第4話 記録係のメモ
調整科の机は、書類で埋まりやすい。
試験日程。
使用備品の一覧。
生徒の配置図。
どれも重要だが、誰も積極的にやりたがらない仕事だ。
「……また増えたな」
俺は机の端に積まれた紙束を見て、小さく息を吐いた。
相談が増えた分、記録も自然と増えている。
だからといって、特別なことをしているつもりはなかった。
誰がどんな癖を持っているか。
どの場面で失敗しやすいか。
どう配置すれば、余計な混乱が起きないか。
それを、忘れないように書き留めているだけだ。
「……雑用の延長だな」
そう思いながら、ペンを走らせる。
*
その日の午後。
実技科の演習場で、小さな事故が起きかけた。
「危ない!」
前衛の一人が足を取られ、体勢を崩す。
その先には、未起動の魔導具が並んでいた。
ぶつかれば、破損は避けられない。
だが――直前で、事故は防がれた。
「……?」
転びかけた生徒が、首をかしげる。
足元にあったはずの段差が、ない。
実際には、段差そのものが消えたわけじゃない。
前日のうちに、位置が少しだけ変えられていたのだ。
ほんの数歩分。
誰も気に留めない程度。
「ここ、危ないって書いてあったよな……」
近くにいた教師が、手元の紙を見返す。
そこには、簡単な注意書きがあった。
――通路右側、視界が切れる。
――踏み込み時に死角あり。
――配置変更推奨。
「誰が書いた?」
教師が周囲を見回す。
誰も答えない。
*
その後、教師室。
「このメモ、どこから来た?」
数枚の紙が、机の上に広げられていた。
走り書きだが、要点は的確だ。
「調整科の提出物です」
「担当は?」
「……彼です」
名前が、初めて口にされた。
白髪交じりの教師が、静かに頷く。
「やはり、か」
「ご存じだったんですか?」
「薄々はな」
教師は窓の外を見た。
「事故が減りすぎている。
失敗が、説明できない形で減っている」
それは、奇跡でも偶然でもない。
積み重ねだ。
「だが、本人は気づいていない」
「……それで、どうします?」
しばらくの沈黙。
「今は、まだいい」
教師は首を横に振った。
「表に出せば、潰される。
彼は前に立つタイプじゃない」
その言葉に、誰も反論しなかった。
*
夕方。
俺はいつものように、演習場の後片付けをしていた。
「……あ」
足元に落ちていた紙を拾う。
見覚えのある、自分の字。
どうやら、誰かが持ち出して、そのまま返し忘れたらしい。
「回収しないとな……」
メモをまとめていると、
背後から声がした。
「これ、君が書いたのか」
振り返ると、あの教師が立っていた。
「……はい」
「分かりやすいな」
それだけ言って、紙を返してくる。
「無駄がない。
だが、消耗する書き方だ」
「仕事ですから」
教師は、少しだけ目を細めた。
「君は、自分が何をしているか分かっているか?」
問いかけは、柔らかい。
「……雑用、です」
一瞬、教師が笑ったように見えた。
「そうか」
それ以上、何も言わなかった。
*
夜、管理棟。
「……今度は、事故回避か」
記録係が、静かに数値を確認する。
《貢献値》は、派手に跳ねない。
だが、確実に積み上がっている。
「ここまで来ると、偶然じゃないな」
誰かが呟く。
「でも、本人に知らせるのは――」
「まだだ」
判断は変わらない。
*
その頃、俺は部屋で、メモを整理していた。
紙の束を揃え、不要なものを捨てる。
「……残すほどのことでもないか」
独り言のように呟き、灯りを消す。
知らなかった。
その「残すほどでもないメモ」が、
学園の事故率を大きく下げていたことを。
そして――
俺自身の評価を、静かに押し上げていたことを。
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