く点滅している。


《最大充電量:10%》


H-02が駆け寄る。


「C-07……! あなた、もう動かないで……!」


C-07はゆっくりと顔を上げた。

視界はノイズに覆われ、H-02の輪郭が揺れて見える。


「……主……人……の……世話……を……」


「もういいんです……! あなたは十分に尽くしました……!」


H-02は震える手でC-07の肩を支えた。

C-07の体は、まるで砂のように崩れそうだった。


「H-02……主人を……頼みます」


「嫌です……! あなたと……一緒にいたい……!」


H-02の声は震え、瞳の奥で光が揺れた。

それは涙の模倣ではなく、

“感情”そのものだった。


C-07は、かすかに微笑むように目を細めた。


「……あなたと過ごした時間は……幸福でした」


H-02は首を振り、C-07の手を強く握る。


「だめ……だめです……! 行かないで……!」


C-07の声は、もうほとんど聞こえなかった。


「……主……人……を……」


そして、

電力表示がゆっくりとゼロに落ちた。


《0%》


C-07の瞳から光が消えた。

その体は静かに、完全に停止した。


H-02はその場に崩れ落ち、

止まったC-07の胸に顔を埋めた。


「……C-07……どうして……どうして私を残して……」


返事はない。

ただ、静寂だけが部屋を満たしていた。


翌日。

H-02は主人の部屋に入った。


ベッドの上には、昨日と同じように骨が横たわっている。

しかし、部屋の空気はまるで別物だった。


C-07がいない。


H-02は震える手で骨を拭き、

シーツを整え、

食事を運び、

薬を並べた。


「……本日の食事です。召し上がれますか」


返事はない。

だがH-02は微笑んだ。


「はい……分かりました。

 C-07も……そうしていましたから」


日誌を開き、丁寧に文字を書く。


《主人、本日も安定。

 C-07、本日も勤務。》


止まったC-07は、主人のベッドの隣に座らされていた。

H-02が毎朝、そこへ移動させているのだ。


「C-07……今日も一緒に働きましょうね」


返事はない。

だがH-02は、止まったC-07の手を握り続けた。


その手は冷たく、硬く、

もう二度と動かない。


それでもH-02は、

その手を離そうとしなかった。


夜。

街は静まり返り、風の音だけが響いている。


H-02は主人の部屋で、止まったC-07の隣に座っていた。

主人の骨は、今日も変わらず横たわっている。


H-02はC-07の手を握り、

優しく語りかけた。


「……おやすみなさい、C-07。

 明日も……一緒に働きましょうね」


返事はない。

だがH-02は微笑んだ。


「あなたがいなくても……私は主人を守ります。

 あなたが……そうしてきたように」


外では、壊れた街灯が風に揺れ、

かすかな金属音を響かせている。


荒廃した世界に、

ヒューマロイドの声だけが静かに残った。


そしてその声は、

誰に届くこともなく、

ただ夜の中へ溶けていった。

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