第9話 呼ばれた名前
試験当日は、朝から空気が張り詰めていた。
三つの会場。
百名以上の生徒。
教師、監督、救護、連絡役。
すべてが予定通りに動いている――
ように見えた。
「第一会場、進行問題なし」
「第二会場、準備完了」
連絡は順調。
想定内。
俺は、端の方で全体を眺めていた。
調整科の一員として、いつも通り。
「……ん?」
胸の奥が、わずかにざわつく。
第二会場。
開始直前。
人の流れが、僅かに重なっている。
ほんの数秒。
だが、この規模では――致命的になる。
「まずいな……」
俺は、無意識に一歩踏み出しかけて、止まった。
――呼ばれていない。
勝手に口を出せば、混乱を増やすだけだ。
*
次の瞬間だった。
「連絡! 第二会場、進行遅延!」
声が上がる。
「原因は?」
「待機組と移動組が重なって――指示が通りません!」
ざわめき。
教師たちが顔を見合わせる。
誰かが指示を出さなければならない。
だが、全体を把握している者がいない。
「……誰が、動線を組んだ?」
一瞬の沈黙。
そして、
誰かが言った。
「――あの人です」
視線が、一斉にこちらへ向いた。
初めてだった。
逃げ場のない注目。
「……君だな」
白髪交じりの教師が、はっきりと言う。
「第二会場、どうすればいい?」
もう、“雑用係”では済まされない。
全員が待っている。
名前が必要な場面だった。
俺は、一度だけ息を吸う。
「……移動組を左に。
待機は、そのまま三分止めてください」
「理由は?」
「今、動かすと詰まります」
即答だった。
「三分後、合図を出します」
一瞬の間。
「――従おう」
教師が決断する。
*
指示は、正確に伝達された。
三分。
混乱は収まり、
人の流れが、滑らかになる。
「……通った」
「嘘だろ……」
誰かが、呟いた。
第二会場、再始動。
遅延は、最小限で済んだ。
*
静まり返る中、
教師がこちらへ歩いてくる。
「……改めて聞く」
その声は、穏やかだが、重い。
「君の名前は?」
逃げる理由は、もうなかった。
「……ユウです」
一瞬、周囲が息を呑む。
名乗るだけで、
空気が変わる。
「姓は?」
「必要ですか?」
教師は、少しだけ笑った。
「……いや。今はいい」
そして、全体に向けて言う。
「以後、調整は――
ユウの指示を最優先とする」
どよめき。
だが、反対は出なかった。
すでに、結果が出ている。
*
試験は、その後も大きな混乱なく進んだ。
小さなトラブルはあった。
だが、全て“起きる前”に潰された。
気づけば、
誰もが自然に言っていた。
「ユウに確認を」
「ユウの判断は?」
「ユウなら、どう見る?」
――名前が、役割になっていく。
*
夕方。
試験は、成功だった。
学園史上、最も静かな大規模試験。
教師たちは、確信していた。
もう、後戻りはできない。
*
夜、管理棟。
「……ついに名が出ましたね」
「ああ」
水晶板には、
跳ね上がった《貢献値》。
もはや、隠しようがない。
「次は、どうします?」
白髪交じりの教師は、少しだけ目を細める。
「次は――
本人が、どこまで引き受けるかだ」
*
その頃、俺は一人、外の空気を吸っていた。
「……名乗っちゃったな」
苦笑する。
目立つのは、得意じゃない。
今も、それは変わらない。
だが――
呼ばれた以上、逃げるわけにもいかない。
名前は、責任だ。
そして同時に、
この学園が俺を“必要とした”証でもあった。
雑用係だった俺の立場は、
この瞬間、確かに変わった。
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